第五話 塩田家(その1)
朝陽が真田の郷を照らすなか、真田氏館の表門には数騎の馬が静かに並んでいた。
馬上の武者はいずれも塩田家の者である。その先頭には一人の若武者が控えていた。二十代半ばほどであろうか。日に焼けた精悍な顔立ちは武人らしい鋭さを備えているが、時勝ほどの威圧感はない。鍛え抜かれた体躯は鎧の上からでも分かるほど逞しく、愛馬の手綱を握る姿には騎馬武者らしい堂々とした風格があった。
塩野範康
塩田衆の重鎮・塩野貞康の嫡男であり、代々塩田家を支えてきた塩野一族の若き将である。長篠の戦では嫡男・時信に従って出陣していたが、戦の最中に父貞康が病に倒れたため、塩野勢をまとめるべく本隊を離れた。その僅かな時間の中で時信は討死を遂げる。
もし自分が傍にいたならば。
その悔恨は今なお範康の胸から消えることはなかった。だからこそ、これから迎える新たな若君だけは何としても守り抜く。その決意だけを胸に、範康は静かに館の門を見つめていた。
やがて館の中から昌幸と源七郎が姿を現す。
源七郎はまだ幼いながらも、今日は普段より改まった小袖に身を包み、その表情には緊張が見て取れた。範康は一歩進み出ると深く頭を下げる。
「塩田家家臣、塩野彦次郎範康にございます。本日は若様をお迎えに参りました」
「ご苦労」
簡潔な挨拶を交わした後、館の前には束の間の静寂が流れた。いよいよ別れの時である。
昌幸は源七郎へ向き直る。数日前、自らの口で養子入りを告げた時よりも源七郎の顔つきはどこか引き締まって見えた。
幼いながら自分が進むべき道を受け入れようとしている。
その姿を見て、昌幸は少しだけ目を細めた。
「源七郎」
「はい」
「今日よりおぬしは塩田の子となる」
源七郎は静かに頷く。
昌幸は続けた。
「時勝殿は武勇に優れた立派なお方だ。武士として学ぶべきことは数え切れぬほどある。よく教えを受け、よく励め」
「はい」
「それと、範康殿の言うことはよく聞くのだ」
不意に範康が驚いたような顔をする、昌幸は小さく笑った。
「時勝殿より話は聞いておる、おぬしが源七郎の面倒を見る役目を仰せつかっているとな」
範康は居住まいを正した。
「はっ。この命に代えましても若様をお守りいたします」
「頼む」
その一言には、父としての願いが込められていた。
源七郎は昌幸を見上げる。
「父上」
昌幸は優しく頷いた。
「もう言うことは一つしかない」
源七郎も自然と背筋を伸ばす。
「昨日話したことを忘れるな」
「真田の心、でございますね」
その言葉を聞いた昌幸は満足そうに微笑んだ。
「そうだ。塩田へ行こうと、おぬしは真田の血を引く者だ。六文銭の意味を忘れず、どのような苦難にあっても最後まで諦めるな。備えを怠らず、知恵を尽くし、己の道を切り開け」
「はい」
「そして」
昌幸は少しだけ言葉を止めた。
「……立派になれ」
たったそれだけだった。
武家の父が子へ贈るにはあまりにも短い言葉、だが、その一言に込められた思いは何よりも重かった。
源七郎は深く頭を下げる。
「行ってまいります」
「うむ」
源七郎は踵を返し、範康のもとへ歩き出す。範康は幼い若君を馬へ乗せると、自らも騎乗した。
「では、参ります」
塩田衆の一行がゆっくりと真田氏館を後にする、源七郎は一度だけ振り返った。
館の門前には昌幸が一人、静かに立っている。
その姿が少しずつ遠ざかっていく。源七郎は何度も振り返ろうとしたが、そのたびに昨日の父の言葉が胸に浮かんだ。
――真田の心を忘れるな
幼い少年は前を向いた。その背中を見送りながら、昌幸は一歩も動かなかった。源七郎の姿が道の向こうへ消え、土煙だけが夏空に溶けていく。それでもなおその場を離れることはできない。
「……立派になれ、源七郎」
真田の郷を後にした一行は上田盆地を西へと進んでいた。夏の日差しは強いものの、千曲川から吹き上げる風は涼しく、馬も人もゆったりと歩を進めている。まだ幼い源七郎は範康の前へ乗せられ、揺れる馬上から見慣れぬ景色を興味深そうに眺めていた。
しばらくは誰も口を開かなかった。
やがて源七郎は意を決したように振り返る。
「範康殿」
「何でしょう、若様」
「塩田家とは、どのような家なのですか」
範康は少しだけ笑った。
「それをお話しするのが、私の役目でもございます」
馬の歩みに合わせながら、範康は静かに語り始めた。
「世の者は塩田衆を騎馬の一族と申します。しかし、それは半分だけ正しく、半分は違います。我らは初めから武士であったわけではございませぬ」
