第 七 章 ア ル マ ン
⼗六の頃から、僕は宮廷の外に出ることを求めるようになった。
護衛をつけずに、ということはできなかった。でも時々、護衛と⼀緒にパリへ出かけることは許された。もちろんそれは、⺠衆の⽬には「貴族の若者の気晴らし」に⾒えただろう。
それでも、パリの空気を吸うたびに、僕の中で何かが変わった。
市場の喧騒。⿂売りの怒鳴り声。⼦どもたちが路地を駆け回る⾳。⽯畳に落ちたパンを拾う⼿。あの⽼婆の建物で過ごした⽇々が、体の記憶として戻ってくる。ここが⾃分のはじまりだった、という感覚。
本で読んでいたことが、⽬で⾒えた。
パンの値段が上がっていた。⼈々の顔が、⼀年前より疲れていた。街⾓で誰かが演説していた。王への不満。貴族への怒り。税への絶望。群衆がそれを聞いていた。静かに、しかし真剣に。
⼀七⼋七年、財政の危機は誰の⽬にも明らかになっていた。
僕はアベ・ドバックとよく話した。彼は慎重な⼈で、政治的な発⾔を避けていたが、歴史の話という形で多くのことを教えてくれた。ローマの末期。⾰命の条件。⺠衆が動くとき、何が起きるか。
「君はどう思う」と彼はある⽇、珍しく直接的に訊いた。
「フランスは変わらなければならない、と思います」
と僕は答えた。
「でも、どう変わるべきかはまだわかりません」
「変わる⽅向には⼆つある」
と彼は⾔った。
「上から変わるか、下から変わるか。上から変わるには、王が変わらなければならない。下から変わるには——」彼はそこで⼝をつぐんだ。
「⾰命ですか」
「その⾔葉は慎重に使いなさい」
と彼は⾔った。
「しかし、そうだ。その可能性を、歴史は否定しない」
その頃のマリーさまは、変わり始めていた。
笑顔が以前より少なくなった。⽬に疲れが⾒えた。ダイヤモンド事件のあとから、外に出ることを前ほど楽しんでいないように⾒えた。宴を開くことも続けていたが、以前の無邪気な楽しさではなく、どこか義務的な雰囲気があった。
彼⼥が
「外の世界を⾒たことがありますか」と訊いてきたとき、正直に答えた。
答えながら、後悔した。
彼⼥を傷つけたかったのか、と問われれば、否だ。彼⼥を傷つけたくなかった。でも、嘘をつくこともできなかった。本を読んで知ったこと、パリで⽬で⾒たこと、それが無いことにはできなかった。
マリーさまは黙っていた。
その沈黙が、とても⻑く感じられた。
僕たちのあいだに何かが⽣まれたのは、そのときだったと思う。⾒えない壁のような何か。愛情は変わっていなかった。僕は彼⼥を愛していた。「⼦」として、「⺟」として——い
や、正確にはそれとも少し違う、名前のつけにくい感情として。しかし同時に、彼⼥が⽴っている場所と、僕が⽴っている場所が、少しずつ離れていっているような気がした。
その壁に、名前をつけるとすれば、何だろう。
階級、と⾔えば単純すぎる。思想、と⾔えば⼤げさすぎる。
おそらくは、世界の⾒え⽅の違い、だった。




