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迷走~困惑

二 迷走

 武士との出会いから、一週間が過ぎた。真弓はいつもと変わらない生活に戻っていたが、いよいよ明日、父が帰国するという日にまで迫っていた。

 (あの時、お兄ちゃんの連絡先を聞いておけば良かったなぁ……。)

 実はその後、何度か例の部屋を訪れてみたのだが、ずっと留守だった。

 (ううん、あんな女たらしのヤクザ者なんて、知らないんだから!)

 そう自分に言い聞かせる。だが、そう思えば思う程、武士が時折見せたやさしい眼や、寂しそうな表情を思い出してしまう。明日、父が帰国するというのに、考えるのは武士のことばかりだった。

 放課後になり、いつも紗枝やリカ達と集まる場所へ行こうかどうか考えていると、不意に真弓の携帯が鳴った。見たことのない携帯番号からだった。

 訝しみながらも、通話ボタンを押す。

 「もしもし?」

 すると耳に飛び込んで来たのは、聞き覚えのある関西弁だった。

 「真弓ちゃん?俺や、武士や。」

 真弓は嬉しさに飛び上がりそうになったが、努めて冷静に、

 「……どうして私のケータイ番号、知っているわけ?」

 少し間が空いたかと思うと、

 「えーと……企業秘密❤」

 猫なで声で誤魔化そうという魂胆らしい。

 「じゃあ、切るわね。」

 真弓があっさりそう言うと、受話器から、武士の慌てる声が聞こえる。

 「ウソウソ、冗談やん!イケズやなぁ、真弓ちゃん……。」

 「だから、どうして?」

 そう、真弓が凄むと、

 「真弓ちゃんを、その……押し倒した時に、実はケータイが落っこちていて。後でコッソリ戻しといたんやけど、返す前にチョビッと中を……。」

 「へえ?黙って見たんだ。人のケータイを勝手に。」

 「はい。その通りです。」

 電話越しに、武士が小さくなっているのが目に見える様だった。

 しかし、本当は違った。武士の、ヒットマンとしての情報網を用いれば、一女子高生の携帯番号を調べることなど容易い。しかし今、真弓を必要以上に怯えさせるのは、得策では無かった。とにかく、彼女に事情を話す事が先決だろう……そう考え、電話口で必死に謝罪する。

