第3話 二色のソーダ
その日、俺と『ゆか』は一週間後に迫った陸上競技の大会に備えて、足りない用品の買い出しのため、街に出た。
駅前の商店街は、買い物客の雑踏とクラクションの音で騒がしく、アスファルトからは初夏に近い熱気がじっとりと這い上がっていた。
大会用の白線ラインパウダーや記録ノート、救急箱の補充品など、ずっしりと重い買い物袋が俺の両手に食い込む。
俺は、この高校の陸上部の主将『タク』だが、事務作業や、その他諸々の厄介ごとは全て副部長の『ゆか』に任せていて、この日も授業が終わって、見つからない内に学校を脱出しようとしたところを『ゆか』に見つかり、強引に買い物に連れ出された。
『ゆか』は、いつものことながらプンプンと説教してきたが、なんだか張り切っている様子で、テキパキと買い物を買い揃え、ちょっと付き合いなさいと命令口調になって、昭和レトロな喫茶店に俺を連れていった。
なるほど、昭和の什器を揃えて外観を装う程ではなくて、昭和時代に開業して、調度品も全て当時のままの物を使っていて、テーブルのすり減り方も極めて自然で、エイジング加工した物では無いと分かる。おまけに、年老いた猫も居て、空間に癒しを与えている。
琥珀色のペンダントライトが優しく照らす店内は、外の喧騒が嘘のように静まり返っていた。使い込まれた深い飴色の木製テーブルは、角が丸くすり減っていて、指で触れると吸い付くような滑らかさがある。
カチコチと不器用な音を刻む古時計の針の音と、店内に流れるクラシック音楽が、心地よい落ち着きで店内を包み込んでいる。
「ここ、いつも来るのか」
「まぁね。ここね二色のソーダ水が、一つの容器で出てくるんだよ」
俺は、チョコレートパフェを頼み、『ゆか』は二色ソーダを頼んだ。
運ばれてきたチョコレートパフェに喜んでいる俺に、「子供みたいね」と嬉しそうに『ゆか』は微笑んでいる。
『ゆか』が注文した二色ソーダは、一つの容器の中で見事に、赤色と緑色のソーダが交わることなく独立して存在している。
ガラスの中央に透明なガラスの仕切りがあり、右側には燃えるようなルビー色のいちごソーダ、左側には鮮やかなエメラルドグリーンのメロンソーダが、パチパチと小さな泡を弾かせながら、カランと涼しげな音を立てる氷の隙間でストローが二本ツンと上を向いている。
それをまじまじと見ていた俺は、ボソリと言った。
「なんとも味気ないな・・・」
「どうして・・・一つで二つの味を楽しめるのよ」
「ん・・・なんていうか、それってどうやったっても交わらないんだよな」
「そうよね」
「そうやって、はっきり分けてしまうと、かえって、混ぜた物を飲みたくなる。どっちが良いか、はっきりしろって言われてるみたいだ」
「そうかなぁ。私は比べるのも楽しいと思うけど」
「よくさ、白黒はっきりしろって言うことあるじゃん。それって、比べて、白か黒か一つを選べってことだよな」
「そうね」
『ゆか』は、二色のソーダ水を緑の方から飲みつつ、俺の方を興味深めな目で見ている。
「白か黒か、その場合だと赤か緑か、さぁ比べてみろってことだよな。決して、混ぜた色の評価をしない」
「ん・・そうね」
『ゆか』は、また始まったという顔で、ただ、楽しそうに俺を見ている。
「例えばだ。誰が見ても可愛い子だけど、性格がいまいちな子と、容姿はあまりよくないが、性格がよくて誰にでも好かれる子が居たとする。この二人から告白された時、どっちかを選ばなきゃなんないことになる」
「そうかもね」
「けっして交わらない。というか、別物の二人のうち一人を選べというのは、少なくとも俺には無理だ」
「だったら『タク』君はどうするの。まさか二人と付き合うなんて言わないわよね」
「俺だったら、二人ともお断りする」
「ほう・・・」
「だいたいにして、世の中に本当に答えがあることって、そんなにないはずだと思う。入試なんかも、必ず答えがある数学を除いた科目は、時代の変化とか世の中の変化で答えも変化するもんだろ。なんで、答えは一つじゃなきゃなんないんだよ」
