第12章3節
翌朝、目を覚ますとすぐに、荷の底から巾着を取り出した。銭を、一枚ずつ卓の上に並べてもう一度数えなおした。数え終えて、また袋に戻して口を、きつく結んだ。
寝台から立ち、身支度を整えた。腰に環首刀、革鞄には銃と短刀。いつもの重さが、いつもの位置に収まった。
宿を出て、市場の掲示板へ向かった。昨日見た木札の中に、隊商宿の荷役と護衛を求めるものがあった。文字を、もう一度確かめた。場所は、水路を挟んで会所の向かい側だった。
水路沿いの道を歩いた。荷を積んだ驢馬とすれ違うたび、道の端に寄った。染料の匂い、干した香辛料の匂いが、風に乗って流れてくる。この一帯は、市場よりも大きな商いの場らしかった。倉らしき建物が、いくつも並んでいた。
隊商宿は、石造りの大きな建物だった。門をくぐると、荷を積んだ駱駝と、それを検める男たちの声が飛び交っていた。奥の帳場に、恰幅のいい男が座っていた。木札を指して、声をかけた。
「これを見て来ました」
男が、顔を上げた。旅装の汚れと、腰の刀に、目を留めた。
「荷役か、護衛か」
「どちらでも」
「歳は」
アルダフシルの顔が、一瞬よぎった。杯を持ち上げた、あの夜の横顔だった。
「二十です」
「一人か」
「はい」
男が、値踏みするように、頭からつま先まで一度見た。
「その刀、使えるのか」
「使えます」
「どこから来た」
「カラクムを越えて」
男の眉が、わずかに動いた。
「あの黒い砂漠を、一人でか」
「はい」
「隊商にいたことは」
「イスマイルという男の隊商で、パミールを越えました。他にもいくつか」
男が、しばらく黙って見ていた。それから、帳面に何か書きつけた。
「明日から、倉の護衛に入れ。日当は荷役の一.五倍。夜番と昼番、二交代だ」
「分かりました」
「道具は、自前だ」
「はい」
「なら問題はない。遅れるな」
それだけだった。頭を下げ、外へ出た。
門を出るとき、駱駝を検めていた男の一人が、こちらをちらりと見た。何も言わなかった。目を合わせただけで通り過ぎた。
翌日から、倉の護衛が始まった。水路沿いに並ぶ倉の一つ、絹と硝子器を積んだ棚の前に立つ。同じ班に、二人の男がいた。名も、聞かなかった。聞かれもしなかった。
「そこ、動くな」
「はい」
「交代は日暮れだ」
「分かりました」
それだけの言葉で、一日が始まった。
倉の中は、薄暗かった。積まれた荷の間を、時折歩いて回る。棚の隙間、扉の閂、窓の格子。異状がないか、目で確かめる。それだけの仕事だった。染めた羊毛と、乾いた木箱の匂いが、倉の中にこもっていた。
三日目の夜、見回りの最中、棚の陰に人影が動いた。足音を殺し、近づいた。荷ほどきの縄に手をかけていた男が、振り向いて固まった。何も言わず、刀の柄に手をかけた。男は、縄から手を離し、両手を上げた。
「表へ」
短くそれだけを言い、男の背を押して連れ出した。帳場の当直に引き渡すと、事情を聞かれることもなく、また持ち場に戻った。
昼、飯が配られた。黙って受け取り、黙って食べた。隣の男が、何か軽口を言って、もう一人が笑った。私は、笑わなかった。会話に加わることも、話しかけることもしなかった。
「新入り、口数少ないな」
男の一人が、そう言った。
「そうですか」
短く返しただけだった。それ以上、続かなかった。男も、それきり話しかけてこなかった。別の男が、昨夜のことを聞きつけて、感心したように言った。
「昨夜の、あんたが取り押さえたんだって」
「はい」
「大したもんだ」
それにも、頷いただけだった。会話は、そこで途切れた。
夜番の日は、松明の下で立ち続けた。物音がすれば、そちらへ目をやる。猫か、風か、荷崩れの音か。確かめて、また持ち場に戻る。それだけを繰り返した。
夜が更けるにつれ、水路の音だけが際立った。表通りの喧騒が引いていく分、水の流れる音が、逆に大きく聞こえた。松明の火が爆ぜる音、遠くの犬の声。それ以外は、ほとんど何も聞こえなかった。
五日目、雨が降った。カラクムを出てから、初めての雨だった。倉の屋根を叩く音を、しばらく聞いていた。屋根の下は乾いたままだったが、外の水路の水嵩が、目に見えて増していた。
数日が過ぎた。仕事の型は、すぐに体に馴染んだ。荷の並び、見回りの順路、交代の時刻。一度覚えれば、迷うことはなかった。同じ場所を、同じ間隔で歩く。足の運びに、迷いがなくなっていった。
日当は、約束通りに払われた。宿に戻ると、その日の分を数え、袋に足した。まだ、船賃には程遠かった。それでも、確実に増えてはいた。増えた分だけ、袋の重さが変わる。その重さの違いだけを、確かめる日課になった。
見回りで歩く距離は、思ったより長かった。十日ほど経った頃、草履の底が薄くなっているのに気づいた。指で押すと、皮の下の感触が、いつもより近かった。市場の隅で、安い革草履を買い足した。値は、小さかったが、袋から出ていく分には変わりなかった。数えた重さが、その日だけ少し軽かった。
そうして、十五日、二十日と、同じ日々が続いた。棚の並び、見回りの順路、交代の合図。体が、考える前に動くようになっていた。
船賃には、まだ遠かった。それでも、袋の重さは、毎晩少しずつ増えていった。
同じ班の男たちとは、必要な言葉だけを交わした。
「今日は北の棚、頼む」
「分かりました」
「異状は」
「ありません」
「交代、遅れてすまん」
「大丈夫です」
それ以上のことは、言わなかった。聞かれもしなかった。夜、宿に戻り、就寝前の型をこなす。刀、銃、短刀。三度ずつ、抜き差しを繰り返す。柄を握り、鞘を払い、納める。銃の安全装置を確かめ、革鞄に戻す。短刀の刃を検め、また納める。手の感覚を確かめてから、眠りに落ちた。
窓の外には、変わらず水路の音があった。




