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再会~再接近

 十九 再会

 あまりの痛みに、四つん這いになっていた腕から力が抜ける。そして、まるで頭を抱え込むかの様に突っ伏す。

 「まだだ……腕を伸ばせ。お前は犬だ!四足歩行の生き物だ!!」

 そう言って、首輪に着いたリードを思い切り上に引っ張り上げられる。……息が詰まる。自然と腕で身体を支えなければならなくなる。

 「……そうだ、良い子だ……。」

 首輪に着いたリードを引っ張られたまま、また何かを背中や尻に打ち付けられる。

 「ぐっ!」

 激痛に耐えかね、自分の塞がれている口から、くぐもった声が漏れる。

 腕から力が抜けそうになるが、首が締まる為、突っ張っていなければならない。だが、手も足も拘束されていて、ただでさえ上手く力を出すことが出来なかった。思わず呻き声を上げる。

 「そうやって、這いつくばって、いろ!お前は人間、なんかじゃ、無い!」

 打ち付ける度に、ヤツの呼吸も乱れる。

 「ぐっ!」

 痛い……悔しい……。だが、まだ心は……自分は耐えられる。

 (俺は……ちゃんと心を持った『人間』や!自分は……自分や!!)

 武士はそう自分自身に言い聞かせた……。

 一瞬どこにいるのか分からなかった。首元にびっしょりと汗をかいて、Tシャツのへばりつく様な感触がし、気持ちが悪かった。左手を伸ばそうとするが、ある程度までしか動かせない。

 (せや、これを付けてたんやった……。)

 正気を失った状態で、真弓を襲うことのない様に、例の手枷で固定していた左手を外そうとすると、右手は隣で眠る真弓の身体の下敷きになっていた。起こさない様にそっと抜く。

 ベッドから立ち上がると、真っ先にシャワーを浴びた。頭から水を被りながら、自分の様に十七歳の時に体験した理不尽な暴行を、今でもまだこうして夢に見ることがある……というのに、幼少期にそういう目に合った人間がトラウマを抱えるのは、当たり前の事だろう……そう考える。礼司は、恐らく親から虐待されていたらしい……本人からは一度も聞いたことが無いが、弥栄子からそう教えられた。そういう弥栄子自身も、親からでは無かった様だが、やはり子供の頃に虐待を受けている。

 ただ今回の悪夢は、昨日真弓に打ち明けたお陰だろうか?精神的に前向きなところで終わっていて、寝覚めの悪さがいつもとはまるで違っていた。

 シャワーを終え寝室に戻ると、真弓はまだ眠っていた。武士は彼女の安らかな寝顔を見て、癒される思いだった。頬にキスをすると、唸りながら寝返りを打つ。そうやってしばらく彼女の寝顔を眺め、幸せなひとときを満喫した。

 真弓と過ごす週末が終わり、彼女はまた看護学校の寄宿舎へと帰って行った。真弓はいよいよ実習が始まる為、学校の方が忙しくなり、武士も高卒資格認定試験に向けた勉強と、アルバイトもしようと考えていたから、この先会えるのも、多くて月に二回程度の週末に限られた。

 とにかくアルバイトを、片っ端から応募してみる。前科モノ……おまけに高校中退の学歴しか持たない武士にとって、仕事を探すというのは、かなり至難の業だった。

 とりあえず、長期的に働けそうな仕事としては、コンビニの夜間バイトに採用された。というのも、そのコンビニの前にたむろしていた不良少年たちに、店長が注意をした為絡まれていたらしく、偶然通りかかった武士が、彼を助けたのがきっかけだった。

 助けて貰ったお礼がしたい……という店長の申し出に、働かせて貰えないか?と問うと、二つ返事で雇って貰えることになった。

 あとは単発で、工事現場などでの肉体労働をやることになった。

 月に二度、週末になると、外泊許可を取った真弓が、武士の部屋を訪れ、晩御飯を作って待っていてくれた。武士も月に二度程度は、金曜日か土曜日のどちらかの、コンビニの夜間バイトは休みを貰うようにし、昼間に工事現場などで働いたり、高卒資格認定試験の勉強をした。

 そんな生活が四か月ほど続いたある日の、コンビニでの夜間バイトの時だった。年の頃は五十歳前後だろうか?スリムな体型で、革のパンツを穿きこなした、若々しい感じのファッション……ただ、白髪交じりの頭髪が、それなりに歳経た者であることを感じさせる男が、店内に入ってきた。

 (あないな恰好で、暑うないんかなぁ……。)

 九月に入り、夜間はかなり過ごしやすくなったとはいえ、まだまだ昼間は真夏日だ。思わず感心する。

 男は何かを探す様に、しばらく店内を物色していたが、ペット用品の前で立ち止まると、何かを手に取り、武士の居るカウンターへとやって来た。

 「こちらへどうぞ。」

 その客をレジの前へと促す。すると、男は手にしていた二つのドッグフードの缶を武士に見せながら、

 「これと、これだと……」そう言い掛けて、「君……?」と、驚いた様な顔で、武士を見つめて来た。

 武士は怪訝な顔つきで、「はい?」と返事をすると、男は満面の笑みを湛え、

 「やっぱり、君なんだろう?」

 そう尋ねてくるが、武士には見知らぬ男の言おうとしている事が一体何なのか、さっぱりわからない。まじまじと男の顔を見つめると、どこかで見たことがある様な気もしないでもない。だが、そんな風に親しげに声を掛けられる覚えは全くなかった。

 「……え?」

 聞き返すと、男は武士を見てニヤリと笑いながら、

 「君の背中の『麒麟』は元気かな?それとも……もう居なくなってしまったのかい?」

 そう言ってきた。

 (こいつ!?)

 武士は激しく動揺した。『麒麟』というのは、武士の刺青の事だ。弥栄子に彫られた、伝説の霊獣。彼女の彫る刺青はかなり独創的なもので、何かの拍子に見た程度では、何が描かれているのかまで、わからないだろう。だから、このことを知っているのは、武士の口からそれが何か答えた人物に限られる……ということになる。

 武士は、心臓が口から飛び出るのではないか……と思う程、鼓動が激しくなったが、相手に悟られない様、深呼吸をして、自分を落ち着かせる。そして、

 「えっ……と、何のことですか?」

 そう言って、とぼけた。しかし、男は武士に顔を近付け、

 「私なら、君をこんなところで働かせなくても、十分な報酬を与えてやれるのに。」

 そう囁く。武士は(やっぱり、ヤツや……!)と、確信した。その途端、さらに動悸が激しくなる。手も小刻みに震え出した。武士は、自分を落ち着かせる為に開き直ると、

 「それ……あんたの『サブ』(サブミッシブの略=従属者)に食わせるつもりなんか?」

 そう言うと、男は楽しげに、

 「『サブ』?何のことだ?飼い犬ならいるがね。」

 そう答えてくる。本当の事を言っているのか、とぼけているのかまでは、武士には解らなかった。

 男を睨みつけながらも、

 「こちら、お買い上げでよろしいですか?」

 そう言うと、男は声を上げて笑いながら、「ああ、そうする。」と返事をした。武士は会計をし、商品を袋に詰め、男に手渡そうとした時、手首を掴まれ、

 「本当は、君を買いたいんだが……どうすれば良いのかね?」

 背筋を悪寒が走り抜けた。素早く手を引込め、

 「どうぞ、お引き取り下さい。」

 そう言いながら、出口を指す。男はそれを無視し、カウンターに身体を預けながら、

 「君の『麒麟』が忘れられなくてね……。あれから他も探したんだが、手に入らなかった。もちろん、君のことも探したんだよ?だが、どこにも居なくなってしまっていた。」

 男は武士を見つめながら、熱のこもった口調でそう話しかけてくる。武士は眉間に皺を寄せながら、

 (そら十代で刺青が入った人間なんて、そうそうおらんやろ……?当時ショウ兄かて、背中はまだきれいやった。兄さんなんか嫁が『彫り師』やいうのに、あの人は対一般人向け要員やったから、刺青は一切入れてないしな……。第一、刺青入りのヤクザが、そう簡単に身売りをするとも思われへん。俺はこいつのお陰(?)で、ノルマ分稼げたから、すぐにそのマーケットから離脱出来たし……。)

