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勇者と魔王、温泉に行く。  作者: 芳Hacca
第四話 勇者と魔王、合流。
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第八話 勇者と魔王 温泉につかる

脱衣所へ入ると、二人はほとんど同時に黙った。


話す必要がなくなったわけではない。


浴衣を脱ぎ、籠へ入れ、手拭いだけを持つ。その一連の動きに、わざわざ言葉を挟むほどのことがなかった。


魔王は脱いだ浴衣を丁寧に畳んでいる。


勇者はそれを横目で見てから、自分の浴衣へ目を落とした。


一度は適当に籠へ入れようとしたが、少し考えて畳み直す。


「今、俺のを見てから畳んだだろ」


「こういうのは性格が出るなと思って」


勇者は答えず、魔王のものより少しだけ角を揃えて浴衣を置いた。


浴場へ入ると、白い湯気が二人を包んだ。


掛け湯をし、身体を洗う。


それから並んで湯へ足を入れた。


熱が足先から一気に上がってくる。


「熱いな」


勇者が言った。


「温泉だからな」


「感想が雑すぎるだろ」


「まだ肩まで入ってない」


二人はゆっくりと身体を沈めた。


肩まで浸かると、移動と食べ歩きでわずかに残っていた疲れが、湯の中へ広がっていくようだった。


勇者は長く息を吐いた。


魔王も浴槽の縁へ背を預けた。


湯が静かに流れる音がする。


どこかで桶の置かれる音が響き、すぐに消えた。


PCを打つ音はない。


端末の通知もない。


次の予定を知らせる声もない。


二人はしばらく何も話さなかった。


湯畑の前でも、こうして並んで黙っていた。


あの時は観光客の声や流れる湯を眺めていたが、今は視界の大半が白い湯気に隠れている。


目を閉じても、何も困らなかった。


勇者は両腕を浴槽の縁へ載せた。


「こんなにゆっくりしたの、久しぶりだな」


魔王は目を閉じたまま答えた。


「会議がないだけで、一日が長い」


勇者は笑った。


「分かる」


今朝、いつもの時間に家を出てから、列車とバスを乗り継ぎ、温泉街を歩いた。


揚げまんじゅうを食べた。


湯畑を眺めた。


焼き鳥の列へ並んだ。


土産物店を冷やかし、宿へ来た。


それだけのことをしても、まだ夕食前だった。


普段なら、午前中に二つ会議へ出席しただけで昼になる。


「朝一番の会議って、何のためにあるんだろうな」


勇者が言った。


「こっちは朝の進捗確認が終わると、上層部への報告会だ」


「大体、同じだな」


「報告会が終わる頃に、現場から確認が三件くらい来てる」


「少ないな」


「朝の時点ではな」


「なるほど」


「それに答えてると、昼前の会議が始まる」


「午後は?」


「会議」


「だろうな」


改めて言葉にすると、笑うしかなかった。


一日の予定表は、朝から夕方まで四角い枠で埋まっている。


定例会議。


進捗報告。


上層部への説明。


他部署との調整。


名前だけなら、それぞれ違う。


出席している顔も、使っている資料も違う。


だが結局は、今どうなっているのか、次に何をするのか、誰が責任を持つのかを、少しずつ違う相手へ何度も説明している。


「会議の間が十五分空くと、休めると思うだろ」


勇者が言った。


「思わない、十五分あれば部下が来る」


「そうなんだよ」


待っていたように報告書を持ってくる者がいる。


端末へ連絡が届く。


廊下ですれ違った者に呼び止められ、その場で判断を求められる。


会議が早く終わった十分間も、自分の時間にはならない。


「進捗を聞けば、予定どおりですって言うんだよ」


勇者は天井の湯気を見ながら続けた。


「予定どおりならいいだろ」


「何が終わってるか聞くと、まだ何も終わってない」


「予定とは」


「本人の中にだけあるらしい」


魔王が小さく息を吐いた。


笑ったのか、ただ熱かったのかは分からない。


「遅れてるなら遅れてるって、早く言ってほしいんだよ」


「言えば怒られると思っている」


「早ければ怒らない」


「本人には、その区別がつかない」


「締切の前日に言われたら怒る」


「だから、やはり言わない」


「詰んでない?」


「詰んでいるな」


勇者は湯の中で足を伸ばした。


進捗の確認だけではない。


何を優先するかを決める。


作業が止まっている者へ声をかける。


若手へ仕事を教える。


疲れている者がいれば、話を聞く。


本人が大丈夫だと言っても、本当に大丈夫なのかを考える。


僧侶のように顔を見ただけで分かればよいが、勇者にそんな技術はない。


いつもより口数が少ない。


報告が少し遅い。


普段ならしない間違いが増えた。


そうした小さな変化を拾いながら、仕事も前へ進めなければならない。


「で、部下が帰ったあとに、やっと自分の仕事」


勇者が言う。


「同じだ」


魔王の返事には迷いがなかった。


「管理職になる前はさ、もっと自分で時間を決められると思ってた」


「だよな」


実際には、予定を決める権限が増えた分だけ、予定を奪われる理由も増えた。


誰かの判断を待たせていると思えば、自分の作業を後ろへ回す。


部下が困っていれば、先にそちらを見る。


上層部から急ぎと言われれば、本当に急ぎかどうかを考える前に予定へ入れる。


そうして一日が終わる頃、自分の机には朝と同じ仕事が残っている。


始められるのは、部下が帰ったあとだった。


静かになったオフィスで資料を開く。


誰にも呼ばれなくなってから、ようやく自分の仕事へ集中できる。


「残業しないと仕事が進まないのに、残業を減らせって言ってくるしな」


勇者が言った。


