↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢ですが毎日実験台にされています——その新薬、絶対に効きませんけれど  作者: 夜凪 蒼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
28/32

第27話「ふざけた薬たちが、盾になる」

石の床が、足の裏で震えておりました。


 見回りの気だるい歩き方ではありません。革の長靴が石を蹴る音が、そろわないまま幾つも重なって近づいてくる。


 わたくしの心の臓は、その足音に合わせるでもなく、相変わらず間の抜けた拍を落としておりました。


 扉が開いて、松明の熱が先に入ってきました。


 男たちを従えて、絹の裾を引いた婦人がひとり。地下の黴くささへ、甘い香りが真上から降ってくる。忘れようもない匂いです。


「……お継母さま」

「まあ、オクタヴィア。ずいぶんおやつれになって。こんな湿ったところで」


 扇が半分だけ開きました。


 その陰の目が、あらわになったわたくしの左腕へ流れていく。肩の手前まで来た夜の色を確かめて、満足そうに細くなった。


「あら。もう、そこまで。……思ったより、長くもったこと」


 息が浅くなりました。


 この方は知っている。この色が何なのかを、最初から知っている。


「……あなたが、わたくしに」

「今さらでございましょう? あなたを庇う人など、どこにもいなかったのですから」


 微笑みは崩れません。崩れないまま、声だけが氷の温度になりました。


「オクタヴィアさん。この人、だれ」

「わたくしを産まなかったほうの、母ですわ」


 ミントがわたくしの背へ回りこみました。ポッケは扉の陰で紙束を抱えたまま固まっている。


 ここで黙って、二人を風の通る側へ押しやれば、それで済んだのです。


 済ませられませんでした。


「お継母さま。ずいぶん長らくお待たせして、申し訳ございません。次は、もう少し働きのよい毒をお選びになって」


 扇が音を立てて閉じました。


「……その口。ほんとうに、あなたのお母さまに似ませんこと」

「よく言われますの」

「壺を。急ぎなさい」


 男たちが壁ぎわの小さな壺へ次々と火を移していきます。壺の口で、毒々しい紫がふくらんでは沈み、ふくらんでは沈む。地下ごと落とすための錬金の炸薬でした。


 ……逃げ道の話をしておりましたのに、この口は挨拶を始めましたわ。


「7号!」


 治験室の側から、クラウスが走ってきました。手には七色の濁った液の入った瓶。栓を抜くより早く、わたくしの手のなかへ押しこまれる。


「1本目、髪。2本目、鼻。3本目、姿。4本目、腕。この順で来る。数えろ」

「あの、クラウス、これはいったい——」

「壺は9つ数えるあいだにひとつ脈を打つ。8つに縮んだら弾ける。今は9つ半だ。走りながら聞け」


 言いながら、もう一本の小さな瓶がわたくしの懐へ押しこまれました。中身の説明はございません。


 問いの入る隙が、どこにもありませんでした。


 あおる。喉の奥でいくつもの熱がいっせいに口を開けて、骨という骨が内側から鳴りはじめる。


 髪が根元から虹に染まりました。


 世界の色が、いっぺんに増えます。壁ぎわの壺が、目に痛いほどの紫の塊として浮かび上がった。脈の間隔まで見える。9つ。9つ。……8つ半。


「ミント、ポッケ! こちらへ!」


 鼻の奥が、いきなり地下の見取り図になりました。黴、松明の脂、男たちの汗。その奥の奥に、細い外気の筋がひとつ。崩れかけた古い通気口です。


 毛玉になった日に覚えた鼻が、道を見つけました。


「クラウス。9つ半が、8つになりましてよ!」

「聞こえてる。走れ」

「あなたも走っていらっしゃるの?」

「俺は数えてる」


 数を落とさずに走る背中でした。その背中に遅れないことだけを考えて、足を出します。


 体が獣のように軽い。ミントの手を掴み、腰の抜けたポッケの襟を引きずって、男たちの間を縫って走ります。松明の輪の真ん中を通り抜けたのに、誰ひとり振り向かない。姿の薄れる体質が、気配ごとわたくしたちを消してくれておりました。


「オクタヴィアを逃がすな!」


 ブランカの声と同時に、壺がいっせいに弾けました。


 天井が鳴って、崩れてくる。ミントの真上へ、抱えきれない大きさの石が。


 考えるより先に、腕が膨らみました。


 受け止めた重さで足が床へめりこみます。骨が軋んで、歯の根が鳴った。それでも、ミントとポッケの頭の上に、腕でつっかい棒の屋根ができている。


「オクタヴィアさん、腕! 腕がっ!」

「口より足をお使いなさい! その先の風の道へ!」


 ミントがポッケの襟首を掴んで、渾身の力で引きずり出していきました。


 崩れた通路の向こうから、別の松明の列が押し寄せてきます。監督官ヴォルフと、その兵たちでした。


「動くな。研究所の破壊と、被験体への加害の現行犯だ」

「アーベントロート。この惨状の説明を」

「あとにしろ。7号の心臓が止まりかけてる」

「か、監督官どのをお呼びしたのは、僕です! ブランカさまが、7号さんを亡き者にしようと——! 証拠は、そこの壺です!」


 ポッケの声は裏返っておりましたけれど、指の先はまっすぐ壺を差しておりました。


 ヴォルフの目が、くすぶる壺と絹の裾を順に射抜きます。優雅な微笑みが、そこでとうとう剥がれ落ちました。


 石を支える腕の力が、ふっとゆるみました。


 見ると、虹に染まった腕の上で、夜の色が薄らいでいきます。指の先から順に、砂が水へ溶けるように。


「……消えて、いく」


 瓦礫の隙間で、クラウスがわたくしの腕を掴みました。消えていく色を目で追う指が、震えている。


「足場を、失ったんだ。お前の体が、毒を留めておけなくなった」

「クラウス。あのばかばかしい薬たちは、ぜんぶ、今日の一日ぶんでしたのね」

「……ああ」


 ヴォルフの兵が、ブランカと男たちを取り押さえました。


 石の床へ落ちた扇が、澄んだ音を立てて割れる。慈母の顔をなくした継母は、それでもこちらを見て低く笑いました。


「毒は、もうあなたの中よ。染みが消えたところで、じきに死ぬわ」


 その声が届いたときでした。胸のなかで、とん、と一拍が大きく跳ねます。


 次が来ません。


「ねえ、クラウス」

「喋るな」

「喋りませんと、止まってしまいそうですもの」

「……喋れ。数えててやる」


 この方は、わたくしの手首を取って、来ない拍を待ちはじめました。


「……クラウス」

「あざは消えた。だが、毒そのものはまだ体の中を漂ってる。足場をなくして、暴れてる。……このままだと、心の臓へ行く」

「……毒には、効きまして?」

「……効かない」


 毎朝の返事でした。毎朝は聞き流していたものが、今日にかぎって耳から落ちてくれません。


 膝から力が抜けていきました。


 崩れた瓦礫の隙間から、白みかけた空の光が一筋だけ落ちてくる。夏の入り口の、まだ湿った色の光でした。


 次の一拍を待ちます。


 待っても、待っても、来ませんでした。


次話:「はじめて、番号じゃない名前で」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。