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還る手帳 ―少女はシルクロードをゆく―  作者: 吉原タシ


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第8章1節 パミール高原 246年7月 旅立ちから13ヶ月

夜明けが来た。


イスマイルが立ち上がった。それだけで、隊が動き出す。荷紐の最終確認、駱駝を引き起こす低い声、馬の鼻息。声をかけ合っているわけではない。頭領が立った、というだけで、全員を同時に動かした。


焚き火はもう炭になっていた。


肩に荷をかけ、革鞄の留め具を親指で確かめた。護符が外套の内側で胸に当たっている。腰の刀の位置を一度直した。


隊が動き出すと、列の中ほどに入った。前すぎず、後ろすぎず、全体が見渡せる位置。もう頭領の隊商と同じ位置取りだった。


イスマイルが先頭、荷を積んだ駱駝が続く。アルダフシルと衛が中ほどで並び、サムフルが荷馬の手綱を引いている。護衛のガザンが列の後方についた。


東の空が白んでいた。


于闐ホータンを出たのは夕方だった。カシュガルを出るのは夜明けだった。同じ「出発」でも、空の色が違う。隊商の移動は昼間、夜は野営する。


カシュガルの城壁が後退していく。


振り返らなかった。


---


最初の三日は、丘陵地帯だった。


砂漠と地続きの空気だった。乾いている。日差しが石を白く焼く。砂の代わりに小石が増えていくが、足裏に伝わる感触は砂漠のそれとさほど変わらない。


丘の稜線が、少しずつ形を変えていった。一日目は丸い稜線が続いていた。二日目には、稜線の端が尖り始めた。風化した岩肌が段々に重なって、遠くから見ると階段のように見える場所もあった。近づくと、その段差は人の背丈より高い。


草が出てきた。


砂漠にも草は生える。于闐からカシュガルの道でも、岩の隙間に時折、乾いた穂が出ていた。でも、ここの草は密度が違う。株と株の間が詰まっていて、地面を覆おうとする量がある。緑というより、灰色がかった緑だった。乾燥に耐えるための色なのだろうと思った。


二日目の昼、川沿いの岩陰でイスマイルが止まった。全員が水袋を満たした。アルダフシルが前方の稜線を眺めて、「まだ遠いな」と言った。


「近くはなってますよ、叔父さん」


サムフルが水を飲みながら言って、アルダフシルの背中に回った荷紐の結び目を、ついでのように直した。手つきに迷いがなく、何度もやってきた仕草だった。


アルダフシルは答えず、目はまだ稜線に向いたままだった。


ウェイが水袋を肩に戻しながら、稜線の方へ軽く顎を上げた。「あの向こうがパミールか」独り言のような声だった。


「もう少し先だ」


イスマイルが振り返らずに答えた。


衛は頷いて、水を一口飲んだ。私は何も言わず、同じ稜線を見ていた。


---


三日目の夕方、空の形が変わった。


右手にあった稜線が、少しずつ後ろへ退いていく。カシュガルへ向かう道で、あの山並みが右手に動いていたことを覚えている。慣れ親しんだ天山が遠ざかっていく。


代わりに、正面の地平線が持ち上がってきた。


最初は、地平線のわずかな盛り上がりだった。一日目にはなかった影が、二日目には輪郭になり、三日目の夕方には、はっきりと壁になっていた。灰色の岩肌が幾重にも重なって、光の当たる面と影の面がくっきり分かれている。まだ雪が残っている場所があった。白い筋が、尾根の間にいくつも走っていた。


パミールが正面にある。


両側から岩壁が立ち上がってきて、前方だけが開いている廊下のような地形になった。砂漠では空がすべての方向に広がっていた。ここでは空が帯になる。進むほどに、帯が狭まっていく。足元の岩の色も変わった。丘陵地帯の白っぽい岩から、赤みを帯びた岩に変わっていた。


「峠まで、どれくらいかかりますか」


イスマイルの背中に聞いた。


「今日から五日。天気次第だな」


「天気が崩れたら」


「もう少しかかる。無事に進めればな」


迷いのない声だった。そういう場所だ、という響きを含んでいた。


---


四日目の朝から、足の使い方が変わっていた。


砂漠では足裏全体で砂の締まりを読みながら歩いていた。砂を崩して余計な力を使わないように、崩れる寸前の柔らかさを靴底越しに確かめる——それを一歩ずつやっていた。ここでは、地面を読んでいた。


石の露出度合いや角度、表面の乾き具合——浮いた石、傾斜して湿った岩などを踏まぬよう、数歩先でどこに足を置くべきかを、目と頭が無意識に、絶え間なく計算しながら足を運ぶ。


後ろで、蹄が石を打つ音が乱れた。振り返ると、荷馬の前脚が岩の割れ目にはまりかけていた。ガザンが手綱を軽く引いて、馬の頭を少し起こす。馬は一歩下がって、別の場所に足を置いた。それだけの動きだったが、隊列が一瞬止まった。イスマイルは振り返らず、ガザンが追いつくのを、わずかに歩調を緩めて待っていた。


---


空気の変化に気づいたのは、四日目の午後だった。


乾いているのは同じだったが、深く吸ったとき、肺の底へ届く前に止まるような感じだった。


もう一度吸った。


胸が膨らむ。でも、いつもの一息ほど満たされる感覚がない。


息を吸うたびにわずかな不足感があって、それが積み重なっていく。体が、呼吸の回数を増やそうとしている気がした。鼻にもわずかにツンとした違和感がある。


前を歩くサムフルの背中を見ると、肩の動きがわずかに大きかった。荷の重さのせいかもしれない。でも、呼吸に合わせて肩が動いているように見えた。


前を向いた。


足を出した。


パミールが、ゆっくりと高くなっていった。


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