第5章4節
賊が現れたのは、精絶を出て六日目の昼過ぎだった。
その日は朝から雲が薄く、風が弱かった。駱駝の背で荷がゆっくり揺れる音と、砂を踏む蹄の音だけが続いていた。昼の休憩を終えて一時間ほど歩いたとき、前方の砂丘の稜線に人影が三つ現れた。
孟頭領が、無言で右手を上げた。
隊商が止まった。
人影はゆっくりと斜面を下りてくる。腰に刀、手に棒。歩き方に急ぐ気配がない。近づきながら左右へ少しずつ散っている。囲い込む動きだ、と思った。
「荷を置いて行け。それだけでいい」
先頭の男が言った。三十代くらい、顔に砂焼けの傷跡がある。声は平坦だった。交渉のつもりなのか、脅しなのか、どちらとも取れる口調だった。
孟頭領が答えなかった。
沈黙が続いた。
男たちが三人だが、砂丘の上にまだ二人残っていることはすぐに気づいていた。全部で五人いる。こちら護衛が二人、孟頭領、商人が三人、陳、私。商人たちは腰に小刀を差しており、陳は荷役用の天秤棒を構えていた。
「答えがないってことは、そういうことだな」
先頭の男が肩をすくめた。合図は声ではなく、わずかな視線の動きだったと思う。砂丘の上の二人が斜面を下り始め、残りの三人が間合いを詰めた。護衛二人が前に出た。
刀が抜かれる音が、立て続けに響いた。
孟頭領が商人たちを後ろへ下がらせながら荷馬の手綱を引いた。陳が馬の首を押さえる。私は右端の賊の目が陳へ向いたのに気づいた。
男が陳に向かって動いた瞬間、右手で環首刀を抜きながらその前に割り込む。男が咄嗟に振り下ろしてきた刀を、刃を立てて真正面から受けた。衝撃が手首から肩まで抜ける。重い。でも、止まった。
男が私を見た。一瞬だけ、驚いた顔をした。
私はその隙に足を踏み替え、半歩外へ出た。男の二撃目が来るより先に体を流し、刀を斜め上から振り下ろした。刃が男の右腕の外側を裂いた。肉を切る手応えが、柄を通して掌に伝わった。男が「ぐっ」と呻いて後退した。
血が砂に落ちる。鮮やかな赤だった。
私は刀を構え直し、間合いを保った。左手が一瞬、後ろの革鞄へ動きかけた——しかし、すぐに止めた。まだだ。まだその時じゃない。左手は刀の柄に戻した。
男が歯を食いしばって再び踏み込んできた。刀が横薙ぎに飛ぶ。私は腰を落として刃を受け流しながら、僅かに柄の軌道を変えて柄頭で男の胸を突いた。男の体がわずかに浮き、息が詰まる。そこへ追い打ちをかけようとした瞬間、男の反撃の気配を感じて間合いを切った。相手がまだ動けるうちに深追いするのは危険だ。
男が膝をついた。
「……退くぞ」
先頭の男の声が飛んだ。
周囲を見ると、護衛がもう一人の賊を灌木の際まで追い詰め、孟頭領が別の賊の刀を、棒で砂に叩き落としていた。彼らにとって形勢が有利ではない、と先頭の男が判断したらしかった。
賊たちが後退し始め、砂丘の向こうへ消えた。
---
しばらく、誰も動かなかった。
孟頭領が周囲を確かめ、護衛二人に目配せして頷いた。荷は無事だ。
私は砂から一歩下がり、刀を軽く振って血を払った。肩に力が入っていたことに今気づいた。息は上がっていない。指先も震えていない。
陳が「大丈夫か」と声をかけてきた。
「うん」
孟頭領が一度だけこちらを見た。何も言わなかった。「行くぞ」と言って、隊商が動き出した。
歩きながら、私はさっきの戦いを思い返した。
人を刀で傷つけるのは、今日が初めてだった。刃が皮膚を裂き、肉を斬る時の抵抗が、まだ掌の中心に残っている。もっと胸が締めつけられて、吐き気がするほど嫌な気分になると思っていた。日本のマンガや小説ではそうだった。でも、意外とそうでもなかった。ただ、静かに「終わった」とだけ思った。
夕方の野営地で飯を食べているとき、陳がそっと隣に来た。
「さっき、俺のとこに来てくれただろ」
「近くにいたから」
「俺、ちゃんとした武器持ってなかったから……助かった」
何と答えるべきかわからなかったので、黙って飯を食い続けた。陳はそれ以上言わず、自分の椀に向かった。
火が爆ぜた。夜風が砂漠の底を渡っていく。
今日、隊商の誰も死ななかった。それだけは確かだった。




