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新訳 三河物語 〜 徳川家康と家臣団の戦国サバイバル 〜 with 逆行転生犬シロ  作者: 条文小説


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3-22 天下の御意見番、命懸けの「旗」論争

挿絵(By みてみん)


三河物語みかわものがたり』は、江戸時代初期の、旗本の大久保忠教による著作。戦国時代から江戸時代初期を知るための史料とされることもあるが、徳川史観による偏った記述により資料としての正確性は欠如している。出典:Wikipedia

 よう、また会ったな。三河の「真実ログ」の番人、大久保彦左衛門だ。


 大坂の陣が終わり、戦後処理の真っ最中。京都では連日、家康公による「戦功審査」が行われていた。だがな、そこで起きたのは、事実をねじ曲げてでも保身に走る「出頭人おキにイり」たちと、俺の命懸けの「ログ修正」バトルだった。


 今日は、家康公をブチ切れさせ、あわや切腹寸前まで追い込まれた、俺の人生最大の「ガチ論破」の記録を語ってやろう。


 慶長20年5月。水野日向守が御目見得に来た時、家康公が俺(彦左衛門)を名指しで問い詰めた。


「あの時、天王寺の土塁の方から逃げてきた連中はどうなった?」


 俺は正直に報告した。


「茶臼山の方から本道へ崩れてきた連中と混ざって、もう敵か味方か判別不能カオスでした。名のある地行取りの衆まで逃げ惑い、あろうことか主君の御鑓やりを踏み散らかし、馬の上で邪魔だとばかりに槍をヘし折って捨てていく始末。それを見た足軽たちも、真似して槍を折って短くしていましたよ」


これを聞いた家康公は激怒した。


「……なんという腰抜け共だ! 槍は長い方が強いという基本仕様セオリーをいつ忘れた! その逃げた奴らはどこへ行った!」


 俺は「皆、殿の目の前を通り過ぎて逃げていきましたよ」と、皮肉たっぷりに答えてやった。


 翌日、二条城でのことだ。松平右衛門が「俺はあの時、徳川の御旗(七本の旗)なんて見ていない」と言い出した。俺は即座に反論した。


「何言ってるんだ! 旗はちゃんと立っていたじゃないか!」


 すると周囲の「出頭人おキに」たちが、右衛門の顔色をうかがって口々に言い出した。


「俺も見ていない」

「俺も見ていない」


 これぞまさに集団的な記録改竄ガスライティングだ。俺は笑ってやった。


「ああ、なるほど。お前さんたちは『暗闇の夜』のような視力で見ているから気づかなかったんだろうが、俺の目には『真昼の太陽』の下のようにハッキリ見えていたぜ。現場にいない奴が『見ていない』なんて言うのは、ただの狼狽パニックの証拠だ!」


 これに激怒したのが家康公だ。俺を広間に呼び出すと、杖で畳を激しく叩き、詰め寄ってきた。


「彦左衛門! お前は『鑓に付いていた』と言い張るが、俺も見なかったという旗が立っていたと言うのか! つまり、俺が旗を見ずに逃げ出したとでも言いたいのか!」


 家康公の怒りは凄まじく、脇差をガチャガチャと鳴らし、城内が響くほどの怒声を上げた。


「大久保七郎右衛門(兄)も、次右衛門(弟)も、どいつもこいつも『強情じょうのこわき』な奴らめ! 恩知らずの情けない奴め!」


 あまりの剣幕に周囲の諸大名も肝を冷やしたが、俺は一歩も引かなかった。


「誰が何と言おうと、徳川の旗は立っていました!」


 結局、本多正純が俺の手を引いて部屋から連れ出した。側近の永井右近が「あいつはああいう性格なんです」となだめて、ようやくその場は収まった。


 後で、部下たちが「相国様にあんな口答えして、命を捨てる気ですか」と震えていた。俺はこう答えた。


「お前たちは分かっていない。相国様の機嫌を取るために『旗は逃げました』なんて言ってみろ。それは徳川ギルドの歴史に『最終決戦で旗が崩れた』という消えないバグを残すことになるんだ。