 「ホンマにホンマに、申し訳ございませんでした!お詫びは必ずしますので、何とか許して貰えへんやろか?」

 だが、真弓はまだ意地悪をしたくなった。

 「どうしようかなぁ……。」

 「後生や、頼んます!どうしてもお願いしたいことがあるねんって!」

 武士が必死に訴えるが、真弓もなかなか素直になれず、

 「じゃあ、例のカノジョに頼めば?」

 冷たく言い返した。

 「真弓ちゃんの親父さんの命に係わることなんや!」

 とうとう武士が電話口で怒鳴った。

 「それって、どういうことなの?」

 切羽詰まった声に、真弓が戸惑う。彼女の戸惑いも構わずに、武士は更に、

 「真弓ちゃんの親父さんは、外交官の『神村康夫』さんで間違いないな?」

 父の名前はともかく、どうして職業まで知っているの……?不思議に思いながらも、真弓は答える。

 「そうだけど……?」

 真弓の訝しむ様な返事にも構わず、武士は慌ただし気に、

 「俺に会わせて欲しいんや。一刻も、一秒でも早く!」

 「どちらにしても父は明日、帰国する予定だから、今すぐに……とはいかないわ。」

 真弓がそう答えると、武士は明日か……と呟きながら、

 「じゃあ明日、空港に到着したらすぐに会わせて貰えへんか?」

 「ねぇ、命に係わるって、一体どういうことなの?」

 真弓は武士の言ったことが、全く理解出来ずにいた。父に何かあった……ということなのだろうか?真弓の問い掛けに、武士は一呼吸置いてから、

 「真弓ちゃん、落ち着いて聞いてや……。親父さんは命を狙われている。」

 逆に自分を落ち着かせようとする様な、静かな口調で語りかける。

 「ええっ!?」

 真弓は一体何を言われているのか分からず、思考を停止させた。ところが武士から、さらに信じられない言葉を聞いた。

 「俺がその依頼を受けたんや。」

 「い、依頼って……?」

 武士は、まるで物分りの悪い子供に言い聞かせる様に、

 「俺のところに、真弓ちゃんの親父さんを殺せっていう仕事が来たってことや。」

 「!」

 あまりの衝撃的な告白に、真弓は声を詰まらせた。だがそれは、当然の事だろう。自分の父親の命が狙われている……おまけに今電話で話をしている男に、自分が命を狙っていると告白されれば、誰だって驚くに違いない。武士は彼女のことを気遣い、なるべく優しい声音で語りかけた。

 「心配せんでええ。俺は親父さんのことを殺したりせえへん。ただ、親父さんに直接会うて、頼みたいことがあるんや。」

 「で、でも……。」

 真弓はどうしたら良いのか、全くわからなくなった。武士が父を狙う『殺し屋』だとしたら、会わせるなんて絶対に無理だ。彼は彼女の戸惑いを汲むかの様に、

 「俺だけや無うて、他のモンも親父さんを狙ってくるはずや。だから、親父さんを助ける為に、お願いせなアカンことがあるねん。真弓ちゃん、頼む!」

 武士の声は必死で、とても嘘をついている様に聞こえなかった。

 「でも、どうすれば……?」

 真弓が問うと、

 「いきなり、どこの誰かもわからん俺が、一人で親父さんに会うてそないな話をしても、絶対聞く耳を持って貰えへんやろ?だから真弓ちゃんが、俺に親父さんを引き合わせて欲しいねん。」

 じゃあ、明日朝九時に、と言って武士は電話を切った。

 電話を切ってからも、真弓はしばらく何も考えられなかった。一週間ぶりに武士の声が聞けたのは嬉しかったのだが、父のこと……長い間一緒に暮らしていなかったから、帰国して一緒に暮らすという話に戸惑ったとはいえ、本当に血の繋がった家族に間違いない。命を狙われているという尋常でない事態に、さすがに平常心を保っている事が出来なくなった。

 次の日、真弓は父が久しぶりに帰国するという理由で高校を休み、まず、武士と待ち合わせた駅前に向かった。

 そして、約束の時間が近づいてきたが、それらしき人影は一向に見当たらない。周囲を何度か見回していると、突然背後から、

 「真弓ちゃん、ここ、ここ。」

 という声が聞こえ、振り返ると、思わず「どちら様ですか?」と訊いてしまいそうになる人物……黒縁のメガネをかけ、髪も以前の様な立ち上げたスタイルではなく、ピッタリと頭に撫でつけられており、一見するとものすごく仕事熱心なビジネスマン風の出で立ちをした武士が立っていた。

