第 三 章 ア ン ト ワ ネ ッ ト
ルイは反対しなかった。
それが意外だったのか、あるいは予想通りだったのか、⾃分でもよくわからない。ルイは多くのことに反対しなかった。私の浪費にも、夜会への出席にも。その代わり、多くのことに賛成もしなかった。彼はただ、存在した。国王として、夫として、そこに⼤きく、重く、不動に存在した。
「まあよかろう」という⾔葉を、侍⼥から聞いたとき、私は笑いたいような、泣きたいような気持ちになった。まあよかろう。それがアルマンという⼦どもの命運を決める⾔葉だった。
宮廷の反応は予想通りだった。
ポリニャック公爵夫⼈は⾯⽩そうに笑った。「王妃陛下も変わったことをなさいますね」それが賞賛なのか嘲笑なのか、わからない⾔い⽅だった。彼⼥はいつもそういう⾔い⽅をした。
宮廷の古い貴婦⼈たちは眉をひそめた。
「孤児を王宮に」
「⾝元もわからぬ⼦を」
「ハプスブルクの⾎を引く王妃がまさか」。
こちらは嘲笑であることがはっきりしていた。
私はどちらも気にしなかった。気にしないように努めた、というのが正確かもしれない。しかし確かに、私はその批判の多くを受け流せた。なぜなら、⼣⽅になるとアルマンが私の部屋にやってきて、今⽇学んだことを話してくれたから。彼の話し⽅はまだぎこちなかったが、⽬が⽣き⽣きとしていた。庭で⾒た⿃のこと、先⽣に習ったラテン語の単語のこと、マリー=テレーズが教えてくれた隠れ場所のこと。
彼は笑うようになっていた。
最初の頃は笑わなかった。表情が薄い⼦どもだった。しかし三ヶ⽉が過ぎた頃から、時々笑うようになった。声を⽴てて笑うのではなく、⼝の端がほんの少し上がる、そういう笑い⽅だった。それを⾒るたびに、私の中で何かが温かくなった。
ルイとの間に⻑⼥のマリー=テレーズが⽣まれたのは、アルマンを引き取った翌年のことだった。喜びはあった。本物の喜びが。それと同時に、宮廷の空気が変わった。視線が変わった。世継ぎはまだ男児でなければならなかったが、少なくとも第⼀歩は踏み出した、という安堵が、私の周囲を少し軽くした。
アルマンとマリー=テレーズはよく遊んだ。
アルマンは優しい⼦どもだった。マリー=テレーズが転んで膝を擦り剥いても、⼤げさに⼼配せず、ただそばにいた。泣きやむまで、そばにいた。マリー=テレーズはそういう接し⽅を好んだ。過度に慰めるより、ただそばにいてくれる⽅が好き、と後に彼⼥は私に⾔った。
⻑男のルイ=ジョゼフが⽣まれたのは⼀七⼋⼀年だった。その翌年、次男のルイ=シャルル(後に私たちがシャルルと呼んだ⼦)が。そして⼀七⼋六年には末のソフィー。
⼦どもたちの中で、アルマンは不思議な位置にいた。兄でも弟でもなく、しかし確かにその中にいた。私は彼を「私の⼦」と呼び続けた。モン・アンファン。私の⼦。それは正確な⾔葉ではなかったかもしれない。しかし私の中では正確だった。
彼が⼗歳になった頃、私は彼の変化に気づいた。
眼だ。眼が変わってきた。あの、何も怖れていないような静かな眼に、何かが加わってきた。何だろうと思って観察していた。やがてわかった。疑問だった。問いかけだった。この場所は何か。⾃分はここで何なのか。周囲の⼈間は何を考えているのか。そういう問いが、少しずつ眼の中に積み重なっていくのが⾒えた。
⼦どもが成⻑するということは、そういうことだ。わかっていた。しかしその変化を、私は少し怖いとも感じた。
なぜ怖かったのか。
今なら⾔える。彼が問いを持ち始めたということは、いつかその問いに⾃分で答えを出す⽇が来る、ということだから。その答えが、私の望む⽅を向くとは限らなかった。




