12話 静かな朝と、荒くれ者の襲来
鳥のさえずりとともに、朝日が窓から静かに差し込んでいた。
まぶたを開けると、隣の温もりがすでに失われていることに気づく。
彼が残した微かな香り、熱の余韻だけが、シーツに残っていた。
「……本当に行ってしまったのね」
私の小さな声が、誰もいない寝室にこぼれ落ちる。
体を起こし、静まり返った部屋を見渡した。
(何も……聞こえない。彼の声も、鼓動も……)
重い足取りでベッドを下りて、リビングへと向かう。
机の上には、ふたつの紅茶カップが整然と並んでいた。
「落ち込んでたらダメよね。……よし!」
キッチンへ立ち、いつものように朝食の準備を始める。
けれど、まな板の上に野菜を置いた直後、手元がぴたりと止まってしまった。
あの日、生真面目な顔で包丁を握り、野菜を刻んでいた彼の横顔。
後ろから包み込むように重なった体温。
食器を取り出すだけでも、ユーリの面影が浮かび上がってくる。
(二人分、作らなくていいんだ……)
いつの間にか、私はユーリの分もスープを作ろうと手を動かしていた。
視界が急に涙で潤みそうになり、熱いものが目元に込み上げてくる。
私は慌てて、手の甲で目元をぐっとぬぐった。
(ダメよ、泣いちゃ……。ユーリは『必ず迎えに来る』って言ってくれたんだから。こんな姿見られたら呆れられちゃうわ)
自分にそう言い聞かせ、嗚咽が漏れそうになる呼吸を整える。
だけど、心の奥に広がるこの寂しさは、どうやっても誤魔化すことができない。
「ユーリとの時間……。あっという間だったな」
手当てが必要だからと、ただそれだけの理由で匿った居候。
最初は正体も分からず、少し怪しんでいたはずだった。
けれど、いつの間にか彼の存在は私の中で何よりもかけがえのないものになっていたのだ。
「もっと彼のこと、知りたかったな……」
昨日、彼が買い出しの帰りに贈ってくれた、花の形をした青い硝子の髪飾り。
それをサイドの髪にそっと挿し、指先でそっと撫でる。
彼の瞳と同じ、吸い込まれそうなほど澄んだ空色。
「ユーリ……」
声に出して、彼の名前を呟いてみる。
その名前を口にするだけで、頬が熱くなっていくのが分かった。
(私……いつの間に、こんなにも、あの人のことが好きになっていたんだろう)
それは、助けた相手に対する情でも、ただの居候への親しみでもなかった。
ひとりの男の人として、ユーリを愛おしく想い、彼の隣にいたいと願う、偽りのない恋心。
悪役令嬢として破滅する未来を恐れ、誰とも深く関わらずに静かに暮らすつもりだった。
運命から逃げ出した先の隠れ家で、私はこんなにも離れがたい大切な人に出会ってしまったのだ。
「早く、会いたいな……」
朝の光の中で、自然と口から漏れ出た本音。
彼が約束通り戻ってくるその日まで、この小さな家でちゃんと自分の生活を守っていこう。
胸に宿った恋心を大切に抱きしめながら、私は窓の外の青空を見上げた。
「よし、まずは掃除から……それから洗濯もして、買い出しにも行かなくちゃ」
誰もいない部屋で一人で声を出して、自分を鼓舞する。
リビングの掃き掃除を済ませ、テーブルの上をきれいにふき上げる。
雑巾を水で洗い流し、庭掃除をしようと外へ出ようとしたそのときだった。
――ガァンッ!
静けさを切り裂く激しい衝撃音が、家中に轟いた。
「えっ!?」
驚いてリビングへ駆け戻ると、玄関の扉が力任せに叩き壊されていた。
木屑が床一面に散らばり、扉が倒れた衝撃で塵が舞い上がっている。
「おいおい、本当にこんな質素な場所にいるのか?」
「街の奴らが言ってた目撃情報がマジならな。金髪の男をこの辺りで見かけたらしい」
土足のまま踏み込んできたのは、三人の不気味な男たちだった。
薄汚れた服を乱雑にまとい、腰には土汚れのついた刃物を吊り下げている。
(この人たち、あの時ユーリを追っていた……!)
冷や汗が頬を、背中にも伝い落ちていく。
膝が震えそうになりながらも、声は毅然として声を張り上げた。
「あ、あなたたち、不法侵入ですよ! すぐに出て行ってください!」
「ハッ、威勢のいい女だな。おい、金髪の野郎を出せ!」
男の一人が身を乗り出し、私につかみかからんばかりの勢いで怒鳴り散らす。
私は一歩後ずさりしながら、首を振った。
「誰もいません! ここは私の家です!」
「嘘をつくな! あの野郎はこのあたりで手傷を負って消えたんだ! 匿っていたんだろうが!」
男たちは私の制止を振り切り、ズカズカと部屋の奥へ押し入った。
寝室のクローゼットを開け放ち、押し入れの布地を引っ張り出し、床板を蹴りつける。
「ちっ……どこにもいねえぞ。とっくに逃げやがったか!」
「くそっ、せっかくここまで突き止めたってのに!」
荒らし回った男たちは、何も見つからないと分かるとイライラと床を蹴る。
部屋は足痕と倒された家具で乱雑に散らかり、私の心まで踏みにじられたようにさいなまれる。
「探している方がいないのなら、早く出て行ってください! 衛兵を呼びますよ!」
平然とした態度を保とうと声を振るわせる。
だが、男たちの下卑た視線が、いっせいに私へと向けられた。
「おいおい、衛兵だって? 困るんだよなぁ、お前みたいな目撃者に騒がれたらよ」
「そうだな……あの金髪の野郎を匿っていただけでも同罪だ。それに、よく見りゃあなかなかの器量良しじゃねえか」
男たちの瞳に、こちらを値踏みするかのような下品な光が宿る。
警鐘を鳴らすように、体中に悪寒が駆け巡った。
(だめ……逃げなきゃ……!)
私がきびすを返して掃き出し窓へ走ろうとした瞬間、腕を強い力でひねり上げられた。
「痛……っ! 離して!」
「逃がすかよ! 取り逃がした腹いせだ、お前にはたっぷり吐いてもらうぜ。あいつがどこへ逃げたかをな!」
「放して! 触らないで――」
「うるせえ! おとなしくしろ!」
手足を荒い縄できつく縛られ、口に布を押し込まれる。
抵抗する術をすべて奪われ、私は男たちの手によって乱暴に担ぎ上げられた。
「へへっ、こいつをアジトへ連れていけば、あの金髪の野郎もあぶり出せるかもしれねえな」
「口封じにする前にちったあ楽しませてもらうぜ」
男たちの会話に、全身の血が凍りつく。
住み慣れた家から連れ出され、馬車の荷台へと押し込められた。
暗闇の中で車輪が駆ける音を聞きながら、私は懸命に恐怖と戦っていた。
(嫌……怖いよ、ユーリ……っ!)
視界は恐ろしさとともに、涙でくしゃりと歪んでいく。
届くはずのない救いを心の中で叫びながら、私は暗い絶望に呑み込まれていくのだった。