 「プッ!」

 武士の姿を認めた真弓が、思わず吹き出す。

 「な、何で笑うん!そんなにヘンかなぁ?一応『オシャレ七三』っぽくしたつもりなんやけど……。」

 武士はまるで確認するかの様に、自分自身を覗き込む。見た目はともかく、中身は武士そのままだった。

 「ゴメンね、でも……プッ!」

 「やっぱりまだ笑うてるやん!まぁ自分でも見慣れへんなぁと思うたんやけど……事情が事情やから、しゃあないねんって!」

 真弓はそうだった、と思い出す。

 「とりあえず成田の到着ゲートまで、親父さんを迎えに行こう。俺のことは、外務省から親父さんを出迎えに来た人ってことで、頼むな。」

 「うん、わかったわ。」

 武士の言葉に、真弓は頷いた。

 それから二人は、武士が用意した車に乗り、一路空港へ向かった。

 そして空港の到着ゲートで、真弓の父の到着を待つ。搭乗予定の国際便は、ほぼ定刻通りに到着し、程なくして真弓の父、神村康夫がゲートから現れた。

 「お父さん、お帰りなさい。」

 真弓が康夫に歩み寄り、声を掛けた。

 「おお、真弓か!ただいま。」

 康夫は娘の姿を見つけ、目を細める。

 「珍しいな、真弓が出迎えてくれるとは!」

 そう言ってから、視線を彼女の隣に立つ武士に向けた。

 「この方は?」

 「外務省から迎えの人が来て下さったの。聞いてない?」

 真弓がそう答えると、康夫は少し戸惑った表情をしたが、それ以上のことは詮索しなかった。

 「神村さん、どうぞこちらへ。」

 武士は康夫を車の所まで案内する為、真弓とともに歩き出した。

 空港を出てからしばらくの間、武士は黙ったまま車を運転していたが、高速へ入った所で話を切り出そうと口を開きかけたその時、先に康夫から話し掛けられた。

 「君は……真弓は外務省の人間だと言っていたが、本当は誰なのかね?」

 その言葉に、後部座席で康夫の隣に座っていた真弓が、驚いた声を上げた。

 「何言っているの、お父さん……?」

 「おおきに、真弓ちゃん。後は俺から説明するさかい。」

 大方の予想通り、康夫は武士のことを外務省の人間などではないことに、初めから気付いていたらしい。

 「俺は、川藤武士と言う者です。嘘を吐いて、神村さんに近付いたことは謝ります。」

 わかった、と言う様に、康夫は頷いた。

 「あと、真弓……さんは、俺が仕事でヘマして困っていた時に助けて貰うた、言わば恩人です。」

 「その礼を言う為に、わざわざ嘘を吐いてまで、私に近付いた訳ではないのだろう?」

 康夫がそう言うと、武士は表情を引き締め、

 「単刀直入に言わして貰います。神村さん、あなたは命を狙われている。」

 だが、康夫はあまり驚かなかった。そして武士に言った。

 「そのことと君に、何か関係があるのかね?」

 武士が口を開く前に、真弓が驚いた様に叫ぶ。

 「お父さん、どうして!?命を狙われているっていうのに、まるで他人事みたいにしていられるの!?」

 「……。」

 康夫は真弓に全てを話すべきかどうか、躊躇している様子だった。恐らく娘の身を案じての事だろうと、武士は気付いていたが、康夫を説得する様に声を掛ける。

 「どちらにしろ今のままでは、娘さんにも危険が及ぶ可能性が有る。だから、彼女にも知っといて貰うた方がええと、俺は思いますけど。」

 その言葉に真弓は驚き、武士と康夫を交互に見つめた。

 「それって、どういうこと……?」

 「真弓ちゃんのお父さんは、表向きは外交官ってことになっているけど、実は……」

 そこまで言ったところで、康夫が口を開いた。

 「どうやら君は、何もかも知っている様だね。」

 そう武士に言って、続けた。

 「そうだ、真弓。お父さんは外交官ではない。国際麻薬取締官だ。」

 「コクサイマヤク……?」

 予想もしていなかった事を言われ、真弓が戸惑った声を上げる。

 「要するに、麻薬取引を行う組織なんかを調査して、取り締まることが仕事や。ただ表向きには、そういう『職種』の人はおれへんってことになってんねんけどな……。」

 武士がフォローする。

 「そして、ある組織のことを調べ上げ、極秘の情報を手に入れた。違いますか?」

 武士の言葉に康夫が頷く。

 「その通りだ。」

 「俺は、その情報を手に入れろ、神村さんの生死は問わないと……依頼されたんです。」

 武士の言ったことに、さすがの康夫も驚いた表情をした。だが尚も、武士は続ける。

 「俺には神村さんを殺すつもりは無い……でも、遅かれ早かれ他のモンが同じ様に、神村さんを狙って来る……。だから、本当はその情報とやらを、俺に渡して欲しい、そう神村さんにお願いしようと思うて今日、真弓ちゃんに頼み込んで、会わせて貰うたんです……でもそれは出来へんのですね?」