「・・・そうかもね」
「最初はさ、赤と緑が別々でもいいんだよ。だけど、防波堤を除いてやらないと、混じり合った色には絶対にならない。交わった思考を拒絶するのは、なんとも味気ない・・・というわけさ」
「・・・・・」
『ゆか』は、何か不満げな顔で俺を睨む。
「『タク』君は,わかってない」
「・・・何が?」
「『タク』君の言う交わった思考って、言い換えれば、どっちでもいい。うやむやになることは悪いことじゃない。面倒だから、とりあえず拒絶しとこうってことだよね」
「・・・うやむや・・って」
「うやむやのまま、どっちつかずで返事を待ってるって、どれほど苦しいことなのか・・・分かってない」
いきなり怒った顔になった『ゆか』は、心なしか涙目になっているように感じた。
「少なくとも、私はその子たちの境界線でも、タク君とその子たちの防波堤でもないんだから・・・」
俺は、高校一年の時に勉強で落第寸前だった。
これは流石にヤバイということで、策を練った結果、学年トップの生徒に勉強を教わるという単純な解答を得た。そこで、当時から学年トップを維持していた『ゆか』に定期的に勉強を教えてもらう確約を得ることに成功した。
放課後の誰もいない教室。シャーペンの芯が折れる音と、俺の溜め息だけが響いていた。ゆかは容赦なく俺の赤点だらけのプリントを指差し、「ここ、公式が抜けてる」と冷たく言い放つ。だがその瞳は真剣そのものだった。
『ゆか』はどこで知ったのか、俺が中学の陸上大会で県トップの成績を残していることを知っていて、『ゆか』と同じ陸上部に入部することを条件としてきた。俺は、大会にさえ出ればいいんだろ的に軽く考えて、その条件を呑むことにした。
定期的な勉強会で俺は留年を免れたが、交換条件だった陸上部の部活には、ほとほと困り果てた。
『ゆか』は当時から副部長として、部活動の全般的な雑務も全て任されていた。部の風土は、参加することにのみ意義があるという感じで、大学進学の際の内申点や、部活の履歴を作るためだけに部員になっている者ばかりで、上級生を含め、およそ部の運営そのものは『ゆか』に丸投げされていた。
これにはさすがの俺でも黙って見ているわけにはいかなかった。個々人の部活に入っている理由はともかくとして、全てを『ゆか』に丸投げして平気な顔をしている部員たちにキレた。
俺は、上級生を含めた部員全員に果し状を渡した。それぞれの選択競技で俺と勝負し、俺に負けたら退部するか運営全般を分担して行うこと。俺に勝ったら今まで以上に幽霊部員としての立場を維持することに協力する。というものだった。
さすがに、かりそめにも陸上部所属の人間としてのプライドが許さなかったのか、全員が、この話に乗ってきた。
ただ、女子達は『ゆか』に頼り切りになっていることを普段から申し訳なく思っていた者が多く、俺の果し状を契機として、これからは『ゆか』に全面的に協力することを約束した。
残る男子の内、面倒事はゴメンというやつが五名ほど退部していき、結局、俺と勝負するのは男子十名ということになった。
『ゆか』は短く「バカ・・・」と言って心配そうな目を向けていた。
一日に二人と勝負するとして、月曜から金曜までで勝負が着く。重なる競技もあったが、全部で八種目。いくらなんでも、これ全部で勝負ってバカのなにものでもない。
初日は百メートル二人。自分でも短距離が得意だったので、全力で勝負した。結果、あっけなく俺は二人に勝った。初日に分かったのは、彼らは、陸上選手として必要な基礎体力や筋力が整ってないってことだった。百メートルの選手がこの程度であれば、他の競技の選手の実力が押し並べて測れる。
予想通り、それから以降も、難なく勝負に勝ち続け、最終日の幅跳びと走り高跳びの勝負となった。
