第五十話 乱世、再び
天正十年六月六日
本能寺の変から四日が過ぎ、真田家と塩田家のもとへ、出浦衆から新たな報せが届いた。安土や京から集められた情報を照らし合わせた結果、織田信長と嫡男の信忠がともに命を落としたことは、もはや疑いようのない事実と考えられたのである。
天下人とその後継者を一度に失った織田家は、これまでのように全国の大名や国衆を従わせる力を保てるのか。信長の死を知った者たちは、それぞれの立場から今後の行く末を考え始めていた。
西国では、備中高松城を攻めていた羽柴秀吉が、毛利氏との講和を急いでいた。信長の死を知った秀吉にとって、毛利との戦を続けることは、主家の危機に対処するうえで大きな障害となる。秀吉は清水宗治の切腹と引き換えに毛利方と和睦を結び、軍勢を東へ返す準備を進めた。やがてその軍勢は、畿内へ向けて急ぎ進むことになる。
一方、徳川家康は堺に滞在していたところで変の報せを受け、わずかな供回りとともに三河への帰還を図った。道中には危険が多く、伊賀を越える道も決して安全ではなかったが、家康は土地の者たちの助けを得ながら岡崎へと戻った。主君を失った織田家の動向を見極めるよりも先に、まずは自らの身と領国を守らねばならなかったのである。
こうして西国と畿内で新たな動きが始まる一方、信濃でも、織田家の支配を支えていた軍勢に変化が現れていた。
北陸では柴田勝家率いる織田軍が上杉方への攻勢を続けていたが、本能寺の変によって、その戦をこれまでどおり進めることは難しくなった。北信濃を治め、勝家を支援するために越後へ進んでいた森長可もまた、上方で起きた異変を受けて軍を引くことを決めた。春日山城への進軍を中止し、本領である美濃へ戻るための準備を始めたのである。
長可が北信濃から退くとなれば、これまで織田家の威勢によって押さえられていた国衆たちが、再び独自の動きを見せることは避けられない。織田家に従うことを選んだ者もいれば、旧領の回復や勢力の拡大を考える者もいる。信長の死は、遠く離れた信濃の地にまで、確かな変化をもたらし始めていた。
森長可の配下となっていた出浦盛清は、長可の撤退を支援することを決めた。長可の軍勢が信濃を離れるまでの間は、織田家に仕える者としてその役目を果たし、無用な混乱を避けるというのである。周辺の国衆が反抗の姿勢を見せ始めている以上、撤退の途上で争いが起きれば、森家にも出浦家にも損失が生じかねなかった。
盛清はこの方針を昌幸と信時にも伝えた。織田家の支配が揺らいでいるからといって、ただちに森家との関係を断つつもりはない。しかし、長可が美濃へ戻った後、北信濃の情勢がどう変わるかは分からず、出浦家としても今後の立場を改めて考える必要があった。
信時は続報を受けると、塩田家の動員を本格的に進めるよう命じた。領内の守りを固めるだけでなく、周辺の国衆の動向を探り、いざという時には兵を動かせるようにするためである。そして、その日のうちに重臣四名を館へ集め、今後の方針について意見を求めた。
集まったのは、塩野範康、御牧兼定、別所勝治、保野綱重の四名であった。いずれも塩田家の内情と周辺の情勢をよく知る者たちであり、時勝とともに家を支えてきた重臣である。信時は彼らを前にして、出浦衆から届いた報せと、森長可の撤退について説明した。
「織田家の支配が揺らいでいることは、もはや疑いようがない。森長可殿も北信濃を離れる準備を進めているとのこと。この先、小県の国衆がどのように動くかも分かりません。塩田家として、いかなる方針を取るべきか、皆の考えを聞きたい」
信時の問いに、まず口を開いたのは範康だった。
