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勇者と魔王、温泉に行く。  作者: 芳Hacca
第四話 勇者と魔王、合流。
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第六話 勇者と魔王 温泉街を食べ歩く

勇者はスマートフォンで地図を開きかけ、やめた。


温泉街へ向かう人の流れがある。その後ろを歩いていけば、たぶん着く。


今日は、それくらいでよかった。


道を下るにつれて、土産物店や飲食店が増えていく。軒先に並んだ菓子の箱。湯気の立つ蒸籠。店先から聞こえる呼び込みの声。


旅館の浴衣で歩く者もいれば、大きな鞄を引いたまま立ち止まって写真を撮る者もいる。


魔王はさきほどまで抱えていたPCを、仕事鞄へしまったままだった。


勇者も、それについて何も言わなかった。


最初に足を止めたのは、温泉まんじゅうと大きく書かれた看板の前だった。


店先から、油と甘い生地の匂いが漂っている。


「揚げまんじゅうだって」


勇者が言った。


「見れば分かる」


「食う?」


「聞く必要あるか?」


二人は一つずつ買う。


渡された揚げまんじゅうは、紙越しにも熱かった。表面の衣は薄く色づき、揚げたばかりの香ばしい匂いがする。


勇者はすぐにかじろうとして、熱さに口を離した。


「熱っ」


「見れば分かる」


「それ、さっきも聞いた」


魔王はそう言いながら、端から慎重にかじった。


衣が小さく音を立てる。


その直後、魔王も黙って口を離した。


「熱いだろ」


「想定の範囲内だ」


「強がるなよ」


「お前ほど慌てていない」


学生の頃から、こういうところは変わっていない。


同じ失敗をしても、魔王は認めるまでに少し時間がかかる。


二人は一口だけでいったん諦め、残りを紙袋へ戻した。冷めるまで、もう少し温泉街を歩くことにした。


次に立ち寄ったのは温泉たまごやつけもの等、たくさんの看板を掲げている店であった。


二人は温泉たまごと味噌こんにゃくに目をつける。


「まだ食うのか」


魔王が聞いた。


「お前も買ってるじゃん」


魔王の手にも、勇者と同じものがある。


「揚げまんじゅうは甘い」


「だから?」


「温泉たまごとこんにゃくは甘くない」


「理由になってるようで、なってないぞ」


魔王は手元の温泉たまごを見た。


「……食べたいからだ」


「よろしい」


勇者が満足してうなずくと、魔王はわずかに眉を寄せた。


いつもなら、何かをするには理由がいる。


誰かを納得させる理由。予定を変える理由。そして、自分自身へ言い聞かせる理由。


だが、今は温泉たまごを一つ買う理由など、誰にも説明しなくてよい。


二人は食べ物の入った袋を提げ、湯畑へ向かった。


通りの先が開けると、白い湯煙が視界へ流れ込んできた。


幾筋もの湯樋を、緑がかった湯が音を立てて流れている。立ち上る湯煙は風に押され、薄くなったかと思えば、また景色の一部を白く覆った。


硫黄の匂いが、先ほどよりも濃い。


湯畑の周囲には観光客が集まり、思い思いの場所で足を止めていた。写真を撮る者。湯煙を背景に並ぶ者。欄干から流れる湯をのぞき込む子ども。


勇者と魔王も、湯畑を眺められる場所を見つけて腰を下ろした。


二人の間に、買ってきたものを並べる。


揚げまんじゅう。


温泉たまご。


味噌こんにゃく。


昼食と呼ぶにはまとまりがない。


「どれから食う?」


勇者が聞いた。


「たまご」


「じゃあ俺も」


蓋を開ける。


柔らかな白身へ箸を入れると、中から濃い色の黄身がゆっくりと広がった。


勇者は一口食べた。


魔王も食べた。


どちらも、感想は言わなかった。


おいしくないわけではない。


むしろ、うまかった。


ただ、それをわざわざ言葉にしなくても、隣で同じものを食べている相手には分かる気がした。


温泉たまごを食べ終えると、味噌こんにゃくへ手を伸ばす。


甘辛い味噌が、温かいこんにゃくに絡んでいる。途中で残しておいた揚げまんじゅうは少し冷め、さきほどより食べやすくなっていた。