 その言葉に、康夫は頷く。康夫の眼は、死を覚悟している者の眼だった。

 「でも……これからは一緒に住めると、真弓ちゃんには話していたんですよね?そやのに、何でですのん?」

 武士は何とか、康夫の覚悟を覆したかった。これまでの真弓の孤独を思うと、ここでまた父親を失う様なことになってしまうのは、何としても避けたかったからだ。……かつての自分の様に。

 「君こそどうして、そんなことを私に話すんだい?君の立場が悪くなってしまうんじゃないのかね?」

 武士は苦笑しながら、康夫に言った。

 「こんな時でも、俺みたいな得体の知れんヤツの心配ですか……。それより、娘さんのことを真っ先に考えたって下さい!」

 康夫は真弓の方を見たが、どうしようもない現実から逃げることは不可能だとでも言う様に、目を伏せた。

 「真弓、本当にすまない。」

 「そんなこと言わないでよ……。」

 ルームミラーに映る彼女の顔は、今にも泣き出しそうに歪んでいた。武士はそんな二人の様子を横目で見ながら、意を決した様に語りかける。

 「神村さん、実はもう一つ提案があるんやけど……俺をボディガードとして、雇いませんか?」

 その言葉に真弓は、弾かれた様に武士の方を見る。武士は真弓に頷き、

 「神村さんのメリットとしては、完璧な保証は出来ませんけど、命に別状なく、機密情報を守れる。俺のメリットとしては、すぐに情報を引き出せへんかったから、他のヤツらからあなた達を守っていたってことで、理由がつく……如何ですか?」

 そう話す武士に、康夫が何か言い掛けたが、

 「すみません、どないするか迷っているヒマは、もう無かったみたいです。」

 武士がルームミラーを見て、

 「追手です。俺が思っていたより、早よ情報が漏れたみたいや。」

 「!」

 その言葉に二人は振り返った。だが、少なくとも真弓には、どれが追手の車なのか、見分けがつかなかった。

 「神村さん、運転は出来ますよね?」

 武士が運転席から康夫に声を掛ける。

 「これでも、真弓が生まれる前は、パトカーを乗り回していたからね。」

 「そうなの?」

 父の意外な言葉に、真弓が驚いた声を上げる。

 「それなら全く問題無いですね。今クルーズコントロール(オートドライブ)に設定したので、交代お願いします。」

 そう言いながら、武士が助手席へと移動する。康夫もそれに続き、運転席へと移動した。それを見計らって、武士は、

 「クルーズコントロールの解除は、ステアリングの左側の……」

 「このボタンだね?後は任せたまえ。」

 康夫は心得た、とばかりに微笑む。頼もしい返答に、武士は迷わず、

 「お願いします。」

 と、康夫に託した。そして真弓に向かって、

 「真弓ちゃんは、座席の下で出来る限り低い姿勢をしといてな!」

 真弓は頷き、言われた通りにシートの下へ潜り込んだ。

 武士はメガネとネクタイを外すと、上着の下のホルスターから銃を抜き、ウインドウを開けた。

 (相手が俺と同じ輩なら、遠慮はいらんってことやな。)

 そう心の中で呟きながら、不敵な笑みを浮かべる。

 ただ、こちらはレンタカーの為、防弾装備などは一切ない。だが相手にしてみても、幹部クラスを護衛しているのならともかく、一般人を狙っているだけだ。そこまでの重装備をしている自前の車両を使えば、自動車ナンバー自動読取装置……通称Nシステムに引掛かるであろうから、恐らく相手も通常車両だと思われた。だが、念には念を入れ、なるべく防弾装備の可能性が有るフロントガラスは避け、それ以外を狙う。

