第3章5節
どれくらい時間が経っただろう。火が小さくなり、廃墟の石壁に影が長く伸びていた。私は膝を抱えたまま、ぼんやりと炎を見つめていた。老人は時折低く咳き込んでは静かに息を整える。楼蘭まであと一息——明日の夜中には着くという言葉が、胸の奥で繰り返されていた。砂漠の夜風が、枯れた低木の葉を優しく揺らす。星空の下、ほんの少しだけ、孤独が和らいでいる気がした。
突然、耳に届いたのは砂を踏む複数の足音だった。微かだが、確かな気配。廃墟の外、岩場の陰から近づいてくる。
「誰……?」私は体を起こし、老人も同時に上半身を起こした。火の明かりが届かない闇の向こうに、三つの人影が浮かび上がった。胡服を着た男たち。腰に刀や短刀を佩き、荒々しい目つきでこちらを睨んでいる。たぶん……いやどうみても賊だ。
一人がゆっくりと手を挙げ、掌を見せるようにして近づいてきた。
「落ち着けよ、爺さん。俺たちはただ、荷物を分けてもらおうってだけだ。素直に置いて消えりゃ、誰も傷つかないぜ」
老人は腰の環首刀に手をかけ、警戒を露わにしながらも、掠れた声で応じた。
「……儂らも旅の途中だ。荷物は命綱だ。分け合う余裕などない。通り過ぎてくれ」
賊たちは互いに目配せし、もう一人が低く笑った。
「そっちは嬢ちゃんか。……ま、荷物だけじゃなくお嬢ちゃんも置いていけよ。楽しんでやるからな」
その言葉に、老人の顔が一瞬で変わった。穏やかだった目が、鋭く燃える。
「……柚を、置いていくだと?」
老人の声が低く震えた。次の瞬間、環首刀が鞘から抜かれ、火の光を鈍く反射した。刀身が夜風を切り、老人は私の前に立ちはだかるように一歩踏み出した。
「柚、下がっていろ!」
賊の一人が嘲笑を浮かべて刀を抜いた。「おいおい、爺さんが本気かよ。多勢に無勢だぜ?」
老人は答えず、私を守るように構えた。老人の刀捌きは熟練のものだった。一撃、二撃。金属音が夜の廃墟に響き、初めに切り結んだ賊が後退する。しかし、三対一。賊たちは連携して老人を囲んだ。背後からもう一人が素早く回り込み、短刀を構える。
「危ない! お爺さん、後ろ!」
叫んだ瞬間、遅かった。背後の賊が素早く踏み込み、老人の背中に短刀を深く突き刺した。グッという鈍い音。老人の体がびくりと震え、口から血が溢れ出す。
「ぐ……あ……!」
老人が血を吐きながら振り返り、刀を振り下ろそうとしたが、力が入らない。膝が折れ、砂の上に崩れ落ちる。血が胡服を赤黒く染め、火のそばに広がっていく。
「お爺さん!」
私は叫んで老人の元に駆け寄ろうとした。だが、残りの二人の賊が笑いながら近づいてくる。一人が私の荷物に目をやり、もう一人が短刀を構えた。
「嬢ちゃん、悪いな。一緒に来てもらうぜ」
パニックが全身を支配した。指先が震え、息が荒くなる。荷物……レーザーガン。巾着袋の底に隠してある。あれを……あれを使わなければ。
私は転がるように荷物のそばに這い寄り、必死に手を突っ込んだ。少なくなった食料、空の水袋、布、交易品の包みをかき分け、指に触れる。Safe Angel mini。袋から取り出しながらサムセイフティを解除し、引き金に指がかかる。
立ち上がり、賊たちに向けた。手が震えて狙いが定まらないけど、かまわずトリガーを引いた。「ピッ」という小さなビープ音が夜に響く。直後、「シュッ」という極めて小さな蒸発音。レーザーが賊の肩を掠め、男は悲鳴を上げてよろめく。私はパニックのまま、引き金を引き続けた。二発、三発。赤い光点が跳ね回り、男の胸を、首を、次々と焼く。男は目を見開き、倒れ込む。
「なんだ……この……!」
残りの二人が驚愕の声を上げ、こちらに飛びかかってきた。私は後ずさりながら、ただひたすら引き金を引きまくった。パニックで視界がぼやけ、狙いなどまるでつかない。赤いレーザーサイトの光が闇を無秩序に切り裂き、「ピッ」「シュッ」「ピッ」「シュッ」と連続する。頭部を狙ったはずが肩を掠め、腹を狙ったはずが太ももを焼く。だが男たちは砂の上に次々と崩れ落ちた。