湯の流れる音がする。


観光客の話し声がする。


どこかで、写真を撮る合図の声が上がった。


子どもが笑い、その声が湯煙の向こうへ遠ざかっていく。


二人の間には、会話がなかった。


それでも、気まずくはなかった。


何か話さなければと思うこともない。


十年以上ぶりに会ったのだから、無理に話そうと思えばいくらでも会話は出てくる。


これまでどこに住んでいたのか。


どんな生活をしてきたのか。


誰と出会い、何を失い、どうして今の立場まで来たのか。


空白になっている十年以上を埋めるには、一つずつ尋ねていくしかない。


だが、二人は何も聞かなかった。


勇者は湯煙を眺めていた。


魔王も同じ方を見ていた。


学生時代にも、こういう時間があった。


どちらかの部屋に集まっても、何かをしていたわけではない。


勇者が床に寝転び、魔王が勝手に冷蔵庫を開ける。


つけたままのテレビから、どうでもいい番組の音が流れている。


片方が本を読み、もう片方がスマートフォンを触る。


約束も目的もないまま夕方になり、腹が減ったら何かを食べに出る。


当時は、それを特別な時間だと思ったことはなかった。


何もしない時間など、いくらでもあると思っていた。


今は違う。


何もしていないと、時間を無駄にしている気がする。


立ち止まっていても、次にするべきことを探してしまう。


二人とも、いつの間にか、何もしないための時間にまで理由を求めるようになっていた。


有休だから。


出張だから。


十年前の約束だから。


そんな理由をいくつも用意して、ようやくここに座っている。


それなのに、二人を満たしているのは湯畑を眺めることだけだった。


勇者は鞄へ入れたスマートフォンを思い出した。


取り出さなかった。


隣で、魔王も仕事鞄へ手を伸ばさなかった。


時間だけが、湯と一緒に流れていく。


何も起こらない。


誰にも呼ばれない。


何も求められない。


そのことを、二人は黙ったまま受け入れていた。


やがて、魔王が味噌こんにゃくの最後の一つを食べた。


勇者も残っていた揚げまんじゅうを口へ入れる。


「行くか」


「ああ」


交わした言葉は、それだけだった。


立ち上がり、食べ終えた容器を片づけ、また温泉街を歩き始める。


何を見に行くかは決めていなかった。


宿の場所は分かっている。


あとは、気になるものがあれば足を止めればいい。


曲がり角へ差しかかったところで、魔王の足が止まった。


勇者は二歩進んでから気づき、振り返った。


「どうした?」


魔王は答えなかった。


その代わり、わずかに顔を上げ、漂ってくる匂いの方を見た。


炭火と、焼けたたれの香り。


勇者も同じ方向を見る。


人の並んでいる店があった。


「やきとりか」


勇者が看板を読んだ。


店の前から列が伸びている。


魔王は黙って、その最後尾へ向かった。


「まだ食うの?」


「お前も来てるだろ」


「並ぶとは言ってない」


「じゃあ、宿へ先に行くか?」


勇者は店から漂う匂いを吸い込んだ。


「並ぶ」


二人は列の最後尾についた。


焼き鳥が焼けるたび、煙と匂いが店先から流れてくる。列はすぐには進まなかったが、急ぐ理由もなかった。


前に並ぶ観光客が楽しそうにメニューを見ている。


勇者も掲げられた品書きへ目を向けた。


「焼き鳥って、大学の近くでもよく食ったよな」


「俺の部屋の裏に店あったよな」


「あそこ。安かったから」


「味より値段で選んでいた」


「学生なんて、そんなもんだろ」


一本の値段を見て、二人で持っている小銭を数えた。


講義が終わったあと、どちらともなく店へ向かい、金がないのに酒だけは頼んだ。


腹が減っているから、焼き上がった串はすぐになくなる。


「お前、人が頼んだ皮を勝手に食ったよな」


勇者が言った。


「注文したのは俺だ」


「金を出したのは俺」


「半分だけだろ」


「半分出したら、半分は俺のだろ」


「一本を半分にはできない」


