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勇者と魔王、温泉に行く。  作者: 芳Hacca
第四話 勇者と魔王、合流。
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第三話 魔王、出張申請

魔王側の会議は、予定より十八分長引いていた。


原因は、死神が提出した補給計画の見積もりだった。


「無理です」


長机の端で、黒衣の死神が言った。


会議が始まってから三度目の「無理です」だった。


「まだ何も頼んでないぞ」


魔王が返す。


「次に頼まれる内容が分かるので、先に回答しました」


「じゃあ何を頼まれると思ってる」


「現在の人員と予算のまま、補給頻度を上げ、遅延率を下げろと」


魔王は黙った。


頼むつもりだった内容と一字一句同じだった。


死神は何を頼んでも最初に無理だと言う。だが、仕事を嫌がっているだけかと思って詳しく聞くと、無理な理由と必要条件が正確に出てくる。


扱いやすいのか、扱いにくいのか、いまだに判断できない。


向かいではドラゴンが腕を組み、面白そうに二人を眺めている。


人の姿を取っていても、額の角と首筋の鱗は隠れない。古参の現場叩き上げで、魔王より長くこの組織にいる。制度変更も組織改革も、そのたび掲げられた立派な標語も、ひととおり生き延びてきた男だ。


「人員か予算、どちらか増えれば可能か?」


魔王が聞くと、死神は資料を一枚差し出した。


「両方増えた場合の案がこちらです」


「片方では?」


「無理です」


四度目だった。


その隣で、魔女が無言のまま資料へ書き込みをしている。


長い髪を後ろでまとめ、細身の眼鏡をかけた女性だった。複数の部隊運用と実務処理の速さは、同格の管理職の中でも頭一つ抜けている。


ただし、他人へ任せるより自分で処理した方が早いと考える癖がある。彼女の机には今日も、部下が持つべき案件まで積まれていた。


「魔女の班から一人、補給計画へ回せないか」


魔王が聞く。


「無理です」


答えたのは死神だった。


「お前には聞いてない」


「魔女の班は先月から二名欠員です。一人抜けば、魔女がその一人分を自分でやります」


魔女のペンが止まった。


「できます」


「やるなという話をしてるんです」


「まだ何も言ってないでしょう」


「言う前に回答しました」


魔王は眉間を押さえた。


自分がいない間、この三人へ現場を任せる。


急に不安になってきた。


もっとも、不安がない時期を待っていたら、草津へ行ける日は永遠に来ない。


上層部へ提出する出張申請書は、すでに用意してある。


申請するのは、金曜一日分の北関東出張だった。


確認するのは、交通状況、補給経路、担当拠点間の接続と人員配置。業務が終わったあとは、そのまま週末を草津で過ごす。


二泊目は私費だ。


そこまで書類へ明記した。


残っているのは、職場を空けるための引き継ぎだった。


魔王は手元の議題を一枚めくった。


「次だ。来週の金曜、北関東の現地確認へ行く」


ドラゴンが片方の眉を上げた。


「北関東?」


魔女も資料から顔を上げる。


「どの拠点です?」


「複数の担当拠点と、その間の交通、補給経路を確認する」


死神は、ゆっくり瞬きをした。


「勤務扱いは金曜だけですか」


「そうだ。業務終了後も現地に残るが、土日は休日だ」


「帰着予定は日曜になっています」


「週末は私費で滞在する」


死神が申請書へ目を落とした。


説明自体は嘘ではない。


長野原草津口へ向かうまでに、確認対象となる地区を通る。移動中に道路と補給経路を見て、担当拠点では人員配置を確認する。


金曜の業務を終えたあとは、休日だった。


「一人で?」


魔女の問いに、魔王はうなずいた。


「一人で」


「珍しいな」


ドラゴンの口元が緩んだ。


「同行者が必要では?」


「現場を空けられない。少人数の方が動きやすい」


「護衛は」


「俺に護衛が必要なら、先に組織の指揮系統を見直すべきだろ」


魔王は魔族側の広域現場を預かる役職名だ。最高権力者ではないし、上には本社と経営層がいる。


