3-10 神君伊賀越え――「徳」が命を救う
『三河物語』は、江戸時代初期の、旗本の大久保忠教による著作。戦国時代から江戸時代初期を知るための史料とされることもあるが、徳川史観による偏った記述により資料としての正確性は欠如している。出典:Wikipedia
よう、三河の「真実ログ」の番人、大久保彦左衛門だ。
武田家が滅亡し、天下は一時的に織田信長公の完全統治下に入った。信長公は国々の「設定」を行い、家康公には駿河を報酬として与え、富士山見物ツアーまでプロデュースしてくれた。
だがな、歴史のプログラムには、誰も予想しなかった「致命的なバグ」が書き込まれていたんだ。今日は、日本史上最大のシステムダウン、「本能寺の変」と、そこからの決死の脱出劇を語ってやろう。
天正10年(1582年)。家康公は安土へ御礼参りに行き、信長公の勧めで堺(大阪)での観光を楽しんでいた。その隙に、信長公によって抜擢された高レベルプレイヤー、明智日向守(光秀)が突如として反旗を翻した。明智軍は夜通し進軍し、本能寺を急襲。
信長公は最初「(息子の)信忠の反乱か?」と疑ったが、森蘭丸が「明智の謀叛です!」と報告すると、「さては明智の野郎、心がわりしたか」と悟り、最期のログアウトを覚悟した。蘭丸は獅子奮迅の働きで供をしたが、寺に火が放たれ、信長公は炎の中でロストしたんだ。
さらに、二条城にいた嫡男・信忠公(城之介)も、逃げることを拒んで徹底抗戦。小田九右衛門ら100人余りの精鋭と共に、火花を散らす激戦の末、全員がこの世を去った。織田家の「メインAdmin」が一夜にして消滅した、まさにサーバー大崩壊の瞬間だ。
この大ニュースを堺で聞いた家康公は、もはや京都へは行けないと判断し、最短ルートでの帰還――「伊賀越え」を選択した。
ここが面白いところなんだがな。以前、信長公が伊賀を「なで斬り」にした時、家康公は密かに伊賀の住人たちを匿い、三河で保護していたんだ。いわば「情けの徳」を積み上げていたわけだ。故郷を追われていた伊賀の連中は、「今こそ家康公の恩を返すべきだ!」と、命懸けで護衛を買って出た。
一方、家康公を疑って別行動をとった穴山 梅雪は、護衛が薄いところを野盗に襲われてロスト。「パーティーのリーダー(家康公)を信じて付いていくかどうか」が、生存の分かれ目になった。家康公は伊勢の白子から船で三河へ戻り、無事に岡崎サーバーへログインし直した。
管理者が消えた甲斐と信濃は、一瞬にして「無所属エリア」と化した。織田の代官・河尻与兵衛は、パニックになった一揆(地元勢力)に襲われて殺害されるという悲劇も起きた。この混乱を鎮めるため、家康公は即座にガチ勢を派遣した。大須賀五郎左衛門、岡部次郎右衛門、そして我らが兄貴・大久保七郎右衛門。
兄貴(七郎右衛門)が「婆口」という重要拠点を確保したと聞いて、五郎左衛門は「七郎右衛門がやってくれたならもう安心だ」と大きな溜息(ホッとした溜息)をついたという。さらに本田豊後や石川長門も合流し、一揆は瞬く間に沈静化。家康公の勢力は一気に信濃まで拡大していった。
ここで、以前家康公に降っていた依田右衛門信蕃が登場する。彼は二俣城の守備を兄貴(七郎右衛門)に任せていた縁で、「今は信長公がいなくなって危ない。俺を匿ってくれ」と兄貴を頼ってきた。兄貴はこれを家康公に報告。家康公は「今はまだ表沙汰にできないから、二俣城に隠しておけ」と命じた。兄貴はそこで一つ、家康公に「逆転の戦術」を提案した。
「殿。依田右衛門に彼の本領を与えて信濃へ送り込めば、彼を慕う譜代の者たちが必ず集まります。そこに、不祥事で謹慎中の柴田七九郎(康忠)を許してリーダーに据えれば、信濃の佐久郡は一瞬で俺たちの手に落ちますぜ。」
家康公は「その案、採用だ!」と即決。依田と柴田が信濃へ向かうと、かつての仲間たちが「夢かと思った!」と喜んで集まり、砦を死守。こうして徳川ギルドは、他家に先んじて信濃の重要エリアを確保することに成功したんだ。
どうだ。信長公が「力」で壊した伊賀の絆が、家康公の「徳」によって修復され、最悪の窮地を救った。
そして、兄貴(七郎右衛門)のような古参メンバーが、混乱の中で「かつての縁」を最大限に活かして、新たな領土を手に入れていく。
「管理者がいなくなっても、現場の信頼関係が繋がっていれば、ギルドは死なない」。
本能寺の変は悲劇だったが、家康公にとっては、これこそが「天下」という最終クエストに向けた、真のスタートラインだった。
【三河物語 作:大久保忠教 国民文庫刊行会 1912年】