 しばらくして、真弓も聞き覚えのある音が轟き、火薬の焦げた様な匂いが車内に漂ってきた。

 「まず、一台。」

 武士が呟く。五十メートル程後方で、ワゴン車がタイヤをバーストさせながら、走行車線から逸れていった。それを見た康夫が、

 「これは……今日のニュースで相当騒がれるだろうね。」

 などと、冷静な言葉を発しながら、ルームミラーで後ろを確認している。武士も武士で、

 「『震撼!白昼の東関東自動車道で銃撃戦か?』ってカンジですかね?」

 と、他人事の様に言っている。

 真弓は、一体どんな状況なのかとても気になったが、伏せていて何も見えない。だが、康夫と武士の冷静さから、あまり不安は感じなかった。

 それからまたしばらくして、銃声がする。今度は遠くから聞こえた様だったが、この車の側に着弾したらしい金属音のようなものも、合わせて聞こえた。

 「ライフルや!厄介やな。そんな目立つモン、使うてくるとは……。」

 武士が唸る。そして、康夫に

 「とにかく、狙いを定められたらお終いや!滅茶苦茶に走って下さい!」

 と言うが早いか、車体が左右に揺さぶられ始めた。

 その状況の中で、武士は狙撃手の乗っていると思われる車に、狙いを定める。康夫も相手の車の動きを確認しながら、ハンドルを切る。

 しかしその時、音を立ててリアウインドウが割れた。

 「きゃあ!」

 粉々になったガラスの破片が真弓の上にまで降りそそぎ、思わず悲鳴を上げる。

 「大丈夫か!?」

 康夫がハンドルを切りながら、真弓を気遣う。武士は後ろを振り返り、

 「真弓ちゃん、ちょっと上通るで!」

 そう言いながら、リアシートへ移動し、ガラスの無くなったリアウインドウから若干身を乗り出して、再び銃を構えた。そして康夫に、怒鳴る様に言う。

 「神村さん!前のトラックを追い抜いて、その前に出て貰えますかっ!?」

 康夫は武士に言われた通り、トラックの前に出る。トラックの運転手は、割れたリアウインドウから、銃を構える武士に驚いた様子だったが、武士が手を合わせて、「ごめんね」という様なジェスチャーをすると、更に戸惑った表情を浮かべた。

 「神村さん、今や!左へ出て下さい!!」

 武士の声に合わせ、康夫はハンドルを切る。

 武士は間髪入れず、目前まで迫った追跡車両に向け、トリガーを引く。運転席側のウインドウを割って一瞬怯ませた上で、前輪のタイヤを打ち抜き、完全に機動力を削いだ。

 「……これで、二台。」

 武士は何とか追跡を躱せたことに安堵し、長い息を吐き出した。そして、

 「ひとまず追手は、今ので終わりやったみたいです。一番近い降り口で、下りて貰うてもええですか?」

 「分かった。」

 康夫が返答する。その言葉に、真弓もようやく顔を上げ、辺りを見回した。

 「終わったの……?」

 「今のところは……やけど、な。」

 武士は座席の上のガラス片を払いのけ、真弓をそこへ座らせた。

 しばらくして、佐倉インターで高速を降りると、康夫が

 「高速を降りたは良いが、これからどうするんだい?」

 と、もっともな事を訪ねてくる。後部座席で武士と並んで座る真弓も、不安そうに顔を覗き込んできた。

 「この車やと目立つさかい、どこかで乗り捨ててタクシーを拾います。二人はそれに乗って、なるべく近くの警察……ここからやと佐倉警察やと思いますけど、そこで保護して貰って下さい。」

