2話 不思議な青年「ユーリ」との出会い
青年の腕を自分の肩に回し、体を支えながらゆっくりと歩を進める。
細く見える体つきに反して、体格がしっかりしており、思いのほか重みがあった。
それでもなんとか足を動かし、リビングのソファまで連れていくことができた。
「はい、ゆっくり腰を下ろしてくださいね」
倒れ込むように座った青年は、荒い息を吐き出しながら痛みに耐えるように顔を歪めている。
私はすぐさま部屋の奥にある棚へ走り、木箱の救急セットを取り出して彼のそばに膝をついた。
「少し痛みますが、我慢してくださいね」
先ほど応急処置として巻いたタオルを慎重にほどくと、引き裂かれた服の破れ目から傷口が露わになった。
刃物で切りつけられたような鋭利な痕で、かなり酷い状態だ。
私はナイフを使って邪魔な袖口を切り開き、アルコールをたっぷりと染み込ませた布で傷の周りをぬぐっていく。
「くっ……」
消毒の強い刺激に青年が小さく身をすくめ、歯を食いしばった。
私は手元を狂わせないよう集中しながら、清潔な滑らかな布と包帯を手際よく傷口へ巻きつけて結んだ。
「ふぅ……これでひとまず血は止まりましたね」
包帯の結び目をきれいに整え、私は青年の横顔をのぞき込んだ。
透き通るような肌には油汗が浮かび、綺麗な唇は血の気を失っている。
整った顔立ちだけに、余計に青白さが目立っていた。
「でも、これは飽くまで素人の処置ですから。ちゃんと手当てをするなら、今から街へ出てお医者さんに診てもらった方がいいと思うのですが……」
「……それには及ばない」
立ち上がろうとした私の腕を、青年が制止するようにつかんだ。
指先にはそれほど力が残っていないものの、その眼差しには拒絶の意が込められている。
「医者を呼べば、騒ぎになる。……大事にするわけにはいかないんだ」
「大事に、ですか……」
私はつかまれた袖をそっと引き抜き、木箱へ道具を収めながら尋ねた。
「あの追っ手といい、医者を呼べない事情といい、何か事情がありそうですね。……私に言えないことでしょうか?」
問いかけると、青年は顔を背けるように視線を落とす。
床の一点に目を落としたまま、何も答えようとしない。
やはり、見知らぬ他人に明かせるような背景ではないのだろう。
「……じゃあ、質問を変えますね。この傷で外を歩き回るのは危険ですし、どこか行くあてはあるのですか?」
その言葉にも、青年は言葉を詰まらせた。
「……街に追っ手の気配があるうちは、どこにも行けない」
小さな声でぽつりと漏らされた返答に、私は思わず小さく息を吐き出した。
関われば厄介事に巻き込まれるのは目に見えている。
悪役令嬢としての破滅ルートを避けるために、わざわざ実家を出て平穏な一人暮らしを選んだのだ。
(だけど……この状態で放り出すのは、さすがに後味が悪いわよね)
怪我を負った体で、行くあてもなく街を歩けば、遅かれ早かれ先ほどの粗暴な男たちに捕まってしまうだろう。
目の前で困っている人を見捨ててしまっては、せっかくの自由な暮らしも味気なく感じられなくなってしまう。
「はぁ……わかりました。仕方がありませんね」
私は自分の膝をポンと叩いて立ち上がると、腰に手を当てて宣言した。
「怪我が治るまで、うちにいて構いませんよ。ちゃんと動けるようになるまでの間なら、面倒を見てあげます」
予想もしなかった提案だったのか、青年は信じられないといった様子で顔を上げた。
「……何と言った? 正気か?」
「大真面目ですよ。手傷を負った人をそのまま外へ放り出すほど、私は冷血漢ではありませんから」
「だが……あいつらに見つかったら、君まで危険に晒されるんだぞ。俺に関わっても何ひとつ良いことなどない」
自分を遠ざけようと懸命に諭してくる青年の言葉に、私はくすりと微笑んで見せた。
「もう乗りかかった船ですからね。ここであなたを追い出す方が、よっぽど目覚めが悪いというものです。それに、この家は小道の奥にあって目立ちませんから、そう簡単に踏み込まれることもありませんよ」
呆れたような表情で、青年は私を見つめている。
端正な顔立ちが拍子抜けしたように緩んでいるのが、なんだか少し可笑しかった。
「そうと決まれば、お互いに自己紹介がまだでしたね。私はアイリス。この家で気ままに暮らしている者です」
そう言って差し出した私の手を、青年はしばし見つめていたが、やがて戸惑いがちに握り返してきた。
「……ユーリと呼んでくれ」
「はい。よろしくね、ユーリさん」
静かな部屋の中で、開け放った窓から吹き込む風がふたりの間を心地よく吹き抜けていく。
こうして、私と謎の居候との不器用な同棲生活が幕を開けたのだった。