 三方ヶ原で一度崩れたのは仕方ない。だが、七十歳になった相国様の総仕上げの戦いで、旗が崩れたなんて、末代までの恥だ。


 俺が『立っていた』と言い張るのは、主君の名誉という名の『サーバーの信頼性』を守るためだ。俺一人の命でその名誉が守れるなら、安いもんじゃないか。」


 世間では「彦左衛門はもう切腹だ」と噂になり、俺も覚悟を決めて装束を整えた。そこへ小栗又一郎がやってきた。


「彦左衛門、二条城へ行くぞ。ここで逃げたら本当の終わりだ。腹を切らされるなら、堂々と主君の前で切ろうぜ」


 俺は「よくぞ言ってくれた!」と快諾。二人で二条城へ乗り込んだ。諸大名が「あいつ、死ぬ気で来やがった……」と引いている中、家康公がお出ましになり、俺をじっと見つめて……そのまま何も言わずに通り過ぎていった。


 結局、お咎めはなし。家康公も、心の底では俺が「徳川のブランド」を守ろうとした意図を理解していたんだろう。


 どうだ。「主君の機嫌」よりも「主君の名誉ログ」を優先する。これが、俺たち大久保一族が七代にわたって貫いてきた「譜代」の生き様だ。




【三河物語 作:大久保忠教 国民文庫刊行会 1912年】




又然る処に二三日過而水野日向守御目見へに参而有。小栗又一郎大久保彦左衛門も有つる処に御座の間より書院へならせ給ひけるに、日向守を御らんじて、今度は何としたるぞと御意被成ければ、日向守申上けるは、さればせんばの方より三百騎斗住吉之方へ参申たるが、其内より三十騎程天王寺の井に奉付而参申たるが、何方へ参りたるを不存候と申上られければ、其時御諚に、汝がしるべしと御諚なれども、人を指而の御諚なければ、おうけを申上る人もなければ、彦左衛門手を付而、うしろの方をみければ、汝が事なり汝がそこにいたればしりつらんと御意なれば、されば天王寺の土井の方よりもすぐ道の御座候ひつる。其よりにげ出申者がちやうす山の方より岡山の方へ参本道へ罷出申て、本道をくづれ申者と一つに罷成申而参申に付而、敵味方之見わけは不存と申上ければ、其は敵かと御意有りければ、敵のかほは見しり不申、ずいぶんの地行取衆が逃来り申つるが定而其中へも入而参申か不存候。其くづれ而参候衆が御鑓やりをもふみちらし申、馬之上にてかなぐり取而切折り申而もちて参候。それを見てやりかづき共が又きりをり申たるも御座候と申上ければ、御諚にさても〳〵腰抜めかな、やりの短きがよきと云事をばいつしりたるぞ。然ば其者共は何方へにげけるぞ。御前の方へ参申つるが、御前様より某などは御先に罷在つる儀に御座候へば前後は不存と申上ける時、其儀ならばやりはなきかと御たづね被成ければ、御鑓も御座候へども多分無御座と申上ける。相国様は三間柄より短きをば惣別にきらわせ給ふ事なれば、鑓をきり折り申たる者を腰ぬけと思召儀共なり。然る処に其明の日二条の御構ひの火たきの間にての事なるに、松平右衛門は御旗は見ぬと云。彦左衛門は御旗は立たるに何とてたゝざると仰候哉と云。いや我等共は見ずと云。又云、七本之御旗の立たるを何とて見給はぬ哉と云。また立たる御旗をたゝぬとはいわれ間敷と云ければ、其の時こゝに御入候各々は見給ふかと右衛門にいわれて、時の出頭におそるゝか、我も見ぬ〳〵と各々口を指上云ければ、さればこそ聞給へ、御旗は立ざるにきわまりたり、我等共も見ず各々も見ぬとの給ふに、御身一人斗立たるとの給ふはたゝざるが必定成と云。又云実に〳〵左様にも可有、頓て心得たりと云。何と心得給ふと云ければ、いはくべつの儀には有間敷、おそれながら各々の暗の夜程に御らんぜば、我は月の夜程に見申べし。月の夜程に御覧せば我等は昼程に見可申。よく〳〵存知候へば各々は其元へ御越候はで御越有と仰候物か、若其元へ御越候とも、七本之御旗を御らんぜずんばあわて給ふか。