源七郎は不思議そうな顔をする。
「では、何だったのですか」
「馬を育てる者です」
その一言に、源七郎は首を傾げた。
「古来、この塩田平には朝廷が定めた牧――すなわち御馬を育てる牧場がございました。我らの祖は御牧氏と名乗り、その牧を守り、育て、朝廷へ良馬を献上することを代々の務めとしていたのでございます」
範康は周囲へ広がる平野を見渡した。
「この辺り一帯は信濃国設置以来重要な地でした、最初の国府が置かれ、国分寺も整備されております、一時は遷都の計画もあったと聞いたことがあります」
塩田家に伝わる『塩田家家伝書』によれば、その祖は御牧氏を称し、信濃国司の命を受けて塩田平一帯の牧を管理していたという。やがて牧を守るため武装した一族は、周辺の警固をも任されるようになり、騎馬を自在に操る集団として次第にその名を知られるようになった。
後世に塩田衆と呼ばれる騎馬集団は、まさにこの頃から形作られていったのである。
「騎馬が得意なのは、その頃からなのですね」
「ええ。馬は我らにとって家族も同じ。幼き頃から馬と共に育ちますゆえ」
範康は馬の首を軽く撫でる。
「ですが、それだけではございません」
そう言うと、前方に見える山並みを指差した。
「あの先に生島足島神社がございます」
「神社ですか」
「はい。我らは古くより氏子総代を務めております」
源七郎は少し驚いたように目を丸くする。
「武士なのにですか」
「ええ。武士だからこそ、でございます」
範康は笑う。
「この地を守るとは、城を守るだけではありませぬ。神を守り、民を守り、田畑を守り、温泉を守る。それら全て合わせて塩田を守るということなのです」
その言葉にはどこか誇らしさが滲んでいる。範康の言葉通り、塩田家は単なる武士ではない。
『塩田家家伝書』には、生島足島神社の祭祀を司り、別所温泉の管理を任されていたことが繰り返し記されている。また、塩田平には信濃国府とも深い繋がりを持つ寺社や荘園が数多く存在し、それらを守護することもまた塩田家の重要な役目であった。
ゆえに塩田家は、戦乱の世にあっても一領主としてのみならず、この土地そのものを預かる一族であるとの自負を持ち続けていたのである。
しばらく二人の間に言葉はなかった。
馬の蹄が街道を踏みしめる音だけが規則正しく響き、その傍らでは初夏の風に揺れる稲が青々と波を打っている。遠くには塩田平を囲む山々が連なり、その麓には幾つもの寺の甍が小さく見えていた。やがて源七郎は、先ほどから気になっていたことを思い出したように口を開く。
「範康殿」
「何でしょう」
「先日、館で時勝様とお会いした時、家紋が二つあるように見えました。塩田家には三つ鱗と、もう一つ……木の葉ような紋もございました」
範康は小さく笑った。
「よくご覧になっておられますな」
そう言うと、自らの陣羽織へ縫い付けられた紋へ目を落とす。
「こちらが北条家より受け継いだ三つ鱗。そしてこちらが、我らが御牧の頃より用いてきた科の木でございます」
源七郎は興味深そうに身を乗り出した。
「二つとも使うのですか」
「ええ」
範康は迷うことなく頷いた。
「三つ鱗は、北条家の血を忘れぬため。科の木は、それより遥か昔よりこの地を守ってきた御牧の誇りを忘れぬため。我らはどちらか一方ではなく、その両方を背負っております」
その言葉には、一族の歴史への深い敬意が込められていた。
『塩田家家伝書』には、「塩田氏は二つの家名を継ぐ者なり」との一節がある。
一つは牧を守り、信濃国司へ仕えた御牧氏。
一つは信濃国司として塩田荘を治めた塩田流北条氏。
いずれが欠けても今の塩田家は存在しない。ゆえに家紋もまた二つ掲げ、一族の由緒を後世へ伝えてきたのである。もっとも、三つ鱗を掲げているからといって、小田原の後北条氏と同じ一族であると誤解する者も少なくなかった。
しかし、それは半ば正しく、半ば誤りである。確かに塩田家には北条の血が流れている。だが、その血は伊豆に興った後北条氏ではなく、鎌倉幕府執権北条氏に連なる塩田流北条家のものであった。
ゆえに塩田家では、伊豆より興った北条氏を「北条」とは呼ばない。
「若様も、いずれ覚えていただかねばなりません」
範康は少し真面目な口調になった。
「小田原の北条殿を、我らは北条とは呼びませぬ」
「では、何と」
「伊勢殿――あるいは伊勢氏、と申します」
源七郎は不思議そうに眉をひそめた。
「北条ではないのですか」
「北条ではございませぬ」
範康は静かに言い切った。
