07、私は君に逢いたかったと思っていた。なるほど渡りに船だ。
一夜ばかり明けた。
昨日は特になかった。今日も特にないだろうと私は思う。今までもそうだったし、これからもそうだろう。
私はがみがみと何かを喋り捲し立てている母親の隣をすり抜けて、ぼろ臭い靴を履いた。
「行かないから」とただ一言申して、勢い良く扉を閉めた。
仕方なしに学校に行く。いや、行こうかな?行かないという選択肢もあることを忘れていた。
別にそれを選んでもいいのだ。
ぼおと空を眺めながら、一線の飛行機雲を眼でなぞる。これが阿弥陀くじになっていたなら楽だったろうに。
「はあ」とため息が雲にでもならないかなと思った。
「いや、タバコでも吸えばなるのかもしれない。これは天才だろうか。実際買ってみるのもいいかもしれない」
あはは。世紀の大発明をした気分になった。心地よい気分であるのには変わらなかった。けれど、それを壊して来そうな気配を取った。微弱な気配だった。
「ねえ。誰です?」と威嚇をしながら、翻った。
「ひいっっ」
私が急に顔を合わせてくるものだから、途轍もない速さで頭を手を押さえて弱弱しく防御した。殴れば死にそう。
「ああ。彼女じゃないか。彼女」
「ち、違い……。ます……。川本稔です……」
「ああ。そう。その彼女は何ですか?」
「い、いや……。ちょっと……見かけたので……。一緒に登校したいかなああ」と笑った。全く上手くない笑い。慣れていない人の笑いだった。
「えっと。意味ある?」と冷たく言い放った。
家を出る前のこともあって私はこんな素っ気ない態度を取った。今から変えたいとは思わなかった。
こんな精神の持ちようだったので、弱い精神を持つ彼女は「あああ……ん……」と狼狽えた。綺麗な花がしぼんでいったようだ。しぼんだ花にどうしてやることもできない。
除草剤を撒くことしかできない。今日は気分が悪いので、無視をした。
構ってられないとさっさと早歩きで逃げるように去った。
今日も信号機は赤だった。
あれ?ここのところ最高に運がいいのではないか?私の好きな色がこうして公共物に現れているのはとても気分がいいことなのだ。
けれど、時と場合が違う。今はその信号機の機能的には最悪だった。
「あ、あの……。どうして…」
ぐいっと。袖口を掴まれる。
「お、お前。ど、どうして」
「べ、べべ、別に……あの……。普通に…来ただけです」
「へえ」
ああ。めんどくさい人だ。
「あの。逃げ、るのですか……」
「い、いや。別に避けている訳ではない。今日学校へ行くかどうかすらも悩んでいるから、一緒に歩くと、なあなあで行く羽目になってしまうだろうと、そう言うことだ。そう言うことで」
私は惹かれていた手を振り払って手を振った。
振り払ったはずだ。また同じ所から引力を感じる。
「なんですか?」ともう家に出た頃にあった怒りとは違う更新された。純粋に目の前に居るこいつにムカついた。
また引っ張ってやがる。
もう決めた今日は学校なぞに行くものかっ。こう考えると、全てがどうでも良くなった。
もう会わないのなら優しくしてやろうという気概になるくらいにはどうでも良くなっていた。
「いや……。あの……。別に……」
「別に……?何だ?」
私はぼうっと見つめる。見つめて、見つめて、彼女の回答を待つ。
「ご、ご、めんなさあああい」と彼女は全速力で逃げて行った。およそそんな口下手の人が出す俊足さではなかった。
あ、あれ……。優しくしたつもりなのに……。
「上手く行かないものだ」
ぼそりと陰口を叩くように吐き捨てた。
まあ。どうせ学校には行かないことにしたのだ。そのように決めたらそれに従って遂行するのが好ましい。
09
学校には行かないことにしたを少しばかり訂正させて欲しい。
彼女のせいで、私が学校に行かなかったのは何とも癪であった。しかし、行かないことを宣言してしまった。