 「君はどうする……というか、どうなるんだい?」

 康夫が、ミラー越しに武士の顔を見つめながら、気遣う様にそう質問してくる。

 「組には、失敗したって報告します。」

 「でも、それじゃあ……?」

 真弓は、もっと不安そうな顔つきで、武士の目を覗きこんだ。彼は肩を竦めて、

 「まぁ、命までは取られへんやろ。」

 と、おどけて言ってみせる。

 「これでお別れってこと?」

 真弓の眼から涙が零れ落ちた。それを見た武士は、微笑みながら、

 「落ち着いたら、また連絡入れるさかい。」

 「……本当に?約束よ?」

 真弓は、嗚咽がもれそうになるのを必死で堪える様に、口元を押さえた。

 そして、ほとんど人通りのない場所まで来ると、そこで車を乗り捨て、交通量のある大通りまで歩いて行って、タクシーを拾った。武士は別れ際に、

 「神村さんのドライビングテクニックには感服しました。どうぞ、ご無事で。」

 康夫は笑いながら礼を言うと、

 「君の様な人が居るとは思わなかったよ……幸運を祈っている。」

 そう言って真弓の背中を押し、タクシーに乗り込んだ。

 真弓は泣きながら、最後に何か言おうとしていた様だったが、言葉にならず、そのまま車列へと消えていった。

 しばらく二人を見送っていた武士だったが、先程乗り捨てた車の所へと戻る為、来た道を引き返す。

 (まだ、囮にはなるやろ。)

 しばらくは派手に動き回って、他の追手を攪乱するつもりだった。

 車の近くまで来ると、既に見つかっている可能性もあるので、銃を抜き、辺りを警戒しながら進んだが、幸い誰にも気付かれていない様子だった。

 その時携帯が振動し、真弓からの着信であることを告げる。武士は何か想定外の事が起こったのだと悟った。慌てて通話ボタンを押すと、案の定、切羽詰まった真弓の声が聞こえて来た。

 「お兄ちゃん、大変なの!お父さんが……!!」

 「親父さん、どないしたんや!?」

 真弓に尋ねると、

 「私だけを警察で下ろして、お父さんは、どうしても報告しないといけない所があるって言って、そのままタクシーに乗って行ってしまって……。」

 イヤな予感がする。武士はそう思ったが、努めて冷静に、

 「わかった。真弓ちゃんはそのまま警察に行って、助けを求めてくれるか?俺は親父さんを追うから。」

 「……。」

 「俺が必ず親父さんを守るから。」

 「……うん。」

 真弓は心配で堪らない様子だったが、武士の言い分を聞くことにしたらしい。一緒に行くと言われると、厄介だと思っていた彼は、胸を撫で下ろす。

 一旦真弓との通話を切り、囮とは逆の行動を取らなければならなくなった武士は、もう一度タクシーを拾う為、全速力で大通りへ取って返した。

 だが、武士には康夫の取った行動が不可解だった。なぜすぐ警察に保護を求めなかったのだろう?康夫は恐らく……若い頃はパトカーを乗り回していたと言っていたので、いわゆるキャリアでは無かった様だが……警察庁の人間のはずだから、地元の警察には知られたくない情報も含まれていた、ということなのだろうか……?

 実は武士にも、機密情報の詳細な内容までは掴めていなかった。知り得たのは、ある組織が新型の『麻薬』を作り出した……もっとも、法的に『麻薬』と指定されるのを免れようとして、新たに作り出したのであろうから、『新型ドラッグ』とでも言うべきか……その新しい麻薬だかドラッグの製造方法を、ヤクザ連中が躍起になって手に入れたがっている……ということだった。

 (麻薬といえば……やっぱり紫帆さんの、幻覚に怯える姿を思い出すな……。)

 武士は、覚せい剤の中毒症状を起こして、隔離されていた女性の姿を思い出す。正気の時の彼女は、とても笑顔が素敵な人だった……。だがその後、彼女が生きているのかどうかすら、武士に知る術は無かった。