「だからって全部食うなよ」


十年以上前のことなのに、言い合いの内容まで妙にはっきり覚えている。


魔王は前を向いたまま、少しだけ口元を緩めた。


「最後に一本だけ残ったこともあったな」


「あった」


「お前が食べようとした」


「お前も同時に取っただろ」


互いに金がなく、追加注文はできなかった。


皿に残った最後の一本へ、二人が同時に手を伸ばした。


譲る理由もなく、かといって本気で奪い合うほどのものでもない。


結局、串から肉を外して、半分ずつ食べた。


「何の串だったっけ」


勇者が聞いた。


「覚えてない」


「そこは覚えてないのかよ」


「覚える必要がない」


「皮だった気がする」


「ねぎまだ」


「どっちでもいいだろ」


「聞いたのはお前だ」


列が少し進んだ。


二人も前へ詰める。


今は高級な店へ行くこともある。


値段を確かめずに注文できるようにもなった。


それでも、二人で一本の串を分けた夜の方をよく覚えている。


うまかったからではない。


特別な日だったからでもない。


あの頃は、そんな何でもない夜が、いつまでも続くと思っていたからだ。


「まだあるかな、あの店」


勇者が言った。


「どうだろうな」


「今度、見に行ってみる?」


魔王はすぐには答えなかった。


店先で焼き鳥が返され、たれの焦げる匂いが強くなる。


「今度って、いつだ」


「社会人になって、しばらくしたら」


勇者が言うと、魔王がこちらを見た。


二人の間に、少しだけ間ができた。


それから魔王は、呆れたように息を吐いた。


「その約束で、ここまで来るのに十年以上かかったぞ」


「じゃあ、今度はもう少し早めに」


「日程を決めてから言え」


「急に現実的だな」


「お前に任せると、また十年後になる」


「それは困る」


「俺も困る」


列が進み、二人の番が来た。


焼きたての串を受け取り、店から少し離れた場所で食べる。


たれは香ばしく、肉は熱かった。


今度は、どちらも熱いとは言わなかった。


一本ずつ買えるくらいの金は、もう持っている。


それでも勇者は、自分の串を見ながら言った。


「半分いる?」


「いらない」


「即答かよ」


「自分のがある」


「昔は分けたじゃん」


「金がなかったからだ」


魔王はそう言って自分の串を食べた。


勇者も笑いながら残りを口へ入れた。


焼き鳥を食べ終えると、二人は近くの土産物店へ入った。


何かを買うつもりはなかった。


入口近くに積まれた菓子を眺め、棚に並んだ小物を手に取っては戻す。


温泉地らしい穏やかな名前の商品に交じって、やけに物騒な名前の激辛菓子が置かれていた。


魔王が箱を持ち上げる。


炎に包まれた怪物の絵が描かれ、食べた者を地獄へ連れていくと書かれている。


「どう思う?」


魔王が聞いた。


「魔王向けじゃない?」


「魔王でも食わない」


「説得力あるな」


魔王は箱を棚へ戻した。


勇者は隣にあった、湯上がりの勇者を名乗る菓子を見つけた。


立派な剣を掲げた人物が、なぜか腰へタオルを巻いている。


「これは?」


勇者が箱を見せる。


「勇者向けだな」


「勇者でも買わない」


「説得力あるな」


二人は同時に笑った。


結局、何も買わずに店を出た。


誰かに渡す品を選ぶでもなく、値段を比べるでもなく、ただ棚を眺めて、くだらない商品名に笑っただけだった。


それで十分だった。


外へ出ると、湯煙の向こうから傾き始めた日の光が差していた。


温泉街を歩く人の流れも、先ほどより少し緩やかになっている。


「そろそろ宿、行くか」


勇者が言った。


「ああ」


二人はようやく宿へ向かう道を歩き始めた。


手元には、確認すべき資料も、次の予定もない。


食べ歩きの空になった袋だけが残っている。


話題が途切れても、どちらも次の話を探さなかった。


勇者でも魔王でもなかった頃と同じように、二人は並んで歩いた。


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