 心の中でそう呟くが、男の視線がいたたまれず、顔を背ける。だが、尚も男は武士を見つめ、

 「あれから十年以上は経ったかな?でも君はまだ……思っていた以上に若く見える。」

 「……。」

 実年齢より若く見られるのは、自覚している。はっきりとした二重瞼と、時折見えるえくぼのせいだろう。特に気にしてはいないつもりだったが、この男にそう思われるのはゾッとした。思考が固まる。だが、そんな武士の様子にはお構いなしに、

 「君がここで働いていることがわかって、今日はラッキーだった。じゃあ、また来るよ。」

 そう言い残し、ようやく立ち去ってくれた。武士は全身からドッと汗が噴き出るのを自覚した。

 (このまま、何事もなければええんやけどな……。)

 そう思ったが、仕事を終えると、とにかく真弓を遠ざけておこうと考え、彼女のケータイにメールを送っておく。

 『真弓ちゃん、おはよう。しばらくの間、週末に仕事が入ってしまいました。休みが取れたらまた連絡するから、当面の間夕飯は無用です。いつもありがとう。 武士』

 『おはようございます。週末のこと、ちょっと寂しいけど、わかりました。では、学校へ行ってきます。 真弓』

 すぐにそう返信が来た。真弓に嘘を吐いたことは心苦しいが、本当のことを言って、余計な心配を掛けたく無かった。

 次に武士は礼司のところへ行って、

 「兄さん、ちょっと調べて欲しいことがあるんやけどな。」

 そう言うと、礼司は「何だ?」と、パソコンの画面に向かったまま、鷹揚に尋ねてくる。武士はどこから説明すれば良いのか……と思いながらも、

 「十何年か前に、俺の客やったことのある、IT関連会社の社長のことなんやけど……。」

 そう切り出すと、礼司は武士の方を向き、怪訝な顔をしながらも、

 「……ソネシステムズの曽根啓一郎のことか?」

 そう答えた。武士は内心(そんな有名な会社の社長やったんか!?)と驚きつつも、頷く。

 礼司はさらに顔を歪めながら、

 「何かあったのか?」

 すかさずそう尋ねてきたので、武士は憮然としたまま答える。

 「コンビニでバイト中に、偶然客として……来た。」

 「ふうん……で、何を調べるんだ?ヤツの『趣向』はもうわかっているんだろう?」

 礼司はそう言いながら、ニヤリとする。だが、すぐに思い出した様に、

 「でもお前、ヤツには性的なことは要求されなかったって言っていたよな?」

 それは確かにそうだった。暴力の上、性的暴行も受けたとなれば、さらに深手を負うところだったから、それについては不幸中の幸いだったかもしれない。

 「何か……まだ俺にご執心らしいってことを、言うてたさかい……。」

 武士が、バツが悪そうにそう答えると、

 「ほぉ……それはそれは。」

 そう言って、礼司はいつもの人をくった様な笑みを浮かべ、

 「ヤツの動向を調べれば良いわけだな?」

 その問い掛けに、武士は頷く。だが、礼司にしては珍しく、声を落とすと、

 「ただ、向こうはプロだからな。ハッキングはかなり難しい……となると、正攻法で行くしかないだろうな……。」

 何もない空間に向かって、独り言のようにブツブツ言っている。

 両足を失ってから、礼司はハッキング技術を磨き、それで稼ぎを得るまでになっていた。もともと情報収集に長けていた彼にとっては、天職であったに違いない。

 礼司は、そんな事を考える武士の方に、突然向き直ると、

 「ほい。」と言いながら、手を出してくる。今度は武士が怪訝な顔をすると、

 「前金十万円ね。……ああ、出所祝いってことで、半額にまけといてやる。」

 「ええ!?金取んの?アコギなおっさんやな……。」

 顔を顰めながら、そう罵ると、

 「それが人にモノを頼む態度か!ハッキング出来ないとなると、足で稼ぐしかないが、俺はこのザマだからな……相当人件費が掛かるんだ。」

 そうゾッとするような目で睨まれる。武士は内心、

 (俺の周りには、何でこんな上から目線の傲慢な奴らばっかり集まるんやろ……?兄さんに田上に……あの男然りや。)

 そう思って溜息を吐く。礼司の言い分も分かるが、少しはやり返さないと気が済まない。

 「元はといえば、あれは兄さんが持ってきた話やったやんか……。」

 礼司を睨みながら、そう言い返すと、

 「俺は、『曽根の言い値は良すぎるから、何か裏がある。やめておけ。』と言ったはずだぜ?」

 (確か、そんなこと言うてたな……。)

 武士は曖昧になった記憶を辿る。当時、すでに何人かを相手にして辟易していたから、早く終わらせたい一心で気が急いていたのは確かだった。

 武士が考え込むのを見て、礼司は、

 「まぁ……俺も原因の一つではある様だから、三万円で手を打ってやる。」

 珍しくそう妥協してきたので、武士は肩を竦めながら、礼司に金を渡した。

 その後の一か月程度、武士が心配していた様な事は何も起こらず、コンビニでのバイト中に曽根啓一郎が再度現れることも無かった。礼司に依頼していた曽根の動向調査も、間近五年以上に亘り、特に不審な点……頻繁に人を買っている……という様子は見られず、あまり長い期間、真弓に嘘を吐き続けるのも不自然な為、この週末はひと月振りに彼女と会うことになった。

 この日、武士は休みを取り、朝から近くの図書館で高卒資格認定試験の勉強をしていた。今、自分の部屋は、弥栄子が仕事で使っていた為だ。週末の昼間は、ほぼそんな感じだった。

 そして昼時になり、どこかで腹ごなしをしようと席を立って、貸出カウンターの前を通り過ぎようとした時、「やあ!」と、武士に向かって手を挙げる人物が居る。曽根啓一郎、その人だった。

 武士は見なかった振りをして、その場を立ち去ろうとする。すると、「川藤君、ちょっと待ちたまえ。」と言って、肩を掴まれた。それを振り払う様にして、図書館の外へ出るが、曽根のボディガードだと思われる男三人に行く手を阻まれた為、舌打ちしながら仕方なく立ち止まる。

