第17話「捨て駒だと、笑って言えたら」
自分の影が、見当たりませんでした。
燭台は背中の側にあるのに、床には何も落ちていない。落ちるかわりに、石のほうが薄青く照り返している。手をかざすと、指の輪郭ごと光っていた。肌の内側から、蛍のような燐光がにじみ出している。
「オクタヴィアさん、光ってる! きれい! 夜になったら、あたしの枕元に置きたい!」
答えないでおきました。掌を裏返し、指の輪郭をひとしきり眺めてから、袖口へしまう。しまっても、布ごしに滲んで出てくる。
「……この暗い地下では、たしかに便利かもしれませんわね」
ほら、言ってしまいましたわ。黙っていられたのは、たった3拍。
困ったのは、消し方がないことだ。目をつぶっても布をかぶっても、青白い光は容赦なく滲み出る。厠へ立てば足もとを照らし、廊下では壁に自分の影ならぬ光が映る。毛布を頭からかぶってみたら、寝台がまるごと提灯になった。
しかも心が乱れるほど、光は強くなった。動揺がそのまま明るさになって漏れ出てしまう。ミントに背中を押されて廊下へ出るあいだにも、明るさは三段ばかり上下している。目立ちたくない朝にかぎって、こうも派手に光るとは。
光る手のひらを裏返してみる。爪の白いところが、いちばん明るい。掌の皺は暗いまま。体の中に灯りが入っているのではなく、皮膚のごく浅いところだけが燃えているのだと分かる。熱はまったく感じません。冷たい火に浸けられているようなものですわ。
食堂の隅で、被験者仲間が二人ひそひそと声を交わしていた。光る体で近づいたせいか、こちらに気づいて話をやめる。それでも切れ端は届いてしまう。
「……あれが例の、毒蛇の令嬢だろ。継母を毒殺しようとして、家を追い出されたっていう」
「へえ。道理で、気位が高いわけだ」
光がぶわりと強くなった。
ここで匙を上げ下げしていれば済んだのです。地上の広間でも、そうやってやり過ごしてまいりましたもの。
「ええ。その毒蛇ですわ」
二人の顔がこちらを向く。
「毒殺しそこねた女が、今は毎朝毒を飲まされておりますの。おかしいでしょう。順番が逆でしてよ」
「お、おい」
「どうぞお続けになって。わたくしの噂は、そちらの一杯より味が濃いはずですわ」
長椅子が引かれ、椀が置かれ、食堂の隅がひとつ空いた。
空いた隣に、ミントが立っていた。手に椀を持ったまま。笑おうとして、うまく笑えていない顔で。
……自分を刺したつもりが、隣に立っていた方まで貫いておりましたわ。
「自分で言うのは、なしだよ」
「事実ですもの」
「うそ。オクタヴィアさん、毒なんて盛ってないでしょ」
「……なぜ、そう思って」
「知らない。証拠もない。でも、そういうことにしてる」
根拠がひとつもない。ひとつもないのに、この娘は椀を持ったまま、こちらの隣に立ち続けている。光の強さが、また一段上がりました。
治験室では、ポッケが被験者名簿を書き写していた。光る指で扉を押したわたくしに、彼はびくりと顔を上げる。その拍子に、開いていた頁がこちらを向いた。
被験者番号7号。そして、後見人の欄。
——ブランカ・ヴァレンフェルト。
継母の名が、きれいな字で記されていた。
「あっ、す、すみません、これは、その」
「……後見人」
声に出してみても、意味が並ばない。もう一度読んだ。字は動かない。
「よろしいのよ。手続き上の名義でしょう。追放された者にも、書類の上の親は要りますもの」
「え、と……その欄は、身元を引き受けた方のお名前で」
「……身元を」
「はい。この治験へ、と、勧められた方の」
光が、目の裏まで白く跳ね上がった。
