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勇者と魔王、温泉に行く。  作者: 芳Hacca
第四話 勇者と魔王、合流。
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第九話 勇者と魔王 湯上がりを堪能する

湯から上がると、脱衣所の空気がひんやりと感じられた。


勇者は手拭いで髪を拭きながら、籠へ入れていた浴衣を広げる。


隣では、魔王がすでに袖へ腕を通していた。


「早いな」


「お前が遅い」


「さっきまで湯から上がろうとしなかった奴に言われたくない」


「お前もだろ」


二人は鏡の前に並び、それぞれ帯を締めた。


勇者は部屋で結び方を覚えたつもりだったが、今度は左右の長さが合わない。やり直している横で、魔王は一度で形を整えている。


浴場へ来る前と同じだった。


「途中でほどけても、他人のふりするんだっけ」


勇者が言う。


「覚えていたか」


「友人として直してくれてもいいだろ」


「俺はお前の部下じゃない」


さきほど自分が言った言葉をそのまま返され、勇者は黙って帯を結び直した。


湯に浸かっている間、二人はずいぶん話した。


会議のこと。


部下へ仕事を任せる難しさ。


管理職になってから、自分の仕事を始められるのは誰もいなくなったあとだということ。


せっかく十年以上越しで草津まで来たのに、出てきたのは日頃の愚痴ばかりだった。


勇者は鏡越しに魔王を見る。


「……悪かったな」


魔王が帯から手を離した。


「何がだ」


「せっかく温泉に来たのに、仕事の愚痴ばかりになった」


魔王は少しだけ考えた。


「あれは俺も同じだ。お前だけの責任じゃない」


「そうか」


「ああ」


それで話は終わった。


反省会を始める必要はなかった。


吐き出したものを、もう一度拾い集めて整理する必要もない。


勇者はどうにか帯を締め終えた。


魔王が結び目を見る。


「今度は大丈夫そうだな」


「ほどけても、他人のふりするんだろ」


「食事の時に一人分しか用意されなくなると困る」


「そこは友人として心配してくれよ」


脱衣所を出ると、湯上がりの休憩所があった。


長椅子と小さな卓が置かれ、その奥に冷水の用意がある。壁際には二台のマッサージチェアが並んでいた。


勇者は冷水を二つの杯へ注いだ。


そのうち一つを魔王へ差し出す。


「うまいな」


「ああ」


冷たい水が、温まった身体へゆっくり落ちていく。


それだけで十分だった。


二人は空いていたマッサージチェアへ並んで座った。


勇者は肘掛けの操作盤を眺める。


「どれ押せばいい?」


「標準でいいだろ」


「せっかくなら強めじゃない?」


「最初から欲張ると後悔するぞ」


「温泉まで来て、椅子に負ける気はない」


勇者が強めの設定を選ぶと、背後で機械が低く動き始めた。


肩甲骨のあたりへ強く押し込まれ、思わず身体が跳ねる。


「痛っ」


「だから言った」


隣では、標準を選んだ魔王が目を閉じている。


余裕のある顔が少し腹立たしい。


設定を戻すのも負けたような気がして、勇者はそのまま耐えた。


機械の動く音が二つ重なる。


廊下を通る人の足音。


卓へ杯が置かれる小さな音。


それ以外には、何もなかった。


さきほどまでの愚痴を、続きを話そうとは思わなかった。


明日の予定を決めようとも思わない。


会話がないまま、椅子に身体を預けている。


学生の頃にも、こういう時間があった。


講義と講義の間、学生会館の古い長椅子に二人で座っていた。


勇者は眠り、魔王は本を読んでいた。


何もしない時間は、予定に入れるものではなかった。


今なら、時間が空けば端末を見る。


空いた時間で返せる連絡を探す。


誰かから何も来ていなければ、見落としがないか確認する。


休んでいるはずなのに、次にするべきことを自分で作る。


勇者は浴衣の袖に手を入れかけた。


そこに端末がないことを思い出し、腕を肘掛けへ戻す。


隣では、魔王が目を閉じていた。


学生会館の長椅子にいた頃と、それほど変わらない顔だった。


十年以上、別々の場所で過ごした。


互いの知らない部下がいて、知らない仕事があり、今では組織同士が競い合っている。


それでも、隣で黙っている時の距離だけは変わっていなかった。


それを言葉にすれば、何か違うものになる気がした。


勇者も目を閉じる。


肩を押していた機械が腰へ移り、今度はちょうどよい強さになった。


しばらくして、二台の椅子がほとんど同時に止まった。


急に静かになる。


勇者は目を開けた。


「もう一回やる?」


「食事の時間が近い」


魔王が壁の時計を見た。


勇者もつられて時刻を確かめる。


「腹減ってきたな」


「ああ」


二人は椅子から立ち上がった。


冷水の杯を戻し、並んで休憩所を出る。


仕事の話は、湯気の向こうへ置いてきた。


次にするべきことは、二人で夕食を楽しむことだけだった。

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