第5章3節
精絶に着いたのは、八日目の夜が明けきらない時間だった。
土を積み上げた低い壁が砂の中に溶けかけたように続いているだけで、楼蘭や且末とは規模が違う。開いている門をくぐると、踏み固めた土の道が暗がりに伸びている。灯りが漏れている建物を探して歩くと、一軒だけ扉の隙間から橙色の光が見えた。戸を叩くと、眠そうな顔の男が出てきた。部屋を借りられるか聞くと、無言で奥を指した。
板張りの床に毛布が一枚。横になると、すぐに意識が落ちた。
目が覚めたのは昼を過ぎた頃だった。起き上がろうとして、背中と腰の重さを感じた。八日間、ほとんど眠れていなかったのを体が溜め込んでいたらしい。
まず水を飲んだ。次に荷物を確認した。水袋の傷みを確かめ、干し肉と干しナツメ、銭の残高。——精絶から于闐まで、まだ十日近くある。
でも問題は荷物や補給だけじゃない、と気づいていた。
且末を出た夜から八日間、まともに眠れなかった。寒さのせいもある。でも一番の原因は、耳だった。狼がいると知っている暗闇を一人で歩くとき、頭のどこかが常に外に向いていて、砂の下に潜ってからも眠りが降りてこなかった。眠りが浅い。判断が鈍る。
タクラマカンの廃墟の夜を、また思い出した。
あのとき私は疲弊していた。砂嵐で二日閉じ込められ、水が底をつきかけて、半ば死を覚悟しながら歩いていた。お爺さんを見つけて、火を囲んで、少しだけ気が緩んでいた。だから賊が来たとき、頭が真っ白になった。銃を出すのが遅れた。お爺さんが刺された後で、ようやく引き金を引いた。
もっと早く出せば——その言葉は、今も胸の底に刺さったままだ。
ただ、あれから私は変わった部分がある。銃を「隠す」のではなく、「すぐ出せる場所に固定する」ようにした。楼蘭で革鞄を作ったのも、そのためだ。廃墟の夜の自分を繰り返さないために。
でも、それだけでは足りなかった。且末を出るとき、私は隊商を避けた。人がそばにいると気が緩む——あの夜がそうだったから。緩めば、反応が遅れる。だから一人でいることを選んだ。
違う、と今ならわかる。あの夜、私を遅らせたのは、隣に人がいたことじゃない。疲れ切っていたことだ。緩みは、疲弊の結果だった。原因じゃない。順番を、取り違えていた。
一人で夜を歩き続けて、眠れないまま于闐まで十日。——それは、緩みを避けているんじゃない。疲弊を、自分から選び続けているだけだ。あの夜と同じ場所に、別の道から戻ろうとしていた。
守るべきは、人との距離じゃない。眠りだ。
広間に出て、旅籠の男に飯を頼んだ。しばらくして麦を煮ただけの椀が出てきた。塩が効いていた。
食べながら、広間の端で荷物を整えている男に声をかけた。五十がらみの、顔に砂焼けの皺が深く刻まれた男だった。
「于闐まで行く隊商を知りませんか」
男が顔を上げた。
「明後日に出る隊があるよ。頭領は孟という男で、ここに泊まってる」
「下働きで乗せてもらえますか」
「それは孟に聞け」
男は荷物に目を戻した。
孟という男は夕方に戻ってきた。
四十代の、肩幅の広い男だった。私が事情を説明すると、黙って上から下まで見た。
「荷の積み下ろし、夜番、飯の支度の手伝い。できるか」
「できます」
「荷物はそれだけか」
背負った荷を示すと、しばらく見てから「わかった」と言った。それだけだった。
二日後の夜明け、隊商が精絶を出た。
商人が三人、護衛が二人、荷役が私を含めて二人。駱駝四頭と荷馬二頭。東の空がまだ白みかけた頃に城壁をくぐり、低い太陽に向かって西へ歩き始めた。
昼に歩くのは、長安から敦煌まで隊商の荷役をしていた頃以来だ。
あの頃は右も左もわからず、隊商の背中について歩くだけだった。周りに人がいて、前後に声が飛んで、止まるときは皆一緒だった。あの感覚を、ずっと忘れていた気がする。
砂漠に朝日が当たると、影が前方に長く伸びる。夜歩きでは影など存在しない。あって当然のものが戻ってきたのが、少し奇妙に感じた。
もう一人の荷役は、陳という若い男だった。よく喋る。
「姉さん、どこから来たの」
「東の方から」
「一人で?」
「ここまでは」
「すごいな」
感心したような顔をしたが、深く聞いてはこなかった。その加減が、ありがたかった。
夜、野営地で火を囲んだ。
商人たちが酒を回し、護衛の一人が笑い話を始めた。陳が受けて笑い、孟が無表情のまま杯を傾けた。私は輪の端に座って麦の飯を食べながら、その声を聞いていた。
人の声がある。笑い声がある。それが砂漠の夜にある、ということが何かを変えた。良い悪いではなく、ただ違う、と感じた。
自分がその輪に入れていないことも、同時にわかっていた。入り方がわからない、というより——入ろうとすると少し間が要る。その間に何かを考えてしまって、笑いが遅れる。敦煌では自然に笑えていた。今は、そうじゃない。
陳が「姉さんも飲む?」と杯を差し出してきた。
「いい、ありがとう」
陳は「そっか」と言って、また護衛の話に戻った。
毛布にくるまって目を閉じた。
眠れるか、と思っていたら、すんなり眠れた。
三日目の昼過ぎ、商人の一人に声をかけられた。
張という、五十代の痩せた男だった。
「あんた、立派な刀を持ってるな。使えるか」
「少しだけ」
「于闐の手前で賊が出ることがある。人数は多い方がいい」
「わかりました」
それだけで男は先へ戻っていった。
歩きながら、腰の刀の柄を指先で確かめた。
賊が来たとき、隊商の人間に怪我をさせたくない。彼らが怪我をすれば、私が死ぬ確率も上がる。
あの夜、私が銃を出すかどうかを迷っている間に、お爺さんは刺された。でも、隊商の目の前で銃はできれば使いたくない。面倒なことになるのは目に見えている。もし銃なしで切り抜けられるなら——その方がずっといい。ただ、いよいよ使わなければならない時に躊躇すべきじゃない。
刀で戦えるかどうかは、やってみなければわからない。怖くないとは言えない。
でも、やることが先に並んでいるだけだった。
夕方の野営の前に、砂漠の端で一人、刀と銃の抜き差しを繰り返した。火の光が届かない場所で、暗い中を手だけで動かす。同じ動作を、何度も。
人の気配が近くにあっても、動作は変わらなかった。乱れない。
それが少し、意外だった。