 過去の物思いからすぐさま我に返り、今どうすべきか考える。今更だが……こんなことになるのなら、自分は身柄を拘束されたであろうが、あのまま真弓たちと一緒に警察へ行った方が良かったのかも知れない……そう思うものの、後悔先に立たずである。

 通りがかったタクシーを呼び止め、行き先を告げる。康夫の行き先は警察庁だと思われたが、そのまま言うと間違いなく詮索されるので、霞が関方面とだけ言った。

 しばらく走っている間に、サイレン音と共に、何台かのパトカーとすれ違った。それを見たタクシーの運転手は、

 「それにしても今日はパトカーが多いですねぇ。お客さんを乗せるまでにも、そうだな……五台は見ましたよ?」

 「そうなんですか……。何かあったんですかね?」

 武士は例の黒縁メガネをかけた、康夫に会う際の格好をしていたので、タクシーの運転手は、出張に来たビジネスマンだとでも思っているのだろう。その原因を作り出した一人を乗せているとは、夢にも思っていまい、相手の言葉に内心舌を出しつつ、彼はそう返事をした。

 「ラジオをつけても良いですか?」

 どうも状況が気になるらしく、運転手は武士にそう尋ねてきた。

 「どうぞ。」

 恐らく報道はまだであろうが、武士も内心気になっていたので、運転手のその申し出はありがたかった。だが、そういうそぶりを見せない様に、なるべくそっけなく答える。

 しばらくは、いつもの番組だと思われる放送をしていたが、突如パーソナリティが、緊急のニュースが入ったと断わって、北関東自動車道上で暴力団同士の銃撃戦があった旨を伝えてきた。

 「やっぱり……。それでパトカーが多かったんだ!」

 タクシーの運転手は納得した様子だった。

 その後、都内に入ってしばらく経った頃に、銃撃戦に関する続報が伝えられてきたが、武士はその報道に凍りついた。

 「……その銃撃戦で、一人死亡しました。死亡したのは、外務省勤務の神村康夫さん、四十八歳。たまたま現場に居合わせ、銃撃戦に巻き込まれたものとみられています。」

 

 三 困惑

 千葉県警の小林は、銃撃戦のあった北関東自動車道で現場検証をしたが、まるで狐につままれたような不思議な状況に首を捻っていた。

 銃撃戦があったという連絡が入ったのは昼前のことだった。その銃撃戦で犠牲になった神村康夫の娘と名乗る女子高生が、佐倉警察に保護を求めに来たのが同じく昼前だったという。女子高生の話では、父親が命を狙われているので助けて欲しい、先程帰国したばかりで、成田から都内へ車で帰る道中だったが、途中で銃声が聞こえたので怖くなり、佐倉警察に保護を求めたと、そういう内容だったらしい。ただその時、父親の姿は無く、彼女一人だったということだが、その時点では彼はまだ生きていたということになる。それなのに、銃撃戦で流れ弾に当たって亡くなった……というのは、一体どういうことなのだろう。

 小林が考え込んでいると、

 「小林刑事!」

 一人の刑事が、小林の方へ駆け足で近づいてくる。

 「平田刑事、目撃情報取れたか?」

 平田刑事、と呼ばれた、まだ二十代そこそこに見える男は、息を切らせながら、

 「はい。京葉運送の運転手が、応戦していた車を目撃したそうです。」

 「どんな様子だったと?」

 小林は平田に続きを促す。

 「五十歳前後の中年男性が運転している、黒っぽいセダンのリアウインドウから、おそらく二十代だと思われる背広を着た男が、半分ほど身を乗り出して銃を構えていて、自分の運転していたトラックの前に割り込んできた、ということでした。」

