18話 公爵家へのご挨拶、厳格な父親への反抗
私たちは正式な結婚の挨拶をするため、ユーリの実家であるシェフィールド公爵邸へと足を踏み入れることになる。
シェフィールド公爵邸は、遠目からでもその壮麗さが分かる建物だった。
整えられた広大な庭園を抜け、美しい調度品に包まれた豪華な応接間へと通される。
息をのむほど煌びやかだったけれど、同時に肌を刺すような冷気が漂っているように感じられた。
「緊張しているのか、アイリス?」
私の隣で並んで腰を下ろしているユーリが、私の手元へそっと指先を重ねてくれた。
今日の私は、伯爵令嬢として恥ずかしくないよう仕立てられた紺色のドレスを身にまとっている。
彼の手の温もりに触れて、私は少しだけ緊張がほぐれて小さく息を吐き出した。
「ええ、少しだけ……。でも、大丈夫。あなたの生まれ育った家だもの」
微笑み返すと、ユーリは愛おしそうに口元をゆるめてくれた。
その時、細やかな意匠をほどこされた扉が、ゆっくりと開かれた。
「――待たせたようだな」
入ってきたのは、厳格そのものをまとったような壮年の男性だった。
ユーリとは全く違う、冷ややかな青の瞳でこちらを見下ろしている。
彼こそが、このシェフィールド公爵家の当主であり、ユーリの父親――シェフィールド公爵だった。
私とユーリはそろって立ち上がり、貴族としての完璧な礼を執る。
「お久しぶりです、父上。本日、婚約の受諾を受け、正式にご挨拶へ伺いました」
「伯爵家が長女、アイリスと申します。本日はお時間をいただき、誠にありがとうございます」
私が頭を下げると、公爵は無表情のまま向かいの革張りソファへと腰を下ろした。
一瞬の間をおいて、私たちにも着席を促す。
「立ち話もなんだ、座りなさい。……なるほど、伯爵家の令嬢か。伝統ある古くからの家柄であり、君個人の淑女としての立ち居振る舞いにも不備はないようだ」
公爵の声は低く、淡々としていた。私個人の家柄や礼儀作法については否定するような言葉はない。
けれど、公爵は冷厳な瞳を息子であるユーリへと向けた。
「だが……ユリウス。理解に苦しむな」
「……どういうことですか?」
「我がシェフィールド公爵家の嫡男であり、第一騎士団長でもあるお前には、王室からの打診、国内の有力貴族、他国の公爵家からの縁談がいくつも届いていたはずだ。それらをすべて蹴り飛ばし、わざわざ格下の伯爵令嬢を選ぶとは……愚かな判断と言わざるを得んな」
「っ……!」
公爵の言葉には、息子への親愛や気遣いなど一切なかった。
まるで、より価値の高い商品や利権を捨てて、質の劣るものを選んだと切り捨てるような冷酷な響きが含まれている。
「公爵家を背負う者として、より強い後ろ盾や、影響力を得る機会を自ら捨てたのだ。お前が負傷して姿を消していた期間といい、最近のお前の行動には効率も合理性もない。もっと役に立つ駒となるべきだったのだ」
冷淡に語られる言葉を聞くうちに、私の心の中で不快感が湧き上がってきた。
(……何なの、この言い方は……!)
かつてユーリが、夜の庭でポツリと漏らしていた言葉が頭をよぎる。
『周囲の誰もが俺に完璧な成果を期待し、与えられた役割をこなすことだけを求めてくる』
『俺自身を必要としてくれる者などいないのではないか』
公爵は、ユーリというひとりの人間を見ていない。
ただシェフィールド公爵家を存続させ、拡大するための優秀な道具、都合の良い駒としてしか扱っていないのだ。
血の通った親からこんな扱いを受け続けながら、どれほど長い間、彼は一人で孤独に耐えてきたのだろう。
ユーリは表情ひとつ変えず、冷たい言葉を静かに受け流そうとしている。
しかし、私は我慢の限界を迎えていた。
「――お言葉ですが、公爵様!」
私は思わず、反射的と言っていいほど大きな声を張り上げた。
ユーリが驚いたように私を見つめ、公爵が静かに眉をひそめて私に視線を向ける。
「何だ、アイリス伯爵令嬢」
公爵の圧迫感を前にしても、今の私にはひるむ気なんて少しもなかった。
手を握りしめ、私は公爵の無感情とも言える青の瞳を見すえた。
「ユリウス様は、公爵家を高めるための道具でも、完璧な駒でもありません」
「……ほう」
「私との結婚は、確かに公爵家に巨大な利益をもたらすものではないかもしれません。ですが! ユリウス様は王都の平和を守るために命を懸ける、素晴らしい第一騎士団長です! 彼と過ごした時間はまだ短いですが、いつだって礼儀正しく、誰よりも優しい心を持ったお方でした!」
自分のことならいくらでも我慢できる。
けれど、大好きな人が目の前で物のように扱われるのだけは、どうしても許せなかった。
抑えきれない言葉が、心の奥底からあふれ落ちる。
「ユリウス様は、世界中の誰よりも素晴らしく、誇り高いお方です! 私は、そんな彼の優しさと強さを心から愛しています!」
私の心からの叫びとともに、静寂が応接間を包み込んだ。
公爵は微動だにせず、ただ厳格な冷たい瞳でじっと私を見つめている。
時間が止まったかのような沈黙の中、公爵は小さく息を吐き出した。
「……愚かしい。公爵家にそのようなくだらない情など、一切不要だ。だが、我がシェフィールド公爵家に新しく迎える女主人として、相応しいだけの気骨はあるようだな」
「え……?」
「親族や周囲からの圧迫に屈し、ただ怯えるだけの生ぬるい女では、シェフィールドの妻は務まらん。……息子が選んだ理由だけは、理解できた」
公爵はそれ以上何も言わず、静かにソファから立ち上がった。
立ち去る間際、背を向けたまま粛然たる言葉を残す。
「式の日取りについては、後日伯爵家へ連絡を入れる」
パタン、と扉が閉まる。
肌を裂くような緊張感を残したまま、公爵の姿が応接間から消えた。
「……はあぁぁぁ……っ」
公爵がいなくなった瞬間、全身の緊張が一気に弾け飛び、私は崩れ落ちそうになった。
「アイリス……!」
倒れそうになった私の体を、彼のたくましい腕が受け止めてくれた。
引き寄せられた先は、大好きなユーリの胸の中。
「ユーリ……。私、勝手なことを言ってしまって、ごめんなさい……」
「……ありがとう、アイリス」
彼のいつもは凛としている声が、わずかに震えていた。
見上げると、ユーリの空色の瞳には、今にもあふれ落ちそうなほどの熱い光が満ちている。
「父の前で、あんな風に俺を守ってくれた者は……俺という人間そのものを肯定してくれた者は、君が初めてだ」
私を抱きしめる彼の腕に、一層の力が込められる。
「俺は……君と出会えてよかった。君を愛せて、本当によかった」
耳元で何度も繰り返される愛の言葉。
凍土のような公爵邸の応接間の中で、私たちを包む体温だけが、どこまでも優しく満ち渡っていた。





