04、並んだドミノは成立している。
学校から地下鉄に乗って、すぐのところに来た。駅から出るとすぐ大学の敷地内と言うことらしい。広すぎてどこからどこか分からない。そんなのだから市内でも随一の大病院であり、相当数の患者が収容されている。
私が別に精神異常者だからという訳での一つの過程という訳ではない。
クラスの女子どもの情報を当てにして、そう定義するのは良くない。医者にだって見て貰ってないのだから何とも言えないのである。
まあまあこんなつまらない話が置いといて、私が、この病院に来た目的と言うのは姉がここに入院しているからである。
実は私には姉がいたのである。意外だろう?よく言われる。こんなはっちゃけた子が一人っ子でない筈がないとね。あれ?言われなかったかな。どうでもいいや。
その姉はここの大学に在籍しているがまあ。一回たりとも通っていない可哀想な人だ。同情は要らないだろう。
それ以上にあの姉は変な人だ。
「身分証をご提示お願い致します」
「顔パスってないんですか?」
「私は知っていますけれど、規定ですので」
「めんどうですね」と私は看護婦さんに向けて毒づいた。
「私もそうだと思いますよ。病院もオートメーション化を推奨すべきですね」と看護婦さんは毒づいた返事を返して来た。病院のカウンターでそんな不敵な表情を浮かべるのも何かに抵触しそうな気もするが、この顔も見慣れたものである。
しかし、私はこの人の名前を憶えていない。いつも呼ぶときは胸元にある名札を見るんだ。どうにも人の名前を覚えるのが苦手らしい。だから、彼女だとか、先生だとか看護婦さんとか言って濁すんだ。
まあいい。自分がこんな人間など知れている。
看護婦さんも名前を憶えて欲しいとは頼んでいないだろう。
「はい。承認が完了致しました」
「ありがとうございます」
「号数は409号室です」
「分かっています」
「これも形式的です」
「ああ。そう」とちょっと癪に障ったので、そそくさと歓談するわけではなく、去った。本来これが普通であり、別に違和感がない形になった。違和感がないなら、怒った価値もあると言うものだ。ちょっと気分が良くなった気がする。気がするだけだが。
若干気分の乗ったステップで、私はエレベーターに乗り込んだ。そのまま、ボタンを押す。扉が閉まる。
「おー。ちょっと。ちょっと。待って」
急に誰かの手刀がやや両門、十センチメートルの隙間から覗かせた。
これにより、エレベーターの安全装置が作動し、再度、人を受け入れる体制となった。
「は、はい?」ときょとんとした目をするのは必然だった。
「いやあ。間に合った。間に合った。すみませんね」と謝罪をし、一人の女性が入って来た。
彼女は入って来るなり、ボタンを見るが、何も押さなかった。
同じ階らしい。
まあこのように、私はその人に見惚れてしまう。特に髪の毛だった。ここは日本で、似つかわしくない綺麗な金髪であって、碧眼だった。はっきり言って外国人だった。
だが、見るまでは外国人とわからないほど、一言だけ言った日本語は流暢だった。
本当に外国人か?と思って私は見回した。ああ。この人はここの関係者なのか。名札があった。名前は……。
と、確認しようとすると、チーンと鳴った。着いたのだ。
エレベーターの扉が開くや否や、その金髪碧眼の外国人はそそくさと撤退していった。
私が行く方向と逆である。
ああ。名札って、胸部にあるから、胸の価値でも見定めているのだと勘違いしたのかい?それなら大いに不幸なのだが…。
まあ二度と会わない人にどうこう気にするものではない。早く姉のもとへ行こう。
409号室はエレベーターから真横だった。
確かに書いてある。姉の名前であるセラと。
何故かここに立つと緊張する。私の浅はかなる忌々しい心が全てだ。しかし、礼儀は忘れない。躊躇いながらも二回ほどコンコンとノックをする。
別に、返事を待つこともない。
がらりと開けた。
さあああっと私の隣を風が吹き抜けていった。見るに窓が開いていた。
私が扉を開けることで対角となり、理想的な換気となった。そのまま扉を開けておこうと思ったけれど、もし看護婦さんが這入って来たときに訊かれたら説明は出来ない。
