第1章3節
市場の奥へ足を向けた私は、巾着袋を肩にかけ直しながら周囲をもう一度見回した。敦煌行きの隊商……明後日出発だって言ってたよね。賑やかな露店を縫うように歩いていると、馬やロバを何頭も連れた一団が目に入った。荷車に麻袋を積み、胡服を着た男たちが忙しそうに縄を締めたり、水桶を運んだりしている。中心にいるのは、髭の濃い中年の男——隊商の頭領らしき人だ。腰に環首刀を佩き、威厳たっぷりに指示を出している。
「よし……行ってみよっか」私は小さく息を吸い込んで、勇気を出して近づいた。「あの、すみません! 敦煌行きの隊商の方ですか?」
頭領は私をじろりと見て、眉を上げた。「おう、嬢ちゃんか。何の用だ?」
「私……西方へ、喀什の方まで行きたいんです。敦煌までは隊商に同行させてもらうのが良いって聞いて。荷役の手伝いなら、できるだけやります。お願いします!」
周りの男たちがちらちらと私を見る。女一人で隊商に交渉なんて、珍しいんだろう。頭領は腕を組んで、値踏みするような目で私を眺めた。「喀什だって? あそこまで何ヶ月もかかるぞ。正気か? 砂漠と山を越えるんだ、女の身でよ?」
私は少し肩をすくめて、でもちゃんと目を見て答えた。「正気です。山で歩き慣れてるし、力仕事もやったことあります。どうか、一緒に行かせてください」
頭領はしばらく黙って考え、ふっと息を吐いた。「……まあ、荷役の手伝いが一人ほしいと思ってたところだ。明後日の朝、出発だ。水は隊の分から回してやる。だが食料は自分でなんとかしろよ。途中で弱ったら置いていくぞ」
「ありがとうございます! 絶対に迷惑かけません!」私はぺこりと頭を下げた。胸の奥でほっと安堵が広がる。
交渉がまとまり、私は隊商の人たちに軽く挨拶して市場を後にした。宿に戻る道すがら、手記をそっと撫でる。「葵さん……私、隊商に乗れるよ。敦煌まで、一歩前進だね」。夜、粗末な布団に横になりながら、明日の準備を頭の中で繰り返した。保存食と、自分用の交易品。玉の欠片と香料の小袋を仕入れて、敦煌の市場で売れるようにしないと。資金はまだ残ってるけど、慎重に使わなきゃ。
翌朝、私は再び市場へ向かった。今日は買い込みの日だ。まず、保存食を探す。干し肉の細切れ、硬い干しパン、塩漬けの野菜、干し果物。隊商の男たちが勧めてくれた露店で、少しずつ値切りながら籠いっぱいに詰めた。「これで持つかな……うーん、現代の行動食みたいに手軽じゃないけど、仕方ないよね」。荷車に積ませてくれるということだったので、重さは気にせず、買い足した巾着袋に詰め込んでいく。
次に、自分用の交易品。長安で仕入れるのは軽くて高価値なもの——玉の欠片の小袋と、香料の小さな包み。珍しそうな白玉の欠片を選んだり、胡椒や桂皮の香りが強いものを吟味したり。商人との駆け引きはまだ慣れないけど、「西方で高く売れるはず!」って自分に言い聞かせながら、予想より安く仕入れることができた。「へへ、甘いかな……でも、これで敦煌の市場で少しは儲けが出るかも」
買い物が終わると、宿に戻って荷物を整理した。巾着袋の底に小型レーザーガンと充電器を隠し、手記を大事にしまい、交易品と保存食を丁寧に詰める。麻の上着の裾を直しながら、水桶の表面を覗き込んで自分の姿を確認した。ショートボブの黒髪が少し乱れてるけど、旅装の私はもうすっかり現地の人に見えるはず。「大丈夫……一人でも、絶対にやれるよ」。
その夜は、早めに布団に入った。明日の出発が近づいて、胸がざわつく。隊商の人たちと一緒に歩くけど、私はやっぱり一人。葵さんの三十年の孤独が、ほんの少しだけ分かる気がした。「私も、いつかこうなるのかな……」と漠然とした不安がよぎる。でも、手記を抱きしめて目を閉じた。「だめだよ、柚。好奇心旺盛で、困ってる人を放っておけない性格……それが私の強みだよね。山岳部で鍛えた体力もあるし、へへ、敦煌まで、がんばろ!」
そして、出発の朝が来た。
まだ薄暗い空の下、宿の前に集合した隊商の灯りが揺れている。私は巾着袋を肩にかけ、荷車の一台に荷物を積み終えたところだった。頭領が声を張り上げる。「よし、全員揃ったな! 敦煌へ出発だ!」
馬のいななきと車輪の音が響く中、私は隊列の後ろに並んだ。長安の街並みがゆっくりと遠ざかっていく。未央宮の宮殿が朝焼けに染まって見える。「葵さん……私、ちゃんと旅立てたよ」心の中で呟きながら、私は西の空を見つめた。
砂漠の風が、遠くから私を呼んでいる気がした。18歳の私、柚の、絹の道を往く本当の旅が、今、始まる。




