19話 執務室の調書、密かにあった友愛
シェフィールド公爵邸での挨拶から数日後。
私はユーリに請われる形で、王都の中心にそびえる第一騎士団の本部へと足を踏み入れていた。
すれ違う騎士たちが次々と足を止め、礼儀正しく頭を下げる光景に、私は少し背筋を伸ばして歩いた。
「入ってくれ、アイリス」
扉を開けると、そこには大量の書類が整然と並ぶ、広い執務部屋があった。
ユーリは、普段の私服ではなく、第一騎士団長の公式な軍服を身にまとっている。
普段と違う姿は凛々しく、思わず見とれてしまうほど格好いい。
「ユーリ。今日はどんな用件でここに呼んだの?」
「先日の違法薬物密売組織の件についてだ。事件の調書を完成させるにあたり、被害者である君から詳しい状況を聞いておきたかったんだ」
ユーリは私の向かいに腰を下ろすと、ペンを手にとり調書の紙を広げた。
「あの時、アジトで何があったのか……覚えている範囲で話してくれるか?」
「うん……」
私はあの日、隠れ家から連れ去られたあとの出来事をゆっくりと思い返しながら口を開いた。
「馬車で運ばれたあと、薄暗い地下室へと閉じ込められたの。手足を強く縄で縛られ、脱出しようとしたところに……男たちが入ってきて……」
ユーリのペンを走らせる手が、ピタリと止まったのに気づかず、私はそのまま口を開き続ける。
「私が喋るのを拒むと、床へ押し倒されたの。……無理やり薬を口に流し込まれそうになったけれど、そこにユーリが扉を破って助けに来てくれたわ」
私が思い返しながら、あの時のことを話し終えた瞬間。
――パキィンッ!
広い執務室に、何かが割れるような音が響き渡った。
驚いて視線を向けた先では、ユーリの手の中で、金属製の高級なペンが真っ二つにへし折れていた。
「ユ……ユーリ……?」
見上げたユーリの顔からは、感情も表情も消え去っていた。
空色の瞳は、震え上がるほどの冷たさで揺らめいている。
彼から放たれる怒りの気配が、部屋中の空気を雪原のごとく凍てつかせた。
「……男に押し倒され、無理やり薬を……か」
折れたペンを置きながら、ユーリはしなやかな金髪をくしゃりと手で歪めた。
「すまない、アイリス……。俺が甘かったんだ。君が狙われる可能性を、もっと早く考慮しておくべきだった。俺の慢心が、君をそんな恐ろしい目に……」
ユーリから伝わってくるのは、悔恨と、自身への激しい怒り。
彼が気にする必要など何もないのに、後悔にさいなまれるように顔を曇らせている。
「ユーリのおかげで、結果的に私は何もされなかったわ。だから何も気にしないで?」
「君はそう言ってくれるだろう。だが、俺が嫌なんだ……!」
ユーリは立ち上がると、私との距離を一気に詰める。
私の肩を抱き寄せて、応接用のソファの上へと押し倒すように抱きしめてきた。
「ユーリ……っ!?」
「すまない……」
返事をする間もなく、彼が唇が私に重なった。
それは、これまで交わしてきたどのキスよりも熱く、呼吸を封じられるほどに激しいものだった。
身も心も焦がし尽くさんとする情熱が、彼の唇を通じて伝い広がっていく。
「ん……っ、……ユーリ……っ」
意識がかすんでいく中、甘い熱で全身が痺れていく。
だが、私は熱に溺れまいと、必死に気を保とうとする。
ここは彼の職場であり、第一騎士団長の執務室なのだ。
「……だめ……、こんなところで……っ!」
私が赤くなった顔で彼の胸元を押し返そうとした、まさにその時だった。
――コンコン。
ノックの音が響き、即座に扉が開かれた。
「団長、先日の押収品に関する報告ですが――」
入ってきたのは、あの事件の際にも指揮を執っていた副団長だった。
書類を手にした副団長は、ソファの上で熱い抱擁を交わしている私たちを目にした瞬間、ビクリと硬直した。
「あ……失礼いたしましたッ!」
副団長は顔を真っ赤にして勢いよく後ろを向き、扉を閉めようとする。
私が慌ててユーリの胸から離れようとしたが、ユーリは平然とした顔で私の肩を抱きかかえたまま立ち上がった。
「待て。別に隠すことではない」
「は、はい……? しかし団長……」
うろたえる副団長に向かって、ユーリは凛とした堂々たる態度で告げた。
「紹介しよう。彼女は俺の婚約者、アイリス伯爵令嬢だ」
「こ……婚約者――!?」
副団長の驚きに満ちた叫び声が、執務室の書類を揺るがすほどに響き渡った。
彼は私たちを交互に見つめ、それからハッとしたように表情を引き締めた。
「お聞きしております! 潜入捜査中に重傷を負われた団長を救い、手当てをしてくださったお方ですね……!」
副団長は書類を脇に抱えると、私に向かって深く礼をした。
「遅くなりましたが、ご挨拶申し上げます。第一騎士団副団長を務めております。アイリス様、あの節は我が団長を救っていただき、本当にありがとうございました」
「あ、いえ……! 私の方こそ、大変お世話になっております……!」
私が恐縮しながら頭を下げると、副団長はどこか感慨深そうな表情を浮かべた。
「団長はいつも独断で先行されることが多く……我々部下はヒヤヒヤさせられ通しでした。あの日、怪我をして行方をくらませたと知った時は、騎士団全体に激震が走ったほどです」
「おい、副団長……」
ユーリが少し困ったように眉をひそめる。
しかし副団長は、彼の様子を気にすることなく言葉を続けた。
「団長のその強さと、誰にも隙を見せない孤高の佇まいに憧れる団員は多く存在します。ですが……私は、ずっと心配しておりました。このお方はご自身の身を顧みず、すべてを一人で抱え込んでしまわれると」
副団長は、温かい眼差しで私とユーリを見つめた。
「ですが……こうして、団長が心から気を許し、弱さを見せられる女性と出会っていただけて、本当に良かった。心から嬉しく思います」
その言葉に宿る飾らない友愛に触れ、私の胸が温かな色に染まっていく。
ユーリも想定外の告白だったのか、かすかに肩を震わせた。
「お前が……そんな風に俺のことを思っていたとは知らなかったな」
ユーリは動揺したように瞳を揺らすと、気恥ずかしさを誤魔化すようにそっと視線を外す。
その反応に副団長は満足そうに口元をゆるめると、再び私に向き直り頭を下げた。
「アイリス様。手のかかる方かと思いますが……どうか、これからもユリウス団長のことをよろしくお願いいたします」
「はい! もちろんです!」
私が満面の笑顔でうなずくと、副団長は安堵したような笑みをこぼす。
そして報告書を机へ置くと、一礼して速やかに部屋をあとにした。
扉がカチリと閉ざされ、静寂が二人の間に落ちてくる。
「……余計なことを言っていく奴だ」
ユーリは髪をかき上げ、どこか決まり悪そうな苦笑いを漏らす。
「ユーリ。私以外にも、あなたのことを心から思ってくれている人がいたのね」
私は彼の手を包み込みながら、彼の孤独の理解者がいたことが嬉しくて、思わず笑顔があふれる。
ユーリは少しだけ息を吐き、顔を柔らかくほころばせた。
「……そうだな。俺は、本当に果報者だ。……君にも、部下たちにも恵まれた」
自分の幸運を確かめるように、窓の外を見上げる彼の横顔。
初めて会った時の氷のような孤独は溶け切り、そこには穏やかな慈しみがにじみ出ていた。