其儀ならば不可然と云ければ、重而之戦闘はなし。然間彦左衛門申は、其時御旗もおさまりて後具足をぬぎて、ぐそくかたびら斗にて其まゝせう田三太夫と二人参て、上様の御馬の立処、又は御旗の立所を見て返り申つるが、各々は御らんぜ候かと云へば、其時右衛門げにと見る所成を、何のふんべつもなくして見ざると云ければ、彦左衛門左様に見る所をさへ見給はで物をあらそひ給ふかと云。然る間各々有事をろんじて、後には彦左衛門をじやうこはき者と云。又然る処に二三日すぎて、御前にて御せんさく有而よく申ひらきたる人も有、又あしく申而退しさるも有。然る処に、やりに付きたる者参れと有ければ、又彦左衛門が罷出る。然る処に御せんさく過ぎて御座敷へいらせられ給ふとて彦左衛門を御覧じ付て被仰けるは、汝は鑓に付て来ると云かと御状なれば、かしこまつて御座候と申上ければ、御けしきかはりたまひて、彦左衛門手を付たる畳のへりをふませ給へば、よこ畳の事なれば二尺四五寸へだたりける其間を、御杖にてつかせ給ひて、汝は何とて我にはつかざるぞと御状の時、御鑓に相そへられ御旗本のしよ鑓まで若林和泉と某に仰被付候へば、千本に及申たるやりに御座候へば、御旗に付申たる御どうぐに御座候へば、御旗の有所に罷在由申上ければ、其儀ならば何としたるぞと御状の候時、御旗が大和が冬の陣場に立申間、御やりも其に罷有たりと申上ける時、そこに旗は立まじくぞと御状の時、いや其に立申たりと申時皆共見ざると云程に立間敷と御状なれば、彦左衛門申は、何と御状成とも御旗は立申たりと申せば、早御けしきかわりて御わき指をねぢまわさせられて、頭へ埃のかゝり申ほど御杖にて畳をつかせられて、我も見ざるほどに、莵角に立間敷と重々御状なれども、何と御状成共御旗は立申と強く申はりたれば、御状には、其儀ならば何としたるぞと御状之時、ちやうす山の方より崩れて来り申者が、御家中の旗、やり、又は御鑓共にふみくづして御旗斗立て罷在と申上ければ、然者何としたると御状の時、ちやうす山方より参たる者は御前の方へ参而、御前の方がくづれ申と申ける時、弓矢八幡今日の天道我が一代迯げたる事もなきを、あれめが我をにげたると云。大久保七郎右衛門がじやうこはきに、大久保次右衛門がこわきに、兄弟一のぢやうのこはきやつめなり相模をも我がたすけておきたる。あれめが情のこはき事を云と御意被成て、城内のひゞくほど御声のたかければ、各々何事にやと申て肝を消す。然る処に本多上野守参て彦左衛門が手をとりて罷立とてつれて出る。上様の御そばへ永井右近がまいりて、御道理にて御座候。総別ぢやうのこわき者にて御座候と申上ければ、御腹をいさせられ給ふ。然間彦左衛門召つかいが申ける、ゆわれざる御ことばを返給ふと云ければ、おのれらはしる間敷、何とて上様を迯げさせられたると、天道おそろしく申上申さん哉、上様は小栗忠左衛門と只二騎御馬に召而御座被成候。御へんには二十人ぐみ衆れき〳〵といたる。然共ずいぶんの衆はにげてこそ有らん、御前にはあらず、上様こそ御座被成けり。御内のれき〳〵はおふかたにげける間、申ぞこなひにはあらず。然共此さきの御たづねにはゆる〳〵御たづね被成候に付而御前の方へ参申つるが、御前とは程へだち申間、御前へ参申而からは不存と申上ければ、御機嫌もよく御座候つるが、今日はつめ寄てせり付〳〵被仰候間、某も事の外せき申故に、御前が崩たると申上たる儀は心の外の儀成。又御ことばを返し申儀はべつの儀にあらず、御旗奉行衆うろめきたると聞召けるや、それをにくしと思召て御旗がにげたると御状被成けるは、上様の御ちがい成。御旗にきずを付させられて、御はたがにげたると被仰所にはあらず。其に御腹を立せ給ひて、我が旗はにげたると御状被成候を、各々れき〳〵としたる御取立の衆中々にげ申たり。我等共も見不申と申上たる衆は日本一のひけと云。