第11話 ルナ・スリング作戦
セカンドサンは、もう目前だった。
巨大な黄金色の恒星。
かつて人類が故郷と呼んだ太陽によく似た光が、宇宙空間を照らしている。
その周囲には、三つの安定軌道。
生き残るための席。
人類の未来。
そして今――
地球と火星は、その入り口に立っていた。
⸻
《ハビタブルゾーン到達まで二十八時間》
ガイアの声が響く。
管制室は静まり返っていた。
誰もが理解している。
これが最後だ。
次の戦いで全てが決まる。
「月の状態は?」
《予定位置への移動を開始》
スクリーンに表示される月。
長い年月を共に過ごした地球の相棒。
夜空を照らしてきた白い衛星。
だが今は違う。
月は兵器だった。
そして。
希望だった。
⸻
同時刻。
火星。
戦略中枢。
イグナスはセカンドサンの軌道図を見つめていた。
「地球の動きは」
「不自然です」
補佐官が答える。
「加速していません」
「減速もしていません」
沈黙。
イグナスは目を細めた。
「……なるほど」
気付いた。
地球は押し合う気がない。
戦う気がない。
ならば。
「滑り込むつもりか」
補佐官が顔を上げた。
「月を使って?」
「恐らくな」
イグナスは静かに頷く。
合理的ではない。
だが。
あの男ならやる。
モリト・アークなら。
「全艦隊へ」
イグナスは命令した。
「地球を止める」
⸻
数時間後。
《火星勢力、接近》
警報が鳴り響く。
モリトは静かに目を開いた。
「来たな」
予想通りだった。
火星も気付いた。
だから潰しに来た。
《推定交戦開始まで十五分》
「月は?」
《予定位置まで七分》
「間に合う」
モリトは言った。
自分に言い聞かせるように。
⸻
火星の重力リングが展開される。
空間が歪む。
重力波が押し寄せる。
これまでで最大規模。
《軌道逸脱率上昇》
《重力干渉増大》
「耐えろ!」
地球が揺れる。
海が暴れる。
大気が唸る。
だが。
モリトは動かない。
押し返さない。
耐えるだけだ。
「まだだ……」
火星は地球を押そうとしている。
だが本命はそこではない。
月だ。
⸻
《月、予定位置到達》
その瞬間だった。
白い衛星が、地球前方へ現れる。
セカンドサンを背にして。
「ガイア」
《応答》
「作戦開始」
深呼吸。
そして。
「ルナ・スリングを発動する」
⸻
宇宙が、動いた。
月が地球を引く。
わずかに。
しかし確実に。
地球の軌道が変わる。
火星の重力干渉を利用しながら。
引かれ。
曲がり。
落ちる。
まるで巨大な川に流される葉のように。
自然に。
だが計算通りに。
《軌道変換開始》
《成功率七十二パーセント》
「行け……!」
モリトは拳を握る。
ここまで積み上げた全て。
戦い。
敗北。
月の実験。
全てを賭ける。
⸻
火星。
「何だと」
初めて。
イグナスの表情が変わった。
地球が押されていない。
むしろ――
加速している。
「重力を利用した……?」
理解した。
だが遅い。
地球はもう。
滑り始めている。
「止めろ!」
イグナスが叫ぶ。
「総出力!」
⸻
赤い重力波が放たれる。
地球へ向けて。
最後の一撃。
最後の妨害。
⸻
《重力干渉急上昇!》
管制室が騒然となる。
「まずい!」
「軌道がズレる!」
モリトも理解していた。
このままでは。
届かない。
あと少しなのに。
あと少しで。
⸻
その時だった。
スクリーンに、新たな計算結果が表示された。
ガイアの声が響く。
《新規解を検出》
「何だ?」
《成功確率八十九パーセント》
モリトは息を呑んだ。
そんな数字は見たことがない。
《条件》
「言え!」
ガイアは答えた。
《火星を取り込む》
管制室が静まり返る。
誰も意味を理解できなかった。
だが。
モリトだけは分かった。
地球と火星。
二つの重力。
それを利用する。
争うのではない。
引き合う。
共に落ちる。
共に生きる。
⸻
モリトは静かに立ち上がった。
そして言った。
「全火星通信回線を開け」
「モリト!?」
「早く!」
《回線接続》
赤いスクリーンが開く。
そこに映るイグナス。
険しい表情の火星指揮官。
⸻
「イグナス」
モリトは言った。
「もう終わりにしよう」
「何?」
「席は三つしかない」
静かな声。
「でも」
モリトは笑った。
「俺たちは、人類だろ」
イグナスが黙る。
その目が揺れる。
ほんの少しだけ。
⸻
「火星を助ける」
モリトは言った。
「全員、生きる」
それは。
この物語が始まった日から。
一度も変わらなかった願いだった。
そして。
その言葉が。
最後の戦いの運命を変えることになる。
――最終決戦へ続く。




