第12章4節
倉の護衛の仕事は、そのまま続いていた。
朝、倉へ向かう。荷を検める。見回る。交代する。宿へ戻る。銭を数える。眠る。同じ順番が、毎日繰り返された。繰り返すほどに、動作の間の迷いが消えていった。
出入りする商人の顔ぶれも、少しずつ覚えるようになっていた。名までは知らなくても、荷の種類、来る曜日、話し方の癖。頭で覚えようとしたわけではなく、繰り返すうちに、勝手に頭の中に積み重なっていった。
同じ班の男の一人が、ある朝、飯を配りながら聞いてきた。
「新入り、飯足りてるか」
「足ります。多いくらいです」
短い返事だったが、男は、特に気にした様子もなく、次の男に飯を配りに行った。
昼、水路の向こうから、見覚えのある顔が来た。三日に一度は顔を出す、絹を仕入れに来る商人だった。荷の受け渡しのたび、同じことを聞いてきた。
「今日も護衛か」
「はい。今日は昼番です」
「精が出るな」
「ありがとうございます」
それだけの会話が、以前より少しだけ長く続くようになっていた。商人は、それ以上何も聞かず、荷を検めに行った。
別の日、荷役の一人が腰を痛めて休んだ。代わりに、私が荷を運ぶ番に回された。木箱を担ぎ、棚まで運ぶ。何度も往復するうちに、腕と肩に、鈍い張りが溜まっていった。
「護衛のはずが、荷運びまでか」
帳場の男が、通りすがりに言った。
「今日は人が足りないので。慣れています」
「そうか。以前も似たようなことをしてたんだったな」
「はい。似たようなことを、いろいろ」
帳場の男は、それ以上聞かず、次の指図に移った。
夜番のある晩、物音がして駆けつけると、荷崩れではなく、猫が棚の隙間に入り込んでいただけだった。追い出して、持ち場に戻った。似たようなことは、これで三度目だった。驚きも、苛立ちもなかった。ただ、確かめて、戻る。それだけの繰り返しだった。
同じ班の別の男、ラシードという名だと、初めて知ったのはその頃だった。誰かが呼ぶのを聞いて覚えただけで、自分から名を聞いたわけではなかった。ラシードは、口数の多い方だった。
「あんた、いつも一言で終わるよな」
「そうですか」
「まあ、いい。仕事さえしてくれりゃ」
それだけで、ラシードは笑って持ち場に戻った。私も、持ち場に戻った。
夕方、荷を運び込む一団が来た。西からの隊商だった。積み荷の羊毛と絹を、倉の奥へ運び入れる。ラシードが指図しながら、棚の隅に積み上げていく。
積み方が、いつもと違った。高く、片側に寄せて。急ぎの荷だからと、雑に済ませているのが見て取れた。
夜番に入る前、その棚の前を通りかかった。風の匂いが、いつもと違うことに、数日前から気づいていた。夜番の間、風向きを確かめるのが習慣になっていた。松明の炎の揺れ方、水路の水面に立つ細波の向き。それだけで、風の出所がおおよそ分かるようになっていた。西からの風が強くなる兆しが、ここ二晩、続いていた。カラクムの黒砂を思わせる、乾いた砂の匂いが、時折混じっていた。
積まれた荷を見て、足が止まった。
「その積み方だと、明日の西風で崩れます」
言ってから、自分でも少し驚いた。誰かに、こちらから声をかけたのは、初めてだった。
ラシードが、振り返った。
「風?」
「ここ数日、夜、風が強くなってます。明日はもっと強くなる気がします。片側だけ高いと、崩れます」
ラシードは、しばらく黙って棚を見た。それから、積み荷に手をかけ、崩れにくいよう積み直し始めた。
「あんた、名前は」
聞かれて、答えた。
「柚です」
「柚か。変わった名だな。覚えとく」
それだけだった。ラシードは積み直しを終えると、また別の荷へ向かった。私も、持ち場に戻った。
夜、松明の下に立ちながら、さっきのやり取りを、頭の中で一度だけなぞった。特に何かを感じたわけではなかった。ただ、口から出た言葉が、いつもより少し長かったことだけを、確かめるように思い返した。
翌日、予想通り、西風が強くなった。砂交じりの風が、水路の水面を波立たせ、干していた布を何枚も飛ばした。荷を運び出す男たちが、口々に「危なかった」と言い合っていた。積み直された棚は、崩れなかった。ラシードが、通りすがりに一度、こちらを見た。何も言わず、頷いただけだった。私も、頷き返しただけだった。
風が収まった後、倉の外に出て、乱れた荷を片付ける手伝いをした。飛ばされた布を拾い集める人々の間を、黙って歩いた。誰かが「今年はもう風の季節か」と言うのが聞こえた。答えなかった。答える必要もなかった。
それから数日、風は落ち着いた。仕事は、また元の調子に戻った。
「柚、今日は南の棚、頼む」
名を呼ばれることが、少しずつ増えていった。それ以上のことは、特に変わらなかった。飯の時間、隣の男たちの軽口。加わることも、話しかけることもなかった。ただ、名を呼ばれたときに、以前より少しだけ早く返事をするようになっていた。
絹を仕入れに来る商人も、ある日、名を呼んだ。
「柚、今日も護衛か」
「名前、ラシードから聞いたんですか」
商人が笑った。ラシードも、少し決まり悪そうに笑った。私は、それ以上何も言わず、荷の検めに戻った。特別なことが起きたわけではなかった。ただ、名前という一つの言葉が、周りの口から自然に出るようになっていただけだった。
日当は、変わらず積み重なっていった。宿に戻り、袋の重さを確かめる。数える指の動きに、迷いがなくなっていた。多い日も、少ない日もあったが、袋は着実に重くなっていった。
夜、就寝前の型をこなす。刀、銃、短刀。柄を握り、鞘を払い、納める。銃の安全装置を確かめ、革鞄に戻す。短刀の刃を検め、また納める。手の感覚を確かめてから、眠りに落ちる。窓の外の水路の音は、変わらず続いていた。
船賃には、まだ遠かった。それでも、袋の重さは、着実に増えていた。