私はまだ銃を構えたまま、肩で息をし、バッテリー残量表示が「0」を点滅させていることにも気づかず、死体に向かって何度も、何度も引き金を引き続けた。
「ピピピ……ピピピ……ピピピ……」
バッテリー切れの警告音が、砂漠の夜空に虚しく溶けていく。
私は銃を砂に落とし、老人の体を両腕で必死に抱き寄せた。体が重く沈み、血だまりが私の膝を温かく濡らす。老人の息が、ゆっくりと止まった。
「お爺さん……! お爺さん……!」
声が震え、砂漠の夜に響いた。私は老人の遺体を胸に強く押しつけ、ただ抱きしめ続けた。血の匂いとまだ残る温もりが、胸を締め付ける。
「ごめん……ごめんなさい……!私のせいだ……! レーザーガンをもっと早く出せば……! もっと早く使えば……お爺さんはまだ生きていたのに……!」
涙が止まらず、老人の胡服に染み込んでいく。自分への怒りが、波のように何度も押し寄せてくる。レーザーガンを底に隠したまま、ためらっていた。お爺さん、こんなに痩せた体で私を守ろうとして……。お爺さんを助けなければいけないのは自分だった。私にはその力があったのに!
「なんで……私は……なんで早く出さなかったの……! お爺さん……ごめん……ごめんなさい……!」
叫びながら体を前後に揺らし、老人の体を抱きしめ続けた。声が嗄れ、息が荒くなる。それでも抱きしめる腕を緩められなかった。
どれだけ時間が経ったのか、私は老人の遺体をそっと砂の上に下ろした。血に染まった胡服を最後に一度だけ撫で、立ち上がる。もう、ただ抱きしめているだけでは足りなかった。
私は膝をついたまま、賊の死体を横目に睨んだ。
「なんで……お前らが……お爺さんを……!」
憎悪が胸の底から煮えたぎる。お前らが襲ってこなければ、お前らを殺さずに済んだのに……。
「許さない……絶対に許さない……! お前らがこなければ!……お前らを!」
叫び声が夜明けの廃墟に激しく響き渡る。賊たちへの怒りが、体全体を震わせた。
私は拳を地面に叩きつけ始めた。砂を叩く音が激しく響く。指の皮が剥け、血が混じった砂が飛び散る。それでも拳は止まらない。この痛みで時間が戻ればいいのに、と壊れた思いが私を駆り立てた。
「なんで……お前らを……! お爺さんを……!」
拳が砂に深くめり込み、血が滴る。叫びは朝の風に溶け、砂漠全体に虚しく広がっていった。
夜が白み始めた。私は、廃墟の近くの柔らかい砂地に浅い穴を掘った。指で砂を掻き、爪が欠け、血が混じる。穴が膝より深くなると、老人の遺体を丁寧に横たえ、砂を被せた。土壁の残骸から崩れた石を幾つか拾い、遺体の上に並べた。それが墓標だった。
賊の三人の死体はどうしても埋める気になれなかったので、そのまま砂の上に放置した。老人の血の跡が乾き始め、賊の胡服が朝の光に鈍く照らされる。私は彼らに目を向けず、ただ老人の墓だけを見つめた。
岩場の陰に、賊たちが連れていた一頭の馬が怯えた様子で立っていた。私は馬の轡を取り、老人の荷物と自分の巾着袋を背に積み上げ、紐でしっかり固定した。老人の環首刀、賊たちの短刀、水袋、粗末な交易品の包み——すべてを馬の背に載せた。レーザーガンは充電器と一緒に小袋に入れ、服の懐に入れた。
朝日が地平線から昇り、私を照らし始めたが、この場で休む気にはなれなかった。馬の首を優しく叩いて、轡を握り、ゆっくりと西へ歩き出した。砂が靴底を滑り、馬の蹄が軽く砂を踏む音だけが響く。楼蘭の方向へ、朝日を背に、ただ一歩、また一歩と進んだ。
第3章 了
お読みいただきありがとうございました。
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