第5話 赤い惑星との距離
宇宙は、再び静けさを取り戻していた。
だがそれは、嵐の前の静寂に過ぎない。
モリト・アークは管制席に座り、ゆっくりと息を吐いた。
「……さっきの、マジでやばかったな」
先の戦闘から数時間。
未知の惑星との衝突は回避できたものの、地球への負荷は決して小さくなかった。
海流の乱れ、大気の不安定化、都市基盤への歪み。
惑星を“操縦する”ということが、どれほど無茶な行為かを、嫌というほど思い知らされた。
《現在、地球環境は安定化処理中》
ガイアの声が響く。
《完全復旧まで推定十八時間》
「それまでに次が来たら?」
《対応困難》
「だよな……」
モリトは苦笑した。
タイミングが悪ければ、それで終わりだ。
だが――
《重力異常を検知》
その声で、空気が変わった。
「……マジかよ」
嫌な予感が、現実になる。
《進行方向左前方、距離約四十万キロ》
「映像出せ」
《可視化開始》
ホログラムが展開される。
そこに映し出されたのは――
赤。
鈍く、重い、赤い光。
それは見間違えようがなかった。
「……火星」
モリトは小さく呟いた。
地球と同じ起源を持つ、もう一つの人類の星。
だが、その姿は知っているものとは違っていた。
表面には無数の構造体が展開され、惑星全体が“機能”として再構築されている。
滑らかで、無駄がない。
まるで一つの兵器のように。
《火星勢力、進路変更》
ホログラム上で、赤い軌道がわずかに曲がる。
それは偶然ではない。
「……狙ってるな」
《高確率で交戦意図あり》
「だろうな」
モリトは背もたれに体を預けた。
覚悟はしていた。
だが、実際に目の前にすると、感覚が違う。
あれが、敵。
かつては同じ地球にいた人間たち。
「……行くしかないか」
《戦闘準備を提案》
「いや」
モリトは首を振った。
「様子を見る」
《……理由を確認》
「相手の動きが綺麗すぎる」
モリトは火星の軌道を見つめた。
無駄がない。
余計な揺らぎがない。
すべてが“最適化”されている。
「いきなり突っ込んだら、カモにされる」
《合理的判断と評価》
「だろ?」
その時だった。
地球が、わずかに揺れた。
「来たか……!」
《重力干渉開始》
火星が、動いた。
リング状の構造体が展開され、空間が歪む。
そして――
押してくる。
だが、その動きは先ほどの未知の惑星とは違った。
滑らかで、正確で、無駄がない。
まるで、計算し尽くされた一手のように。
「……うまいな」
モリトは思わず呟いた。
地球の軌道が、じわじわとズレていく。
抵抗しようとすればするほど、相手はそれを読んでくる。
《回避行動を提案》
「ダメだ」
モリトは即答した。
「読まれてる」
《解析中……確定。相手は地球の反応を予測しています》
「だろうな」
だから無駄がない。
だから強い。
これが――
「……火星か」
モリトの手が、端末の上で止まる。
動けば読まれる。
動かなければ押される。
詰んでいる。
《軌道逸脱警告》
「どれくらいだ?」
《このままではハビタブルゾーン到達確率が大幅に低下》
「……やばいな」
だが。
ここで無理をすれば、終わる。
モリトは目を閉じた。
考えろ。
これは勝負じゃない。
まだ、勝つ必要はない。
「……ガイア」
《応答》
「今、勝てるか?」
《否定》
即答だった。
迷いすらない。
「だよな」
モリトは笑った。
分かっていた。
相手は格上だ。
技術も、経験も、完成度も。
今の地球では届かない。
「なら」
目を開く。
その視線は、もう迷っていない。
「逃げるぞ」
《……撤退行動を確認》
「違うな」
モリトは首を振った。
「生き残るための後退だ」
《定義上は同一です》
「言い方の問題だよ」
苦笑しながら、モリトは指示を出す。
「進路、外縁へ一時離脱」
《了解》
地球が、ゆっくりと軌道を変える。
火星の干渉を受け流し、距離を取る。
追撃は――来ない。
「……来ないのか」
《火星勢力、追撃なし》
「余裕かよ」
モリトは天井を見上げた。
悔しさが、じわじわと込み上げてくる。
「完全に、舐められてるな」
《戦力差は明確です》
「言うなよ、それ」
分かっている。
だが、それでも。
「……次は勝つ」
小さく呟いた。
その言葉に、嘘はない。
《必要条件の分析を開始します》
「頼む」
モリトは再びスクリーンを見た。
そこには、遠ざかる赤い光。
火星。
同じ人類だったもの。
だが、もう違う。
思想も、目的も、進む方向も。
「……全員、生きるって決めたんだよ」
それが、どれだけ無茶なことでも。
それでもやると決めた。
なら――
「絶対に負けられないな」
宇宙は、静かだった。
だがその静けさの中に、確かに戦いの気配がある。
そして、モリトは知った。
赤い惑星は――
まだ本気を出していなかった。