さて信長は国のしおきを被成而、上野をば滝川伊予守に被下、かい之国をば河しり与兵衛に被下、駿河をば家康へつかわされて、富士一見と被仰而、女坂かしわ城をこゑさせ給ひ而、駿河へ御出有而、根方をとおらせ給ひ、遠江三河へ出させられて御帰国成。然間家康も今度之御礼と被成、あづちへ御座被成候。信長は家康と打つれ都ゑのぼらせ給ふ。信長之仰には、家康は堺へ御越有而、さかいをけんぶつ被成候へよと仰けるによつて、さかいへ御越被成ける。然処にあけち日向守は、信長之取立之者にて有けるが、丹波を給はりて有しが、にはかにぎやくしんをくわ立、丹波寄夜づめにして、本能寺へ押寄而、信長に御腹をさせ申。信長も出させ給ひ而、城之介がべつしんかと被仰ければ、森之お覧が申、あけちがべつしんと見へ申と申せば、さてはあけちめが心がわりかと被仰候処を、あけちがらうどうが参りて一鑓つき奉れば、其寄おくへ引入給ふ。お覧は突きて出而、ひるいなくはたらき而打死をして御供を申。早火をかけて信長はやけ死に給ふ。小田之九右衛門ふくずみをはじめとしてかけけるが、かけもあわせずしてかなわざれば、城之介殿へこもる。野村三十郎は、こもる事ならざれば追腹をきる。然処に信長に御腹をさせ申而、又城之介殿へ押寄ける。小田之九右衛門ふくづみをはじめとして、こゝわの者共百余こもりければ、城之介殿にては火花をちらしてたゝかいて、城之介殿をはじめまいらせ而、こと〴〵く打じにをしたり。小田之源五殿と山之内修理は狭をくぐる、其寄小田之有楽に成。家康は此由をさかいにて聞召ければ、早都へ御越はならせられ給はで、伊賀之国へかゝらせ給ひ而のかせられ給ふ。然処に信長伊賀之国をきりとらせ給ひて、なでぎりにして国々へ落ちちりたる者迄も、引寄々々御せいばいを被成ける時、三河へおち来りて、家康を奉頼たる者を一人も御せいばいなくして、御扶持被成ける間、国に打もらされて有者が忝奉存而、此時御恩をおくり申さではとて、送り奉る成。あな山梅雪は家康をうたがひ奉りて、御あとにさがりておはしましける間、物取共が打ころす。家康へ付奉りてのき給はゞ、何のさおいも有間敷に、付奉らせ給はざるこそ不運成。伊賀地を出させ給ひて、しろこ寄御舟に召而、大野へあがらせ給ふ由聞きて、各御むかひに参而岡崎へ供申。其より本田百助は河しり与兵衛と知音之事なれば、いそぎ参而其元に一揆もおこる物ならば、御かせい可被成と仰つかわされければ、河しりも忝なきと申せ共、百助は一揆をおこして我等を打可申とて来りたると思ひて、馳走して其後蚊帳をつりてふさせて、河しりは長刀をもつて来りてかや之つりてをきつておとして、其儘つきころしければ一揆共此由聞寄も、四方寄押寄而河しりをも打ころす。然処に大須賀五郎左衛門と、岡部の次郎右衛門、穴山内之者共を指つかわし給へば、あな山衆と岡部次郎右衛門は古府中へ付、大すか五郎左衛門は市河にいたり、然ども爰彼方一揆共にてしづまらざる所へ、大久保七郎右衛門 婆口へ付たる由を、五郎左衛門も聞而、さては七郎右衛門が付たるが、今は心安とて太息をつきける処に、石河長門本田豊後親子も付たると申ければ、大方一揆もしづまりけり。然間、大すか五郎左、大久保七郎右衛門、本田豊後親子、石河長門、岡部次郎右衛門、あな山衆、若見こ迄押出す。然る処に七郎右衛門方迄六河衆、おび、つがね衆かけよりて先懸けをする。然る間御出馬程近ければ、此五六手之衆はすわへ押寄ける。大久保七郎右衛門さいかくにて、すわをも引付けり。いなへは大草と、ちくを、是も七郎右衛門が御意を得而、本領を出し而引付けり。然間下ぢやうをも、七郎右衛門が引付けり。よだ右衛門は二俣之城を七郎右衛門に渡しける。其由緒をもつて、田中之城をも大久保七郎右衛門に渡さんと申而、七郎右衛門に渡して信濃へ行けるが、信濃もみだれて早其儀もならずして、両度之ちなみをもつて、七郎右衛門を頼而二俣へおちかくれ而来るを、七郎右衛門が此由を御意をうけければ、信長へ隠しておくべき由御意に候へば、二俣にかくしおく。七郎右衛門申上けるは、此時御用に罷可立候へば、よだ右衛門に本領を被下候へ而、指被越候はゞ普代之者共も不残罷可出候間、是寄も諸手寄も五騎十騎づつ相くわへられ、甲州先鋒を相そへられて、其故しばた七九郎を御勘気をかうむりて罷在儀に御座候へば、此度御赦され被成て、此者共の将に被成て指被越候はゞ、作之郡は相違なく御手に可入。其故よき小屋をもち申つるが、其小屋に普代の者共罷有由申と申上ければ、尤之儀成其儀ならば七九郎を相そへ、諸手よりも出合而、早々越候へと御意に候へば、若見こ寄指越ければ、即小屋へ入ければ、普代之者は夢之多地して悦て小屋をかたくもつ。
〜参考文献〜
三河物語(国民文庫刊行会 大正元年)- Wikisource
https://share.google/jJTiQMFkLIRfryR6a
〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、単にWikiなどから貼り付けると元のルビが崩れて文章がグチャグチャになります。そのため原文の体裁は、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の雰囲気を感じてもらえたらと思います。
この「小説+原文併記」という形式は、たぶんなろうではあまり見ない試みだと思います。
もし面白い試みだと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければと思います。率直な感想として謹んで承ります。