幅跳びは難なく勝ったが、陸上部主将が敵となった走り高跳びには苦労した。高跳びは、力を向ける方向が他とは異なることから、経験者でなければ高記録が出ない。一回の試技で相手はパス。俺はそれなりに記録を残した。二回目、俺は疲れはてて全く飛べなかったが、演習のつもりで二回目を飛んだ相手が、一回目の俺の記録よりもよくなかった。三回目も俺の記録は伸びなかった。相手は、最後に本気を出すつもりで、余裕な顔をして助走に入った。大きなストライドが加速して行き、誰もが高記録を予感した。が、相手は、助走途上にガクンと足を止めその場に倒れてしまった。
驚いた部員達が相手に駆け寄る。どうやら、急に本気を出そうとして靭帯を痛めてしまったようだ。
結局、一回目の記録が勝負の記録となり、俺は全勝を勝ち取った。
全部の勝負が終わった時、なんだか俺はバカバカしくなり、くだらないことに懸命になってしまった自分を恥じた。
ただ、陸上部員達は、勝負の日数が重なるたびに、真剣勝負の空気に圧倒されていった様子で、いつもサボっている隠れ部員らも全員見学に来るようになって、部員立ちを真剣に応援するようになっていた。
数日後、靭帯損傷で入院してしまった陸上部の主将から呼び出しを受けた。
消毒液の匂いがツンと鼻を突く、静かな白い病室。主将は、病室のベッドで、足を吊られて身動きが取れない状況の中で、俺の来訪に喜んでくれた。
「なぁ君。お願いがあるんだけど、どうかな」
「どうかなって、なんすか?」
「陸上部の主将になってくれ」
というわけで、俺は、買ってに勝負を押し付け、部員達のプライドを粉々にぶち壊してしまったという負い目もあって、主将の申し出を断りきれず、結果として自分自身の自由を束縛する結果を導いてしまった。
『ゆか』は、その顛末について、短く「バカ・・・」と言いながら、なんだか楽しそうに笑っていた。
それは、それで良くないけど、まぁ・・いいのだ。
本来、ぐうたらを基本とするスタンスの俺なのに、なぜか陸上部でまじに、まじな感じで、一生懸命になってしまった。その為か、あの勝負の後、俺は主将に祭り上げられ、形だけでも毎日、部活に顔をださなければならくなった。
ただ、俺の部内での反乱によって、部内の空気が一変というか浄化され、その空気感がいやな部員は退部して行き、残った連中は、極めて『ゆか』に協力的で、意識高い系的な普通の部活に変貌した。
俺は、なんのために、あんなことをしでかしたのか自分でも忘れたように、部活の運営を『ゆか』に丸投げして、部活も、現状を『ゆか』から報告してもらって、競技自体の練習はほとんどしないまま日常が過ぎって行った。
それが始まったきっかけは、ある時『ゆか』が部活の無い日、帰りにモックに俺を誘った時から始まった。
高校生たちでごった返す駅前のファーストフード店「モック」。油の匂いと、けたたましいお喋り声、
窓際の席に座った『ゆか』はなんだか神妙な様子で、何も話しようとせず、ストローの先をいじりながら黙々とコーヒーを飲んでいる。まじめに部活をしなさい。ってお小言を喰らうのかと思ったが。
「・・・なによ、なんか用事あったんじゃねーの・・・」
「あのね。いつまでも私が持っててもしょうがないんで・・・」
といいつつ『ゆか』は、カバンから一通の手紙を出して、俺の前に置いた。
なんとも、これ、女子からだろって分かる、無駄に可愛い封筒。
「何これ?」
「一週間ほど前なんだけれど、陸上部の女子から『タク』君に渡してって頼まれたの」
「一週間って、なんでそんなに長くもってたん?」
「それがね。その子日頃から『タク』君のこと、不真面目だとか、真面目に部活してほしいとか公言している子で、だから・・・この手紙も抗議が書かれてるんじゃないかと思って・・・・また、部がギクシャクするのもやだからって思ったら、渡せなくなっちゃって」
「そんなん、開けてみれば分かるんじゃないのか、なんで中身みなかったんだよ」
「そんなことできないよ。なんであれ、人の手紙勝手に開封するなんて」
ふぅ・・・・んと言いながら、俺はその手紙の封を切り、中身を見て見た。
