第二話 勇者、有給申請
翌朝。
勇者が休暇取得を申し出ると、会議室の空気が止まった。
長机の向こうで、若い戦士が口を半開きにしている。隣に座る魔法使いは書類へ目を落としたまま固まり、ベテラン僧侶だけが何事もなかったように茶を飲んでいた。
「有給ですか?」
魔法使いが聞いた。
肩までの髪をきっちりまとめ、朝一番から一分の隙もなく制服を着こなしている。勇者と同格の管理職で、作戦計画と数字に強い。彼女が確認のために聞き返す時は、たいてい確認ではなく異議申し立ての入口だった。
魔法使いは書類を持ち上げ、光に透かすように眺めた。
「偽造でもないですね」
「俺の有休申請って、そんな扱いなの?」
「前回取ったのはいつですか」
勇者は答えようとして、黙った。
昨年、一日取った気がする。
いや、あの日は午後から連絡が入り、結局現場へ戻った。ならば半休か。そもそも申請を取り消しただろうか。
「覚えていないなら、取っていないのと同じです」
僧侶が湯気の向こうから言った。
白髪の混じる短い髪に、穏やかな目元。治療と後方支援を長く預かってきた彼は、負傷者の顔色だけでなく、働きすぎた管理職の顔色まで見逃さない。
「休むのも仕事ですよ」
「僧侶だけだよ、俺の有休に肯定的なの」
「あなたが倒れた時の方が面倒ですから」
優しさの形をしているが、内容はかなり業務的だった。
「俺は賛成ですよ!」
戦士が勢いよく手を挙げた。
鍛えられた大きな身体が動くたび、会議用の椅子が小さく軋む。現場能力を評価され、最近管理職へ上がったばかりだ。声も判断も速い。考えるより先に前へ出るところを、勇者は長所とも短所とも思っていた。
「俺に全部任せてください!」
魔法使いが即座に顔を上げた。
「全部任せるのはやめて」
「なんでですか!」
「あなた、何を聞いても『できます』って言うでしょう」
「できますから!」
「いつも結局できないから言っているの!」
やり取りが一周したところで、僧侶が勇者へ視線を戻した。
「引き継ぎは?」
勇者は用意してきた書類の束を机へ置いた。
「定例業務と連絡先はまとめた。俺の不在中に判断が必要になりそうな案件は優先度を分けてある。補給関係は魔法使い、現場の人員配置は戦士、人員の健康管理と、全体の調整は僧侶に頼みたい」
魔法使いが束を受け取り、最初のページをめくる。
「十二ページ」
「必要なことだけに絞った」
「絞る前は何ページだったんです?」
「二十八」
「聞かなければよかった」
戦士も横から紙をのぞき込んだ。
「人員配置、俺一人で決めていいんですか?」
「通常の交代なら。ただし応援要請が来ても、その場で『出せます』とは言うな。現在地と帰還予定と装備を確認してから返事をしろ」
「分かりました。できます!」
「今の話を聞いてた?」
「確認してから、できます!」
「結論を予約するな」
勇者が額を押さえると、魔法使いは十二ページ目まで一気に目を通した。
「緊急時の連絡先に、あなたの番号が入っていますけど」
「本当に緊急なら連絡は必要だろ」
「消します」
「いや、待って」
「完全休暇でしょう」
「完全休暇だけど、緊急事案発生時まで無視するとは言ってない」
「そんな状況なら、あなたへ電話する前に上へ報告します。私たち三人もいます」
「それはそうだけど」
勇者は三人の顔を見た。
魔法使いは優秀だ。数字と計画に関しては、自分より確実に細かい。
僧侶は経験がある。勇者が見落とす人の疲れにも気づく。
戦士はまだ危なっかしいが、現場で迷った時に足を止めない。その勢いに救われたことも一度や二度ではなかった。
信用していないわけではない。
むしろ信用しているから、仕事を渡せる。
それでも頭のどこかで、自分がいない間に限って何かが起きるのではないかと思ってしまう。問題が起きた時、自分なら少し早く気づけたのではないか。損失を一つ減らせたのではないか。
そう考えて、結局いつも仕事を抱え込む。
僧侶が静かに湯呑みを置いた。
「勇者」
「うん」
「あなた一人がいなければ回らない組織なら、三日休むことより、そんな組織にしたことの方が問題です」
勇者の胸に、きれいに刺さった。
魔法使いが引き継ぎ確認欄へサインする。
「こちらは引き受けます。その代わり、休暇中は問い合わせ禁止です。あなたからの問い合わせも含みます」
「俺から?」
「朝と夜に『何か問題ない?』と連絡するつもりでしょう」
図星だった。
「位置情報の共有も切ってください」
「そこまで?」
「あなたの現在地が現場へ近づいたら、こちらから迎撃します」
「味方だよね、俺」
「休暇中は部外者です」
戦士が大きくうなずく。
「安心してください。何かあっても全部――」
魔法使いが見る。
「重要度を確認して、俺たちで相談して対応します」
「よろしい」
新任管理職は、少しだけ成長したらしい。
勇者は、三人のサインが並んだ引き継ぎ確認書を受け取った。
紙一枚のはずなのに、不思議な重さがあった。
完全に仕事から離れる。
そんなことが本当にできるのか、まだ半信半疑だった。
「ところで、どこへ行くんです?」
戦士が尋ねた。
「草津」
「一人で?」
勇者は一瞬だけ迷った。
敵対する組織の魔王と行く、と正直に答えた場合、この有休申請はもう一度最初から審査される気がする。
「大学の友人と」
嘘ではない。
魔法使いがわずかに眉を動かしたが、それ以上は聞かなかった。
あとは、当日まで余計な問題が起きないことを祈るだけだ。
そう考えた直後、戦士の端末が鳴った。
「応援要請です! 隣の地区へ二個小隊、すぐ出せるかと」
戦士は画面を見て、勇者を見た。
勇者も戦士を見た。
「現在地と帰還予定と装備を確認します!」
「うん。まずはそこから」
休暇まで、あと六日。
引き継ぎは、始まったばかりだった。




