16話 求婚と、未来への誓い
「つ、妻……!?」
目の前で爽やかな笑みを浮かべるユーリと、彼の言った言葉の意味がうまく結びつかない。
彼はどこまでも優しく、視線だけで囚えるように力強く見つめ返してくる。
「ユーリ、何を言っているの……!? 妻だなんて、そんな突然……っ」
「急ではないさ。俺の中では、君と別れた時から決めていたことだ」
ユーリは私の手をそっと引いて、自分の胸元へと引き寄せた。
服越しに伝わってくる、激しく脈打つ彼の鼓動。
それが、彼もまた決して平静ではないことを物語っていた。
「アイリス、俺と婚約してほしい」
私の耳元で、吐息とともに告げられた求婚の言葉。
一気に駆け巡った熱が心臓を焼き焦がし、心を溶かし去っていく。
「ユーリの気持ちは……とても嬉しいわ。でも、私には公爵家に嫁ぐような覚悟も準備もなくて……」
あまりの事態に動転した私は、必死に言葉をかき集めては辞退の理由を紡ごうとする。
だが私の言葉を聞くユーリの澄んだ空色の瞳に、ほの暗い影が差し込んだ。
「……アイリス。君は、俺と一緒になるのは嫌か?」
「えっ……!?」
「あの夜……去る前の最後の夜に、俺は『必ず迎えに来る』と伝えたはずだ。君も『待っている』とうなずいてくれた。俺はあの時、君と心を通わせることができたのだと……俺たちの気持ちは同じなのだと確信していたのだが……」
ユーリの声がどんどん小さくなり、少しだけ肩を落とす。
まるで打ち捨てられたような、悲しげな瞳で私を見つめてきたのだ。
「俺の勘違いだったのだろうか……? 君にとって俺は、ただの居候に過ぎなかったのか……?」
「ち、違う! そんなことない……!」
彼の悲痛なまでの顔を見たら、もう隠すことなんてできない。
私は意を決して、胸に降り積もった想いを形にしていく。
「……私も、ユーリのことが……ひとりの男性として……好き!」
叫ぶようにそう打ち明けると、恥ずかしさのあまり私は顔を両手で覆った。
けれど、彼の反応を知りたい一心で、震える指のすき間から彼の顔を見上げる。
そこには、信じられないものを見るように目で固まっているユーリの姿があった。
「そうか……よかった。俺の独りよがりではなかったんだな」
安心したように、胸を撫で下ろすユーリ。
その表情には、いつもの大人びた余裕と、私だけに向けられる柔らかい微笑みが戻っていた。
「……今の悲しそうな顔は、私の言葉を引き出すための演技だった……?」
「まさか。俺だって本気で焦っていたんだよ。君に拒絶されたら、どうやって強引に連れ去ろうかと思案していたところだ」
「も、もう……物騒なことを言わないで!」
頬をふくらませて怒ってみせる私を見て、彼は愛おしさに耐えかねたように口元をゆるめる。
「……アイリス。俺はこの先、君以外を妻に迎える気はない」
頬に添えられたユーリの手から、指先を伝って燃えるような熱が巡る。
全身の力が抜けていくほどの情愛に、私の意識ごと溶かされていく。
私をとらえて離さない空色の瞳には、世界でただ一人しか映っていなかった。
「君を世界で一番幸せにしてみせる。だから……一生俺のそばにいてくれ」
「ユーリ……」
その言葉に偽りがないことを、私は誰よりもよく知っていた。
怪我が治るまでの間に見せてくれた微笑み、優しさ。
私を助けるために、迷わず男たちに飛び込んできてくれた強さ。
そのすべてが、私の人生で何よりも大切な宝物だ。
(悪役令嬢としての破滅の未来……彼が一緒にいてくれるのなら、きっと怖くないわ)
この人の隣にいて、この手をとっているのなら、どんな困難が訪れても乗り越えていける気がした。
「アイリス……」
ゆっくりと顔を近づけてくるユーリ。
彼の息遣いが唇に触れるほどの距離になり、私は逃げるのをやめ、ゆっくりと瞳を閉じた。
唇の上に、優しい口づけが落とされた瞬間、胸の奥が温かい幸せで満たされていく。
唇が離れると、ユーリは満足そうに、愛おしさが満ちたように微笑んだ。
「好きだ、アイリス」
「私も……好き、ユーリ」
窓から差し込むやわらかな陽光が、私たちを見守るように温かく包み込んでいた。
運命から逃げ出した先で見つけた、私の一番大切な場所。
手を取り合った私たちは、新しい未来へ向かって、幸せな一歩を踏み出すのだった。