なら、どうすればいいのか。私が足りない頭で考え倦んだ結果。
高校には行かないことにした。
大学には行くことにしたのだ。
私の姉であるセラが通っている病院近くのあの大学である。いや、逆か。大学の敷地内に病院があるのである。大学付属病院という形で。そういうわけで馴染みの深い大学である。
私はその大学の講義に出席することにした。これで公欠を貰える上に学校に出席する方法である。必然的にそこが私の志望校になってしまうという問題があるのだが、まあそこは今は考える問題でない。
とは言っても別にモグリじゃないよ。ちゃんと公開講座。なんか分からないけれど、運よく今日やっていた。
はは。世界は私中心に回っているらしいね。
「えっと、ここの教室だったかな」
事前に配られた地図が書いた紙を持ちながら声に出して、間違っているなら誰かが声を掛けてくれるだろうという浅はかな算段だった。
「間違っていません」と誰かかが徐に声を掛けてきた。
今日は人と話したくなかった日なのだけれど、私は仕方がなしに振り返った。
「よっ」と金髪の彼女がダサいセンスの欠片もない挨拶をするものだから、私は対抗して「ぬっ」と言ってジョジョ立ちでもしておいた。断然こっちの方がカッコいい。
で、この人誰だっけ?
「どうしたんだ?」
「いいや。別に何でもないです。ただ公開講義を……」
「ああ。その講義か。私が受け持つことになっているのだが」
「へえ」とジロジロと観察をするように素人気質で職人気質みたいなことをし初めた。
ああ。そうだ。この人が公開講義なら、紙に書いてあるだろうと、私はさっき配られた紙を開く。
えっと……。どこに書いてあるんだ?
「一番最初に書いてある」と彼女は教えてくれた。
メーデー・ユイラグテン。ああ。確かそんな名前。
「名誉教授なんてしていたんですね」
「ええそうだ。意外だろう?研究ばかりしていては浮世離れしてしまうから、時たま顔を出そうと心がけている。まあそんなときに偶然と……だな」
「ええ。凄い偶然もあるものですね」
「ああ。偶然だ」
彼女は偶然という言葉を強調した。それはもう不自然なほどだった。私を見つめる目は出逢った頃と変わっていない。
ターゲットにされている気分だった。
そんな感覚だから、早く離れたいと、そそくさと逃げ出す様にした。
「偶然と言えばなんだが、私は君に逢いたかったと思っていた。なるほど渡りに船だ」と糸目で射止められた。
「どういうことですか?」
「それはそのままの意味ですよ」と彼女は疑問を呈している私が可笑しいのではないかと思わせるほどの態度を取った。
偶然と強調するのに、会いたかったのはまるでこれが本当に言いたいことなのだろう。
心なしか手を触ってくるほどには距離感も近いようだった。急にそんな感じで来られても困る。
私には全くもって用事など無い。
「私は別にそんなことないですけれど」と熱い言葉に冷たい言葉をぶつけて中和を図った。
「まあ。それでもいい。けれど、あれだ。ワタシが伝えたいことがある」
「そんなことあるんですか?」
「昨日言っていた悩みはある程度解決したと言えます」
悩み?その悩みが解決する?全く良く分からなかった。
私の悩みは一日そこらで解決してしまう代物なのかと考えれば、やるせない気持ちが湧いてくるものだ。
「そうですか。でも、そろそろ始まるらしいから早く済ませて欲しいかもしれない」
「ああ。そう。では……簡潔に……」と言いかけて口を噤む。
「どうしたんですか?」
「いや、何でもない」と手を仰いだ……何かを消す様にみえたけれど、そんな仕草をした後、何の覚悟を決めたか分からないけれど、口を開いた。
何故か開かれた口の中は暗黒だった。不自然と体が硬直するのが分かった。
「簡潔に……君は只の病気だ」




