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真田異子伝  作者: 海野快斗
第一章 滅亡 終節 甲州征伐

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第一章 登場人物紹介

塩田《しおだ》源七郎《げんしちろう》信時《のぶとき》 (真田源七郎→塩田源七郎)

真田昌幸の三男であり庶子。永禄十一年(1568)生まれ。信幸・信繁の弟で、信繁より一歳年下。幼少の頃、母が山手殿の侍女であったことから真田家中での扱いが難しくなり、昌幸によって出浦盛清に預けられ、甲斐・信濃の忍びの里で育てられた。六歳の頃に昌幸と再会し、塩田信濃介時勝の養子となる。


幼い頃から忍びの里で学び、情報の大切さを知る。父昌幸の真田家継承後、塩田家へ移ってからは、塩田流馬術や武芸だけでなく、領地の水利や村々の暮らし、年貢、家臣との関わりなどを学び、武士としてだけではなく一国を治める者として成長していく。十四歳で元服し、塩田源七郎信時を名乗る。元服後は塩田家の後継者として、時勝から家政を少しずつ任されるようになる。


真田《さなだ》安房守《あわのかみ》昌幸《まさゆき》 (武藤喜兵衛尉昌幸→真田喜兵衛尉昌幸)

真田幸隆の三男。武田家に仕え、若き頃は武藤喜兵衛の名で知られた。武田信玄の薫陶を受け、戦場と政略の双方において才覚を磨いてきた武将である。


武田家臣として上野・吾妻方面の攻略に携わり、岩櫃城を拠点として勢力を広げる。天正八年(1580)には沼田攻略を進め、北条氏邦と戦いながらも、単純に兵力で押し切るのではなく、国衆の調略や離反を利用して戦況を動かした。その功によって安房守を称するようになる。


一方で、策謀に長けた武将でありながら、家族への情も深い。信幸・信繁とは長く離れて暮らし、信時とも六歳の頃を最後に長く会うことができなかった。武田家の滅亡を前にしても主家への恩義を忘れず、それでも最後には真田家を生き残らせる道を考えなければならなくなる。


武田家の滅亡後、真田家がどの勢力に属するのかを自ら決めなければならなくなり、これまで培ってきた智略を真田家の独立と生存のために用いていくことになる。


塩田《しおだ》信濃介《しなののすけ》四郎《しろう》時勝《ときかつ》

塩田家当主。永正十四年(1525)生まれ。塩田衆を率いる武将であり、信濃介を称する。塩田平に根を張る塩田家の当主として、軍事だけでなく領地の経営にも力を注いできた。


大柄で鍛えられた身体を持ち、顔には戦場で負った傷を残す歴戦の武人である。一方で、家臣や領民に対しては温かく、塩田家を守ることを単に戦で勝つこととは考えていない。塩田平の水不足を解消するため、ため池や用水の整備にも取り組んできた。


長篠の戦いでは留守居として塩田城に残る。養子として迎えた信時に対しては実の子と変わらぬ愛情を注ぎ、馬術や武芸だけでなく、領主として人を治めることの大切さを教えた。信時にとっては養父であり、武士として、そして一人の人間として成長する上で大きな影響を与える人物である。


出浦《いでうら》主水佐《もんどのすけ》盛清《もりきよ》

信濃更級郡の国衆、出浦氏の当主であり、武田家に仕える甲州透破を束ねる人物。出浦衆を率い、武田家のために諜報や探索、潜入などの任務を担ってきた。


昌幸とは武田家に仕える者として長く付き合いがあり、互いの力量を認め合う間柄である。昌幸から信時を託された際には、その幼子を自らの支配下に置くのではなく、あくまで預かっているという前提で育てた。


信時にとっては幼少期を見守った育ての親の一人であり、生きていく上でも大きな存在となる。


冷静に情勢を見極める人物だが、単なる諜報の専門家ではなく、一つの家を守ることについても深く考えている。武田家滅亡後も昌幸・時勝と協力しながら、出浦家が生き残る道を探る。


