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還る手帳 ―少女はシルクロードをゆく―  作者: 吉原タシ


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第9章1節 パミール〜サマルカンド 246年8月 旅立ちから14ヶ月

夜明けとともに、イスマイルが立つと、全員が動き始めた。荷を積み込み、馬の繋ぎを解き、駱駝の手綱を取る。この隊の動き方を体で覚えて久しかった。声は要らない。


昨夜の野営地から更に西へ、道は下っている。


振り返った。


稜線が、朝日の中で白く光っていた。峰の雪が、今は黄色みを帯びていた。夜のあいだに空気がわずかに柔らかくなった。


---


下るうちに、岩の色が変わり始めた。


剥き出しの灰色が、少しずつ褐色を混ぜていく。前日から続いていた丈の低い草が、密度を増していた。株と株の間が更に詰まって、緑の面積が広がっていく。稜線の上では岩だけだったものが、少しずつ緑に置き換わり始めていた。


息を吸った。


肺の底まで届かない感触が、無くなっていた。


「稜線が、遠くなった」


声が出ていた。


前を歩いていたサムフルが振り返った。「そうですね」と言って、また前を向いた。


---


しばらく歩くと、アルダフシルが足を止めた。


岩の隙間に生えている草を一本摘んで、葉を指先で揉んだ。匂いを嗅いでから、こちらに見せた。


「これは、腹痛の薬になる」


「詳しいですね」


「昔取った杵柄だ」


それだけ言って、また歩き出した。


サムフルが振り返って言った。「叔父さん、市場でもよくやりますよ。露店の草の匂いを勝手に嗅ぐの」


「勉強のためだ」


「そう言って、毎回怒られてるじゃないですか」


アルダフシルは何も言わなかった。でも、口の端がわずかに動いた。


---


昼前に、一度止まった。


岩の張り出しの下、陰になっている場所でイスマイルが水袋を取り出した。全員が倣った。サムフルが荷を降ろして岩に腰を据え、アルダフシルが隣に立って遠くの稜線を眺めている。ウェイは少し離れた岩に腰を下ろし、革靴の紐を結び直していた。


「この前、誕生日だった」


ガザンが水袋を腰に戻しながら言った。


「いつだ」とサムフルが聞いた。


「山越えの四日目だ。最悪だろ」


サムフルが笑った。「最悪だな」


「まったくだ」とガザンは言った。


アルダフシルが短く加わった。「俺は二月だ。砂漠の上だったよ」


「あなたは」とサムフルがこちらを向いた。


「九月」


「じゃあもうすぐじゃないか」


「そうだね」


それだけで、話題はガザンのほうへ戻っていった。サムフルが何か言い、ガザンが返し、アルダフシルが短く加わる。私は水袋を両手で持ちながら、自分が答えた言葉をもう一度思い出した。


誕生日を人に話したのはいつ以来か——という問いが、一拍だけ胸をよぎった。


答えが出るより先に、イスマイルが立ち上がった。


---


午後になると、また草の密度が増した。


岩の面積と草の面積が、拮抗し始めた。低木の数も増えていた——昨日の下りで見かけ始めた膝ほどの灌木が、ここでは幹を太くしている。葉の数も増え、少しずつ緑を蓄え始めていた。


鼻が、何かを嗅いだ。


岩の匂いではない。草が水を吸って呼吸しているような、濃厚な生き物の気配を含んだ匂いだった。


草の中から、鳥が一羽飛び立った。

灰色の小さな鳥だった。羽音だけを残して、すぐにまた草の陰に消えた。パミールの上では、鳥どころか虫の一匹も見なかった。


足元の感触も変わっていた。草を踏む柔らかさ、わずかに沈む土の感触。


夕方近く、前方の地形が、平らに近づいていくのがわかった。


「今夜はあそこで野営だ」


イスマイルが前方の岩棚を指した。風を遮られる窪みがある。この隊はそういう場所の選び方を知っていた。


荷を持ち直して、足を出した。


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