 「全く、君ってヤツは……。」

 そう言いながら、走り寄る曽根に追いつかれた。武士はあてつけがましく溜息を吐いて、

 「何か御用ですか?」

 そう尋ねると、

 「御用かと問われると……困るな。あぁそうだ、ランチでも一緒にどうかな?」

 武士は目一杯皮肉を込めて、

 「へえ?元『サブ』と一緒に、か?」

 そう答えると、曽根は苦笑いをし、

 「どうやら私は、君に誤解されているようだね。」

 「誤解……!?一体何をどう捻じ曲げたら、そないなセリフを吐ける様になるんやろうな?」

 そう言って、曽根を睨みつける。すると彼は肩を竦め、

 「私は正当な取引をしたのだ……と、思っていたのだがね。」

 「……。」

 何の迷いも無く、そう話す曽根を見て、武士は絶句する。さらに、

 「君とは、もう一度取引をしたいと、そう思っている。」

 悪びれもせず、そう言ってくる。武士は天を仰ぎながら、

 (こいつに何を言うても無駄やな……。)

 そう心の中で思った。

 ただ、出所して間も無い身としては、なるべく穏便に済ませたい、と言うのも本音だった。

 「取引うんぬんは、まぁ置いといて……俺も別にあんたを恨んでるわけやない。ただ……二度と関わり合いにはなりとうない、そない思うてる。だから、俺の事はそっとしといてくれへんか?」

 武士はなるべく冷静にそう言うと、曽根は訳が分からないと言った態度で、

 「一体何が気に入らないんだ?金ならいくらでも払う。君には、それだけの価値がある。」

 「それや。金さえ払えば何をしてもええ……そない思うてるところが気に入らんのや。でも、あんたにはそれのどこがアカンのか、わからへんのやろ?」

 曽根は首を傾げながら、武士の言い分を黙って聞いていたが、やはりよくわからない……といった顔つきで、

 「それなら取引では無く、力ずくの方が良いということなのか……?」

 そう言う曽根の顔は、一瞬残虐な支配者の表情になったが、すぐに元の冷静な会社経営者らしい、落ち着いた顔つきになり、

 「そうやって焦らされるのも、また一興かな?君の気が変わったら、ここへ連絡してくれ。」

 武士の手に、無理矢理名刺をねじ込むと、三人のボディガードと共に去って行った。

 目の前で破り捨てたくなる衝動を何とか抑え、曽根の名刺を礼司に渡す為、ポケットに入れる。彼のものを持っていると思うと、例え紙切れ一枚でも胸がムカムカした。とっくに食欲は失われていたので、仕方なくそのまま図書館に逆戻りすることになった。

 その日、自分の部屋に戻る前に、礼司に今日の事を伝えて例の名刺を渡し、帰る頃にはすでに真弓が夕飯の支度を始めていて、「おかえりなさい。」と笑顔で武士を迎えてくれた。武士は真弓を抱き寄せ、しばらくそのままで居て欲しいと頼むと、彼女は戸惑いながらも、おずおずと武士の背中に手を回してくれた。

 次の日は、コンビニの夜間バイトが有る為、真弓を一人部屋に残し、武士は仕事に向かった。前もって礼司には、真弓の事を見ておいて貰える様に頼んでおいたが、くれぐれも彼女に本当の事を言わない様に念押しすると、「お前も苦労性だな……。」と、礼司は呆れ顔だった。

 「おはようございます。」

 そう言いながら、控室のある裏手から入ると、珍しく店長が居た。ここのところ夜間のバイトは武士と別のバイトスタッフ……その時々で入れ替わる……だけの事が多かったので、急遽もう一人が来られなくなったのだろうか?と、考えていると、

 「川藤君、単刀直入に聞くけど……君が、その……元ヤクザのヒットマンだった、というのは、本当なのか?」

 そう言い難そうに、店長が尋ねてくる。武士は、曽根が手を回したのだ……と、ピンときたが、仕方なく、「……本当です。」と答える。すると、店長は申し訳無さそうに、

 「僕は君には恩があるし、そういうことも気にしないんだが……何せ客商売だからね……。」

 「分かります……。」

 武士がそう答えると、店長は顔を曇らせ、

 「本部からの御達しがあったんだ……本当に申し訳ない。」

 そう言って、頭を下げて来た。武士は、

 「店長、気にせんとって下さい。今まで……ありがとうございました。」

 そう店長に礼を言い、笑顔で、

 「またこの前みたいに困ったことがあったら、言うて下さい。駆けつけますんで。」

 武士の言葉を聞いた店長は、泣き笑いの様な表情をして、

 「僕も……君に同じことを言えたら良かったんだけどね……。」

 そう言って、武士の肩を叩いた。

 コンビニを後にした武士は、部屋に戻るかどうか、迷った。真弓に何と言って説明しよう?シフトを勘違いしていた?それとも、正直にクビになったというべきか……?

 だが、考えている余裕はすぐに無くなった。どこからか複数の視線を感じたからだ。

 (曽根のボディガードども……やな。)

 そう確信する。どうやらヤツの言っていた通り、力ずくに方向転換したらしい。程無く、男らが姿を現す。昼間の三人のうちの二人に間違い無かった。

 (しゃーない、逃げるに限るか……。)

 武士はひとりごちた。警察沙汰になれば、すぐ様また逮捕されることになるであろうから、致し方ない。恐らく、向こうも警察沙汰にはしたくないはずだが、だからと言って穏便に済ませるつもりもない様子だった。ボディガードの一人が懐に手を伸ばしかけた……その時、武士は真逆の方向にダッシュする。そして、なるべく人混みへと向かった。土曜日とはいえ、夕方五時を過ぎた時間帯だ。駅前に近付くにつれ、人通りが多くなる。ここまでくれば、さすがにナイフを振り回したり、飛び道具をぶっ放す……といった愚行はしないだろう。

 案の定、途中で追跡を諦めたらしい、二人の気配が感じられなくなったところで、武士は胸を撫で下ろした。だがその時、不意に携帯が振動する。礼司からの着信であることを告げていた。

 「もしもし、兄さん?」そう言って出ると、慌てた様子で「武士、今どこだ?」と尋ねてくる。

 「えっと……大森の駅前やけど?」そう答えると、沈んだ声で、

 「すまん武士、真弓ちゃんが行方不明だ……。」

 「……え?」武士は一気に動悸が激しくなるのを自覚した。

 「お前の働いているコンビニに行くと言って、三十分位前に俺らの部屋を出て行ったんだ。まだ外は明るいし、彼女を引き留める理由を言うわけにもいかなかったからな……。で、帰りが遅いから、弥栄子が様子を見に行ったんだが……どうやらお前は店を辞めさせられたらしく、店に居なかった……なのに、彼女の姿は見当たらなかった……と。」

 礼司の言う事を聞きながら、武士は絶望的な気分になる。だが、このまま手をこまねいている訳にはいかなかった。

 「兄さん……例の名刺に書いてある、曽根の連絡先を教えてくれ。」

 「どうするんだ?」

 武士はとにかく自分を落ち着かせるかの様に、冷静な口調で、

 「……ヤツの取引に応じる。」

 礼司にしては珍しく、受話器の向こうで息を飲む様な気配がし、

 「取引って、お前……あの後三日間は起き上がれなかったのを、忘れたのか?」

 そう驚いた声を上げたが、武士は少しイラついた様な口調で、

 「真弓ちゃんに何かされたら……そない思うたら、俺は耐えられへん。正直、自分の事なんかどうでもええ。」

 受話器の向こうで礼司が溜息を吐く。そして、

 「今回の事は、アイツの動向をきちんと読めなかった俺にも責任があるしな……。GPSで追うから、携帯は上手いこと誤魔化せ……いいな?追跡と同時に、こっちで解決策を講じておく。」