それでも魔王である。


少なくとも、一人で列車とバスへ乗るために護衛を付けるような立場ではない。


死神が手元の端末を操作した。


「宿泊先が温泉旅館ですが」


会議室が静かになった。


魔王は死神を見た。


「なぜ知っている」


「金曜の宿泊先として、出張申請に添付されています」


正論だった。


魔女が申請書を引き寄せる。


「二泊するんですか?」


「二泊目は出張申請に含めていない。私費だ」


「夕食付きですね」


「業務終了後の食事まで、組織に管理される覚えはない」


「部屋に露天風呂が付いています」


「宿泊設備だ」


ドラゴンが、重々しくうなずいた。


「一泊目は出張で、二泊目から休日か」


「そうだ」


「ずいぶん明確に分けたな」


「経費処理で疑われるのは面倒だからな」


死神は申請書と予約確認書を見比べた。


「二泊目が私費であることは確認できました」


「そこを確認する会議ではない」


「では、なぜ週末まで残るんです?」


申請内容が正しいと分かった途端、質問の向きが変わった。


魔女が予約確認書から魔王へ目を移す。


「会う相手がいるんですか」


「大学時代の友人だ」


魔女は目を細めた。


「大学時代」


「友人」


「現地で会うんですか」


「ああ」


この三人に嘘を重ねても、後で余計に面倒になる。


だが、勇者と温泉旅行へ行くと正直に言えば、出張の必要性とは別の会議が始まる。


「現地で合流する。それ以上は業務に関係ない」


死神が端末へ何か入力する。


「友人の所属は?」


「個人的な詮索だろ」


「機密上の確認です」


「なら、なおさら答えない」


ドラゴンの肩が揺れている。


笑いをこらえているらしい。


「とにかく、不在中の引き継ぎだ。ドラゴンは現場全体。魔女は各部隊から上がる報告の整理。死神は補給と緊急案件の一次判定を頼む」


「無理です」


「どれが」


「全部ではなく、補給頻度の上昇と遅延率の低下を同時に求める件です。出張とは別件です」


「まだ覚えてたのか」


「業務ですので」


「人員と予算の再調整案を上へ出す。それまでは現状維持でいい」


「それなら可能です」


最初から条件を聞けば話は早い。


それでも最初に「無理です」と言わなければ気が済まないらしい。


魔女が出張申請書へ目を落とした。


「緊急時は連絡します」


「構わない。ただし緊急度を確認してからにしてくれ」


「判断基準は?」


「俺が今すぐ戻らなければ、担当拠点か組織そのものが傾く案件」


ドラゴンが鼻を鳴らした。


「それなら、まず俺に回せ。魔王へ連絡する前に止める」


「助かる」


「土曜の夕食が始まる前には止めておこう」


「滞在予定を把握するな」


「引き継ぎに必要な情報だろう?」


魔王は返す言葉を失った。


魔女が最後まで申請書を確認した。


「お気をつけて」


魔女の声は平坦だったが、その視線には明らかな詮索の色がある。


「金曜は現場確認だからな」


「はい」


「交通と補給経路と拠点間の接続を見る」


「承知しました」


「温泉が目的じゃない」


「そこまでは聞いていません」


聞かれていないことまで自分から否定してしまった。


ドラゴンがとうとう声を上げて笑った。


死神は無表情のまま、次の議題を画面へ出す。


「では不在中の連絡体制について、追加で十三項目確認します」


「十三?」


「不在になる広域現場統括者の引き継ぎとしては、最低限です」


魔王は時計を見た。


会議終了予定から、すでに二十七分が過ぎている。


勇者は有休だと言っていた。


今頃、自分と同じように仕事を周囲へ押しつけ――いや、引き継いでいるのだろう。


『お前が休めるならな』


昨夜はそう送った。


しかし本当に休めないのは、どちらか。


魔王には、まだ分からなかった。


会議室の窓の外では、南から伸びる幹線道路を補給車列が北へ向かっていた。


草津まで、あと七日。


出張の準備は、始まったばかりだった。

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