ポッケが顔をそむける。手のひらで顔を覆っても、指の隙間から自分の光が漏れてくる。体のほうが先に理解して、勝手に返事をしてしまっている。
高い報酬の出るお薬の試験があるのよ、と、情け深げに囁いたあの声。あれは救いの手ではありませんでした。厄介な先妻の娘を命がけの治験へ押しこんで、あとは待つ。体のいい厄介払いですわ。
名簿の紙は薄くて、裏から蝋燭の火が透けていた。透けた文字が、わたくしの光でもう一度照らされている。惨めなときにかぎって、この体は煌々と明るい。
署名の筆跡には見覚えがあった。祝いの日の招待状も、暇を出す使用人への添え状も、同じ角度で「ヴァ」の字が撥ねている。あの手が、わたくしの番号のうしろに書かれている。
……なるほど。7号という番号は、あの人がわたくしに与えた最後の贈り物でしたのね。籠に入って届いたわけではないだけで。
クラウスがわたくしの手首を取った。指の下で数がひとつずつ刻まれ、それから袖が上がる。染みをひとしきり見たあと、この方は壁のほうへ三歩下がって、手帳を目の高さに掲げた。
「壁から3歩下がると、字が読める。昨日の炉の灯りより明るいな。……7号。今日は脈が速い」
「光っておりますもの。仕方がございませんわ」
「光と脈は別だ。速いのはさっきからだ」
こういうときだけ、この方は目盛りより先にこちらを見る。
「クラウス。ひとつ教えてくださる。わたくしは、この治験にとって、なんですの」
「……俺の担当する、試料だ」
「ええ、そうね。使い捨ての、駒。都合が悪くなれば捨てられるほう。……慣れているつもりでしたのに、今日はなぜだか、こたえますわ」
光がゆらゆらと乱れて、動揺をあますところなく照らし出す。隠したいのに隠せない。この体は今日にかぎって、どこまでも正直だった。
クラウスはしばらく黙っていた。それから、いつもの平坦な声で言う。
「7号。ひとつ、訂正させろ」
「なにを?」
「お前は捨て駒じゃない。少なくとも俺の治験では違う。……いちばん、失うわけにいかない試料だ」
手帳が閉じられる音がした。
「——記録の連続性の問題だ。途中で欠けると、半年ぶんが無駄になる。それだけの話だ」
「まあ。ずいぶん急いで、上から紙をお貼りになりましたのね」
「貼っていない」
「試料を失いたくないだけの方が、なぜ"訂正させろ"などとおっしゃいますの。訂正は、間違いを気にする人のすることですわ」
答えは返ってこない。かわりに瓶が来た。飲みほすと、喉の奥の痺れに合わせて、体の光がふっと和らぐ。
「効かないな。……光量は上がっても、体温は平熱のままだ」
「けっこうですわ。……こんな体でも、意地くらいは張れますもの」
「そうか。……それでいい。次だ」
夕刻、記録室の扉の隙間から灯りが漏れていた。ポッケが手順書の頁をめくる音と、日付を数える声。次の視察まで、あと幾日。声はそこで止まって、また最初から数え直していた。
その夜、わたくしは光る体を持て余して寝台で膝を抱えた。
捨て駒だと笑って言えたら、どんなに楽でしょう。今朝それをやってみて、隣に立っていた娘の顔を曇らせただけでした。
膝の隙間から、青白い光が漏れている。掌でふさいでも、指のあいだから細く出てくる。
「オクタヴィアさん。まだ点いてる?」
「……消える気配がございませんの」
「じゃあ、こっち向いてよ。暗くて本が読めない」
「お持ちの本など、1冊もございませんでしょう」
「弟の手紙。何回でも読むの」
寝返りを打って、わたくしはミントのほうへ体を向けた。手紙の上に、薄青い光が落ちる。
捨てられた駒が、この地下でひとつぶんの灯りにはなっている。今夜のところは、それで勘弁してさしあげますわ。
次話:「効かせたくない薬が、ここにある」




