16、どう考えても不安定に見えた。
彼女。マキナはどう考えても不安定に見えた。
もう帰る姿が既に猫背気味で、憂鬱感を体に纏っている。もう吹いたら飛んでしまうようなと形容することもできない。もう直ぐ死んでしまいそうな……かといってそのような覚悟ではなく、コロッと逝ってしまいそうな、これが世界の真理と言わんばかりのごく自然な感じで消えるんじゃないかと勘繰ってしまう。
『一人にして大丈夫だったのだろうか』
階段から数十歩ほど歩いたところで立ち尽くして、後悔を吐露する。だからか、ほんの少しの気持ちばかりの距離、元の位置に後ずさりを試みた。
そんな所に、人とぶつかった。そして、さっきのただの壁打ちの独り言に「訳……ないと思います…」とささやかな声が聞こえた。
振り返ってみると、ああ。記憶の片隅にいる人だった。教室の片隅にもいた気がする。
「川本……です」
『ああ。川本さんか』
『で、そんな所から出て来て何か用かですか』
マキナへの不安だろうか。特に関係もないのに、強く当たってしまう。これに分かりやすく、びくりと猫のように震わせていた彼女を見れば申し訳なくなった。
「あ……えっと」
『うん』
「さっき屋上にいて、それで、降りて…来まし……た」
斜め下の何もない地面を見つめながら彼女は言う。
ぎこちないのはこの川本さんのデフォルトの態度なのだろうか。関わりが薄くて判断にもつかないが、今こうして出くわしているのは多分意味がある。
『へえ、いつもそうして、休息を取っているのか?』
「い、いや……、マキナさんと……」
『マキナと?』
「う……ん…」
マキナが自発的に人に話そうとするだろうか?いや、しない。
だからと言ってこれは偏見になるが、川本の方も自発的に人に話かける人らではない。
けれど、今現時点で彼女から私には口を挟んだ。けれど、階段に座り込んでいたマキナに声を掛けないのは違和感がある。
マキナの話をするなら、その場で話すべきだろう。なんせ、マキナが階段に座っていた時間は指折り数えても五分以上は経過している。その間に一つや二つ話題を展開することぐらい猶予があったはずだ。
こうして合理性を求めると、行きつくのは何かあったくらいしか想像ができない。
最もテンプレートなものは「喧嘩でもしたんか?」と自ら出した言葉でも違和感を持った。
滅多に人と関わらないヤツだ。喧嘩もできないほど無関心な奴でもある。無理に解釈するなら、関わらなかったからトラブルの一つや二つあったって仕方がないとするのが普通か。
「……。まあ」
『つまりマキナがいたからそうやっておろおろと出るタイミングを伺っていたのか?』
「まあ……。はい……。そうです…」
『だろうな』
「す、すいません……」
『別に謝らなくてもいい』
何もないのに謝るのは鬱陶しいだけである。
「いい…や。謝らないと……。…ああ……」と泣きそうな顔をしていた。
ああ。鬱陶しい。まさに情緒不安定だった。舌打ちぐらいしたくなるものである。
『もういいから。謝らなくて、話が先に進まない』と若干癇癪を孕みながら、私は投げ遣りに言った。
「ああ……はい……」
『で、話は戻るが、何があったんだ?』
そうすれば、彼女はさっきより一段と泣きそうな顔をした。しかし、さっきとは違う顔だった。悲しみと云うか、或いは恐怖と云うか。こんな感情がぐちゃぐちゃに織り交ざって出来ていた。
なぜだか、同情した。なぜだか、嫌な予感がした。
なので、弱そうな彼女を抱擁するように懐に入れる。
「……」
近付けば、涙ぐんだ川本の顔が脳裡に焼き付くのを感じる。嫌な想像が湧きたった。それはより具体的に。
その想像で、不安感が孕む。
目の前の彼女を見ればもっと不安が生まれた。
「あの……」
こう言った後に尻つぼみ式に小さくなっていく。そして口ごもった。
余程言いにくいことらしい。
『あの……』
「あの……うん」と決めたらしい。
あのぎこちない調子は変わらないもので、説明もぐちゃぐちゃだが、それで十分だった。十分すぎるほどだ。十分私は狼狽えた。
たった一文だけで、
「マキナさんが……。屋上から…あの、飛び降りようと……」
『……』
言葉を失った。
何も出ない。どうしてアイツが?理解できないだろう。アイツの行動を鑑みて、どうしてそんな判断に至るのだろう。
アイツは私の意見すら気にしない、それ以外なんてもってのほか円の中心にマキナが居るだけのそんな単純明快な奴だった。
「えっと……嘘じゃあ……ないですよ」と不安そうにこのように弁解をした。
別にそんな顔をしなくてもいい。貴方の言ったことが間違いだなんて思っていない。いや、ちょっとは嘘かもと、今日が四月の初めではないかと思考を巡らしたが、そんなこともない。
ただ単純にこの表情は貴方に対してのものではく、ただ、マキナに対しての驚嘆である。
まさか。まさか。マキナがそんなことするとは……。
あれ?
『じゃあ。私、あの時引き留めなくて良かったのか?』
「ど、どう云う……こと?です……か」
『いや、さっきまで、アイツと生産性のない話を駄弁っていたものだが……』
生産性……。なかったか?
私は適当に歓談していたと思っていた。けれど、あの感じは何だ?あの焦燥しきったあの感じ……。
急に罪悪感という罪悪感が染み出して湧き上がってくる。日常は水面下でレットオーシャンだったなんて、見たくもないオチを見てしまったかのような……。そんな気分の悪さ。
『おわなきゃいけない。絶対的におうべきだ』
後も、責任も。
はやる気持ちを押さえられなかった。脊髄反射で足を動かした。ただただマキナを追うことに専念した方がよさそうだと判断したからだ。
「ちょちょちょ……」と何も主体的ではないその川本さんは只足手纏いになった。
『何?』
多分感極まった、ガン極まった眼で睨み付けた。威嚇だろう。これはもう。
こんなことをしてしまえば彼女が何も言えないのを知っている。されども、配慮を配慮する気概はここでは持ち合わせていなかった。
「あ……の……。、私も……連れて行ってください…」
こんなことを言うために引き留めたのか?と喧嘩腰で血気溢れてしまったけれど、こんな感情になっていることすら無駄な時間だ。
『す、好きにしろ。主導権は自分で決めろよな。他人の責任まで取れない。めんどくさいから』と言い捨てて、走り始めるのだ。
相手の速度など関係ない。ただ、最悪の未来の前では取るに足らない些細な出来事に過ぎない。
ただ、一目散に見えるものだけ救おうと……。ただアイツに一発、一発でもいいから正しくなれるように、いいや。それは只の常識的観念に囚われている。どこからどこまでの私のエゴの集大成。
それで、晴れがましい気分になって、そして、皆幸福であったなら、それはとんでもなく僥倖なことだろう?