 「わかった。頼むわ、兄さん。」

 そう言って、一旦電話を切り、礼司から聞いた曽根の連絡先に掛ける。数コール後、

 「はい。」と、曽根啓一郎本人が電話に出た。武士は、「川藤や。」と名乗る。すると、

 「川藤君!君から電話してきてくれるなんて……嬉しいよ!」

 と、はしゃぐかの様な声を上げたが、武士は冷ややかに、

 「とぼけるな。彼女に何かしてみい……誇張でも何でも無く、あんたを殺す。」

 そう言い放つと、曽根は芝居掛かった様な口調で、

 「私がそんなことをすると思っているのかい!?君の彼女がどんなコなのか興味があってね……我が家にお招きしただけなのだよ。」

 「無理矢理、な。物は言い様……やなぁ、曽根社長。」

 すると、受話器の向こうで苦笑する様な声が聞こえ、

 「そんなことを言う為に、わざわざ電話を掛けてきたのではないのだろう?」

 曽根がそう言ってくる。武士は深呼吸をし、自分を落ち着かせながら、

 「あんたとの取引に応じる。金は……あんたの言い値で構へん。これで交渉成立やから、もう彼女を人質に取る必要は無いやろ?今すぐ解放したってくれ。」

 そう言うと、嬉しそうな声で、

 「そうか、決心してくれたか!今からそちらに車を向かわせるから、そこで待っていたまえ。彼女は君がこちらに着いたら、すぐに家まで送って行こう。」

 「いや、今すぐにや。彼女には……心配掛けとうない。」

 武士の言いたいことが、曽根には分かっている様だったが、

 「だが、私としても君が心変わりするのじゃないかと、心配でね……君を彼女に見られない様にすれば良いのだろう?」

 携帯に向かって舌打ちした。だが、これ以上食い下がるのは無理だろう。仕方なく、

 「しゃーない……まあ、それでええ。」と答えると、

 「では、もう少し待っていてくれ。」

 そう言って、電話が切れる。

 武士は、急いで目の前に見える電器店へ行き、正式な手続きは後からするので、とにかく今すぐ携帯を譲ってくれと頼み込み、それを自分の着ているブルゾンのポケットに入れておいた。そして、本来の自分の携帯を靴の側面に入れて隠し、ボディチェックに備えた。

 それから程無く、いかにも会社の役員が乗りそうな黒塗りのセダンが現れた。中から先程のボディガードの一人だと思われる男が出て来て、車に乗る様、促される。乗る前に簡単なボディチェックをされ、ダミーの携帯は取り上げられたものの、靴の中までは調べられなかった。武士は胸を撫で下ろす。そして車に乗り込むと、案の定アイマスクをつける様に指示された。

 (やっぱり行き先は知られとう無いっちゅうことやな。そういや、前もそうやったか……。)

 武士は心の中でそう思いながらも、仕方なく言う通りにする。あとは、礼司のGPSでの追跡に任せることにした。

 

 二十 再接近

 車で十五分くらい走った頃だろうか……停止したな、と思っていると、アイマスクを付けたままの状態で車を降ろされる。そのまま腕を掴まれて移動し、エレベーターに乗ったらしい、床が上昇する感覚があり、止まると門扉の開閉音のしばらく後で、またドアの開閉音がし、それから靴を脱ぐ様に言われる。その後、ようやくアイマスクを外された。どうやら既に曽根の家の中に居るらしかった。

 以前来たのと同じ場所だろうか……?そう思いながら、部屋の中を見回すが、思い出せない。よく考えてみれば、ほとんど目隠しをされていた様な気がする。それで、曽根に再会した時も、自分はとっさに思い出せなかったのだろう。ただこの部屋は、曽根が付けている香水か何かと同じ匂いがした。

 詳細を思い出そうとすると、気分が悪くなりそうだったので、これ以上は考えないことにし、代わりに入り口に立つボディガードの男の力量を、目視だけで測ることにした。

 (いざとなったら全然いけそうやな……いや、でもそれだけは何としても避けたい。けど、兄さんに穏便な解決策なんて……ホンマに考えられるんやろか?)

 武士の射殺しそうな視線を感じたのか、ボディガードの男は身じろぎするものの、何も言ってこなかった。そんな風に、お互い睨み合っているところへ、

 「やあ。待たせたかな?」

 そう言いながら、ドアを開けて曽根が入ってきた。それと同時にボディガードの男は部屋から出て行く。その背中を見送ると、曽根の方に向き直り、

 「彼女は?もう帰したったんやろうな?」

 曽根を睨みつけながら、武士が脅すような口調で言うと、

 「ああ、もちろんだとも!第一、お楽しみを誰にも邪魔されたくはない。」

 満面の笑みと共に、そう答えが返ってきた。武士は思わず渋面になる。

 「早速だが……君の『麒麟』を見せてくれないか?」

 武士は顔を顰めながらも、曽根の言う事に従った。ブルゾンの下に着ている、コンビニでのバイト用のポロシャツを脱ぎ、大抵の服装の時、透けない様下に着用している黒のアンダーシャツを脱ぐと、刺青が露わになる。それを見た曽根の目が輝いた。そして、武士の背中側に回り込み、

 「これだよ……私の求めていたものは。」

 そう言って、撫でる様に触れられる。武士は悪寒が走るのを、歯を食いしばって耐えた。そんな彼の様子などお構いなしに、

 「君の後に、また何人かが私の要求に応じはしたものの……皆駄目だった。力加減が難しくてね……特に女はすぐ気絶してしまう。君の様に最後まで耐えられたのは、誰一人居なかった。」

 「……。」

 「君に出会うまでは、まぁそんなものだと思っていたのだが……君を知ってからは、何だか物足りなくなってしまってね……。ここ数年、全くやる気を失っていたのだよ。」

 そう言いながらも、曽根はずっと武士の背中を撫でまわしていた。武士は鳥肌を立てながら、

 (何でそのまま、やる気を失っといてくれへんのんや!)

 そう心の中で突っ込みを入れつつ、

 (……俺は自分で自分の首を絞めたってことになるわけやな。)

 そのことが分かり、げんなりとした。それと同時に、

 (よう考えたら、それもこれも兄さんに鍛えられたせいや……。あのおっさん、解決策とやらを見つけられへんかったら、一生恨んだる!)