なので、ねじれることもなく、扉を閉めた。閉めたと同時にベットに腰かけている私と同じような人がいるのに目が行く。同じようなとは言ったが、双子ではなく、オーラというか雰囲気が似ていると云ったものだ。
その人は何かしらのノートを広げ、参考書を広げ、勉学に励んでいた。
「何の勉強をしているんですか?」
「ふふふっ。魔法ですかね」
「魔法?」
そんな突拍子のないことを言うものだから気になってノートを見る。日本語ではあるけれど筋の通らない日本語、参考書ではなくなんだかの本。アルファベットでペリー・インデックスナンバー210と示されていた。
余計意味が分からなかった。
一つも分からないから、彼女の顔に向かって分からないと正直な顔を晒した。
そんな私を見て、話を変えるように、「そういえば久しぶりですね。どうですか?マキナさん。貴方の目にはどう映っていますか?」と私の目なんて見ずに、窓の外を眺めながら私の姉は問うた。
「久しぶりってって数日ですよ?でもまあただ、元気そうで何よりって思いますよ?」
「そうですか」
クルリと私の方に翻り、「歪んでいるようですね」と冷徹な微笑を浮かべた。
その評価は妥当だろうと思った。今更、経管栄養法を取られている患者に元気そうなど、そういえばそうで、失礼だなと思った。思っただけだった。
正直案外何とも思わないらしい。
私はぽきりと首を鳴らした。
「ははっ。マキナさん。冗句ですよ。この窓の外の曇天を見て、どう思うか訊きたかっただけなのです」
くすすと婀娜っぽく微笑んだ。今まさにこれが私の視界を歪ませたのではないか。ここで質問をすべきだったろうに。
「曇天?快晴ですけれども」
この質問の意図は分からなかった。てらてらと照り付ける。気象庁が猛暑日と名付けるくらいには太陽の本領が発揮されている日だった。
「そうです。曇っているのです」
「肯定したのに否定したのはどういうこと?」
やっぱり分からない。分からなくてもどうでも良いことだろうけれど。
「否定ということです」
「ん?」
首を傾げた。
これが失礼と思う以前に話が付いて行けなかった。話を止めたい。
「なんですか?そんなにぼおっと突っ立て私が何か奇々怪々に映るんでしょうか?」と姉は見透かすように言った。
「それはそうです」と取り繕う必要性もない。
「まあ。良くないですね。長々と言うとこの空を見てどう思いますか、と」
ちぐはぐな言い草でも一応話を戻そうとした。
私は開いている窓の外を見て、どういう風な感情を思うのか。とてもじゃないが分からなかった。なので、脊髄反射のように答えた。
「あ、青は嫌いです」と、そう答えていた。
「あ、へえ……」
こう出したっきり、数秒は返答はなかった。そればかりか、窓の外を再度眺めて、顎を必要以上に触って、黄昏ていた。
「そうです。マキナさんは結構変わりましたね。変わりました。それはいい」
どうして、二回も言うんだ。な、何を言いたいのか婉曲的で察しが付かない。私が、どうも姉には滑稽に映っているのだろうか。変わった変わったなど、どこが変わったのか。それは姉に取って都合が悪いのかと考えるとどうしても悪態をつきたくなった。
それが挙動に出ていたかもしれない。そんな所が姉は鋭かった。
そのあと「まあ。座ってくださいな」とマットレスをトントンと叩いて、このように促した。
「い、いいや……。別に……」と何もうまくない濁しをした後、後がなかったので、ベットに腰かけることにした。
「ふふふふ」と姉が笑って、私の方へ匍匐前進で近付いてきて、私の頬をなぞった。
「にゅっ。にゅにゅにゅ?」
ビックリし過ぎて意味の分からない言葉にも言葉が出た。
「な、何を……?」と言葉になる言葉が吐き出されたのは随分と後だった。
するりと腕を下ろし、「いいや」とただ一言吐いて、適切な姉妹の距離に戻った。
「マキナさん。貴方は元気そうですね」
「……」
鸚鵡返しの言葉を言って、姉は微笑んだ。
これは文字通りか?そ、そうならばいいようだが、どう考えても裏が……と、までは思慮が巡る。だけれども、壊れた機械だった。入力されたことは分かるのに出力すべきことはつっかえるものがあった。
こんな私を見て、慈悲の目で口を開いた。
