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還る手帳 ―少女はシルクロードをゆく―  作者: 吉原タシ


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第15章5節

光の中に立ったまま、目を閉じた。頭上の穴から差す光の熱だけが、瞼《まぶた》の上に感じられた。周りの物音が、少しずつ遠くなっていく。祈りに来た誰かの足音も、囁くような話し声も、水の底に沈んでいくように薄れていった。大理石を素足に感じていたはずの冷たさも、いつの間にか、輪郭を失い始めていた。肩に掛けた荷物袋の重みは、まだ確かに、そこにあった。まぶたの向こうが、少しずつ、赤く染まっていくのが分かった。


瞼の裏を、いくつもの記憶のかけらが通り過ぎていった。順序も脈絡もなく、次々と現れては、消えていった。止めようとしても、止まらなかった。二十八ヶ月分の道のりが、一息の間に押し寄せてきた。息を吸う間もないほどの速さで、それらは通り過ぎていった。


小明《シャオミン》の声。張老《ちょうろう》の横顔。師傅《シフ》の不自由な手。パミールの高原。サムフルの笑い声。ナツメヤシの味。潮の匂い。


はっきりとわかったのはそれくらいだった。ほかにも無数のかけらが、次々と現れては、光の中に溶けていった。順に浮かび、順に消えていく。最後に残ったのは、光の熱そのものだった。


目を開けた。光は、変わらず、そこにあった。埃の粒が、相変わらず、光の筋の中を漂っている。心臓が、一つ、大きく打った。指先は、まだ、微かに震えていた。喉の奥に、乾いた息の塊が残っていた。


自分がまだ、パンテオンの床に立っているのか、それとも、すでに違う場所にいるのか、判然としなかった。それでも、足の裏は、確かに何かを踏みしめていた。


肩に掛けた荷物袋の紐を、握り直した。腰の環首刀《かんしゅとう》に、もう一度、手を添えた。懐の護符の輪郭を、指の腹でなぞった。息を、一つ、大きく吸い込んだ。


光の中心へ、足を踏み出した。


爪先が、光の一番濃い場所に触れた瞬間、辺りの明るさが、一気に膨れ上がった。視界が、白く塗り潰されていく。壁も、天井も、かけらの残滓《ざんし》も、光の向こうへ溶けていった。眩しさの中に、色という色が、一つずつ吸い込まれていくようだった。


肌の表面が、ひんやりとした空気に撫でられた。次の瞬間には、その冷たさごと消え、代わりに、耳の奥で低い圧がかかった。何かに包まれるような感触と、何もない場所に放り出されるような感触が、交互に押し寄せてきた。舌の上に、微かな金属の味が広がった。それも、瞬きの間に消えていった。


音という音が、遠のいた。参拝者のざわめきも聞こえなくなっていた。耳の奥に、ただ薄い膜が張られたような静けさだけが残った。心臓の音だけが、しばらく、体の内側で響いていたが、それすら、次第に遠くなっていった。


床を踏んでいるはずの足の裏の感覚が、あやふやになっていく。重力の向きすら、一瞬、分からなくなった。体が、上下のない場所に投げ出されたような感覚だった。皮膚の表面を、何かがすり抜けていくような、微かなざわめきがあった。落ちているのか、浮いているのか、その区別さえつかなくなっていた。呼吸をしているのかどうかさえ、確かめられなかった。


腰にあったはずの重みが、消えた。


環首刀の柄を握ろうとした手が、空を掴んだ。鞘の硬さも、帯に食い込む革の感触も、なかった。腰のあたりに、ずっとあったはずの重さの跡が、奇妙な軽さとして残った。二年間、片時も離さなかったはずのものが、跡形もなかった。


帯の後ろの革鞄の重みも、いつの間にか、なくなっていた。


懐の護符に触れようとした指先が、何もない感触を掴んだ。硬い白玉の感触は、そこになかった。掌に馴染んでいたはずの重みが、輪郭ごと消えていた。


軽くなった体だけが、白い光の中に浮かんでいた。指も、足も、どこにあるのか分からないまま、ただ光だけが、視界のすべてを占めていた。長く歩き続けてきた脚の疲労感さえ、その光の中では、意味を持たなくなっていた。


肩に掛けていた荷物袋の重みも、いつの間にか、感じられなくなっていた。革の匂いも、擦り切れた靴底の感触も、遠い記憶のように薄れていく。残っているのは、光と、自分の輪郭だけだった。でも指を握っても、握った感触が、はっきりとは返ってこなかった。


第十五章 了


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