08、世の中上手く出来ていないらしい。
「病気……?」
病気と云うのは。あの病気と云うのか?
ウイルスとか?風邪だとか……?いや……。
嫌な話になって来た。私は自ずと暗澹たる雰囲気を振りまいてしまう。
「病気と云う病気なのか?本当に?」
「君が想像する範囲内での病気と云うには、言い過ぎのようであるけれど……、これを病気という以外にそれを形容する仕方を知らない。ワタシの日本語パワーが不足しているせいだろう。何か適切な言葉があるならば、言ってください」
「いいや。特に問題は……。問題ないと思います。しっかり概要はつかめるけれど……」
ええ。見た目の意に反して彼女はとても日本語が上手である。もし、目を塞がれてどっちが彼女かを当てるゲームがあったなら、おそらく外すだろうね。
だからこそである。
その完璧さに無理に粗を探せば、逆に言い負かされるのも時間の問題である。
今は甘んじて、その状況を不服だが、一旦受け入れようか。
混乱している。そして、無理に否定することもない。病気であって病気でないと言うのだから。
「その病気は何なんでしょう?」
まず誰だって帰結する他愛もない疑問を抱いた。
「いきなり本題を話す。英語圏の人々は結論を先に訊きたがるというものだ。君は英語のような訊き方をするようだ」
「で、なんですか」
「退廃的快楽主義症候群……。だろうか」
「なんですか?それは」
そんな病気は全く聞いたことがない。古今東西巡って行ったとしてもおそらく聞くことはない病名だ。
「う……ん。形容しがたい。それは本当にリテラリーだから。そして、君自身良く知っている筈だ」
困ったような顔をした。そんな状態でその病名を付けてもいいのか?
いや、数ある一つの私は患者なのだ。医者の言うことは絶対的。
「どうして、そんな風に言えるのですか?」
理由は訊くべきなのだ。
どうして、病気と云う結論に至ったのか。これを訊かなければ、納得も何もない。ただ単に押し付けられた称号を名乗るには不服過ぎるのだ。
「まあ。まあ。焦る必要もない。それは直しても直さなくても特に必要のない病気でもある」
「必要ない……?」
完治に必要のない病気は果たして病気なのだろうかという疑問がポコポコと泡沫のように消えては生まれた。
「色々簡単なことである。そういう例が以前にも確認できると云うことだ」
「例?」
「ああ。直す必要のない例はあるのだよ」
「なんですか。それは」
「特段勿体ぶっていう必要性も皆無だ。ああ、あれだ。所謂軽度の精神病ってやつだろう」とその医者の彼女はさらりと流す様に言った。
注意深く聞かなければ、なにも聞いていない私には見逃してしまうような言葉であった。
けれど、それでもだ。それでも衝撃が強すぎた。
「あ、え……」
喉の奥がつっかえて空気しか出なかった。
何を言われたとしても私は反発を捲し立ててやるつもりだった。
けれど、私はピクリとも体が動かなくなった。そ、それは……。違う。違うのだ。それ以外の言葉が出ない。不意に耳に流れ込んできたその言葉に腸が侵食され、全身全霊で体躯が拒むのを感じた。
なんだこの感覚は。思ったこともない感情。
恐怖……に近く、それ自体ではない。なんて表現していいのかも分からない。
今は只、何も口にはしたくなかった。
虚ろにどこかを眺めるだけだった。
こうやって彼女はべらべらと意味の分からぬことを話した後、「どうしたんですか?」とこちらに話を振る申し訳程度にそんな気を遣った。
「所謂私が精神病で尚且つ可笑しいと……」と憚られる言葉を発するものの「まあ。そうですね」と適当な答えが返って来た。
「だがら……そのいいや。何も……。ない……」
私は声にならない声を無理に声にして、気遣いを無下にした。
なぜか訊く気にならなかった。訊いてしまったなら、もうそれは引き返せないのではないかと勘繰ってしまったからだ。
「ふ~ん」
彼女はぼおっと眺めていた。
「そうして濁したとしてもワタシは医者なのだ。言いたいことも分かる。しかし、敢えて読むような事はしない」
偉そうに割かしはっきりと言葉にした。
何を根拠にこの人は言うのだ?私を見透かすようなそんな感覚。壁がない感覚。プライバシーというプライバシーの無意味さが、そしてこんな思考も盗聴されているのではないかと無駄に考えてしまう。
これでは何も考えることもできない。
「大丈夫だ。そんなに考えなくてもいい。気楽に聴いて欲しい」とこんな感覚をも見通されている。
余計狼狽えてしまうが、「ははは」と適当な笑みで踏み止まって取り繕う。
「別に君に気を遣ったとて、それは究極的に君のためにはならないから」
「私のため?」
全然そんな感じではない。
私を救済する医者に託けて、酷いことを言っているのではないかと思ってしまう。
「そうだ。君のため。君はワタシの話を聞いていないそんな人だけれども、しかし、遂に具体的に話している今、これを信じ始めていることだろうか」