 武士は、そう心の中で罵った。するといつの間にか、曽根は青い色をした、まるで大型犬用の首輪を手に持って、

 「さあ、これを付けよう。君に似合うだろう、そう思って用意しておいたんだ。」

 そう言いながら、首に巻きつけられる。武士は吐き気が込み上げて来るのを必死で堪えた。首輪を付け終えると、次はリードを取り付けられ、更に以前とまったく同じ様に、両手も身体の前で拘束される。武士は無意識の内に抵抗してしまわない様、自分自身に(とにかく、落ち着け!)と言い聞かせ、冷静さを保つ為に深呼吸を繰り返していたが、記憶のフラッシュバックが収まらず、一段と鼓動が激しくなり、息が荒くなっていった。

 いよいよ両足も……という段になって、曽根と武士の居る部屋の外から、

 「ただいま〜!パパ、来ているの?」と言う声が聞こえて来た。

 すると、先程までとは打って変わって、曽根の顔が青ざめ、

 「リサが帰って来た!」そう言うと、クローゼットを開け、「絶対に騒ぐな!」と言いながら、その中に武士を押し込んだ。

 「ぶ……っ!」

 武士は半ば顔から服の束の中に倒れ込む。すると、すぐに扉を閉められ、中は暗闇に覆われた。しばらくして目が慣れてくると、この中はどうやらそれなりの広さがあるウォークインクローゼットになっているらしく、奥に進むにつれ、空間が広くなっていることが分かった。服の束の中で窒息するのは御免だった為、そちらの広くなっている空間に移動する。そして、体育座りの恰好で壁にもたれかかった。

 耳を澄ますと、曽根と、曽根がリサ、と呼んだ女……おそらく彼の娘だろう……の話し声が、何となくだが聞こえる。どうやら彼氏か友人と出かける予定であったのが、キャンセルになったらしい。

 「だって……コウくんってば、今日の約束、忘れてたって言うんだよ!ちょっとヒドいと思わない!?」

 「そうだね……じゃあ、今日はこのまま家に居るのかい?」

 理咲はちょっと考え込んだ様で、しばらく間が空いてから、

 「久しぶりにパパと食事に行くのも、悪くないかも。」

 そう返事をした。すると、曽根は溜息を吐きながらも、

 「……わかったよ。かわいい娘のお願いは聞かなければね。『モルト・コディアーレ』で良いかい?」

 父親の提案に、娘ははしゃいだ様子で、

 「やったぁ!じゃあ、もうちょっとマシなのに着替えて来るね!」

 そう答えると、どうやらこちらの部屋を、急いで出て行く様な足音がした。

 (曽根は娘と出かけることになった……そうなればチャンスや!)

 そう武士が考えていると、ウォークインクローゼットの奥の壁が動いた……どうやら、壁だと思っていたところは、反対側の部屋から開けられる様になっている、クローゼットの扉だったらしい。武士は一瞬反応が遅れた。

 「……。」「……。」

 年の頃は真弓と同じ位だろうか?曽根の娘の理咲だと思われる女と目が合い、お互い沈黙したまま固まる。自宅のクローゼットの中から、上半身裸の、しかも首輪を付けられ、両手を縛られた男が現れたら、誰だって驚くに決まっている……。武士は悲鳴に備えた。

 だが意外にも、理咲はすぐに平静を取り戻し、武士に向かって、声を出さずに口の動きだけで、「ヘ・ン・タ・イ」と言うと、悪戯っ子の様な笑みを浮かべた。

 武士はあまりの恥ずかしさに、顔から「ボッ!」と言う音が出たのでは無いかと思う位、熱くなった。きっと耳まで真っ赤になっていたに違いない。

 理咲は、その反応を面白がる様な顔つきをして、自分の服を手に取ると、クローゼットの扉を閉めた。それとほぼ同時に、もともと武士が居た部屋側の扉が開き、曽根が小声で、

 「出て来たまえ。」

 そう呼ぶ。武士は言われた通り、クローゼットから出た。曽根は武士の両手の拘束を解き、首輪も外すと、

 「この服を着たまえ。娘と出かけなければならなくなった。」

 そう言って、黒っぽい仕立ての良さそうな……しかし若干カジュアル感のあるシャツと、同じくカジュアルな感じのネクタイを渡される。

 武士はポカンとし、「え……?」と言うと、曽根はじれったい様子で、

 「仕方がない……君も一緒に、だ。君の靴が勝手口に置いてあるのを娘に見つかったんだ。うっかりしていたよ、今夜娘は友人の家に泊まると言っていたものでね。普段、客には玄関からお入り頂くのだが、伊東は君を勝手口から入れたのだろう。後で注意しておかなければ……。」

 そう呟く様に、ボディガードの男を責め、さらにバツが悪そうに、

 「さっきは君がトイレに行っていると言って誤魔化したのだが……打ち合わせが終わったので、これから食事に行く予定だと言ってしまったのだよ。」

 そう言って、顔を顰める。武士は内心、

 (クローゼットの中に居てるの、見られたんやけどな……。しかも、あの恰好で。)

 そう思ったが、黙っておいた。ただ、武士自身が理咲とどんな顔をして会えば良いのか……途方に暮れる。とにかく渡された服を手早く着ると、曽根に、

 「君は、大阪の調査会社『大阪データリサーチ』の担当者……ということにして、話を合わせてくれたまえ。わかったね?」

 そう念押しされた。

 (何や妙なことになってしもうたな……。)

 武士はそう思いながらも、仕方なく頷く。

 それから勝手口の靴を取り、正面玄関まで移動すると、既に着替えを済ませたらしい、理咲が立っていた。先程のスポーティな出で立ちとは打って変わり、女性らしいワンピース姿だった。

 「こんばんは。ええと……?」

 彼女の方からそう声を掛けてくる。武士は、

 「こんばんは、初めまして。大阪データリサーチの川藤と申します。」

 そう名乗ると、「ああ、調査会社の方なのね?」と、含みのある言い方をし、先程と同じ様な、どこか面白がっている顔つきをしながら、

 「ごめんなさいね、今晩父がここを使うって知らなくて……。私、お邪魔しちゃったみたい。」

 「いえ、お……私も、お嬢さんとご一緒出来て、正直嬉しいです。」

 (それに……ピンチから救ってくれた。)

 そう心の中で付け加える。だが、理咲の探る様な視線に耐えられず、思わず目を逸らせた。曽根にしても、武士の不自然な態度を不審に思われるのを危惧したのか、内心穏やかでは無い様な口調で、

 「挨拶はそれ位にして、急がないか?私はお腹がペコペコだ。」

 そう言ったので、玄関を出て、目の前のエレベーターに乗り込んだ。来るときは目隠しをされていてわからなかったが、ガラス張りのエレベーターの目の前に広がる夜景に、思わず息を飲む。武士の驚く様子に気付いたらしい、

 「すごいでしょ?このエレベーターは、うちだけの専用なのよ?」

 理咲がそう言って、説明してくれた。

 「へえ……ホンマに凄いですね。」

 確かに、このエレベーターには途中の階のボタンが存在しなかった。それに、マンションだというのに、少なくとも玄関と勝手口の二カ所に出入口があるという事は、言うまでも無く、あそこはものすごい広さなのであろう。それに、もちろん郊外にではあるが、本宅もある。想像以上のブルジョアな生活に、武士は舌を巻いた。

 そんなことを考えている内に、エレベーターは地上を通り越し、静かに地下へと降りて行く。そして停止したのと同時に扉が開くと、目の前が駐車場になっていて、曽根の車だと思われるBMWのSUVタイプが停まっていた。運転席にはボディガードの一人が乗っており、曽根達の存在に気付くと、運転席から降りて後部座席のドアを開けた。

 後ろの座席に理咲と武士が乗り、助手席に曽根が乗り込むと、車はゆっくりと動き出した。武士は、突っ込んだ話をされるとボロが出るのを恐れ、先に質問を投げかけておくことにした。

 「あそこは、お嬢さんと曽根さんのお二人で住んではるんですか?」

 「ううん、違うの。今は私一人で住んでる。もともとは、パパが仕事の都合で買ったマンションだったらしいけど、私がこの春から都内で働き始めたので、あそこに住んでも良い?って、無理にお願いしたから……。」

