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真田異子伝  作者: 海野快斗
第二章 独立 二節 天正壬午、その始まり

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第四十六話 披露の宴の裏

塩田家の披露の宴が盛大に催されているその裏では、小県郡の国衆たちによる談合も行われていた。


表では新たな塩田家当主の誕生を祝う席であっても、そこに集まった者たちにとっては、それだけの場ではない。武田家が滅び、織田家が新たな主となった今、小県の国衆たちはこれからどのように生き残り、互いにどう付き合っていくのかを決めなければならなかった。


滝川一益は小県を真田昌幸にまとめさせる方針を示している。


しかし、それを素直に受け入れる者ばかりではなかった。


「真田殿が小県をまとめるという話は、織田家から聞いております。ですが、我らはこれまで、それぞれがそれぞれの家を守ってきたはず」


そう口にしたのは室賀正武であった。


室賀家は小県に根を張る国衆の一つであり、真田家と特別に上下関係があるわけではない。武田家の下では同じく国衆として仕え、互いに領地と家を守ってきた。それだけに、昌幸が織田家から小県の取りまとめを任されたからといって、すぐにその下へ入ることには抵抗がある。


「室賀殿の言われることも分かる」


昌幸は反論するでもなく、静かに応じた。


「わしとて、皆を家臣にしようなどとは思っておらぬ。織田家より命を受けた以上、小県の国衆同士で争いを起こさず、必要なときにまとまって動けるようにする。それがわしの役目だと思っている」


「ならば、真田殿が上に立つ必要はないのでは?」


室賀の言葉に、幾人かの国衆が頷いた。


昌幸はそれを見ながら、すぐには答えなかった。


小県の国衆をまとめるには、武力だけでは足りない。誰か一人が強引に押さえつければ、表向きは従わせることができても、いずれどこかで綻びが生じる。武田家の滅亡を目の当たりにしたばかりだからこそ、昌幸にもそのことはよく分かっていた。


そのとき、談合の席にいた塩田家の者が口を開いた。


「しかし、織田家より小県をまとめる役を任されたのは真田殿です。それを貴殿らが勝手に否定するわけにもいきますまい」


室賀がそちらを見る。


「塩田殿は、真田殿を支持されるのか」


「無論」


答えは迷いのないものだった。


「ただし、勘違いはなされぬよう。塩田家が真田家の下につくという話ではございません。塩田家は織田家の直臣です。真田殿と我らは、同じく織田家に仕える者。そこに上下はありません」


その言葉に、昌幸は黙って頷いた。


塩田家が昌幸を支持したのは、真田家に従うためではない。


古くから塩田の地に根を張り、小県の情勢を知る塩田家が、織田家から与えられた昌幸の役目を認めたのである。それは国衆たちにとっても大きかった。


塩田家は小県でも信濃国造以来の古い家柄であり、長くこの地を支えてきた。武田家の滅亡後も、独立した家として織田家に直接仕えることを認められている。その塩田家が昌幸を支持するのであれば、真田家を中心として小県の国衆がまとまることにも道理がある。


室賀はしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。


「塩田殿がそこまで言われるのであれば、我らも真田殿に任せるほかありますまい」


「室賀殿」


「ただし、真田殿。我らは真田家の家臣ではない。それだけは忘れぬことです」


「分かっている」


昌幸は即座に答えた。


「わしも、皆を家臣にするつもりはない。小県を守るために必要なとき、同じ土地に生きる者として手を取り合えばよい」


それで話は決まった。


小県の国衆をまとめる役は、真田昌幸が担う。


だが、それは真田家が小県の国衆を従えるという意味ではない。それぞれが独立した家として織田家に仕え、そのうえで小県の内外に関わる問題については昌幸を中心として協議する。


武田家の下では一つの主家に仕えることで成り立っていた関係が、今度は国衆同士の結びつきによって形を変えようとしていた。


その頃、宴の席から少し離れたところでは、別の話し合いが行われていた。


御牧兼定と昌幸の次男、信繁である。


兼定は翌朝からの旅について、信繁と細かな打ち合わせをしていた。


「まずは安土へ向かう。その後、源次郎殿は御命令に従って織田家へ出仕することになる」


「はい」


「京へは、安土に着いてから改めて向かうことになるだろう。献上する馬もある。道中はそれを無事に運ぶことを優先する」


兼定の一行が安土へ向かう理由は、信繁の人質としての出仕だけではない。塩田家が長く続けてきた朝廷への馬の献上を再開するため、その馬を織田家へ届けるという役目もあった。


一方、信繁にとっては、これが織田家のもとへ向かう最初の旅となる。


「安土まで、どれほどかかりますか」


「道の具合にもよるが、急ぎすぎるつもりはない。馬を無理に走らせれば、献上する馬まで疲れさせてしまうからな」


「承知しました」


信繁は静かに頷いた。


幼い頃から武田家の人質として甲斐や越後を行き来してきた身である。それでも、今回の旅はこれまでとは意味が違う。


武田家はすでに滅び、自分は新たな主となった織田家へ人質として送られる。


そして安土には父、昌幸が選んだ新たな主家の本拠がある。


どのような場所なのか。


どのような人々がいるのか。


信繁は多くを口にはしなかったが、胸の内ではこれからのことを考えていた。


「源次郎殿」


「はい」


「不安ですか」


兼定に問われ、信繁は少し考えてから答えた。


「不安がないと言えば嘘になります。しかし、これまでにも人質として過ごしてきました。役目であるならば、果たすだけです」


その答えに、兼定はわずかに目を細めた。


「そうですか」


それ以上は何も言わなかった。


ただ、兼定は信繁を一人の人質としてだけ見ているわけではなかった。昌幸の息子であり、真田家の次代を担う者の一人でもある。今回の旅が長くなることも、安土でどのような扱いを受けることになるのかも、まだ分からない。


だからこそ、できる限り自分が目を配るつもりでいた。


翌朝。


塩田城の館では、朝早くから出立の準備が進められていた。


献上する馬が引き出され、荷が整えられる。信繁の供をする者たちも、それぞれ馬に乗る準備を整えていた。


信時も館の外まで見送りに出た。


「兄上、お気をつけて」


信時がそう声を掛けると、信繁は頷いた。


「源七郎もな」


ほんの短いやり取りだった。


兄弟として顔を合わせるようになってから、まだそれほど長くはない。それでも、これからしばらく会えなくなることを思えば、信時の胸には寂しさがあった。


兼定も馬上から一礼する。


「殿、兄君のことはご心配なく。また、こちらも役目を果たして参ります」


「頼みます、兼定」


やがて一行は動き始めた。


塩田の館を離れ、安土へ向かう道を進んでいく。


その背中を見送りながら、信時はしばらく立っていた。


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