「何よりも、塩田の地を守ることが肝要かと存じます。織田家が力を失えば、周囲の者たちはそれぞれの領地を守ろうと動きましょう。我らも他家の争いに巻き込まれぬよう、塩田平を守ることを第一に考えるべきです」
兼定もその意見に同意した。織田家の支配が崩れたからといって、軽々しく他家の争いに加わるべきではないという考えは、自然なものだった。
「今は、誰が天下を握るかを考える時ではありますまい。まずは塩田平を守り、民たちが、これまでどおり暮らしていけるようにする。それができなければ、どれほど大きな望みを抱こうとも意味はありません」
勝治もまた、別所の湯や寺社を含めた領内の暮らしを守ることが先決だと述べた。戦が始まれば、兵だけでなく、湯を利用する者や寺社に集う者、田畑を耕す村人たちまでが影響を受ける。領主が自らの勢力を広げることに気を取られ、領内の暮らしを損なうようでは本末転倒である。
三人の意見を聞いた綱重は、腕を組んだまま、しばらく黙っていた。保野家は塩田家中唯一の足軽大将の家であり、綱重自身、時勝とともに長く戦場を経験してきた古強者である。やがて彼は、重い声で自らの考えを述べた。
「皆の申すとおり、まずは塩田を守ることが肝要。されど、今こそ塩田家が本来の姿を取り戻す好機ではありませぬか」
信時は綱重へ目を向けた。
「本来の姿、とは」
「織田家が強大であったからこそ、我らはその支配を受け入れた。だが、その織田家が揺らいでいる今、再び独立した塩田家を取り戻すことも考えるべき。誰かの庇護を受けるのではなく、自らの力でこの地を守る。それこそ、時勝様が殿に家督を譲られた意味にも通じるのではありませんか」
綱重の言葉には、長年塩田家に仕えてきた者としての誇りが込められていた。かつては独自の力を持ち、塩田平を治めてきた家が、強大な勢力の動向に左右されることを、彼は快く思っていなかったのである。
「今織田家の直臣として仇討ちを掲げたところで、我らにそれを成し遂げる力はありません。ですが、失ったものを取り戻すことまで諦める必要はない。塩田の地を守り、塩田家として生きていく。そのために、今の混乱を利用する道もあるはず」
範康たちも、独立を取り戻したいという思いそのものには異を唱えなかった。塩田家は、織田家に直接仕える立場を認められた家である。だからこそ、織田家の権威が失われれば、これまでの関係を見直す余地も生まれる。しかし、独立を望むことと、実際にそれを維持できることは別の問題だった。
信時は重臣たちの言葉を聞きながら、すぐには答えを出さなかった。塩田家の独立を取り戻すという考えは、彼にとっても理解できるものだった。だが、今の戦国の世は、ただ土地に根を張り、家臣たちの忠義を頼みにしていれば守り抜けるほど単純ではない。
長篠の戦い以降、戦場のあり方は大きく変わりつつあった。鉄砲を扱う足軽が戦の行方を左右するようになり、兵数や武器、兵糧の差が勝敗に直結する場面も増えている。塩田家がいかに騎馬を得意とし、堅固な城と地の利を備えていようとも、兵数で勝る大大名の軍勢を正面から打ち破ることは容易ではなかった。
独立を保つには、独立を認めさせるだけの力が必要である。仮に織田家の支配から離れたとしても、徳川、北条、上杉のいずれかが信濃へ勢力を伸ばしてくれば、塩田家だけでその動きを食い止められるとは限らない。誰にも従わずに生きることが、必ずしも家と領民を守ることにつながるわけではなかった。
「皆の考えは分かりました。塩田の地と、そこに暮らす者たちを守ることが第一であるという点に、私も異論はありません。独立を取り戻すという望みも、決して捨てるべきものではないでしょう」
信時は一同を見渡し、慎重に言葉を続けた。