 そう言って、また含み笑いをする。武士は何とも言えない居心地の悪さを感じたが、

 「お仕事を……されてるんですか?」

 そう問いかけると、理咲は心外だ、とでも言う様に、

 「あら!?ソネシステムズの社長令嬢が働いていちゃあ可笑しい、とでも思っている?」

 また悪戯っ子の様な笑みを浮かべた。武士は、確かに大金持ちの娘が働いているのは意外に思ったが、「とんでもない!」と答えて、

 「でも……お一人やったら、あそこはちょっと広すぎませんか?」

 そう尋ねると、理咲は少し寂しげな表情になり、

 「そうなの……。一人では広すぎて落ち着かないから、たいてい週末は実家に戻ったり、友達の家に泊めて貰ったりしているの。もちろん、あそこに泊めることもあるけど……。」

 「そうなんですか。」武士が相槌を打つ。さらに、理咲は続けた。

 「まぁ時々パパも、仕事の都合であそこに泊まるから、もちろんパパの部屋もあるわよ。」

 そう言って、先程までの寂しげな表情とは打って変わり、目にはまた面白がる様な光を湛えた。

 話をしている間に、目的の店に着いたらしい、例のボディガードが運転席から降りて、ドアを開ける為にこちらに回り込む。武士は礼を言って、車から降りた。

 曽根が先に店に向かって歩き出す。理咲は武士のすぐそばに立って、エスコートしなさい、とでも言う様に、手を伸ばしてきた。武士は仕方なく、「どうぞ。」と言って、腕を差し出す。こうやって、父親の仕事相手と一緒に食事に出掛けたりすることに、彼女は慣れているらしかった。

 目的の店はイタリアンレストランだったが、そこまで畏まった雰囲気でも無く、武士が穿いていたジーンズでも大丈夫だったのが分かった。イタリア語で『気さくな』という店名なのも頷ける。全体的に暖色系の備品や内装で統一され、女性客が好みそうな雰囲気だった。武士も、真弓を連れて来てやりたいなぁと、そんな事を考えている自分に驚く。隣では、曽根が自分の背中を叩きたくて、ウズウズしていると言うのに……。

 席に着くと、曽根はワインのリストに目を通しながら、「バローロで良いかね?」と武士と理咲の二人に尋ね、ウェイターに曽根のお勧めだと言う『バルトロ・マスカレッロ』を注文した。

 武士自身、自白剤が効きにくい体質だということは、どうやらアルコール耐性がそれなりに備わっているらしかったが、ヒットマンの仕事最優先で、これまでに飲む機会など殆ど無かった為、ワインに係わらず、酒類の銘柄に関しては完全な初心者だった。だから、曽根の注文したものが、果たして美味しいとか、高級だとか……そういったことは、さっぱりわからなかった。

 ワインの次に、前菜から始まり、徐々に料理が運ばれてきた。武士は、また自分の仕事の事を突っ込まれる前に……と思い、食事の合間を見計らって、

 「ところで……理咲さんは何のお仕事をされているんですか?」

 そう尋ねると、理咲は嬉しそうに眼を輝かせ、

 「インテリア関係のデザインの仕事をしているの。パパ達の仕事にも興味はあったんだけど……世の中すべてがバーチャルになってしまうのが、何だか嫌で……。」

 少しはにかんだ笑みを見せながら、そう答える。彼女はただのお嬢様では無く、自分の意志と温かみを持った女性なのかもしれない……そう思い、武士は彼女に好感を持った。

 それからしばらくは、理咲の仕事の話や、差し障りのない世間話をしながら、食事を進めていたが、不意に曽根の携帯に連絡が入ったらしく、「失礼。」と言って、席を立つ。

 曽根の姿が見えなくなったところで、理咲が周りを見回しながら、小声で、

 「それで……本当は、パパとどういったご関係なの?パパがSであなたがM?」

 武士は、思わず飲んでいたワインを吹き出しそうになった。そして、弾かれた様に彼女の顔を見るが、きっとものすごく情けない表情をしていたであろう。そうして、何をどう説明すれば良いのか、頭を悩ませた。

 恐らく彼女は、曽根が『そういう衝動』を抑えきれずに、男女を問わず、何人かに暴行している……という事実を知らないはずだから、彼女を傷つけたくないのであれば、そのまま肯定しておいた方が良いのだろうか……と、そんな考えも浮かぶ。

 理咲は、武士が言い淀んでいるのを見て、

 「ホントはね、知ってるの。パパが……私よりも若い位の子を、あそこに連れ込んでいるって。それを何とかして止められないかなぁと思って、あそこに住むって言ったのね。ただ、私が住む様になってから、そういうことは全く無かったみたいだったから、私が抑止力になっているんだって、ちょっと安心していたんだけれどなぁ……。」

 そう言いながら視線を落とす。理咲の表情は寂しげだった。

 「私……パパの事が大好きだし、尊敬してる。でも、ママもおかしいってことに薄々気付いていて……。パパが若い女の子や、まさか男の人まで……とは思っていなかったけど……」

 そう言い掛けて、口ごもる。武士は思わず、

 「たぶん曽根……さんは、あんたとお母さんが想像している様な事はしてない。ただ、さっき見られたのは、俺が望んだ事では決して無い……それだけはハッキリ言うとくわ。」

 すると、理咲は顔を上げ、「え……?」と、驚いた様な表情をした。さらに武士は、

 「あんたとお母さん……もちろん曽根本人の為にも、出来る限り早くカウンセリングを受けさせた方がええと思う。あの人は……きっとものすごく大きなトラウマを抱えてはる。」

 「私やママじゃ駄目?それを止めることは……出来ないの?」

 そう怯えたように言ってくる理咲に、武士は頷き、

 「あんたらのことを愛しているからこその……何と言うか、反動みたいなものなんとちゃうかな?俺は専門家でも何でも無いから、そこまではわからんのやけど……。」

 そうやって理咲と話す内に、曽根が「待たせたね。」と言いながら、席に戻ってきた。

 「恵理からだったよ……理咲と一緒に食事に出ていると言ったら、ものすごく拗ねられた。」

 そう言って理咲を見る目は、悪戯を咎められた少年の様に怯えた……でもどこか面白がっているかの様な光を湛えていた。

 「あらら……ママに拗ねられると厄介ね。」

 理咲がしかつめらしい顔でそう言うと、

 「ああ、また近々埋め合わせをするよ。理咲、協力してくれるかい?」

 曽根は娘にウインクしながら、そうお願いをした。

 「もちろんよ、パパ!」

 武士はそのやり取りを隣で聞いていて、曽根は本当に娘を愛し、自分の妻を愛しているのだろう、と感じた。それだけに余計、彼の抱える闇が重く圧し掛かっている……。

 「ところで……二人は何の話をしていたんだい?」

 急に話を振られ、物思いを断ち切られた。何の話……答えられるわけがない……そう思い、武士が固まっていると、理咲が、

 「そうね……男と女のことかしら?」

 そう答え、また悪戯っ子の様な顔つきをして、武士を見る。

 「それはいけない。真弓君が悲しむだろう?」

 曽根がそう言ってくるが、悪意は全く感じなかった。本当にそう思っているらしい。

 「真弓さんって?」また面白がる様に尋ねる理咲に、

 「彼……川藤君の彼女だ。」曽根がそう説明する。

 「へえ……おいくつ位の方?それより私、あなたが何歳なのか、そっちの方が気になるけど。」

 理咲が、武士の顔を覗き込んでそう尋ねてくる。

 「三十です。」武士はそうとだけ短く答えた。先日の曽根に言われたことを思い出し、少し憮然となった為だ。しかし、武士の態度にはお構いなしに、

 「ええ!?七歳も上なの?私よりちょっと年上かなぁとは思っていたけど……。」

 「ちなみに彼女は九つ下です。」

 そう付け加えると、理咲はさらに驚いた様に目を見開いた。

 そうして食事が終わると、曽根が会計を済まし、来る時と同じ様に、曽根のボディガードが車を店の前に付ける。そして、また元来たマンションへと折り返した。

 曽根は、先に理咲をあのマンションで降ろし、武士をホテルまで送ると言って、そのまま車で移動し始めた。

 「君は、新帝都ホテルで降ろす。仕方がない、そこで大人しくしていたまえ。」

 その時、曽根の携帯が再度鳴ったらしく、「もしもし……?」と言って出る。だが、見る見る内に顔から血の気が引いていくのが、隣に居る武士にも分かった。携帯を切ってからも、青ざめたまま、何もない空間を見つめ、呆然自失といった有様だった。