「そのままの意味ですよ。学校はどうですか?」
ああ。これはそのままか。姉妹の会話がしたいらしい。
「学校は……う~ん。微妙です。抜け出して出て来たので、いいと言えば嘘ですよね」
「そういえば、そうですね。そんな時間をしていますね。また、母に何か言われるでしょう」
「そんなどうでもいいこと言われたってどうでもいいでしょう?私が一回だって母に従ったことがありますか?根本的にセンスが合わないと思うよ」
「私は合うでしょうと思いますけれど。それではマキナさんらしくはないことです」とどうせ分かっていただろうことを訊いてにんまりと笑みを作った。
ど、どこが合うのか全然分からない。家庭での私を誰よりも近くで近くで見ている姉なのに、どこかずれていた。
そんな状況に顔を歪ませた。
「えっと。貴方に一つ訊いていいですか?」
「なんですか?」
「今日学校であったことなんですけれど……」と、話始めると、姉の目は嬉しそうに微笑んだ。
やっぱり、この姉は大学に行っていないから、学校に対して憧憬の感情が渦巻いているのかもと思った。なら、話してあげよう。私が訊きたいことはあの画架の話だった。
私がただ、筆箱を無くしたからこうなったの一言で終わることをあれこれ考察を加えたり、言う必要もない誰だっけ?あの彼女の話をしたりと結構迂遠な語り掛けをした。まあ一から百まで丁寧に話した。楽しそうに姉は聴いていた。本当に音楽を聴いているように、悦楽的、快楽的に嗜んでいるかが如く、おっとりとした顔をしている。
こう全て、話終わると、「これは合ってたのですか?」といつものように訊いた。
嬉しそうに微笑む。
「あれやこれやと言葉を並べられて、畢竟恒常的な話題」と端的な講評を出した。
その後に「良くないと言えば良くない。良いと言えばいい」と言った。
「それはどっちなんですか?」
「物事は一面的だ。一つの側面を眺めていると、陽陰がある。これは世界の一つの答えである。だからこそ選択するかもしれない」
一面的……?
一面をじっくりと眺めるのが吉ということなのだろうか?問題に対して、愚直に向かうべきとそう言いたいのか?
「しかし、規定に嵌るようにするかが問題。脳の問題」
姉は艶冶に染められた遊女に見えた。
「脳の問題?」
「拘束された私が最も、不健康でない状態と言える」
「それは……まあ。そうなのだけれど……」
「されども、マキナさん、貴方は有難く健康的だ」
「ありがとう?」
「謝罪とは意味が悉皆出来る。もっと嬉しそうにすればいいのに」
「嬉しいですよ?」
「ですが、形式上の顔面建築法であろうか。純粋無垢的ではない」と不穏な面持ちをする。
「純粋無垢的でないと駄目なんですか?」
「そういう訳でもない。上手く使用するか、どうかという一点にか、鱗次櫛比に行うべきだ」
「はあ」と頷く。
非常に難しい概念的な話だ。姉の言葉は一から十まで全て説明をして欲しい。何の含意があるのだろうか、そもそも私を愚弄しているのかどうなのか。
色々な思慮が交錯して、もう脳がショートを起こそうとしたとき、がらりと、配慮で閉めていた扉が開いた。
大層な、道具を曳きながら、看護婦さんが現れました。
「マキナさん。入れ替えます」
「ああ。結構ですよ」と淡白に話した後、「別にマキナさんがここに残ってくれても」とこちらにはニコリとした。こんな貼り付けの笑顔を見せたけれど、私にとっては俄然興味が無くなったように見えた。
訊きたいことを訊き終えたならもうどうでもいいらしい。
看護婦さんは眉を顰めて「私は出て行ってもらった方が嬉しいですが……」と言った。
「いいや、もうこれでいいですよ。十分です」
看護婦さんの言葉は願ってもないことだった。これ以上会話をしていたら、脳が混乱を起こすだろう。そろそろ引き際だ。
私は逃げるように踵を返す。
「なら、マキナさん。一つ良いですか?」と姉は引き留めた。
何か間違ったことを言ったのだろうか。全く心あたりがないのだけれど……。汗が一滴垂れた。
「並んだドミノは成立している。マキナさんは最も小さな影響力もない小さなドミノに過ぎない」
ベットの上で、繊弱に発した。
別に言葉選びは間違っていなかった。
当然本意は一つも伝わらなかったけれど。




