第十三話 勇者と魔王 四人で夕食を楽しむ
夕食の席を四人分に変更できるか尋ねると、宿の人は少しだけ予約表を確認した。
「同じお席でご用意できます」
その返事を聞いたナナが、勇者たちより先に礼を言った。
「よかった。じゃ、先に温泉行こ」
ナナがミサキの腕を取る。
勇者は隣の魔王を見た。
スキー場でかいた汗を流したかったし、朝とは違って、今度は湯へ入る時間も十分にある。
「俺たちも行くか」
「温泉は別々だよ」
ナナが即座に返した。
その隣で、ミサキが口元を押さえている。
「分かってます」
「ユウちゃん、一応言っとかないと来そうじゃん」
「行きませんよ」
「まー君が止めてね」
魔王は小さく息を吐いた。
「なぜ俺の仕事になる」
「いつも止めてそうだから」
ナナとミサキは笑いながら、自分たちの部屋の方へ歩いていった。
勇者はその背中を見送り、隣の魔王へ顔を向ける。
「もう完全に、俺たちがそういう二人だと思われてるな」
「だいたい合っている」
「今のまで含めるなよ」
二人は一度部屋へ戻り、入浴の準備を整えた。
浴場へ着くと、夕食前の時間だからか、朝よりも人が多かった。
身体を洗ってから湯へ入る。
肩までつかった途端、勇者の口から長い息が漏れた。
「疲れたな」
「ああ」
隣で魔王も浴槽の縁へ背中を預ける。
朝に入った時は、熱い湯で頭と身体を起こした。
今は一日使った身体を癒すために入っている。
同じ湯なのに、気持ちよさが違った。
勇者は湯の中で脚を伸ばしかけ、途中で止めた。
「痛っ」
魔王が顔だけを向ける。
「どうした」
「脚。あと背中も少し痛い」
「普段使っていないからだ」
「お前は平気なのか」
魔王は答える前に、肩を一度回した。
「肩と背中が痛い」
「人のこと言えないじゃん」
「俺は状態を説明しただけだ」
「同じだろ」
勇者は浴槽の縁へ頭を預けた。
湯が脚へ染み込むようだった。
カートでは地面からの振動を受け続け、ジップラインでは装具に身体を預けた。遊んでいる間は気にならなかった負担が、今になってまとめて戻ってきたらしい。
「明日の朝、もっと痛くなってるかな」
「可能性はある」
「今もう痛いから、明日は平気かもしれないだろ」
「どういう理屈だ」
「筋肉痛が当日に来るのは、まだ若いって言うじゃん」
魔王は少し考えた。
「都合のいい話だけ信じるんだな」
「お前だって、嫌じゃないだろ」
「否定する根拠はない」
「ほら」
二人はそれ以上、年齢の話を掘り下げなかった。
湯の中で脚を伸ばし、肩を回す。
しばらくすると、身体の痛みが消えたわけではないが、立ち上がるくらいの気力は戻ってきた。
「腹減ったな」
勇者が言う。
「夕食前に倒れるなよ」
「そこまで弱ってない」
口ではそう返しながら、勇者はゆっくり立ち上がった。
浴場を出た二人は浴衣へ着替え、髪を整え、食事処へ向かった。
入口には、すでにナナとミサキが待っていた。
「ちゃんと別々だった?」
ナナが聞く。
「当たり前です」
勇者が答えると、ミサキが魔王を見る。
「まー君、止めた?」
「止める必要もなかった」
「信用ないな、俺」
「今日知り合ったばかりだからね」
ナナとミサキはくすくす笑っている。
案内された食卓には、四人分の料理が並んでいた。
昨日、魔王と二人で向かい合った時より、卓上が狭く見える。席へ着く前からナナとミサキが話し、勇者が返し、魔王が訂正を入れるからだった。
飲み物の品書きを開く。
勇者が最初に見つけたものを指した。
「とりあえず、ビールでいいよな」
「異議はない」
魔王の返事も早かった。
ナナはジントニックを選び、ミサキはレモンサワーを頼んだ。
「二人ともビールなんだ」
ナナが品書きを閉じながら言った。
「なんか、おじさんっぽい」
ミサキも笑う。
勇者は二人を見た。
「同じくらいの年だろ」
「年じゃなくて、選び方」
「最初の一杯として合理的だ」
魔王が真顔で言う。
ミサキは声を立てて笑った。
「そういう言い方がもう、まー君っぽい」
「ビールの選択と俺の呼び方は関係ないだろ」
「あるある。ユウちゃんは、とりあえずって言ったし」
ナナに指摘され、勇者は隣を見た。
「別のにする?」
「今さら変える必要はない」
「だよな」
「ほら、そういうとこ」
何がそういうところなのか分からないまま、飲み物が運ばれてきた。
勇者と魔王の前にはビール。
ナナの前にはジントニック、ミサキの前にはレモンサワーが置かれる。
グラスが揃うと、ナナが自分のものを持ち上げた。
「じゃ、今日一日お疲れさま」
「旅行でお疲れさまって言うの?」
ミサキが笑う。
「カートも乗ったし、空も飛んだし。働くより動いたでしょ」
