05、君は間違っているし、君は正しい。
ぴたりと、今回は看護婦さんとかごちゃちごちゃと考えることもなく自然に閉めた。
はあ。なんか疲れた。
理解できない言語を聞かされているようだ。それでは疲れる。もう面倒になって、私は扉を前にして腰を抜かして、ぺたんと床に尻を付けて扉に凭れ掛かった。
「ふあああ……」とこんな間抜けな声を上げたら、ちょっとは気分が良くなった。
こう考えているものの別に姉のことはどちらかと言うと好印象には思っている。やっぱり意思疎通が出来るとは一言も言っていない。
今日も今日とて意味のあるのかないのか分からない話だった。
以前来たときは何だっけ「一面だけしか見えない絵画で、人間を描くのは困難でしょうね」でしたっけ、意味、分からないでしょう?
今回は「並んだドミノは成立している。マキナさんは最も小さな影響力もない小さなドミノに過ぎない」か……。
わ、分からないが……。分かろうともしてないのかもしれない。
「ははは。心臓に悪いですね」
「何が心臓わるいんだ?」と私の悟ったような顔を急に美形な顔が覗かせた。
ドキリと心臓が跳躍した。驚嘆のあまり、みっともない声を出して私は後ろの扉に頭を思いっきりぶつけた。
そのせいで背中の辺りがぐわんぐわんと揺れた。
「い、いたあい……」
「だ、大丈夫か?」
「だ、大丈夫です……」
「本当か?私はここの医者である。病院で、ただでさえ医者の前で怪我をされればブリティッシュジョークの再現だ」
「ははは……。それは確かに嫌ですね……」
これもこれで冗句じゃないか。とツッコミを入れたことで、我に返った。我に返ってこの眼前にいる人は、先ほどエレベーターに乗り合わせた人だと気が付いた。
金髪の外国人。確か二度と会わないと言ったはずなので凄い恥ずかしい。穴があったら入りたい気分だった。
だからこそ、私は目線を逸らせば、行きつくのは胸部だった。別に変態でないよ?
ああ。そ、そういえばあの時は無念だった名札を確認しようと、目線を胸部にやったのだ。
「メイデイ=ユイルゲテン?」
「ワタシ?Mayday=Yuilugeten……。カタカナに直すならメーデー=ユイラグテンになるだろう」
「ああー。そ、そうなんですか」
「まあ。見ての通り外国人だ。英国人である。メーデーとでも呼んで欲しい」
「はい」
「ところで、心臓に悪いだとか言っていたが、これも病院で言うことではないだろう。一体全体何があったのか?」
医者になにかあったと言われれば、何かあった気がする。
「ああ。別に何もないですよ」
結局心当たりもなく、めんどくさい人に絡まれたと感じて、私は愛想笑いなんて似合わないことをする。
先生なんていう立場は私は軽んじてしまうけれど、政治家とか、姉とか、ましてや医者だとか、そんな人らの言うことに逆らいたいとは思わない。私は飄々とする性格に反して、最低限の安定は求めている訳である。自分で自分の健康は分からないからそういう人の意見を素直に受け入れてしまうのだ。
だから、死ぬほど下手でも愛想笑いをしてしまっても可笑しくない。それでも慣れていないから彼女にクスリと破顔する程度には可笑しかったのだろう。
「はは。ワタシはカウンセラーの免許もあるのだ。話すくらいならいいだろう。時間が減るだけだ」
時間が減るだけなんて言われれば、言う気も起きないだろう。メンタル減ルスだ。
「珈琲でも買ってあげるから」と渋っている私にそういうことを言ったので、有無も言わず「行きます」と手を挙げた。
エレベーターとは完全に真逆の方向に歩を進めると広めのスペースがある。
ここには数台ほど自販機が鎮座しているのだ。
病院の自販機ってなんかバリエーション偏っていないか?と思う。もしくはサービスエリアの自販機とかも例に挙げる。
大体バリエーションはコーラ、お茶、珈琲、水以上みたいなラインナップだ。
ここで一番選びそうにないものは……。
「じゃあ。水で」
「水?水で良いのか?」とちょっと困惑する。
「ええ」
「じゃあ」と言って彼女は千円札を押し込んで、天然水を買った。
「どうぞ」
「ああ。有難うございます」と一言言って、飲んだ。
「う…ん。あんまり美味くないですね」
「え…へえ……」となんか動揺した。動揺して彼女は「あっ」と言って自販機のボタンを押した。
ガタンと落ちて来たのはエナジードリンクだった。
「あ……」と一応拾ったけれど、立ち尽くした。苦い顔をする。嫌いなのかな?
「要る?」
「要ります」
私は受け取って缶を開けた。飲んだ。
「ああ。水飲んでいたのに開けちゃった」
「ワタシが飲みます。失敗してしまったので」と言って私の水を受け取って、ちょっと飲んだ。
間接キスじゃあん。うわああ。
「ん?何かあったか?」
こんなことを言われるまで、私はジロジロと見つめ続けていた。言われたら当然目を逸らした。
「まあ。良いだろう。そこの椅子に座ってください」
丁度イオンモールのフードコートにあるテーブルと椅子がある。促された通りに座った。
こんなところでカウンセリングが始まるらしい。病院だからもっとそういう専用の部屋があるかと思っていた。これではただの談笑にしかならないではないかと懐疑的な目で彼女を見つめた。
彼女は、カルテか何かを取り出して、ボールペンを何回もノックした。カチャカチャと不快な音を奏でる。
「どうだ。何か言いたいことはあるか?」ととても漠然と訊いてきた。そんなの分かるわけない
。
「う……ん……。別に……」
「別にか……。嘘だろう。何かあるだろう?」
「あるって言われても急には思いつかないですよ」
自由欄にお絵描きする人ですよ?