「もともとあのお方らは伊勢を名乗る一族。それが関東へ入り、滅びた鎌倉北条家を継いで北条を称するようになられました。しかし我らにとって北条とは、あくまで鎌倉の北条家、そして塩田流北条家のこと」
範康は一度言葉を切る。
「滅びた主家の名は、軽々しく他家へ譲れるものではありません」
その声音に怒気はなかった。
ただ、何百年もの間受け継がれてきた矜持だけがあった。
『塩田家家伝書』にも、「後世伊勢氏、北条を称すといえども、我らはこれを伊勢と記す」と記されている、これは敵意からではない。ましてや後北条氏を軽んじたものでもなかった。ただ、鎌倉以来仕え続けた主家への敬意ゆえ、一族の間では頑ななまでにその呼び方が守られていたのである。
源七郎は静かに頷いた。
それは武家の礼法というより、一族の誇りそのものなのだろう。昌幸が語った「真田の心」があるように、塩田家にもまた、代々受け継がれてきた「塩田の誇り」がある。
源七郎はそんなことをぼんやりと思いながら、再び馬の前方へ視線を向けた。
やがて一行は西に向かう保福寺街道を南に曲がる、範康は馬の歩みを変えることなく、再び静かに口を開く。
「もっとも、若様。塩田家は北条の家に従ってから、他家の家臣になったわけではございません」
源七郎は首を傾げる。
「国司様に仕えていたのではないのですか」
「ええ。しかし、仕えていたのはあくまで信濃国司にございます。北条家個人ではなく、朝廷より信濃を預かった国司の家に仕えていたのです」
範康は少し間を置き、言葉を続けた。
「ゆえに鎌倉が滅んだ後も、塩田家は誰かに従うことなく、この塩田の地を守り続けました」
『塩田家家伝書』には、「我らは代々、朝廷と国司の臣たり」と記されている。
これは単なる建前ではなかった。
御牧氏の頃より信濃国司に属し、塩田流北条氏の時代にもその立場は変わらない。ゆえに主家が滅びた後も、新たな主君を求めて他家へ属することはせず、あくまで独立を守り続けたそれは戦国の世にあっては珍しい在り方であった。
周囲の国人がより強い大名へ従属していく中、塩田家だけは「塩田家」として存続することを何より重んじたのである。
「では……真田家とも、昔から仲が良かったのですか」
範康は嬉しそうに頷いた。
「ええ。真田家のみならず、その宗家たる海野家とも古くより親しくしておりました」
「海野家とですか」
「はい」
範康は遠くの山々へ目を向ける。
「あのお方たちは滋野の流れを汲んでおります。滋野氏は朝臣でございますのでその縁もあり付き合いがございました」
小県郡一帯に勢力を張った海野氏は、滋野三家の宗家として名高く、塩田家もまたその武威を認めていた。海野氏が山内上杉氏の被官となってからも両家は婚姻こそなかいが、祭礼や社領の管理などを通じてたびたび協力し、大きな争いに至ることはなかったという。互いに土地を奪い合うよりも、この地域そのものを守るという思いが強かったのである。
「しかし、海野平の戦では違いました」
範康の声が少し低くなる。
「村上家と諏訪家、そして武田家が海野棟綱殿を攻めた戦いですね」
源七郎も盛清からその名を聞いたことがあった。
範康は頷く。
「ええ。あの戦では多くの者が海野殿へ味方すると思っておりました。しかし時の当主はそうはなさらなかった」
「なぜですか」
「中立を守るためです」
その答えは簡潔だった。
「塩田家は海野殿とも親しく、村上殿とも古くから境を接しておりました。どちらへ味方しても、この地は長く争いの場となる。それを避けるため、塩田衆は城を固め、村上勢の侵入だけを防ぎました」
『塩田家家伝書』には、この時のことを「海野にも与せず、村上にも与せず」と記している。
無論、それは容易な選択ではなかった。海野氏を救わぬことへの非難もあったであろう。しかし一族は御牧氏以来守り続けてきた「独立」の立場を崩さなかった。
源七郎はしばらく黙っていた。
真田家とは違う、戦場で武功を重ねて名を上げてきた家というより、この塩田家は何百年もの歴史そのものを守ってきた家なのだ。そんな思いが、少しずつ胸に芽生え始めていた。
やがて範康は穏やかに笑う。
「ですが、その塩田家も永遠に独立を貫くことはできませんでした」
「武田家、ですか」
「はい」
範康は静かに頷く。
「甲斐の虎・武田晴信公――のちの信玄公が東信濃へ兵を進められるようになると、この地もまた大きな時代の流れに呑み込まれていきます」
範康は前方を見据えた。