 「どないしたんですか……?」

 武士が尋ねると、曽根は弱々しい口調で、

 「理咲が……攫われた……。」やっとの様子でそう答える。

 武士は「えっ!?」と、驚きの声を上げつつ、「要求は、何て?」と尋ねると、曽根は、

 「『君を解放しろ』……と。」そう心此処に非ず……といった様子で答える。

 武士は、そこでやっと(兄さんの仕業か!)ということに気付いた。

 恐らくGPSで居場所を特定することが出来たのだろう。だが、解決策というのが、結局、曽根の娘を人質に取ることだったということが分かり、頭を抱える。

 (それやったら、曽根とやること一緒やんか……。)

 そう考えながら、「あれ!?」と声を上げる。そう言えば、靴に隠していた携帯が無い……あのマンションに置いたままになっているのであろうか……?などと考えをめぐらせていると、曽根は、

 「君の仕業なのか……?」

 呻く様にそう言ってくる。武士は渋面になりながらも、仕方なく本当の事を答える。

 「正確に言うと、俺の仲間の仕業やな。俺もまさかあんたの娘を攫うとは思うてへんかったけど……でも、これでわかったやろ?自分の大切な人に、危害を加えられるかも……と思わされる、恐怖が。」

 だが、武士がそう話すのを聞いているのかどうか、曽根はずっと虚ろなままだった。しかし突然、取り乱したかの様に、

 「お前らの様な非人間どもに、私の大事な娘を……っ!」

 そう言いながら、武士に掴みかかろうとするが、武士は寸前で曽根の腕を捻り上げ、

 「あんたの過去に一体何があったんかは知らんけど……俺達があんたの非常識な行為の犠牲にならなあかん義理は無い。」

 曽根が痛みに呻く。その様子を見ていたボディガードは、曽根を助ける為に車を停めようとするが、武士は素早く曽根の首に腕を回し、「停まるな!」と、鋭く怒鳴りつけると、ボディガードは歯噛みしながらも、武士の言う事に従った。

 「……は、放してくれ。」かなりの力を入れて、曽根の首を締め上げていたので、息も絶え絶えにそう言ってくる。武士が放してやると、咳き込みながらも、恨めしそうに睨みつけてきた。そんな曽根の様子を見て、

 「勘違いするなよ……?俺は、あんたもあんたのボディガードも、殺ろうと思えばいつでも殺れるんや。そやけど、それはせえへん。何でかわかるか?」

 曽根は黙っている。屈辱を感じているのだろう。

 「もちろん俺自身が、これ以上罪を犯しとうない、そない思うてる。でもな、それ以上にあんたみたいな人間にでも、死んだら悲しむ人が居てるのが分かったからや。」

 そう言うが、やはり曽根は黙ったままだった。だが、武士は畳み掛ける様に、

 「理咲さんは、あんたのやっていることに、薄々感付いてはる。」

 そう言うと、曽根の目が見開かれる。まさか最愛の娘に気付かれているとは、夢にも思っていなかったに違いない。明らかに動揺している様子だった。さらに武士は、

 「それでも、あんたの事を尊敬している……大好きなんやって、そない言うてた。理咲さんの、あんたに対する気持ちは、金なんかで買えるモンとちゃうやろ!?あんたは、そんなええ娘さんを……家族を、一体いつまで欺き続けるつもりなんや!?」

 半ば怒鳴りつける様に、そう捲し立てた。

 すると、見る見る内に曽根の顔は青ざめ、いつもの会社社長然とした威厳が、まるで別人になったかの様に、すっかり失われていった。今の彼の姿は、愛する娘に自分の秘密を知られ、それが原因で見捨てられてしまうのではないか……と怯える、ただの平凡な父親のそれでしかなかった。

 武士はその様子を横目で見ながら、運転するボディガードの男に、

 「今から、俺が言うところへ向かってくれ。」

 そう告げると、ボディガードは一瞬曽根の方を見たが、彼は完全に動きが止まり、何も意義を唱えなかった為、仕方がないと諦めたのか、武士の言う通りに車を走らせ始めた。

 そうして、武士が誘導する通りに移動をするうちに、武士の部屋があるマンションの前に着いた。彼はボディガードに向かって、

 「ここからは、あんたが付いてくるとなると、理咲さんの安全が保障出来へん。俺と曽根の二人で行くから、あんたは堪えてくれ。曽根の安全は、俺が保障するさかい。」

 そう言うと、ボディガードの男は少し考える素振りを見せたが、大人しく立ち止まった。物分りの良い人物だったことに、武士は胸を撫で下ろす。

 それから曽根を伴い、自分の部屋まで案内する。扉を開けると……中から複数の女性の、楽しげに歓談する声が聞こえて来た。不信に思いながらも、曽根を連れてリビングを覗くと、弥栄子を筆頭に、真弓と……それに理咲の姿もあった。武士の姿を見た真弓が、一瞬驚いた様に目を見開き、何を言うべきか言葉を探している風ではあったが、

 「お兄ちゃん……お帰りなさい。」

 そうとだけ、言った。彼女は、明らかに安堵の表情を浮かべていた。

 「理咲……っ!無事だったのか!?」

 自分の娘が居ることに気付いた曽根が、そう言いながら、彼女へと駆け寄った。

 「パパ……?どうしたの?」

 理咲は曽根の様子に、訝しげな顔つきをして、そう言った。

 「どうした……って、理咲が居なくなったと聞いて……。」

 今度は曽根が当惑の表情になる。すると理咲は、

 「ゴメンね、パパ。心配掛けちゃったみたいで……。」

 そう謝ってから、

 「実は私が……ほら、一度部屋に帰った時、勝手口に置いてあった靴の中に携帯が落ちていたから、拾って持っていたんだけど、そのことをすっかり忘れていて……。食事から戻って、マンションの前に降ろして貰ってから、そのことを思い出して、きっと川藤さんの携帯だから、パパに連絡しようとしていたのだけれど、この方……弥栄子さんが来て、川藤さんの知人だと言うことで……お話しませんか?と、お誘い頂いたので、お言葉に甘えてこちらにお邪魔させて貰ったの。」

 それを聞いた武士は合点がいった。どうやら、礼司が曽根に言ったことは単なる脅しであったらしい。理咲を無理矢理ここへ連れて来たわけでは無かった……ということが分かり、武士も安堵した。とりあえず、彼女に携帯の礼を述べる。