「では、少し訊き方を変える。学校だとか、友達とか、家族とか……。何でも気になることがあるのなら言って欲しい」
結構乗り出して訊いてくる。
ここで再度、「ない」と言えば別のアプローチをされそうである。
まさに尋問。君には何かあるのだろう。と、見透かしているから言いなさいと、脅される未来が見える。
そんな人の目だ。これを良く知っている。姉と同じ目をしている。
観念して何か言うべきだろうな。だからと言って気になることはあるのだ。
話題にも上がった我が姉の言うことを翻訳してくれと言いたいところだけれど……。意味の分からないお願いだろうことは流石の私でも想像に至るので、少し変えて言う。
「ああ。そうだ。今日急に全く接点も設定もなさそうなクラスメイトに話しかけられまして、どういう意味だと思いますか?」
えっと……。名前が思い出せないそのクラスメイトのことは姉には助言を貰ったものの、よく意図は伝わらなかった。意図は伝わらなくとも、通じ合ったものはある……。御託はいい。理解できなかったは仕方がないのだ。それあってか私は別の明白な意見も訊いてみたいとも思っていた所だ。丁度いいとそう思って訊いたまでだ。他意はない。別に意見も出さなくてもいい。
彼女は私の言葉を耳にするや否や「へえ。良い質問だと思う……」と意味ありげにクスリと悪切れもない笑みを浮かべた。
どうでもいいと期待をしていない私とは対照的である。
むしろ、楽しそうで、姉とも違った何とも言えない悪人の口角の上がり方だと思った。だから、身の毛もよだつ感覚を覚えた。自ずと腕を組んで訝しんだ目をしてしまう。
「だが、もう少し詳細を尋ねようか」と言うもので、姉に話したことを順序立ても一つ違わずそっくりそのまま同じことを話した。
「ははは。ふ~ん」
「なんですか?」
「いいや。筆が走るようで、貴方のエピソードは面白い」
話していた間、終始ペンを動かしていた。文字は全く読めやしない。ロシア人医者の文字かよ。
「面白がる小噺をしたつもりではないのですけれど」
「まあ。こういうこと訊くのも仕事の唯一の愉しみともしているのだ」
私に顔を近づける。その不愉快な顔を。
「だからもっと訊かせて欲しい」と。
もっと……?特にないのだが。メインのものは話終わってしまったのだし……。
「ああ。じゃあ。私の友達……?と云うにはまだ何も定義されていない関係値の人間がいるんですけれど、その人に死ぬなよって言われました」
「死ぬなよ?」
「経緯も文脈もなく最後に適当にそれを投げかけて来たのですよ」
「へえ。その友達は君に結構な割合で似ているのかもしれない」
「どういうことですか」
「そのままの意味ですよ」
そのままの意味って解釈をこちらに全投げでは何も分からない。
一応考えて見たものの特にこれと言ったことはない。
「もっと話はないかね。重要そうな」と厚顔無恥もここまでくると呆れる態度だった。
説明もなしに、自分の思うことをつらつらと並び立てるのが頭のいい人たちの共通点なのか?
「いいや……。もう特にないですよ。落語家でも女優でも記者でもないんですよ?そこまで一日に面白みを持って過ごしていません」
「ああ。確かに。そうだな。私も研究ばかりしていたら時折刺激が欲しくなる。ああ。意外と研究と言うのは単調である」
「そうなんですか?」
「研究は長期戦なのだよ。基礎研究は特にそうなのだけれど……」と語りだしそうで寸前で「脱線しました」と彼女は言った。
「話を戻して、君の話を総合して一つ質問をする」
ペンを書き終えて、私の目を見つめる。妙な緊張感が生まれた。
「あれは正しいとも思ったのか?」
打って変わって真剣な面持ちでこんなことを呟いた。正しい?日常に正しさも何もない。ただ普通があるだけだ。何を間違いとして、正しいなのか?などと云う質問がそもそも論として良く分からない問いだ。
私は、こんな当たり前のことを訊かれて、やや口が開かなかったが、「どうもないでしょう」と断定した。
「そうなんですか?ワタシは違うように見える」
「?」
これはかなりの推断ではないだろうか。私にとっては何も間違っていないのに……。
「君は間違っているし、君は正しい」
「どっちなんですか?」
「どっちでもない」
「そんな答えが導き出されるなら忠告を得ることこそが間違いで、根本的に問題が間違っているっていうことになりませんか?」
目の前の彼女はこくりと小さく頷いた。
「ええ。そうです。それが最も貴方が気づくべきことだ」
「はあ。どこが間違っているんですか?」
「それは自分で考えるべきだ」と彼女の息が当たるゼロ距離で無責任に突き放した。
近付いたのは変わらないから不覚にもドキドキしてしまった。
忠告をくれる訳ではないのか?忠告を訊くために話したのに骨折り損のくたびれ儲けと云うことじゃないか。
私は期待感のせいで、随分と落胆した。
「まあ。いいや。もう少し小噺が訊きたいのだ」
カチッとボールペンをノックした。
聞く体制は完璧らしい。私とは違って、輝かせた目を見せた。それはとても勢いの強く、圧が強い。顔を近づけてくる。これだから医者というものは好奇心が強くて困る。
まるでいいモルモットを見つけたと言わんばかりのその眼光は身の毛もよだつ感覚があった。
仕方がなし。どうせなにもすることがない。
話すぐらいは良いだろう。