「当時の当主であった時勝様は最後まで独立を守ろうとされました。しかし、信濃の諸将が次々と敗れ、村上義清殿までも越後へ落ちられると、一家だけで国を守ることはもはや叶いませぬ」
そこで範康はふっと笑みを浮かべた。
「その時、時勝様が頼ったお方こそ……若様のお祖父上、攻め弾正こと幸隆公でございました。」
範康はどこか懐かしむように目を細めた。
「幸隆公は時勝様にとって数少ない"腹を割って語れる武将"であったと聞いております」
源七郎は静かに耳を傾ける。
「幸隆公は戦巧者として名高いお方ですが、それ以上に人を見る目に優れておられました。塩田家がただ武勇を誇るだけの一族ではなく、この塩田平そのものを守り続けてきた家であることを、誰よりも理解してくださっていたのです」
範康は馬の首を軽く撫でながら続ける。
「武田家が信濃支配を進める頃、時勝様は最後まで独立を守る道を探っておられました。しかし、村上殿は越後へ退き、小笠原殿も力を失い、信濃に残る国人だけで甲斐武田に抗うことはもはや叶わぬ情勢となっておりました」
戦国とは、理だけでは生き残れぬ時代である。一族の誇りだけで戦えば、一族そのものが滅びる。
朝廷へ仕えてきた家であるからこそ、その灯を絶やしてはならない。
その現実を、時勝は誰よりも理解していた。
『塩田家家伝書』には、この頃の当主・塩田時勝について「国を守るため、誇りを曲ぐるを恥とせず」と記されている。
それは屈服ではなかった。
生き残るための決断であり、子孫へ家を残すための決断であった。
「そこで時勝様が頼られたのが、幸隆公だったのです」
範康は穏やかに笑う。
「幸隆公は武田信玄公へ取り成り、『塩田は敵にするより味方にすべき一族』と幾度も申されたそうです。武田家もまた、騎馬に優れた塩田衆を失うことは惜しいと考え、時勝様は幸隆公の与力という形で武田家へ属することになりました」
源七郎はふと昌幸の顔を思い浮かべた。父もまた、真田家を守るために苦しい決断を下していた、時勝も同じだったのだ。家を残すために、譲れぬものと譲るべきものを見極めた。それが当主というものなのだろう。
「ですから若様」
範康は静かに言う。
「塩田家が武田家へ従ったのは、武田を恐れたからではございません。幸隆公というお方を信じたからです」
その一言には、長年続いてきた真田と塩田の信頼が込められていた。だからこそ今、時勝は昌幸の願いを受け入れ、源七郎を養子に迎える決断をしたのである。
それは戦で結ばれた縁ではない、二代にわたって築かれてきた信頼の証であった。
「若様、ご覧ください」
源七郎も視線を上げる。
山裾に広がる塩田平の向こう、小高い丘の麓に大きな館が姿を現していた。周囲を土塁と堀が幾重にも囲み、その背後には急峻な山がそびえ立つ。さらにその山肌には幾筋もの曲輪が刻まれ、尾根伝いには物見や柵が幾重にも築かれている。館と山城が一体となったその姿は、まるで山そのものが城へ姿を変えたかのようであった。
「あれが……」
「塩田城にございます」
範康の声には自然と誇りが滲む。
「鎌倉の頃、この地の中心は山上の城だけでございました。しかし、北条家滅亡の折、その多くは焼け落ち、一時は人も寄り付かぬ山となったと伝わります」
範康は山腹へ視線を向ける。
「ですが時の当主は、一族が再び立ち上がると決めました。安曽岡山の麓へ新たに館を築き、政務や兵の集結は麓で行うよう改める一方、山中の城には新たな曲輪や堀切を幾重にも設け、防備を徹底的に強化したのです」
『塩田家家伝書』には、「山を城となし、平を館となす」とある。
かつての塩田城は、国司の居館を守るための山城であった。しかし戦国の世を迎えた後、その姿は大きく変わる。館と山城を一体として運用することで平時と有事の役割を両立した城として塩田城は使われていた。それは鎌倉時代の塩田城とは比較にならぬほど堅固な要害であり、小県南部を守る盾として幾度もの戦乱を耐え抜いてきたのである。
範康は胸を張った。
「若様、あれが我ら塩田衆の城です。そして今日より、若様がお帰りになる家でもございます」
源七郎は馬上からその城を見つめ続けた、真田の館を出てから半日。見知らぬ土地と思っていた塩田が、いつしか自分の行くべき場所として胸に刻まれ始めていた。
注:塩田城
史実では塩田流北条氏の滅亡後村上氏が支配。武田氏によって攻略されると上杉氏と武田氏の争いの際に重要拠点となった。武田氏滅亡後は真田氏の支配下となり、上田城完成の際に廃城。




