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勇者と魔王、温泉に行く。  作者: 芳Hacca
第四話 勇者と魔王、合流。
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第十五話 勇者と魔王 それぞれの帰路へ

翌朝、勇者が目を覚ますと、隣の布団で魔王が上半身を起こしていた。


障子の向こうは、もう明るい。


勇者も掛け布団を押しのけようとした。脚を動かした途端、太腿のあたりが痛んだ。


「……痛え」


魔王がこちらを向いた。


「起きて最初に言うことか」


「昨日より痛い」


「だろうな」


そう言った魔王も、布団から立ち上がる時には片手を畳についていた。


勇者はそれを見ながら、ゆっくり身体を起こした。


時計を見ると、朝食までにはまだ時間がある。


昨日のように、飯がなくなると言われて飛び起きる必要はなかった。


魔王が手拭いを取る。


「風呂、行くか」


「行く」


今度は、勇者もすぐに答えた。


二人は水を飲み、寝乱れた浴衣を直して部屋を出た。


廊下には朝の冷たい空気が残っていた。浴場への曲がり角も、もう案内を見ずに分かる。


脱衣所で浴衣を脱ぐと、腕を上げた魔王が少しだけ動きを止めた。


「肩?」


勇者が聞く。


「背中もだ」


「俺より多いな」


「数の問題ではない」


勇者は笑い、手拭いを持った。


浴場には、すでに何人かの客がいた。


湯気の向こうで桶を置く音がする。身体を洗い、掛け湯をしてから、二人は空いている場所へ並んで入った。


勇者は腰まで沈んだところで、一度止まる。


「昨日より熱く感じるな」


「疲れてるんじゃないか」


「誰のせいだよ」


魔王はゆっくり肩までつかった。


「ユウちゃんをジップラインへ誘った二人のせいだ」


「その呼び方やめろ」


「昨日は受け入れていただろ」


「お前に言われると違うんだよ」


湯へ沈むと、それ以上の言葉は長い息に変わった。


昨日も痛かった脚が、今朝も痛い。


温泉へ入ったからといって、なかったことにはならないらしい。


それでも、布団から立ち上がった時よりは楽だった。


勇者は浴槽の縁へ背を預ける。


隣では魔王が目を閉じていた。


湯面を揺らすと、朝の光が細かく崩れる。誰かが浴槽から上がり、その波が二人のところまで届いた。


「もう一泊したら、治るかな」


勇者が言った。


魔王は目を開けずに答えた。


「帰る頃には、別のところが痛くなるんじゃないか」


「今日は何もしない」


「昨日も、最初はそう言っていた」


勇者は笑った。


延泊を頼むつもりはなかった。


魔王も、予定を確かめようとはしない。


二人はしばらく、湯の流れる音を聞いていた。


やがて勇者が顔を上げ、魔王も浴槽の縁から背を離す。


どちらともなく立ち上がった。


朝食会場へ入ると、器の触れ合う音と、小さな話し声が聞こえた。


勇者は席へ向かいながら、何となく周囲を見渡した。


明るい髪を束ねた姿も、黒髪から小さな角をのぞかせた姿もなかった。


まだ部屋にいるのか、もう食べ終えたのか。


昨夜は朝起きてから決めると言っていた。その後の予定を、勇者は知らない。


席へ座ると、目の前に温かい飯が置かれた。


魔王は向かいで箸を取っている。


勇者も味噌汁へ手を伸ばした。


朝風呂のあとだからか、昨日より早く腹が減っていた。


焼き魚の身をほぐし、飯と一緒に口へ運ぶ。小鉢に少しずつ残っているものを食べているうちに、茶碗だけが先に空になった。


勇者はもう少しだけ飯をよそった。


魔王がそれを見る。


「まだ食うのか」


「おかずが残った」


「それで昨日もおかわりしていただろ」


「今日は少なめだよ」


魔王は勇者の茶碗を見てから、自分の飯へ箸を戻した。


何も言わないところが、少し気になった。


食べ終えて茶を飲む頃には、勇者は腹のあたりを一度さすっていた。


「食べすぎた」


「だろうな」


「旅行中は仕方ないだろ」


「帰ってから後悔するぞ」


向かいの膳も、きれいに空になっていた。


勇者がそちらへ目をやると、魔王は平然と茶を飲んだ。


二人は急がずに席を立った。


帰りにもう一度会場の方を見たが、ナナとミサキの姿はなかった。


部屋へ戻ると、朝の光が畳の上を広く照らしていた。


勇者は浴衣を脱ぎ、帰りの服へ着替えた。


二日間、部屋の隅へ置いたままだった鞄を開ける。


着替えをまとめ、洗面用具を入れ、壁際につないでいた充電器を抜いた。行きにはきちんと収まっていたはずのものが、同じ鞄へなかなか戻らない。


一度、上から押さえてみる。


閉まらなかった。


「増えたのか」


魔王が聞いた。


「何も買ってないんだけどな」


「畳めば入るだろ」


勇者は、丸めて押し込んだ服を取り出した。


向かいでは、魔王がキャリーケースを閉じている。


こちらへ何か言う前に作業を終えているのが、相変わらずだった。


服を畳み直すと、鞄はあっさり閉まった。


勇者はそれについて何も言わず、窓際へ置き忘れていた端末を取った。


