17、私が言ったとして、どうせ曲解に次ぐ曲解。
ぺたり、ぺたりと廊下を踏む音。
これに私は大変煩わしさを覚えるほかなかった。森閑だった我が憩いの場が穢されているようだ。ああ。この医院の文句を一言述べるならば、このようなことなのだろう。
私が言ったとして、どうせ曲解に次ぐ曲解。ボイスレコーダーを撮られた暁にはもう文句の余地もない。
取り敢えず、身構えておくことにしようか。
コンコンとわずかに小さな音が鼓膜を突き抜けた。
誰か訪ね来たのだ。予想ならつく。どうせアイツだろう。しかし、こんな辺鄙な病棟に何をしに来たのか分からない。
「失礼します」
確かそのようなことをそこの白服のそして、西洋神話にふさわしい金髪碧眼の悪魔に似た何かが申したはずだ。
ついに私にも迎えが来たと言うことなのだろうか。非常に居所が悪い。反吐が出る。
「なんだろうか。特段特別、私は何かしているが……、来てくれて心が雀躍する気分」
「それは嬉しい。でも、何もしていないのだったら医者として散歩などを提案したい。筋力の衰弱は何かと不便であろう?」
「考えておく」
「まあーしかし、私だって用事があってきたわけではない」
「ほう。医者がそうして、放浪と彷徨していたなら、患者も喜ぶだろう。私はそうではないが」
「ははは。医者は人間的には正しくあろうとしなくてもいい。統計的に正しくあればいい」
それは随分と、最悪なものだ。ならば、私は淘汰されるのか?この口を。
「だからこそ、そんな所業を行える最も人格破綻した人がするのが最善だ。最善の結果だけを、ただ確率だけを見ているそんな生物である」
「確率……。確率など、私達には無数にあるように見えるが、君たちからすれば失敗か成功のどちらしかないだろう?序論、二分の一にすぎない」
「それは本末転倒なオチだ。しかし、知恵なき者たちは結局のところ単純化して、どんどん我々側から遠ざかる。仕方のない話だ」
「誰かの間にもそれは昔からあるのだろうか?」
「さあ?そんなことは知ったことではないだろう?」
「確かに、知ったことではない」
「へえ」
「マキナさんに何も言っていないだろう?」
「ん……」と顎を触れる動作をする。その医者は私のベットに近付き腰かけた。
なんとも暗黒っぽい。野暮ったい。
「少しは言っただろうが。せめてもの取るに足らない些細なアドバイス程度だ」
「フランス語で言えば良くない。忠告と中国語で言えばどうだろう?安全な気がするだろう?」
「まあ、確かにか?何かのマジックのようではある」
「そうだろう」
「じゃあ、少しは言っただろうが、別に選択を変えるほどではない。私の意見というのは一介の塵芥である。そこまで天地開闢程度のこととは関係ないだろう」
それは悩みどころだ。
判断に苦しむ。天井を仰ぎ見て考えたが、マキナさんは我が強く見えるものの、意外に外の影響をもろに受けやすい人間である。おそらくだ。おそらく彼女は純粋で、だからと言って普通ではないが、しかし、偉いというか信じた人の意見を信じるような傾向がある。
「悉皆しましたが、とてもそう思います」
「ほう。そんな否定的だが、本当に何も言っていないさ」
ヘラヘラといわばカウンセリングというのは癪に障るが、そんな中でもふざけている顔で私を見ている。
私は眼力を強めて、睨み付けた。そしたら、その医者はやや怯んだように「けれども……。まあ君のと同じようなことは言っただろう。そして君と同じような処遇はした」としれっと訂正をして来た。
「ん……?」
「あ……。まあ、そんなものだ。別に悪くないだろう?」
「それはいい話だ」
「何故だい?こうしてワタシが診察したお陰でこうして今はこうしているのだろう」
「……」
口を開けなかった。果たしてこうして無機質なベットで無機質なトイレ、無機質な食事をするこの無機質な生活ではまるで囚人同然。
訳の分からない管と、訳の分からないクスリを処方されてそんなもの捕虜同然。
こんな所にぶち込んだ本人が誇らしげに語っている。
「ははは……。しかし……。妹さんは憂慮していた方がいいだろう。これは親しい仲だからというわけではなく、医者として忠言して置く。とても不安定な状態だ。錯乱にも近いだろうか」
「へえ。それもまた一興か」
「それも、流石姉妹と云ったところだ。全く同じ経過を辿ろうとしている」
「へえ。へえ……」
それは……。まあ。訊く限りはそうである。しかし、信じがたい現象。
混乱に次ぐ、混乱。混乱が大量に押し寄せて、考えを搔き消していく。
「遺伝、遺伝子に要因があるのだろうか?それは入院でも、何でもさせれば分かるだろうが……。まあ目が語っているな……」
当たり前だろう。我が愛しの妹を養父医者、闇医者に渡せるか。ただの食い物として臓器でもなんでも持っていかれるかもしれない。
そんな不安感があった。あった。あったが、私にはどうすることも叶わない。マキナさんを助けることは叶わない。
だって見舞いに来てくれた際も助けるにも助けられなかった。死にそうな表情はしていないものの、それはもう中に見る暗黒が垣間見える感じが、おぞましく思えたのだ。
ベットから一歩も動くことなんてできないし、私はこうだから、真意は伝わっていないだろう。
こんなことを言われたとて、どうすることもできないのだ?
「私がやる」
「へえ。それでいいのかい?出なくて?しゃしゃり出るのが君の長所だったりするだろう?」
「ありがとうございます」
「皮肉に聞こえるさ」
「それは不快感に溢れる。それでも、一任する。名医者でも名医者。養父医者でも養父医者。医者は医者だ。プロは手を出すことが出来ない」
「そうかい。それがポリシーか」
「いいえ」
「まあ。私が上手くして置く。君よりもね」
「それは見ものですね」
クスリと笑って置く。嘲笑うともいうだろうか。そんな冷戦状態が継続した後、「じゃあ。私は既に予定がぎちぎちなので、そういうことで、退散させてもらう」と手を振って、ドアノブに掛けた。
こいつを信用した訳ではない。そんなこと天変地異が起こったとしても、あり得ない話である。
だから、一つ言って置く。
「私の時のように成功ではなく、失敗を願う」
とんでもなく不運なことを言っているだろうけど、勿論彼女には真意は伝わる。
「ははは……。まだ、君についてはなんとも言えないだろう?」
そうなのだろうか。だとしたら私はいつまでこの場所にいればいいのだろう。こんな無機質な空間で、精神を蝕んでいる。発狂しそうだ。
こんな異常者で尚且つ医者に諦められたから、こうして幽閉されているようだ。
「まあ。偉い人に進言して置く」となんて濁して、急場を凌ぐだけだろう?ぎこちなく、そして素早く扉を閉めた。逃げ出したに近かった。
私はまた一人になった。ベットの上にポツンと独りきりだった。
それがまさに滑稽だろう。
まあここも意外と心地が良いけれども、純粋にそう評価は出来なかった。心情的には靄が渦巻いて、拭えない気分だった。
う……ん。私もそう言って色々とこの状況まで来ているのだ。
事実と照合したなら、やはり信用できないな。
「すみません。シーツを変えたいのですけれどいいですか?」といつも世話をしてくれる馴染み深い看護婦さんが登場した。
「ねえ、外出したいのですけれど?いいですか?」
「はい?」




