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勇者と魔王、温泉に行く。  作者: 芳Hacca
第四話 勇者と魔王、合流。
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第十話 勇者と魔王 旅館の夕食を楽しむ

食事の席へ着くと、二人分の膳が向かい合って用意されていた。


先付けと小鉢が整然と並び、土地の食材を使った料理が少しずつ運ばれてくるらしい。


勇者は座るなり、品書きより先に飲み物へ目を向けた。


「とりあえず、ビールでいいよな」


「異議はない」


ほどなくして、瓶と二つのグラスが運ばれてきた。


勇者が魔王のグラスへ注ぐ。


魔王も瓶を受け取り、勇者のグラスを満たした。


泡が落ち着くのを待ってから、二人はグラスを持ち上げる。


「何に乾杯する?」


勇者が聞いた。


魔王は並んだ料理を見て、それから勇者を見た。


「十年以上前の予定を、ようやく実行できたことに」


「長すぎるだろ」


「お前が先延ばしにした」


「お前から連絡してもよかったんだぞ」


「連絡しただろ」


「今年になってからな」


「なら、お前は何年前にした」


勇者はグラスを少し下げた。


「細かいことはいいから、乾杯しようぜ」


「都合が悪くなると雑になるな」


「乾杯」


「乾杯」


グラスが軽く触れた。


冷えたビールを口へ運ぶ。


風呂上がりの身体へ、炭酸と苦みが気持ちよく広がった。


「うまい」


「ああ」


昼に温泉たまごを食べた時から、二人の感想はほとんど変わっていなかった。


だが、目の前には温泉たまごでも冷水でもなく、上州の食材を使った会席料理がある。


勇者は小鉢へ箸を伸ばした。


一口食べ、ビールを飲む。


魔王も同じように箸を進める。


料理について詳しく語れるほど、二人とも食通ではなかった。


それでも、温かいものが温かいうちに運ばれ、食べ終える頃に次の皿が置かれるだけで、普段の夕食とはまるで違った。


誰かの報告を読みながら食べる必要がない。


途中で端末を確認しなくていい。


食べ終えたらすぐ仕事へ戻る必要もなかった。


焼き物が運ばれてきた頃には、最初の瓶が空になっていた。


「もう一本?」


勇者が聞く。


魔王は飲み物の品書きを手に取った。


「地酒がある」


「群馬の?」


「純米吟醸だな」


「それにしよう」


銘柄にはこだわらず、二人は群馬の純米吟醸を冷酒で頼んだ。


運ばれてきた徳利から、小さな杯へ注ぐ。


勇者が口をつけると、すっきりした香りが鼻へ抜けた。


ビールより静かに飲める酒だった。


「お前、普段の休みは何してる?」


魔王が聞いた。


仕事の話ではない。


そう思ってから、勇者は答えに困った。


休みの日に何をしているか。


簡単な質問のはずなのに、胸を張って言えることが何も浮かばない。


「寝てる」


「一日中か」


「朝は一度起きる。でも、布団から出ない」


「起きていないのと同じだろ」


「動画見たり、くだらないゲームしたりしてる」


勇者は杯を置いた。


「気づいたら三時くらいになってて、さすがに何か食わないとまずいと思って外に出る。近所で飯食って、一杯飲んで、帰る」


「それで?」


「また寝る」


魔王はしばらく勇者を見た。


「一日が終わっているな」


「終わってる。毎回、何かできた気がしないまま終わる」


「休めているなら、いいんじゃないか」


思いがけない返事だった。


勇者は魔王の顔を見る。


「お前は?」


「似たようなものだ」


「寝てる?」


「目は覚めている」


「起きてるなら何かするだろ」


「何もしない」


魔王は冷酒を一口飲んだ。


「椅子に座って、気づけば昼になっている。本を開いても数頁で止まる。片づけようと思った場所は、次の休日までそのままだ」


