第四十話 織田への臣従(その2)
翌朝、昌幸は信幸を呼び寄せた。
前日の夜、家族や時勝、盛清と話し合ったことで、昌幸の中ではすでに考えが固まっていた。織田につく。それが、この時点で真田家が生き残るために選ぶべき道だった。
「源三郎、わしは織田につくことに決めた」
昌幸がそう告げると、源三郎は驚くことなく父を見た。
「昨日の話を聞いた時から、父上はそのつもりだったのでしょうか」
「いや。昨日までは決めておらなんだ。だが、考えてみれば、これ以上迷っている時間もない。武田家が滅びた今、我らは新たな主を求めねばならぬ。北条につけば沼田を巡っていずれ争うことになる。上杉は遠く、徳川も今は甲斐や駿河を抑えることに力を注いでおる。ならば、今の我らにとって最も現実的なのは織田だ」
昌幸はそう言って、机の上に置かれていた書状へ目を落とした。
織田家に臣従するということは、これまで戦ってきた相手の下へ入るということでもある。武田家が滅びたばかりである以上、織田方から見れば真田もまた、つい先日まで敵であった。しかし、主家を失った国衆が新たな主君を求めること自体は、戦国の世では決して珍しいことではない。昌幸にとって重要なのは、織田家が真田をどう扱うかを見極め、そのうえで自らの領地と家臣、そして家族を守ることであった。
「これから、時勝殿と盛清殿にも伝える。二人にも、この書状に連署してもらう」
「かしこまりました」
「我ら三家はこれより別々の家として動く。だが、武田家の滅亡をともに越えた以上、互いに協力することはできる。織田に出仕するのも、それぞれの家の判断として行う。そのことを明らかにしておきたい」
源三郎は静かに頷いた。
そこへ時勝と盛清が訪れた。昨日と同じように、三人は一つの家臣団としてではなく、それぞれの家を背負う者として向かい合った。
昌幸は二人に、自らの決断を伝えた。
「わしは織田につくことに決めた。時勝殿、盛清殿にも、それぞれの家として判断していただきたい」
時勝はしばらく黙っていたが、やがて頷いた。
「昨日の話を聞けば、そうなるであろうとは思っておった。わしも塩田家として織田へ参ろう。武田が滅びた以上、いつまでも旧主の家臣というだけでは生きていけぬ。それに我らは元は帝と国司の家来であり、北条家の血を継ぐものなのだから」
盛清も続いた。
「出浦も同じです。織田が我らをどう見るか、それを確かめるためにも、一度は直接顔を合わせる必要がありましょう」
「では、ここからは」
三人は頷きあい、時勝と盛清は席を立つ。
同じ場所で戦ってきた者たちも、これからはそれぞれの道を歩まなければならない。
「源七郎」
時勝が信時を呼んだ。
「これより先、塩田は塩田として生きていく。誰かに頼るのではなく、自らの家を守ることを考えねばならぬ」
「はい」
信時は短く答えた。
その顔を見て、昌幸はふと息子の成長を感じた。十四歳。元服してからまだ間もないが、すでに塩田家の当主として、この場に座っている。
それは、昌幸が幼い頃に別れた息子とは、もう違う人間だった。
そして昌幸は、もう一つ決めていたことを源三郎に伝えた。
「源三郎、お前には沼田へ向かってもらう」
「沼田へ」
「そうだ。北条が上野へ兵を入れておる。武田が滅びた以上、沼田を狙ってくることは間違いない。沼田城には頼綱叔父上がおる。お前は叔父上とともに利根郡へ出陣せよ」
沼田は真田にとって、単なる一つの城ではない。北上野へ通じる要地であり、これまで昌幸が多くの労力を費やして手に入れた土地でもある。武田家の後ろ盾を失った今、それを守ることは真田家そのものを守ることに等しかった。
「かしこまりました、今すぐ出陣の準備をいたします」
源三郎が答える。
「うむ、頼康も連れていけ。これから織田へ臣従するとは言え、我らは備えねばならぬ。北条が我らをどう見るかは分からぬ。こちらから争いを望む必要はない。しかし、向こうが沼田へ手を伸ばしてきたとき、何もせずに渡すわけにもいかぬ」
源三郎は頷いた。
「分かりました。頼綱叔父上とともに、利根郡を押さえます」
「頼む」
昌幸は息子を見つめた。
「源三郎。これはお前にとって初めての大きな役目になる。だが、焦る必要はない。勝つためだけに兵を動かすな。沼田を守るために、何が必要なのかを考えろ」
「はい」
源三郎は深く頭を下げた。
こうして、真田家は新たな主を求めて動き始めた。
それからほどなくして、四月八日を迎える。
諏訪上原城には、織田信長と嫡男信忠が在城していた。武田家を滅ぼした織田家は、甲斐と信濃を掌握しつつあり、かつて武田の旗が翻っていた土地には、今や織田の支配が及び始めていた。
その城へ、真田昌幸が姿を現した。
昌幸に続いて、塩田家から時勝、そして信時が出仕する。さらに出浦家から盛清も姿を見せた。
三家は同じ場所に集まっていたが、それぞれの立場は異なっていた。
真田は真田として。
塩田は塩田として。
出浦は出浦として。
それぞれが独立した家として、織田家へ礼を尽くすために来たのである。
昌幸は、城内へ進みながら前方を見据えた。
そこには、かつて武田家と幾度も刃を交えた織田の旗がある。
その旗の下に、自分たちはこれから入ろうとしている。