勇者は魔王と顔を見合わせた。
「否定できないな」
「ああ」
四つのグラスが、軽い音を立てた。
勇者は冷えたビールを口へ運ぶ。
湯上がりの身体へ、炭酸と苦みが気持ちよく広がった。
おじさんっぽいと言われても、最初の一杯はこれでよかった。
ナナはジントニックを半分ほど飲んだところで、もう一度品書きを開いた。
「ねえ、せっかくだし地酒も飲もうよ」
「飲みたい」
ミサキがすぐに乗る。
勇者は魔王と顔を見合わせた。
「昨日飲みましたけど、おいしかったですよ」
「ああ。純米吟醸だった」
魔王が品書きの一つを指した。
昨日、二人で夕食を食べた時に頼んだものだ。
「じゃ、それにしよ」
ナナが決めかけると、ミサキが隣に書かれた別の地酒へ指を移した。
「待って。こっちも気にならない?」
「どっちがいいかな」
二人の視線が、勇者と魔王へ向いた。
勇者は二つの銘柄を見比べる。
味の違いを説明できるほど詳しくはない。魔王も品書きを読んでいるが、すぐに答える様子はなかった。
「両方でよくない?」
ナナが言った。
相談する必要は最初からなかったらしい。
「四人いるし、飲み比べできるじゃん」
「それがいい」
ミサキも品書きを閉じた。
ほどなくして、二種類の徳利と四つの杯が運ばれてきた。
最初の酒を四人で分ける。
勇者が口をつけると、昨日飲んだ、すっきりとした香りが広がった。
「これ、昨日のだ」
「確かに飲みやすいね」
ミサキが杯の中を見ながら言う。
もう一方も、それぞれの杯へ少しずつ注いだ。
ナナは一口飲み、少しだけ考える顔をした。
「こっちは香りが強くて、あとに味が残るね」
「うん。料理と一緒ならこっちもいい」
「お前は?」
勇者が聞くと、魔王は二つの杯を見比べた。
「最初の方だな」
「昨日も飲んだから?」
「好みの話だ」
「まー君、意外と冒険しないね」
ナナに言われ、魔王は二杯目をもう一口飲んだ。
「比較した上で選んでいる」
「そういうところだぞ」
勇者が言うと、今度はナナとミサキが同時に笑った。
「でさ、まー君」
ナナが杯を置いた。
「飛ぶ前、めっちゃ静かだったよね」
「安全装置を確認していただけだ」
「それ、今日三回目」
ミサキがすぐに返す。
魔王は箸を取り、何事もなかったように料理へ手を伸ばした。
「三回説明しても理解されないとは思わなかった」
「理解はしてるよ。怖かったんでしょ」
「違う」
「でも声は一番大きかったよな」
勇者が加わると、魔王の箸が止まった。
「お前も声が出ていた」
「俺は楽しかったって認めたから」
「声量と感想は別の話だ」
ナナが勇者を指す。
「ユウちゃんも、順番来たら急に笑わなくなったじゃん」
今度は勇者の箸が止まった。
魔王が横から言う。
「人の番だけ楽しんでいたからな」
「見なくていいところだけ見てるよな、お前」
「隣にいたから見えただけだ」
「じゃあ二人とも怖かったってことでよくない?」
ミサキがまとめると、ナナがうなずいた。
勇者と魔王だけが、すぐにはうなずかなかった。
料理へ箸を伸ばしながらも、会話は途切れなかった。
マウンテンカートでは誰が先だったか。魔王は曲がるたびに減速しすぎていた。勇者は追いつこうとしていたのに、競走ではないと言い張っている。
昼にもしたはずの話なのに、誰かが別の場面を思い出すたび、また笑いが起きた。
「二人って、仕事でも一緒なの?」
ミサキが尋ねた。
勇者は口へ運びかけた料理を止める。
「いや、職場は別です」
「大学が一緒だっただけだ」
魔王が続けた。
「今は、別々の組織で現場の管理をしている」
「二人とも?」
「まあ、そんな感じです」
勇者は答えてから、ずいぶん大ざっぱな説明だと思った。
だが、担当地域や所属を話し始めれば、説明は長くなる。せっかく仕事から離れているのに、ここで役職へ戻る必要もなかった。
ナナはそれ以上聞かず、納得したように箸を動かした。
「やっぱ会社勤めの人なんだね」
「どういう意味です?」
「何するか決めるだけで、ずっと会議してたじゃん」
「会議ではない」
魔王が即座に否定する。
ミサキが笑った。
「結論出なかったけどね」
「最終的には決まっただろ」
「うちらが決めたんじゃん」
それを言われると、魔王も黙るしかなかった。
勇者は笑いながら、今度はこちらから尋ねた。
「二人は、仕事も一緒なんですか」
「全然違うよ。うちは服関係の仕事」
ナナが自分の着ている浴衣の袖をつまんだ。
「服の店を何店舗かやってるの」
予想していなかった答えに、勇者は箸を置いた。
「経営者?」
「一応ね」
ナナは軽く答え、隣を指す。
「ミサキはコスメで、自分のブランド持ってんのよ」
「まだそんな大きくないけどね」