「俺よりひどくない?」


「お前は布団から出てもいないだろ」


「俺は休むことへ全力なんだよ」


「俺もだ」


二人は同時に杯へ手を伸ばした。


何かを始めるだけの力が残っていない。


誰にも会わず、何も決めず、次の一週間を動くための力が戻ってくるのを待つ。


休日を無駄にしているように感じることはある。


それでも、必要のない時間ではなかった。


宿の者が鍋へ火を入れた。


小さな炎が器の下で揺れる。


煮えるまでの間、二人は次の料理へ箸を伸ばした。


「彼女は?」


勇者が何気なく聞いた。


魔王の箸が止まる。


「いない」


「即答だな」


「お前は」


「いない」


「即答だな」


同じ言葉が返ってきた。


勇者は笑い、冷酒を飲んだ。


学生の頃なら、どちらかに恋人ができたと聞けば、翌日まで質問が続いた。


今は、いないという答えに納得しかなかった。


「結婚とか、考えないの?」


勇者が聞く。


「考えないわけではない」


二人とも、誰かと暮らすことが嫌なわけではなかった。


休日に一緒に出かける相手がいればいいと思うこともある。


ただ、関係を作るには時間がいる。


会う日を決める。


店を探す。


相手の予定と自分の予定を合わせる。


どれも本来は楽しいことのはずだった。


今の二人には、その楽しさを受け取る前に必要な力が残っていない。


魔王は鍋の蓋を見ながら言った。


「休日くらい、誰にも会いたくない」


「分かる」


「人が嫌いなわけじゃない。週末くらい、誰にも合わせずにいたい」


「予定が一個あるだけで、その日全部が予定になるんだよな」


「分かる」


魔王はうなずいた。


一日の中に約束が一つある。


それだけで、ほかの時間まで細かく区切られたように感じる。


会うことが嫌なのではない。


会えばきっと楽しい。


その楽しい時間へ行くための準備に、休日の半分を使うことが重かった。


「彼女はほしいんだけどな」


勇者が言った。


「だが、休日を使ってまで会いたくはない」


「そう」


「休日に何も予定を入れたくない」


「そう」


「そんなので彼女ができるわけがないだろ」


「お前に言われたくない。お前も同じだろ」


解決策は出なかった。


出す必要もなかった。


二人は管理職だが、人生の問題まで会議のように結論を決めなくてよい。


鍋の蓋が小さく鳴った。


魔王が火の具合を確かめる。


勇者は自分の器へ取り分けたあと、魔王の器にも入れた。


「友人として」


「頼んでない」


「冷めた茶を淹れ直した借り」


「それなら俺が返す側だろ」


「細かいことはいいんだよ」


湯気の立つ料理を食べる。


酒が進み、空だった徳利が二本目に変わった。


勇者は頬杖をつきながら、学生時代の友人たちを思い出していた。


卒業後もしばらく連絡を取っていた者。


いつの間にか新年の挨拶だけになった者。


名前は覚えているのに、今どこにいるのか分からない者。


魔王が杯を置いた。


「そういえば、大学にいた二つ下の、よく一緒に遊んでた眼鏡の子、覚えてるか」


「二つ下?」


勇者は記憶を探った。


講義棟の階段。


学生会館。


いつも何となく集まっていた仲間の一人。


二歳下で、眼鏡をかけた後輩だった。


話す時に少しだけ首を傾ける癖があった。


「……ああ」


「好きだっただろ」


「急に何だよ」


「ぞっこんだった」


「その言い方やめろ」


勇者は杯へ手を伸ばした。


中はもう空だった。


魔王が徳利を持ち上げ、少しだけ注ぐ。


「別に、そんなんじゃない」


「卒業前、毎日のように会いに行っていただろ」


「相談に乗ってただけ」


「何の相談だ」


勇者は答えず、注がれた酒を飲んだ。


魔王の口元がわずかに上がっている。


忘れていると思っていた。


卒業後、最初のうちは何度か連絡を取った。


新しい職場のこと。