出浦衆

藤蔵《とうぞう》

出浦衆に属する忍び。信時が幼少期を過ごした忍びの里で行動を共にした人物で、信時と同い年の仲間にあたる。

源蔵《げんぞう》

出浦衆に属する忍び。盛清と昌幸の話し合いにより信時が塩田家へ移った後の護衛や任務に関わることになる。藤蔵の従兄。


塩田《しおだ》信濃介《しなののすけ》二郎《じろう》時信《ときのぶ》

塩田家の前当主。時勝の嫡男にして唯一の子。唯一の子として娘の藤がいる。塩田衆棟梁として長篠の戦いにおいて討死する。


その死によって塩田家は当主を失い、家中にも大きな動揺が生じる。時信亡き後、隠居した時勝が急遽復帰し塩田衆をまとめることになる。


信時が塩田家の養子となった後は、彼が将来の塩田家を背負うことになる背景に、時信の死も大きく関わっている。


藤《ふじ》

時信唯一の子。時信の死により塞ぎこんでしまい、時勝によって安楽寺に預けられる。安楽寺での信時との交流を通じて、少しづつ本来の姿を取り戻しつつある。


塩田衆

塩野《しおの》貞康《さだやす》

塩田家の重臣、塩野範康の父。長く塩田家に仕えてきた老臣であり、塩田時勝とは古くからの友人でもある。


年齢とともに病によって前線から退きつつあるが、塩田家の政務を支える存在として家中に大きな影響力を持つ。長篠後は、範康と塩田家を相談役として支える。


信時の元服では烏帽子親を務め、塩田源七郎信時の名を与える役割を担った。


塩野《しおの》彦次郎《ひこじろう》範康《のりやす》

塩野貞康の嫡男であり塩野家当主。信時より年長の守役として彼の教育を担う。


槍術に優れ、信時に武芸を教える一方、武芸だけでは領主にはなれないことも伝えていく。幼い信時にとっては兄のような存在であり、塩田家の中で安心して頼ることのできる人物である。


長篠の戦いでは父貞康が病に倒れたことで塩野衆をまとめるため戦場から遠ざかる。塩田時信が討死する中で生き残り、塩田家を支えることになるが、信時を戦場に残してしまったことについて、後々まで悔いを抱えることになる。


御牧《みまき》兼定《かねさだ》

御牧家の当主、塩田家に属する親族衆の筆頭格である。永禄三年(1560)生まれ。


塩田家の祖先である御牧氏の由緒を受け継ぎ、古くから続く御牧家の名を守っている。御牧氏はもともと信濃の国司に仕え、御牧と呼ばれる朝廷の牧を守る役割を担った一族であり、現在も御牧を守っている。そのため戦場に出ることはない。


兼定自身、親族衆をまとめる立場から塩田家の政務にも関わる。古くからの家の由緒を重んじながらも、塩田家を支える現実的な人物である。


別所《べっしょ》勝治《かつはる》

塩田家の重臣。別所温泉一帯を領地とし、湯守として別所温泉周辺を守り、寺社の管理・情報収集に努める。また別所家は参謀的役割も求められるため塩田家の軍事・領地経営両面を支えている。


時信の弟的ポジションに居たため、兄ポジションであった兼定には逆らえない。


保野《ほや》綱重《つなしげ》

塩田家の重臣。他の重臣が騎馬集団を率いるのに対し、塩田衆で唯一足軽を率いる保野家の頭領として、戦場では最前線で戦う。


長篠時点では隠居していたが、嫡男・次男どちらも討死したため当主として復帰した。塩田家唯一の足軽大将である。体中に傷があり、近づきがたい雰囲気をまとっている。


安楽寺

谷仙《こくせん》和尚

安楽寺住職。信時が学問を学んだ際の師の一人であり、塩田平の領主と村々の間を繋ぐ存在でもある。


非常に教養ある人物であり、また塩田平が抱える水不足の問題について信時に考える機会を与える。信時にとって、武芸や軍略とは異なる「人々の暮らしを見る目」を育てる人物となる。


また真田三代実録の最初の著者である。


有仙《ゆうせん》

谷仙和尚の一番弟子。信時より少し年長で、安楽寺において学問を学ぶ僧。


信時とは学びを通じて関わりを持ち、彼の成長を近くで見ていく人物である。後に真田家の歴史を記すことになる。真田三代実録の筆頭著者として後世に知られる。


武田《たけだ》四郎《しろう》勝頼《かつより》

武田信玄の四男。武田家第十七代当主。父・信玄の死後、武田家を率いて織田・徳川・北条らと戦う。


家督を継いだ後は領国の維持と拡大に努め、上野や遠江など各方面へ兵を動かしながら武田家の勢力を保とうとした。長篠の戦い以後は家臣団の動揺や財政負担、織田・徳川との戦いに苦しみながらも、武田家を立て直すために新府城を築き、領国再建を図る。


決して戦を恐れる人物ではない。しかし、武田家が置かれた状況は次第に厳しくなり、天正十年(一五八二)には木曽義昌の離反をきっかけとして織田・徳川・北条の軍勢が一斉に武田領へ侵攻する。高遠城の陥落、穴山梅雪の離反、小山田信茂の裏切りによって逃げ場を失い、三月十一日、天目山において自害した。


昌幸にとっては長年仕えた主君であり、信玄から受け継いだ武田家を最後まで守ろうとした人物である。


矢沢《やざわ》頼綱《よりつな》

真田家の重臣。真田幸隆の弟であり、昌幸にとって叔父にあたる。真田家を支える一族として長く武田家に仕え、戦場での経験も豊富な武将である。


昌幸より年長で、真田家一族の長老として家臣団をまとめる立場にある。昌幸が戦場や外交、調略などで動く一方、真田家の武を支える存在として重要な役割を担う。


昌幸にとっては単なる家臣ではなく、真田家の中で頼ることのできる身内でもある。


矢沢《やざわ》頼康《よりやす》

矢沢頼綱の子。真田家に仕える武将として、父とともに真田家の軍事力を支える。


昌幸の従弟。真田家の一門衆であり、昌幸を支える武将の一人。父・頼綱から武将としての経験を受け継ぎながら、真田家の次の世代を担う人物として成長していく。


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