「またそういうこと言う。うちの店にも置いてるんだけど、最初は期間限定だったんだけど、すごく売れたから、今は定番で置いてるの」
ミサキは少し照れたように笑い、飲み物へ口をつけた。
二人は仕事を通じて知り合ったらしい。
店頭へ置く商品を探していたナナと、扱ってくれる店舗を探していたミサキ。話してみたら気が合い、今では仕事を離れて一緒に旅行する仲になった。
そこまで聞いて、勇者はミサキの髪の間からのぞく角へ一度だけ目を向けた。
「商品って、人間向けと魔族向けで分けてるんですか」
「分けてないよ」
ナナの返事は早かった。
「分けたら、お客さん減るじゃん」
あまりにも迷いがなく、勇者は次の言葉を少し遅らせた。
「服だと、体格とか違いません?」
「そこは見るけど、小さい人、大きい人がいるのは人間も魔族も同じじゃん」
ナナは何でもないことのように答える。
「でも、それってサイズとか形の話でしょ。誰に売るかまで種族で決める意味なくない?」
「コスメも同じ」
ミサキが自分の頬へ指先を当てた。
「肌質は見る。人間と魔族だけじゃなくて、同じ種族でも全然違うし。商品を作るなら必要だから」
「でも、使ってよければまた買うし、似合えば着る。そんだけ」
ナナが料理を一口食べてから、付け加える。
「両方に売った方が、普通に儲かるしね」
「結局そこなんだ」
勇者が笑うと、ナナは当然という顔をした。
「商売だもん」
ミサキも笑っている。
理想を語っているわけではない。
どちらの種族も同じように扱うべきだと、誰かへ訴えているのでもない。
売れる商品を作る。
欲しい相手へ売る。
気の合う相手と一緒に遊ぶ。
二人にとっては、それだけの話なのだろう。
「ユウちゃんたちの仕事は?」
ナナに聞き返され、勇者は魔王を見た。
魔王もこちらを見ている。
「うちは……人間が多いですね」
「俺の方は魔族が多い」
「へえ。じゃあ、取引先同士みたいな感じ?」
「いや」
勇者と魔王の声が重なった。
ナナとミサキが二人を見比べる。
「競合に近い」
魔王が言い直した。
「担当が重なることもある」
「じゃあライバルじゃん」
「そうなるな」
「ライバルと温泉来てんの?」
「大学の友人でもあるから」
勇者が答えると、ナナは一度だけ目を丸くした。
それから、すぐに笑った。
「なら別によくない?」
ミサキもうなずく。
「仕事は仕事で、ユウちゃんとまー君の友情は別でしょ」
二人はそれ以上、勇者たちの組織について尋ねなかった。
気づけば、二種類の徳利はどちらも空になっていた。
ナナが宿の人を呼び、今度は相談せずに両方を追加する。勇者も止めず、ミサキは空いた杯を四人分、卓上の中央へ寄せた。
夕食の後半には、四人ともかなり酒が進んでいた。
ナナとミサキの会話は、昼間よりさらに速い。勇者は普段なら流すような一言まで拾って笑い、魔王は訂正しようとして、何度か言葉を挟む時機を逃していた。
魔王の杯が空いているのを見つけ、ナナが地酒を注ぐ。
「まー君、遅くなってるよ」
「何がだ」
「突っ込むの」
「俺はその役ではない」
答えるまでに一拍あった。
「ほら、遅い」
ミサキに言われ、魔王は反論する代わりに杯へ口をつけた。
話題は、旅行の予定へ戻った。
次はどこへ行きたいか。今日撮った中で、どの写真が一番よかったか。魔王が空中で本当に目を開けていたか。
最後の話だけは、また少し長く続いた。
勇者も魔王も、二人の会話へ合わせることに慣れていた。
勇者が魔王の声を大げさに再現すると、魔王はカートで勇者が追いつけなかった話を持ち出した。ナナが話を膨らませ、ミサキが端末の写真を証拠として見せる。
料理が減り、最初のグラスも、追加した地酒の徳利も空になった。それでも、四人の笑い声はしばらく止まらなかった。
やがて食事を終え、四人で食事処を出た。
廊下の分かれ道で、ナナとミサキが足を止める。
「じゃあね、ユウちゃん、まー君」
ナナが手を振った。
「また明日会ったら遊ぼ」
「明日の予定は決めていないのか」
魔王が聞くと、ナナは笑った。
「旅行なんだから、それでよくない?」
「朝起きてから決める」
ミサキも手を振り、二人は自分たちの部屋へ向かった。
明日の朝、廊下ですれ違えば、また話すかもしれない。
二人の姿が角を曲がって見えなくなる。
急に静かになった廊下で、勇者は隣の魔王を見た。
「楽しかったな」
「ああ」
魔王は短く答えた。
「まー君」
「二度と呼ぶな」
返事は早かった。
勇者は笑いながら、売店の方へ目を向ける。
「もう少し飲むか」
魔王も同じ方を見た。
「そうだな」
二人は酒を買い直してから、部屋へ戻ることにした。