又は御しうさまの御事をおもわずして当座の御きげんとり申つるは、さて卑怯にはあらざるや、某は相国様迄御代御七代召つかわされ申御普代の者なれば、御旗にきずをば付申まじき。たとへにげ申たる御旗成ともにげ不申と申上而、其が御咎ならば頸はうたれ申共、御旗のにげたるとは何として可申上哉、各々は当座の御意にいり申とて、以来之御主のためをば不申、我等はとうざにくびは打れ申共、以来の御ためあしくは何としてかは可申、相国様度々之儀を被成申せ共、味方が原にて一度御旗のくづれ申寄外、あとさきにいくさにも御旗のくづれ申無㆑事。況や七十に成らせられて、おさめの御ほうどうの御旗がくづれては、何の世にはじをすゝぎ可被成哉、然時んば我等が命にかへても御旗のくづれざると申たるが、御普代の者の役なり。又いかに御取立成とも当座の御気にそむかざるやうにと思ひて、以来の御ためにかまはざる事こそ、御ふだいにあらざる人のやく成。我等御ことばを返し申而からかひ申たる故に、おさめの御ほうどうの御旗はくづれぬになる。其儀をかんがへずして、某を上様にからかい申たる我まま者と申人は、とても末世御主の御用には立事有間じき。御ことばを返し申故に、世間にては我等に腹を切せ可被成由を申と承候へば、其儀ならば我等唐高麗へ落行而、石のからうとに入たればとてものがるゝ事は有間じく、其儀ならば御前へ只今罷出て腹を切迄とて上下をきて出る処へ、小栗又一郎が来りてやどに有かと云。何として被出けるぞや。其儀成、御前へ出給へ。出はぐれたらば出る事成がたし。腹を御きらせあるならば切給へ。年寄衆して御意を得被申候事は御無用成。其に付て何かと被仰候はゞ後六ヶ敷可有、定業はさだまりたり、あしきことをして死したるにはましなり。御主の御ためを申而其があしき事に成ならば是非もなき事成、只今可被出同道可申とて、来りたると申ければ、よくこそ御出有たれ。只今我一人罷出て腹を切せ被成候はゞ可切と存て支度申たり。我腹を切ならば介錯には何時も御身寄外に頼可入人なければ、さいわいの所へ被出候者かな。腹を仰被付ば御かいしやくを頼入事、目出度も御出かな。いざや御ともせんとて二条の御城へ参りければ、彦左衛門が来りたると申而、各々興醒貌にて有ける所へ、上様御出被成而御覧ぜられて通らせ給へば、又一郎も心安とて同道して帰りける。然間からかい申たるよりも、被出間敷所を出たりと人々も申なり。然間卯の年は両上様ながら江戸駿河へ御帰国被成けり。

〜参考文献〜

三河物語(国民文庫刊行会 大正元年)- Wikisource

https://share.google/jJTiQMFkLIRfryR6a


〜舞台背景〜

 この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、単にWikiなどから貼り付けると元のルビが崩れて文章がグチャグチャになります。そのため原文の体裁は、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。

 せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の雰囲気を感じてもらえたらと思います。

 この「小説+原文併記」という形式は、たぶんなろうではあまり見ない試みだと思います。

 もし面白い試みだと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。

 逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければと思います。率直な感想として謹んで承ります。

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