 「そりゃあ運転手さんは驚かれただろうね。」

 小林は、銃撃戦の真っ只中に居合わせた目撃者を気の毒に思った。

 「それが……その銃を構えていた男が、申し訳無いといった感じで、自分に向かって手を合わせて、頭を下げて来たって話でした。」

 「へえ……ヤクザにしては律儀なヤツだな。」

 そんなの今まで聞いたことが無い……そう思いながら小林は、その銃を構えていたという男に興味を覚えた。

 「その後、そのセダンが車線変更していったかと思うと銃声が聞こえて、後ろから追跡していたと思われる車が、動きを止めたのが見えた、と。」

 「では、そのセダンは逃げ切ったということか?」

 小林の問いかけに、平田は、

 「そういうことになりますよね……。」

 困惑した様に答えるが、質問をした小林自身も、妙な話だと思う。

 銃撃を受けて動くことが出来なくなったと思われる車二台が、高速道路上に乗り捨てられているのが見つかったのだが、どちらにも血痕はなく、これらの車に怪我人はいなかったものと思われる。実はこの二台の車のナンバーは、上から巧妙に書き換えられていたが、その下から出てきた元々のナンバーを検索したところ、やはり盗難車両だった。車台番号については、現在分析班が調べているが、恐らく事故か何かで既に廃車になっているものに違いない。ここまで手の込んだ車を使っていたところをみると、これらの車両は、応戦していたというセダンを、何らかの理由で追跡していた……と考えて間違いないだろう。

 それとは逆に、この応戦していたという車両もそうだが、亡くなった神村という外交官が乗っていた車についても、少なくともこの範囲の高速道路上では見つかっておらず、やはり流れ弾に当たって亡くなったという証拠が、どうしても見つからないのだった。

 その上、神村が流れ弾で亡くなったという情報を提供してきた警察庁が、これ以上、神村の死に関する捜査は不要との通達を千葉県警宛にして来たらしい。小林としては、到底納得出来ることでは無かった。

 この事件には何か裏がある……。小林は真相を探るためには、策を練る必要があると感じ始めていた。

 その時、別の捜査班から、高速道路外で不審な車両が放置されているのを発見した、との連絡が入った。車種は黒のレクサスで、リアウインドウが割れている、という報告だった。

 「平田刑事、現場へ向かうぞ。」

 「分かりました。」

 二人の刑事は、車が乗り捨てられているという現場へ向かった。

 現場に到着すると小林は、捜査員たちにご苦労様、と声を掛け、早速捜査状況の報告を聞く。

 「どうやら都内でレンタカーされたものらしいです。レンタカー会社に問い合わせたところ、当日の午前九時前頃に『竹川東児』と名乗る男が借りに来た、という話でした。」

 当然、偽名だろうな……小林はそう思ったが、今度はそのレンタカー会社へ、平田と共に向かった。

 小林は、レンタカー会社の受付で警察手帳を見せ、『竹川東児』と言う男の免許証のコピーや、受け付けた際の書類を提出する様に要請した。

 「関西弁だったので、てっきり出張に来たビジネスマンだと思っていました。本人も、取引先の重役方を乗せるから、この車種にしてくれと話していましたからね……返却予定時刻になっても戻らなかったので、もちろん連絡は入れました。携帯、繋がらなかったですけれどね。」

 店長だという男は、迷惑そうにそう話す。確かに免許証の住所は大阪になっている。ただ、これも免許証自体が偽造したものなら、でたらめだろう。

 だが、小林は思い出したことがあった。大阪弁を話す、まだ若い男……というヒットマンの噂だ。確か『村山組』という小規模勢力の暴力団の組員……という情報を数年前、耳にしたことがあった。これは確かめる必要がある……そう思いながら、隣に立つ若い刑事に声を掛ける。

 「平田刑事!」

 「……何ですか?」

 小林は、平田の緊張に欠ける返答に苦笑しながらも、

 「思い出したことがあるから、今からそれを調べに行くぞ。」

 「はい!」

 二人の刑事はレンタカー会社の人に礼を言い、次の聞き込みに向かった。

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