第三話 魔王、出張申請
魔王側の会議は、予定より十八分長引いていた。
原因は、死神が提出した補給計画の見積もりだった。
「無理です」
長机の端で、黒衣の死神が言った。
会議が始まってから三度目の「無理です」だった。
「まだ何も頼んでないぞ」
魔王が返す。
「次に頼まれる内容が分かるので、先に回答しました」
「じゃあ何を頼まれると思ってる」
「現在の人員と予算のまま、補給頻度を上げ、遅延率を下げろと」
魔王は黙った。
頼むつもりだった内容と一字一句同じだった。
死神は何を頼んでも最初に無理だと言う。だが、仕事を嫌がっているだけかと思って詳しく聞くと、無理な理由と必要条件が正確に出てくる。
扱いやすいのか、扱いにくいのか、いまだに判断できない。
向かいではドラゴンが腕を組み、面白そうに二人を眺めている。
人の姿を取っていても、額の角と首筋の鱗は隠れない。古参の現場叩き上げで、魔王より長くこの組織にいる。制度変更も組織改革も、そのたび掲げられた立派な標語も、ひととおり生き延びてきた男だ。
「人員か予算、どちらか増えれば可能か?」
魔王が聞くと、死神は資料を一枚差し出した。
「両方増えた場合の案がこちらです」
「片方では?」
「無理です」
四度目だった。
その隣で、魔女が無言のまま資料へ書き込みをしている。
長い髪を後ろでまとめ、細身の眼鏡をかけた女性だった。複数の部隊運用と実務処理の速さは、同格の管理職の中でも頭一つ抜けている。
ただし、他人へ任せるより自分で処理した方が早いと考える癖がある。彼女の机には今日も、部下が持つべき案件まで積まれていた。
「魔女の班から一人、補給計画へ回せないか」
魔王が聞く。
「無理です」
答えたのは死神だった。
「お前には聞いてない」
「魔女の班は先月から二名欠員です。一人抜けば、魔女がその一人分を自分でやります」
魔女のペンが止まった。
「できます」
「やるなという話をしてるんです」
「まだ何も言ってないでしょう」
「言う前に回答しました」
魔王は眉間を押さえた。
自分がいない間、この三人へ現場を任せる。
急に不安になってきた。
もっとも、不安がない時期を待っていたら、草津へ行ける日は永遠に来ない。
上層部へ提出する出張申請書は、すでに用意してある。
申請するのは、金曜一日分の北関東出張だった。
確認するのは、交通状況、補給経路、担当拠点間の接続と人員配置。業務が終わったあとは、そのまま週末を草津で過ごす。
二泊目は私費だ。
そこまで書類へ明記した。
残っているのは、職場を空けるための引き継ぎだった。
魔王は手元の議題を一枚めくった。
「次だ。来週の金曜、北関東の現地確認へ行く」
ドラゴンが片方の眉を上げた。
「北関東?」
魔女も資料から顔を上げる。
「どの拠点です?」
「複数の担当拠点と、その間の交通、補給経路を確認する」
死神は、ゆっくり瞬きをした。
「勤務扱いは金曜だけですか」
「そうだ。業務終了後も現地に残るが、土日は休日だ」
「帰着予定は日曜になっています」
「週末は私費で滞在する」
死神が申請書へ目を落とした。
説明自体は嘘ではない。
長野原草津口へ向かうまでに、確認対象となる地区を通る。移動中に道路と補給経路を見て、担当拠点では人員配置を確認する。
金曜の業務を終えたあとは、休日だった。
「一人で?」
魔女の問いに、魔王はうなずいた。
「一人で」
「珍しいな」
ドラゴンの口元が緩んだ。
「同行者が必要では?」
「現場を空けられない。少人数の方が動きやすい」
「護衛は」
「俺に護衛が必要なら、先に組織の指揮系統を見直すべきだろ」
魔王は魔族側の広域現場を預かる役職名だ。最高権力者ではないし、上には本社と経営層がいる。
それでも魔王である。