魔王は仕事鞄の中身をいったん座卓へ出していた。


PC、資料、束ねたコード。


大きいものから順に収め直し、最後に鞄を閉じる。PCの画面を開くことはなかった。


昨日、一日ここへ置いていった鞄が、キャリーケースの隣へ並ぶ。


勇者は自分の小さな鞄を持った。


「やっぱり、お前の方が荷物多いな」


「来た時からだ」


「忘れていかないようにな」


「忘れようがない」


魔王は仕事鞄の持ち手を握った。


その手つきを見てから、勇者は座卓へ目を戻した。


急須と、二つの湯呑みが残っている。


昨夜の空き缶は一か所へまとめてあり、畳の上にはもう、二人の持ち物はなかった。


勇者は窓際と壁の差し込み口をもう一度見た。


魔王も部屋を一巡し、戻ってくる。


「忘れ物、ないよな」


「ああ」


「じゃ、行くか」


勇者は鍵を取った。


扉を閉めると、鞄の中で充電器が小さく動いた。


帳場には、同じように荷物を持った宿泊客が何組かいた。


二人は順番を待ち、鍵を返して精算を済ませた。


魔王が受け取った明細を確かめている間、勇者は玄関の方へ目を向けた。


履物を揃える音がする。


外からは、車の通り過ぎる音が聞こえた。


「お世話になりました」


勇者が言うと、宿の人は笑顔で頭を下げた。


魔王も礼を言い、書類を仕事鞄へしまった。


玄関で靴を履く。


踵へ指を入れようと屈むと、また脚が張った。


勇者がゆっくり顔を上げると、魔王もまだ片方の靴を履いているところだった。


互いに、急かさなかった。


外へ出ると、温まっていた首筋を冷たい風が撫でた。


坂道には観光客が歩き始めている。


店先へ品物を並べる人がいて、その横を浴衣姿の二人連れが通り過ぎた。宿の前では、これから荷物を預けるらしい家族が入口を見上げていた。


勇者と魔王は、その間を抜けてバス乗り場へ向かった。


昨日は身軽だった。


今日は、魔王のキャリーケースが道の継ぎ目を越えるたびに音を立てている。


上り坂で、勇者は鞄を持ち替えた。


「帰りの方が、坂きつくない?」


「昨日の分だろうな」


「荷物の話じゃないのか」


「両方だ」


二人とも、歩く速さは変えなかった。


長野原草津口駅へ向かうバスには、旅行鞄や土産の袋を持った客が並んでいた。


二人も列に加わり、順番に乗り込む。


空いていた二人掛けの席へ、魔王が先に入った。


勇者は通路側に座り、自分の鞄を膝へ載せた。


魔王の膝には仕事鞄がある。


だが、走り出しても留め具は開かなかった。


窓の外を、温泉街の建物が後ろへ流れていく。


曲がり角の先で看板が見えなくなり、代わりに木々が増えた。


バスは山道を下っていく。


上ってきた時にも見たはずの斜面に、色づき始めた葉が混じっていた。日が当たるたび、緑の中へ黄色が浮かび上がる。


魔王は窓の方を向いている。


勇者も、その向こうを眺めた。


しばらくして、魔王が頭を背もたれへ預けた。


「寝るの?」


「少し」


「着いたら起こせばいい?」


「ああ」


勇者はうなずいた。


道が曲がるたび、膝の鞄がわずかに傾く。


それを押さえながら、勇者は川の光を目で追った。


写真を撮ろうかと思ったが、端末を出す前に木の陰へ隠れてしまった。


次の曲がり角で、また少しだけ見えた。


駅が近づく頃には、魔王も目を開けていた。


「起こさなくても起きるんだな」


勇者が言う。


「お前じゃないからな」


「俺だって起きるよ」


「今朝はな」


言い返す前に、到着を知らせる案内が流れた。


二人は荷物を持ち直し、バスが止まるのを待った。


長野原草津口駅の前へ降りると、これから草津へ向かう人たちが乗り場に並んでいた。


小さな子どもが、次に来るバスの方を指さしている。


勇者はその家族を避け、魔王と並んで駅舎へ歩いた。


二日前、魔王が立っていた壁際が見える。


今は別の旅行客が、そこへ鞄を置いて連れを待っていた。


二人は駅の案内を見て、それぞれの帰路を確かめた。


ここから先は、別々だった。


勇者が鞄の持ち手を握り直すと、魔王もキャリーケースを自分の脇へ寄せた。


どちらからともなく、向かい合う。


「じゃあ、またな」


勇者が言った。


「ああ」


魔王は短く答えた。


それで歩き出せそうだったが、勇者はもう一言だけ足した。


「次は十年も空けるなよ」


「お前も連絡しろ」


「分かった」


魔王が眉を上げる。


「本当か?」


「たぶん」


「信用できんな」


勇者は笑った。


魔王も口元を緩め、キャリーケースの向きを変えた。


次の日付は決めなかった。


握手をすることも、肩を叩くこともなかった。


魔王が歩き出し、勇者も自分の行く方へ身体を向ける。


数歩進んだところで、一度だけ振り返った。


魔王はもう、こちらを見ていなかった。


片手でキャリーケースを引き、もう片方の手には仕事鞄を提げている。


その背中が、人の流れへ少しずつ紛れていく。


勇者も前を向いた。


そして、自分の帰る側へ歩き始めた。


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