 「理咲さん、おおきに。それで……女三人でえらく盛り上がってたみたいやけど、何で?」

 武士が気になっていたことを尋ねると、三人はクスクス笑いながら顔を見合わせ、真弓が代表して、

 「ここのインテリアって、理咲さんがデザインしたものだったらしいの。それで……」

 そう言い掛ける真弓の言葉に続けて、弥栄子が、

 「あたしと、彼女のセンスって似てるのかなぁ……って話で、盛り上がっちゃってね。」

 茶目っ気たっぷりな表情で、そう嬉しそうに答える。さらに、

 「それで、今度は理咲ちゃんが私の『タトゥー』に興味があるって言うから、ナマの見本はここの家の住人のを見て頂戴って話したら、今日、自分の部屋のクローゼットの中に居たので、チラッと見ましたって言うもんだから、それは驚かれたでしょう!って、話をしていたの。」

 弥栄子はニヤニヤ笑いながら、武士にそう言って来た。武士はあの時の事を思い出し、またしても顔から火が出る程赤面する。そのやり取りを隣で聞いていた曽根が、訝しむ様に、

 「どういうことだね……?」

 そう、武士に尋ねる。武士は曽根の方を見て、仕方がないといった風に、

 「あの時、俺がクローゼットの中に隠れていたのを、理咲さんに見られてしもうたんです。」

 それを聞いた曽根の顔から、血の気が引く。だが、武士は続ける。

 「食事をご一緒した時に、あれは俺の望んだ事では無い……という話も、彼女にしました。」

 曽根は完全にパニック状態に陥っていた。まるで真実から目を逸らすかの様に、「違う!あれは、違うんだ……!」などと独り言の様に、弁解し続ける。それでも理咲は気丈に、

 「パパ……お願い、全部話して。」

 そう、懇願した。曽根は悲痛な顔つきをして、黙り込む。その様子を見ていた理咲は、

 「私は大丈夫だから。本当の事を聞いても、パパを嫌いになったりしないから……。」

 理咲の言葉に、曽根が弾かれた様に彼女の方を見て、

 「お願いだ、理咲……私を、見捨てないでくれ……頼む……。」

 呻く様にそう言う。理咲は「もちろんよ。」と言って、大きく頷いた。すると、ようやく曽根が重い口を開いた。

 「私は、恵理と……妻と出会うまでは……いや、理咲が生まれるまでは、ずっと自分の中の闇に気付いていなかった……。」

 そう言って、理咲の方を見る。彼女はまた小さく頷き、先を促した。

 「だが、理咲が生まれて……君は本当にとても可愛らしくてね、私は夢中になった。愛しい我が子が、ますます可愛らしく成長していく姿を見るにつけ……それに反比例するかの様に、自分の中の闇がどんどん大きくなっていく感覚がして、私は戦慄した。」

 理咲はほとんど表情を変えずに、黙って父親の話を聞いている。弥栄子と真弓も少し離れたところから、固唾を飲んで見守っていた。さらに、曽根は続ける。

 「このままでは、自分の愛する家族を……愛しい娘を、傷つけてしまうかも知れない……そう考えた私は、幸いにも恵まれていた金を使って、解決できる方法を模索した。」

 そこで、曽根は深呼吸をした。知らず知らずの内に、息をするのを堪えていたらしい。そうして、息を整えると、また話し始めた。

 「ある筋を通して、それなりの金額を支払うと申し出ると、何人かが応じて来た。そして、何人目かの時が彼だった。」

 曽根がそう言いながら、武士の方に目を向けると、理咲も武士の方をチラリと見た。武士は顔を顰めながらも、曽根に向かって頷く。それを確認したかのように、

 「その時川藤君は、まだ未成年だった……。」

 そう絞り出すように言うと、理咲は少し動揺を見せた。

 「何歳(いくつ)だったの……?」そう武士に向かって尋ねる。

 武士は、理咲を気遣いながらも、「……十七や。」と答えると、彼女は目を見開いた。

 二人のやり取りを聞いていた曽根は、一層辛そうな顔つきをしながらも、

 「そうだ、私は卑劣な人間だ……。時には未成年を金で買い、そして……身体の自由を奪った上で、暴力を振るった。金を払って、相手もそれに応じたのだから、間違ったことはしていない……そう自分に言い聞かせながらね。そうやって、自分の中に鬱積している邪悪なものを吐き出した……。そのお陰で、私は今でも自分の家族を傷つけずに済んでいる。」

 黙って曽根の話を聞いていた理咲だったが、やはり平静ではいられなかった様だ。青ざめた顔で、曽根の方を向くと、

 「パパは……それをしないと、私やママに暴力を振るうかも知れないってことなの……?」

 そう尋ねてくる自分の娘に、曽根は顔を歪めながら、「……そうだ。」とだけ、短く答えた。

 理咲は俯き、しばらく考え込む様に黙っていたが、

 「本当は……そんなこと、したくないのよね……?」

 曽根は理咲に向かって、必死の形相で、

 「当たり前だっ!この世のどこに、好んで自分の愛する家族を、傷つけたいと思う人間がいるものかっ!」

 勢い込んでそう答える父親に、理咲は憐憫の視線を向けた。だが同時に厳しい口調で、

 「でも……パパのしていることは、間違ってる!どうして、もっと早く相談してくれなかったの?私達、家族でしょう?パパが、私やママのことを傷付けたく無かったんだって事は、よくわかったわ……。でもその代わりに、私達以外の人を傷付けて来たのは、やっぱり間違ってるよ!」

 理咲の辛辣な言葉に、曽根は涙を流しながら、

 「すまない……本当にすまない……。」

 頭を下げて謝る父に、理咲は容赦なく、

 「私やママに……じゃなくて、川藤さんや今まで傷付けてきた人達に、きちんと謝罪をするべきよ。その為にも……パパお願い、カウンセリングを受けて!そうしてこれからは、パパの内に潜む闇にちゃんと向き合っていこうよ?私たち、家族全員で。」

 彼女はそう言って、父親の肩に手を置いた。曽根は顔を上げ、やさしく微笑む娘の姿を見ると、声を上げて泣き出した。理咲はそっと身体を抱きしめる。彼女の目にも光るものがあった。 

 そうやってしばらくの間、二人は泣いていたが、曽根が顔を上げ、

 「これから私は、今までやってきた事を償っていこうと思う……。理咲、こんな私でも助けてくれるかい?」

 そう言うと、理咲は涙をぬぐいながらも、「当たり前でしょう!」と、笑顔で答えた。

 曽根父娘、二人の様子を黙って見ていた武士と真弓、それに弥栄子の三人は、どうやら家族間のわだかまりが解けたらしいことを見届け、胸を撫で下ろした。

 そして、真弓はそっと武士の手を取ったと思うと、強く握り、

 「お兄ちゃんも……私、頼りないかも知れないけど、お兄ちゃん一人でどうしようも無い事があったら、私を頼ってくれれば……嬉しいんだけどな。」

 口調は穏やかだったが、今回真弓に何も言わなかった武士への恨み言だろう。武士は返す言葉も無く、

 「……心配掛けて堪忍な、真弓ちゃん。次からはちゃんと相談するさかい。」

 そう言って謝った。すると真弓は、

 「本当に?」と、念押ししつつも、心配事が無くなった解放感からか、満面の笑みを浮かべた。武士は彼女の頭を撫で、くすぐったそうに笑う真弓の顔を見つめながら、微笑んだ。




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