02、九十度のお辞儀をした。
「ははっマキナさんらしいよね」
「はあっ。説教も聞かずに出て行くもの」
「自業自得よねえ」とクラスのオーディエンスはウィスパーボイスで囀り合う。
まあ。それも集まれば烏合の衆。不如帰も百匹いれば趣がない様に……。ただこれらも鬱陶しいと思う。
彼ら彼女らは私が鬱陶しいとでも思っているのだろう。私の素晴らしさが分からないなんて面白い人だ。ならばと左足が、右に行くように回って、烏合の衆に向かった。
「な……」と眉を顰めた態度を取った。歓迎の合図ならもっと良くしてほしいものだ。
「君たちはこうして様々考察を飛ばし、交わし合っているけれど、間違っていると言わざるを得ない」
「ねえ、この人が間違っているんじゃない?」
「分からないよ。この人普通に変な人だもの」
私の名前を呼ぶのも烏滸がましいのか、耳打ちで会話している。
「まあ。まあ。私の優秀さに賛美感嘆を寄せるのは簡単なのだけれど、こそこそとしているのならば助けてくれませんか?」
「ハハハ……」
「うん……」
皆微妙な顔をする。微妙な顔をして、断るテンプレートみたいな文言を並び立てて、烏合の衆はサーっと霧散していった。
ぽつんと私一人、そのいなくなった集団を見つめた。
「意味がわからん」と吐き捨てた。仕方がないので雑巾を持って一人で拭く。
そんな私の光栄ある行動が讃えられたのか、「え~と。あ、あ、あのぅ?」と誰かが口を出して来た。
「どうしたんですか」
授業が終わっても床に這いつくばって床を拭き続けている馬鹿みたいな私に誰かが声を掛けてきた。
私に話かけるなんて珍しい人もいるものだ。
さっきさあっと掌返しで引いて行った人たちだろうか。やはり助けなかったことを後悔して、掃除用具一式を持ち寄って来たということか。ははは。私の存在がこんなにも大きくなったとは嬉しい限りだ。こんな想像を膨らませながら、好奇心に任せて、顔を伺ってみた。
「ん……」
あ?あ……。一旦熱が出るほどの好奇心の波はなくなった。長髪で、挑発的に何も喋らない人。誰だっけ。この人。全く印象がない。なんか教室の隅にいる女子だったという記憶しかない。
うーん。うーん。と頭を悩まして見たのだけれど、「誰ですか?」とストレートに訊くのが一番いいと判断した。
「あ、ああ……、ご、ごめんなさい……」
彼女は意味もなく謝罪をした。全く分からなかった。これでは名前が分からない。もっと直球かと思い、「名前は」と訊く。
「か、川本、川本稔出席番号は六番です……」
ああ。川本稔。川本稔だったのか。誰?とまだ全くピンとは来ていない。
その川本?は「あ、あの……何を……している、、の?」と見れば分かることを尋ねて来た。
私は大変それが癪に障った。
「はあ?」と彼女に向けて、最大限嫌な顔をした。
「うぅ……」とは無視のような音を出した。
彼女は愕然とした顔をした。よろよろと酩酊状態のように右往左往に揺れた。私は何をそんな言葉如きでとか悠長に思っていた。
いや、待て、その先は……。
「c」
ちょっと待っての子音だけ出た所で、私は言うのが遅かったと確信した。
丁度、そこに掃除で使っていた水の入ったバケツが彼女の足にぶつかり、つい数分も前に見た光景と同じ風景が作り出されていた。
トクトクと水が流れ出し、四つん這いになっていた私のスカートに染み出した。
「あああああ……」
ナニコレ思ったより冷たいんだけれどっ。
ビックリしてしまって、
な、なんだよ。こいつ。わ、私が優秀過ぎるがための当てつけか?刺客か?エージェントなのかっっ!!
「しゃあああ」と猫のように目を吊り上げて、猫のように威嚇した。
「あ……。あのっ……えー」
オロオロと全く歯切れの悪い返答しかしない。な、何をしたいのだ?
「う、う、う」
うん。うん。と耳を傾けて見る。
私はこの人が奇怪不可思議に思えて、さっきまでの怒りは当に消えていて、その紡がれる言葉の先が気になって仕方がなかった。
「ご、ご、ごめんなしゃあいい」
べきりっ。彼女の腰の音が鳴った気がした。彼女は斜め四十五度が適切だとされているお辞儀の角度を優に超え、九十度のお辞儀をした。
謝罪としては高尚を通り越して、無礼だろう。
けど、そのビジュアルの良さから私は彼女を高く買った。
「いいよ。いいよ。良い人だ。名前は?」
「あ、あのお。そ、それは酷いですぅ……。川本です。川本稔ですぅ……」
「そういえばそういう名前だったな。済まない、済まない」
「うう……うう……」と泣きそうな声を上げている。
こういう時どういう顔をしていいか分からない……。笑えばいいと思うよと言ってくれる感じではなかった。
私はただただ、見つめるだけだった。
他人からのアクションに任せようとした。
「うううう……」
任せられそうになかった。うう。面倒だ。
「あの、えっと。なんか奢ってあげようか?」
この時のお金と言うのは結構信頼している。悪いことをしてしまったなら金に変換するのが最も合理的な判断だと信じて疑わないのだ。
けれど、彼女、川本は両手を突き出して、私の提案を突っぱねる仕草を見せた。
ノンバーバルコミュニケーションがお好みらしい。
「じゃあ。何を……」
私はどうとすればいいのだ?何も察しきれず、訊くほかなかった。
「わ、わ、わ、私がおごりまひゅ」と彼女は言った。
う、う……ん?あまりにも突飛だった。
「どうして川本……がそうなるんだ?」と言えば彼女は黙ってしまった。
俯いて、うんともすんとも言わなくなった。
手を焼くなあ。この人は。だからか、私に声を掛けてきた理由。これゆえに彼女だけがクラスから孤立していると見受けられた。
まあ。いいさ。気長に待てばいい。
「えっと。わ、私が……あの。迷惑……を掛けてしまったから……です」
「まあまあ。別にそんなことを……」
いいや、待てよ。これでは悪いことをしてしまったなら金を出すという理念を自分から否定するようじゃないか。
奢った方が幾らか心が浮かばれる人だっている筈だ。
「さっきのは忘れて欲しい。奢られたいです」
これだけ切り取られたら、弱い立場の生徒にカツアゲしている最低な生徒と言うレッテルが貼られそうだ。若干それを危惧して、周囲を確認して見たけれど、誰もいなかったことに安心して、ついでに川本の顔を見た。
にっこりと笑みを浮かべていた。良かった。この選択肢は間違ってなかったようだった。
「えっと……。じゃあ放課後で」
こくり。こくりと二回頷いて、教室を出て行った。
もうすぐ授業が始まるけれど、大丈夫なのか?と心配した。
まあ。授業が始まると言うのにまだ床が全く拭けていないことを心配すべきだ。
そういえば、彼女。手伝ってくれなかったなあ……。




