5話 溺愛パパの突然の来襲
同居生活が始まった翌日。
ユーリの怪我の経過も良好で、彼は部屋の中で静かに読書をしたり、ときおり私の家事を手伝おうとしてくれたりと、お互いに心地よいリズムができあがりつつあった。
その平穏が、唐突に打ち砕かれたのは、昼下がりのことだった。
「アイリス〜! 愛しい我が娘よ! パパが様子を見に来たよ〜!」
突然、玄関の向こうから響き渡ったのは、聞き覚えがありすぎる底抜けに明るい声。
(……えっ!?)
私の心臓が、ざわめくように嫌な音を上げる。
声の主は、私を狂信的なまでに溺愛している実家の伯爵――私の父親だ。
予告もなしの抜き打ち訪問。
冷や汗が全身から噴き出してくる。
(ま、まずいまずい! どうして今来るの!?)
説得を重ねに重ねて、実家を飛び出すようにして手に入れたこの平穏。
もしも正体不明の男を部屋に連れ込んでいるなんて知られたら、一体どうなることか。
父のことだ。
大騒ぎしてユーリを衛兵に引き渡し、私を即座に実家へ連れ戻して監禁するかもしれない。
「アイリス? 玄関の鍵が開いているぞ? 入るよ〜」
「ちょっと待って! 今、着替えている最中だから! 開けないで!」
とっさに叫んで時間を稼ぎつつ、私はソファに座っていたユーリの手首を引っ掴んだ。
「ユーリさん、緊急事態です! 隠れてください!」
「……今の声は?」
「私の父親です! 見つかったら色々と終わります!」
理由を説明している猶予すらない。
私は部屋の隅にある狭いクローゼットへ、ユーリを半ば強引に押し込んだ。
「待て、こんな狭い場所に……」
「いいから! お願いですから息を殺していてくださいね!」
戸惑うユーリの胸元を押し込み、私はバタンと扉を閉めた。
鏡で自分の身なりを整え、肩を上下させて呼吸を整えてから、笑顔の仮面を貼りつけて玄関へと向かう。
「パパ! 急に来るなんてびっくりするじゃない」
扉を開けると、そこには大量の高級菓子やプレゼント箱を抱えた父が、満面の笑みで立っていた。
「ははは、ごめんよアイリス。愛しい娘が一人暮らしに寂しがっていないかと思うと、いてもたってもいられなくなってね。ほら、君の好きな店の焼き菓子も持ってきたよ」
「あ、ありがとう……。でも、事前に連絡くらいしてくれないと」
「固いことを言うんじゃないよ。さあ、中でお茶でも淹れておくれ」
父はズカズカと部屋の中へ上がり込んできた。
父がリビングを見回すたびに、私の心臓は縮み上がる思いだった。
「ふむ……やっぱり一人暮らしは心配だ。屋敷に戻ってくれば、美味しい料理、ふかふかのベッドもあるというのに」
「もう、その話は何度もしたでしょう? 私はここで自分らしく暮らすって決めたんだから」
私は父をクローゼットから遠ざけるため、対極の位置にあるテーブルへ誘導し、お茶の準備を始めた。
だが、父の視線が部屋のあちこちを巡る。
「ん? アイリス、カップが二人分出ているようだが……」
「えっ!? あ、ああ、それは! 自分で飲む用と、予備の分よ! お客さんが来たときのために洗っておいたの!」
「そうか……。それと、なんだか見たことがない衣服の切れ端のようなものが落ちていないか?」
父の視線の先を見ると、手当ての際に切り落としたユーリの服の破片が、床の隅に転がっていた。
私は跳び上がるようにしてそれを拾い上げ、ポケットにねじ込んだ。
「これは掃除用の雑巾よ! さあパパ、冷めないうちにお茶をどうぞ!」
強引にお茶を差し出し、話題を父の仕事のことに逸らす。
父はお茶を飲みながらご機嫌に話し始めたが、クローゼットの中には今、あのユーリが潜んでいるのだ。
扉一枚を隔てたすぐそこに、正体不明の怪しい居候がいると思うと、気が気ではない。
(ユーリさん、お願いだから静かにしていてね……!)
それから三十分経ったくらいだろうか。
生きた心地がしない時間を耐え抜き、私はようやく父を立ち上がらせることに成功した。
「ああ、名残惜しいがそろそろ屋敷に戻らねば。アイリス、何か困ったことがあったらすぐに言うんだよ?」
「ええ、分かっているわ。気をつけて帰ってね、パパ!」
父の背中を見送り、玄関の鍵をかけた瞬間、私はその場にへたり込みそうになった。
「……ふうぅぅっ、何とかバレなかった……」
大きく息を吐き出しながら、大急ぎで部屋の奥のクローゼットへ駆け寄る。
「ユーリさん! もう大丈夫ですよ!」
バッと扉を開けると、狭い収納庫の中で身を縮めていたユーリと目が合った。
服に囲まれた狭い空間で、彼はじっと耐えていてくれたらしい。
「……災難だったな。かなり過保護な父親のようだ」
クローゼットから抜け出しながら、ユーリは呆れたように顔をしかめる。
「本当にすみません! でも、見つからなくて本当に良かった……」
胸を撫で下ろす私の姿を見て、ユーリはふっと口元をゆるめた。
「ところで、それは……?」
ユーリの視線がテーブルの上に残された父の差し入れ――王都でも指折りの最高級店が手がける焼き菓子の箱と、高価なプレゼントの包みへ注がれていることに気づいた。
「……あ、これですか? 父が持ってきた差し入れで……」
ユーリはその品々と私を見比べ、わずかに瞳を揺らがせた。
「……君は、もしかして……」
「え?」
私をじっと見つめるユーリだったが、やがて視線をそらして首を振った。
「……いや、何でもない。……君が慌てる姿は一見の価値があったが、次は勘弁してくれ」
「ご、ごめんなさい……!」
冷や汗の連続だった難局を乗り切り、私は安堵の溜息をつくのだった。