「ですが、誰にも従わずに生きていくことが、本当に塩田を守る道なのかは、まだ分かりません。これからは、誰がどの土地を押さえ、どのような力を持つのかを見極める必要があります。塩田家だけで守り切れぬ相手が現れた時、我らは誰と手を結ぶべきなのか。それも考えておかねばなりません」
重臣たちは、それぞれに考え込んだ。信時の言葉は、彼らの望みを退けるものではなかったが、独立そのものを目的とするのではなく、塩田の地を守り抜くために何が必要かを考えようというものだった。
信時自身、まだ答えを持っていたわけではない。家督を継いで間もない彼にとって、今の情勢はあまりにも変化が速く、判断の拠り所となるものも少なかった。ただ一つ確かなのは、家を守るということが、領内に籠もって戦を避けるだけでは成り立たないという現実だった。
そのころ、真田の館でも、昌幸は兵の動員を維持したまま、信濃・上野・甲斐・越後の情勢を探らせていた。森長可が北信濃から退き、織田家の支配が揺らいでいる以上、周辺の国衆が動き始めるのは時間の問題である。甲斐でも旧武田家臣たちの行く末は定まらず、上野では滝川一益が織田家の支配を維持しようとしている。どこか一つの情勢が変われば、それが周囲にも波及しかねなかった。
昌幸は、織田家に仕えるという立場をすぐに捨てるつもりはなかった。信長と信忠の死が確実になったからといって、織田家そのものがただちに消え去るわけではない。誰が家督を継ぎ、どのような体制を築くのかが定まるまでは、臣従の姿勢を保ちながら、領地と兵を守ることが肝要だった。
そんな折、上野の滝川一益から、昌幸に会談を求める使者が届いた。
一益が本能寺の変を知ったのか。それとも、上野へ向かう人々の流れを抑えたことを不審に思ったのか。昌幸には、使者の言葉だけでは判断がつかなかった。碓氷峠を越えて上野へ向かう道を通じ、何らかの形で情報が伝わった可能性は十分にある。人の往来を制限したところで、報せが広まるのを完全に防ぐことはできないのだ。
昌幸は会談の申し入れを受けることにした。ただし、自ら上野へ向かう以上、小県の守りを手薄にするわけにはいかない。信繁は本来、安土に人質として置かれているはずだったが、本能寺の変によって状況は一変している。昌幸は信繁と矢沢頼康に小県で兵をまとめさせ、万一に備えるよう命じた。
そして、自らは信幸と矢沢頼綱を伴い、上野へ向かうことにした。
織田家に仕える者として一益の求めに応じるのは、今の立場からすれば当然のことでもある。だが、昌幸にとって、この会談は単なる主従間の打ち合わせではなかった。信長と信忠を失った今、上野を治める一益が何を考え、どこまで織田家の秩序を維持できると見ているのか。それを知ることは、真田家の今後を決めるうえで欠かせなかった。
沼田を取り戻す機会が訪れるとしても、相手の動きを知らずに手を出すわけにはいかない。反対に、一益が上野の支配を保とうとするならば、昌幸は織田家への臣従を続けながら、その意向と力を見極める必要があった。
昌幸は、まだ何も決めてはいなかった。ただ、情勢が動く時こそ、己の判断一つで家の行く末が変わることを知っていたのである。
信時は塩田の地を守るために、どのような力を頼るべきかを考え始めていた。昌幸は織田家への臣従を保ちながら、上野の一益と向き合おうとしている。
本能寺の変によって生まれた空白を埋めるため、各地の勢力はすでに動き始めていた。誰が味方となり、誰が敵となるのか。昨日までの約束が明日も通用する保証はない。
再び動き出した乱世のなかで、真田と塩田の両家もまた、自らの生き残る道を探し始めていた。
このエピソードで第五十話を迎えました。物語全体ではまだまだここからではありますが、これまでお読みいただき本当にありがとうございます。投稿ペースは落ちていきますが、これからもよろしくお願いします。