「いや……」と反駁を申し立てようとしたところ、彼女は「そろそろ講義が始まる。準備をしなければならない。申し立てはまた病院にでも来た時に受け付けようか。メーデーとでも受け付けの人に行ってくれ。すぐにでも通してくれるだろう」と去って行った。言いたいだけ言って逃げたとも感じ取れる。
なんて自分勝手なんだ。私の論を少しばかりでも訊いてもいいではないか…………。
いや……。そういうこともおそらくあるのだろう。
私は無理矢理納得した。
それでも心に蟠りが残ったことはある。あの「信じ始めている」と云う文句は勃如とするほかないだろう。態度に出ていたかもしれない。
はあ。それにしてもどっと疲れた。私は講義が終わってさらに向かいの病院に行くような快活な体力は持ち合わせていなかった。
こんな悪い気分にさせてくれたのだ。病院で治療を施していただきたいのだが、残念ながらあれは医者らしい。
世の中上手く出来ていないらしい。
***
閑話休題。
突然だが、私は国語と言うものが嫌いだ。
こんなことを声を大にして言うと日本人たるもの国語ぐらい出来なくては恥である。こんな堅物の意見も当然見受けられるだろうけど、そういう問題ではない。国語が出来ないのは日本語能力がないという極端な問題を出してくる。そういう問題にするのが嫌いなのだけれど、論にしたいのはもっと表面的だ。
言い直そう、国語の問題が嫌いなんだ。
別によくある『登場人物の心情を何文字以内に答えよ』みたいな問題が嫌いではない。そんな問題は適当にそれっぽい文章で取り繕えば、及第点は取れる。端から満点なんて目指さなくてもいい問題。所謂キラー問題と言う奴で、基本問題も取れない人に取っては歯牙にもかけない問題である。
私が嫌いな点は、国語の問題ってあんな何千文字もあるのに一つも諧謔心を擽られる文章をよこしてこないだとか、そういうものである。興味のない文章は文字は読めても読めない。興味のあるなしで私の国語の点数は大幅に上振れたり、下ぶれたりする。まず、読む気にさせないその姿勢は如何とも遺憾ともする。その上態と晦渋とした文章をしていんだ。
こんな伝わらない文章は文章ではない。晦渋とか何人が分かるのか?まあ、それでも面白ければ許せる。しかし、許せない。一つも面白くないのだ。国語で出題された文章で涙を流した人は一人だって居ないだろう。だから、そういうつまらない文章は自然淘汰されるべきだ。国語の問題があるから、こんなクソみたいな文章が辛うじて生き残っているのだ。これは言い過ぎか。論理の飛躍である。
クソみたいな文章はもう何をしなくとも恒常的に無駄に量産されていると言うのに……国語の問題にしてしまったのは良くない。
しかし、許せないのは、どれほどクソみたいな文章にもそれに一つも解釈を加えることも容赦はされないことだ。
皆様の個性を伸ばす教育を掲げていらっしゃる国家の重鎮がいるのだろうけど、それの質の悪いことに文部なんちゃら省と言うらしいのだけれど、その省庁が監督されるのも結局問題に落とし込む際には、型に嵌った答案しか提出は許容されないのだ。と、言うか最近の大学入試の国語の問題はマーク式が多いから用意されたものから選ぶだけだ。強制的に型に押し込もうとさえ思えてくる。これは何十字以内に適当に珍回答を提出することも、その白枠の中の自由さえ奪われてしまった。
国語はただただ、日本語の単語の類義語をどれほど知っているかと言う知識マウントだけに使われている問題と化してしまったのだ。それは殆ど間違い探しをして、同じような文章を探しているだけだ。
これが国語が面白い以前に、これでは何の能力が図られるのだ?と、ここに疑問を呈してしまうのだ。
これでは賢明に問題を解くことすらも気が散ってできないではないか。
だからこそ、これを先生に言って見た。面と向かって言って見たのだが、私をしょうがない奴を見る哀れな目をして、「こういうものでしょう」と言った。
大層分かりやすく、誇張するように、一息吐いた。
教師と言うのは私と同じような疑問と呈する同志を飽きるほど見て来たのだろう。あしらうように流しただけだった。
もっと、もっと詰問して見るのだが、私の根性が折れる頃まで、あしらわれただけだった。
最後にため息一つを吐いて、教務室から追い出されてしまったのだった。
さぞかし奇怪なことだ。こんな事なら文部なんちゃら省に控訴を実行しようかと検討したけれど、数秒したらどうでも良くなった。
こんな茶番を繰り広げている私を傍観者は文句を垂れるのだから、さぞかし、国語の点数は低空飛行を……と想像されるだろうけど、その逆だった。
学年一位。全国は片手で数えられる程度だろうか。周りから見れば得意な部類だった。
さて、私はここに来て、立ち止まって再度質問したいことがある。
では一体全体国語は何の能力を図られているんだ?