少なくとも、一人で列車とバスへ乗るために護衛を付けるような立場ではない。
死神が手元の端末を操作した。
「宿泊先が温泉旅館ですが」
会議室が静かになった。
魔王は死神を見た。
「なぜ知っている」
「金曜の宿泊先として、出張申請に添付されています」
正論だった。
魔女が申請書を引き寄せる。
「二泊するんですか?」
「二泊目は出張申請に含めていない。私費だ」
「夕食付きですね」
「業務終了後の食事まで、組織に管理される覚えはない」
「部屋に露天風呂が付いています」
「宿泊設備だ」
ドラゴンが、重々しくうなずいた。
「一泊目は出張で、二泊目から休日か」
「そうだ」
「ずいぶん明確に分けたな」
「経費処理で疑われるのは面倒だからな」
死神は申請書と予約確認書を見比べた。
「二泊目が私費であることは確認できました」
「そこを確認する会議ではない」
「では、なぜ週末まで残るんです?」
申請内容が正しいと分かった途端、質問の向きが変わった。
魔女が予約確認書から魔王へ目を移す。
「会う相手がいるんですか」
「大学時代の友人だ」
魔女は目を細めた。
「大学時代」
「友人」
「現地で会うんですか」
「ああ」
この三人に嘘を重ねても、後で余計に面倒になる。
だが、勇者と温泉旅行へ行くと正直に言えば、出張の必要性とは別の会議が始まる。
「現地で合流する。それ以上は業務に関係ない」
死神が端末へ何か入力する。
「友人の所属は?」
「個人的な詮索だろ」
「機密上の確認です」
「なら、なおさら答えない」
ドラゴンの肩が揺れている。
笑いをこらえているらしい。
「とにかく、不在中の引き継ぎだ。ドラゴンは現場全体。魔女は各部隊から上がる報告の整理。死神は補給と緊急案件の一次判定を頼む」
「無理です」
「どれが」
「全部ではなく、補給頻度の上昇と遅延率の低下を同時に求める件です。出張とは別件です」
「まだ覚えてたのか」
「業務ですので」
「人員と予算の再調整案を上へ出す。それまでは現状維持でいい」
「それなら可能です」
最初から条件を聞けば話は早い。
それでも最初に「無理です」と言わなければ気が済まないらしい。
魔女が出張申請書へ目を落とした。
「緊急時は連絡します」
「構わない。ただし緊急度を確認してからにしてくれ」
「判断基準は?」
「俺が今すぐ戻らなければ、担当拠点か組織そのものが傾く案件」
ドラゴンが鼻を鳴らした。
「それなら、まず俺に回せ。魔王へ連絡する前に止める」
「助かる」
「土曜の夕食が始まる前には止めておこう」
「滞在予定を把握するな」
「引き継ぎに必要な情報だろう?」
魔王は返す言葉を失った。
魔女が最後まで申請書を確認した。
「お気をつけて」
魔女の声は平坦だったが、その視線には明らかな詮索の色がある。
「金曜は現場確認だからな」
「はい」
「交通と補給経路と拠点間の接続を見る」
「承知しました」
「温泉が目的じゃない」
「そこまでは聞いていません」
聞かれていないことまで自分から否定してしまった。
ドラゴンがとうとう声を上げて笑った。
死神は無表情のまま、次の議題を画面へ出す。
「では不在中の連絡体制について、追加で十三項目確認します」
「十三?」
「不在になる広域現場統括者の引き継ぎとしては、最低限です」
魔王は時計を見た。
会議終了予定から、すでに二十七分が過ぎている。
勇者は有休だと言っていた。
今頃、自分と同じように仕事を周囲へ押しつけ――いや、引き継いでいるのだろう。
『お前が休めるならな』
昨夜はそう送った。
しかし本当に休めないのは、どちらか。
魔王には、まだ分からなかった。
会議室の窓の外では、南から伸びる幹線道路を補給車列が北へ向かっていた。
草津まで、あと七日。
出張の準備は、始まったばかりだった。