「効率を上げろとも言われる」


「会議を減らしてくれれば上がるんだけどな」


「その相談をするための会議が必要だ」


「増えてるじゃん」


今度は二人とも笑った。


笑い声が湯気の中へ広がり、壁へ当たって小さく返ってきた。


その余韻が消えると、勇者は肩まで湯へ沈んだ。


「人に任せるのって、難しいんだよな」


真っ先に浮かんだのは戦士だった。


何を頼んでも、できますと言う。


その勢いは頼もしい。


現場で迷わず動けることも、間違いなく長所だった。


ただし、動く前に確認するべきことまで勢いで飛ばす。


今回の引き継ぎで少しは覚えたはずだが、三日間ですべてが変わるわけではない。


「指示を待ってるから、最初は細かく教えるだろ」


勇者が言った。


「教えるな」


「なんで?」


「次も同じ細かさで指示が来ると思う」


「でも、教えなかったら動かない」


「だから教える」


「どっちだよ」


「俺も分からん」


魔王も湯へ深く沈んだ。


顎の近くまで湯に浸かりながら、低い声で続ける。


「任せたつもりでも、途中で持ってくる」


「そう。それで、ここからどうしましょうって」


「何を調べた、と聞く」


「確認してから進めようと思いました」


「同じだな」


指示した仕事のうち、手を動かす部分までは進んでいる。


だが、情報を比べ、どちらを選ぶか考えるところで止まっている。


判断を間違えたくないのだろう。


勝手に決めたと叱られるのが怖いのかもしれない。


その気持ちは分かる。


勇者にも、自分で決めるより上司へ確認した方が楽だった時期があった。


判断して提案しても、上司の意見で方向性が変わってしまえば自分が頑張った意味が無くなる。


「でも、それは俺たちが途中で口を出すからでもあるよな」


「任せると言いながら、自分の考えと違うと言って直させるからな」


「それで次は自分で考えろって言う」


「面倒な上司だ」


「お互いにな」


それでも、判断する経験を積まなければ、いつまでも任せられるようにはならない。


「任せたはずなのに、判断するところだけ全部戻ってくるんだよ」


「その判断をするために、こっちが最初から資料を読み情報を確認する」


「それなら、自分でやった方が早いって思うだろ」


「思うな」


「でも、自分でやったら、次も自分の仕事になる」


「それも分かっている」


「分かってるのに、締切がある」


「だから自分でやる」


「それで自分が回らなくなる」


「同じだ」


何度目かの言葉だった。


バスでも、二人は似た話をした。


あの時は互いの組織に同じ問題があることへ驚いた。


今はもう、驚かなかった。


別々の場所で同じ失敗を繰り返している相手がいる。


解決にはならない。


それでも、自分だけが管理職に向いていないわけではないと思えた。


勇者は手で湯をすくい、顔へかけた。


「ベテランなら安心かっていうと、そうでもないんだよな」


魔王が目を開ける。


「最初から無理だと言う」


「そっちにもいる?」


「いる」


魔王の脳裏に誰が浮かんだのか、勇者にも何となく分かった。


「経験があるから、難しい理由を全部知ってるんだよ」


「以前も失敗した。同じ方法では無理だ。人が足りない。時期が悪い」


「それだけ出るなら、できる方法も考えてほしいんだけどな」


「無理な理由を説明した時点で、仕事が終わったと思っている」


「そうなんだよ」


若手は、分からないから止まる。


ベテランは、分かっているから止まる。


その間にいる者を探しても、だいたい別の仕事ですでに埋まっている。


「少し強く聞くとさ」


勇者は言いかけ、一度口を閉じた。


それから湯の表面を見ながら続けた。


「翌日から、何日か休むんだよ」


魔王はすぐには答えなかった。


「詰めすぎたんじゃないか」


「……そうかもしれない」


勇者は否定しなかった。


やるべき仕事が止まっている。


締切が迫っている。


理由を聞いても、できない説明ばかりが返ってくる。


そんな時、声が強くなることはある。


正しいことを言っているつもりでも、相手が受け止められる言い方だったかは別だった。


「でも、放っておけば止まったままなんだよ」


「分かる」


「無理をさせたいわけじゃない」


「それも分かる」


「理解して、守って、育てて、それで期限までに結果も出せって、できる?」


「無理です」


死神が言いそうな声音だった。


勇者は思わず魔王を見た。


「今の、誰かの真似だろ」


「気のせいだ」


「絶対そっちにもいるだろ」


「慎重なだけだ」


「庇うんだ」


「同格だからな。部下ではない」


勇者は笑った。


魔王も、ほんの少しだけ口元を緩めた。


育成が要らないとは思っていない。


部下の事情を聞くことも、疲れている者を休ませることも必要だ。


失敗した時に責任を引き受けるのも、自分たちの役割だと思っている。


「明日は、会議ないよな」


勇者が聞いた。


「ない」


「報告会も」


「ない」


「進捗確認も」


魔王は少し考えた。


「しない」


「今、考えたよな」


「念のためだ」


「しないよな?」


「しない」


今度の返事は早かった。


「じゃあ、何する?」


魔王は浴槽の縁へ頭を預けた。


「何もしない」


「何もしないことをする」


勇者は目を閉じた。


何もしない。


何もしないと決めることが、二人にとって一番難しい判断かもしれない。


だから今は、その練習をすることにした。


二人はしばらく、湯から上がらなかった。

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