大学に残った友人たちのこと。


だが、勇者の仕事が忙しくなるにつれ、返事が遅くなった。


いずれ落ち着いたら連絡しようと思っているうちに、連絡先も変わった。


それきりだった。


「今、どうしてるんだろうな」


勇者が言った。


魔王は料理へ箸を伸ばし、平然と答えた。


「俺と同じ職場にいるぞ。魔女として」


勇者の手が止まった。


聞き間違えたのかと思った。


しかし、魔王は何事もなかったように料理を口へ運んでいる。


「え……この前、うちの新潟の駐屯地へ奇襲をかけてきた、あの魔女か?」


「ああ」


「うそだろ」


「本当だ」


勇者の記憶の中にいる後輩は、静かな人だった。


大勢の前ではあまり話さない。


誰かの意見を聞いてから、自分の考えを短く伝える。


勇者が食事へ誘うと、少し迷ってから笑ってうなずいた。


その姿と、新潟の駐屯地から届いた報告書の内容が、どうしても重ならない。


「あの子、大学じゃ大人しかっただろ」


「仕事では攻める方だ」


「攻めすぎだろ。報告書三枚で収まらなかったぞ」


「成果は出している」


魔王の声には、同じ職場で働く者への信頼があった。


最後に会ったのは十年以上前だ。


それでも、顔はよく覚えている。


「連絡先、知ってる?」


「知っている」


「教えて」


「断る」


「なんでだよ」


「本人の許可なく個人情報は渡せない」


「奇襲はよくて、連絡先は駄目なのかよ」


「業務と個人情報は別だ」


正論だった。


勇者は何も言い返せず、残っていた料理を口へ運ぶ。


魔王はそれ以上、魔女のことを話さなかった。


恋人がいるのか。


結婚しているのか。


こちらから連絡する方法があるのか。


聞きたいことはいくつか浮かんだ。


だが、勇者も尋ねなかった。


十年以上前の気持ちを、今すぐどうにかしたいわけではない。


ただ、途切れたと思っていた縁が、思いがけない場所へつながっていた。


それだけで、酔いが少し回った気がした。


食事の終わりが近づき、膳の上の器が少なくなった。


温かい茶と甘味が運ばれてくる。


二人は箸を置き、ようやく肩の力を抜いた。


酒も料理も、十分に腹へ収まっている。


勇者は茶を飲みながら、料理を運んできた宿の女性へ声をかけた。


「すみません。この辺で、明日ふらっと行けるところってありますか」


「明日でございますか」


「はい。あまり難しく考えなくていい場所で」


女性は少し考え、草津温泉スキー場を挙げた。


温泉街から向かいやすく、冬でなくても周辺の景色を楽しめるという。


詳しい過ごし方まで決める必要はない。


行ってから考えてもよさそうだった。


礼を言って見送ると、勇者は向かいの魔王を見る。


「行ってみる?」


「明日は何もしないのではなかったか」


「何もしない予定だったから、変更しても誰も困らない」


「予定を入れたくないと言った直後だぞ」


「明日のことを今決めるくらいならいいんだよ」


「基準が分からんな」


魔王は呆れたように茶を飲んだ。


勇者は追いかけなかった。


起きる時間も決めない。


向こうで何をするかも決めない。


行きたくなければ、朝になってやめてもいい。


「嫌ならやめるけど」


「いや」


魔王は杯ではなく、湯呑みを置いた。


「行ってみよう」


決まったのは、行き先だけだった。


何時に出るか。


何をするか。


どのくらい滞在するか。


普段の二人なら先に埋めておく項目は、すべて空白のまま残した。


二人は食事を終え、部屋へ戻った。


腹は満ち、酒が心地よく回っている。


廊下を歩く足取りは、来た時よりも少しだけ遅かった。


明日は、魔王も休みだ。


出張でも、現地滞在でもない。


仕事の話をしないまま過ごす、一日目の続きだった。

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