「・・・なんだこれ・・・」
俺は、呆れたようにその手紙を『ゆか』の前に置いて、見てみろって促した。
『私、以前から『タク』のこと好きでした。返事はいいです。ただ、LINEだけでも交換してください』
これを見た『ゆか』は、安心したような顔を一瞬して、それから別の意味で困ったという顔をした。
「わたし最低ね。こんな大事な手紙、渡さないで今までいたなんて」
「いいんじゃないの。返事はいらないって書いてあるじゃん。それにLINEだって、俺やってないし、それも返事しなくていいよ」
「もし、渡してくれたって聞かれたらどうしたらいい?」
「いや、ちゃんと渡してくれてんじゃん。渡したよって言って、その他の余計なこと言わなくていいんじゃねぇの」
「そうかな・・・」
予想通り、その子は『ゆか』に、手紙を渡してくれたかどうかを聞いてきて、『ゆか』はただ単に渡したことを相手に告げた。
それからだ。
陸上部内で、俺となんらかの接触を持つには『ゆか』を通さなければならない。って、意味のわからん不文律が確立。それだけじゃなくて、陸上部以外の生徒も、全て、陸上部の副部長『ゆか』を通してでないと、俺と接触、折衝できない。まるで、『ゆか』が俺のマネージャー的な存在に祭り上げられた。
『ゆか』はよほどの知己でない限り、LINEでのやり取りはしない。だから、『ゆか』に何かを頼むのは直接伝えるなどのアナログ的な手段しかない。
SNSというのは、どうやら真っ当なコミュニケーション能力を阻害してしまうものらしい。結局、アナログによる意思伝達しかなくなると、皆、途端に意思を伝える方法が極めて下手くそになる。
『ゆか』は、俺宛の手紙を託されると、迷惑なんだけど、とはっきり言うようになったが、机の中や上履き入れにまで黙って手紙が入れてあることが増え、その都度俺に対して文句を言ってきたが、俺こそ面倒なので、お前がそのまま預かっておいてくれ、何もレスポンスがなければ諦めるだろ。って、極めて勝手なことを『ゆか』に押し付け、そのまま放置していた。
その後、俺の知らないところで、『ゆか』が、俺に接触しようとする者全てを排除しようとしているという噂が流され、防波堤という、なんともトンマなあだ名が付けられていた。
それを陸上部の女子から聞かされた俺は、防波堤か・・なかなか面白いと思い、友人の男子に、とある噂を流してもらった。
『タクは、板橋ゆかを防波堤にして、ある特定の女子とつきあっている。それを邪魔されないように板橋ゆかを利用している非道なやつだ』
その噂は数秒で学内に広がり、次第に『ゆか』に対する同情論も広まっていった。
かくして、陸上部を改革した英雄が最低な男と烙印され、『ゆか』に手紙を託す人物は皆無となり、俺は極悪で最低な人物となった。
とは言え、変わったのは俺たちの周りだけのことで、肝心の俺と『ゆか』との関係になんの変化もなかった。
昭和レトロな喫茶店。
外の通りはいつの間にか、ぽつぽつと街灯が灯り始めている。店内のセピア色の空気の中で、急に不機嫌になった『ゆか』の様子に、俺はあっけに取られていた。
「少なくとも、私はその子たちの境界線でも、タク君とその子たちの防波堤でもないんだから・・・」
その言葉の余韻が、店内のクラシック音楽の中に溶けていく。
「あのさ・・・・」
「お前が預かってた手紙って、封筒に全部名前書いてあった?」
「なによそれ、いちいち、そんなのちゃんと確かめてないわよ」
「ちゃんとって、一応は見たんだ」
「見たわよ・・・」
「その中に、タクからゆかへ て書いた封筒なかった?」
「・・・え・・・?」
「そか、見てないんだったら・・いいや」
「タクから私宛の手紙ってこと?」
「そだよ・・・」
『一番だいじな人へ。俺は君を守る』
その手紙には、そんな恥ずい一文が書かれていた。
おわり
※ お読みいただきありがとうございます。
一言でもご感想をいただければ、この上ない幸せです。




