第二十六話 東上野平定
沼田城が武田方の手に渡ってから、しばらくの間、城内には戦とは違った忙しさが続いていた。
戦が終わったからといって、すべてが終わるわけではない。むしろ城を手に入れた後こそ、誰を残し、誰を退け、どの者にどれだけの所領を与え、どのようにして新たな支配を成り立たせるのかを決めなければならない。まして沼田は、ただ一つの城を取れば済む土地ではなかった。周囲にはこれまで北条に従っていた国衆がおり、それぞれが自らの家と領地を守るために、情勢を見極めながら動いている。
昌幸は、そうした者たちを一人ずつ見ていた。
力で従わせるだけならば簡単である。しかし、力で押さえつけた者は、力が弱まれば再び離れていく。これまで昌幸が上野で繰り返してきたのは、その逆だった。相手が自ら武田方へ従う理由を作り、その決断に見合った褒賞を約束する。そして一度こちらへ付いた者が、その後もこちらに留まるだけの理由を与える。
小川可遊斎を従わせた時もそうだった。猿ヶ京を押さえた時も、名胡桃を手に入れた時も同じである。金子美濃守や渡辺左近ら沼田城内の者たちを動かしたのも、単に北条を憎ませたからではない。武田方へ転じた方が、自分たちの家を守ることができると思わせたからこそ、人は動いた。
そして今、その積み重ねが沼田という一つの城に結びついていた。
「城内の始末は?」
昌幸が尋ねると、家臣が答えた。
「おおむね済んでおります。北条方の兵のうち、退去を望む者は城外へ出しました。残る者については、それぞれの扱いを決めております」
「よい。無用な恨みは買うな」
昌幸はそう答え、城内を見渡した。
かつて北条の旗が立っていた城には、今や武田の旗が掲げられている。だが、昌幸にとって重要なのは旗そのものではなかった。この城を武田のものとして維持し続けられるかどうかである。
そのためにも、沼田の事情を知る者を無理に追い出すつもりはなかった。
その中に、用土新左衛門尉の姿があった。
新左衛門尉は、かつて北条方として沼田城を守っていた男である。昌幸は以前から彼に働きかけ、武田方へ通じる道を作っていた。そして城を失った後も、その身柄を粗末には扱わなかった。
むしろ昌幸は、彼の立場を理解していた。
北条に仕えていたとはいえ、新左衛門尉がこの地で生きてきた年月まで否定する必要はない。沼田の事情に通じ、北条方の内部を知る彼を味方として残すことができれば、これからの支配にも役立つ。
「新左衛門尉はどうしている」
「城内におります」
「呼べ」
ほどなくして、用土新左衛門尉が昌幸の前へ姿を現した。
以前まで敵方の城を守っていた男とはいえ、その顔に怯えはなかった。ただ、自らがこれからどうなるのかを見極めようとするような慎重な眼差しを昌幸へ向けている。
昌幸はしばらくその顔を見た後、静かに口を開いた。
「そなたには、この沼田でこれまで通り暮らしてもらう」
新左衛門尉が僅かに目を見開いた。
「……これまで通り、とは」
「そなたがこれまで治めてきた土地について、その権利を認めるということだ」
新左衛門尉はすぐには答えなかった。
敵として戦ったわけではない。むしろ昌幸との間で話を通じ、城を武田方へ渡すことに協力した。その働きを考えれば、処分されることはないだろうと考えていたのかもしれない。
それでも、実際にその言葉を聞けば意味は大きかった。
「……かたじけのうございます」
「礼を言うのはこちらだ」
昌幸は答えた。
「そなたが動いたからこそ、沼田は血を流さずに済んだ」
沼田城が開城したことによって、武田方は大きな戦費と兵力を消耗せずに東上野の要衝を手に入れることができた。昌幸にとっては、それだけで十分な価値がある。
だが、そこで終わりではない。
昌幸は新左衛門尉を見据えた。
「これからは、武田のために働いてもらう」
新左衛門尉は一礼した。
「承知いたしました」
こうして、北条方として沼田を守っていた男は、今度は武田方の人間としてこの地に残ることになった。
後に勝頼から「信」の一字を与えられ、信吉と名乗ることを許されることになる男である。また藤田姓への復帰と能登守の受領名も与えられ、藤田信吉として知られるようになる。沼田をめぐる戦いにおいて、彼が武田方へ転じたことは単なる一人の武将の寝返りではなく、昌幸の調略が最後に結んだ一手でもあった。
昌幸はその後も城内の仕置きを進めた。
沼田城には矢沢頼綱をはじめとする真田方の者を置き、周辺の警備を固める一方、海野兄弟らにも役目を与えた。五月下旬には、海野幸光らを沼田城に在城させるための軍令が出されている。
こうして、長く北条と武田が争ってきた沼田は、ついに武田の支配下へ入った。
だが、その勝利の裏側で昌幸が積み重ねた約束は、決して軽いものではなかった。
小川の者にも、猿ヶ京で動いた者にも、名胡桃で武田方へ転じた者にも、そして沼田でこちらへ通じた者にも、それぞれに褒賞を約束している。
人を動かすためには、約束が必要だった。
そして約束した以上、それを守らなければならない。
昌幸が戦わずして得たものは、武田家にとって決してただではなかった。
所領を与えれば、それだけ武田家の直轄する土地が減る。知行を認めれば、それだけ新たな負担が増える。さらに今後も戦が続けば、新たに味方へ加わる者たちにも恩賞を与えなければならない。
昌幸自身は、それを承知していた。
それでも、今は必要だった。
上野で北条と戦うためには、兵を増やすだけでは足りない。北条の支配そのものを切り崩し、武田へ従う者を増やしていかなければならない。そのためには、ある程度の代償を払ってでも人をこちらへ引き寄せる必要があった。
そして、その成果は確かに現れていた。
沼田を中心として、東上野の情勢は大きく変わり始めている。
だが、昌幸が沼田を手に入れた頃、武田家そのものを取り巻く状況は決して好転していたわけではなかった。
むしろ、戦線は広がっていた。
甲越同盟によって越後との関係を結んだ一方、北条とは敵対している。西では織田の勢力が強まり、南では徳川と戦い続けなければならない。武田家はかつてのように、一つの敵へ集中して戦える状況ではなくなっていた。
そして天正八年九月。
勝頼は再び兵を率いて東へ向かった。
東上野への出陣である。
勝頼自身が出陣することには大きな意味があった。沼田を手に入れたことで、武田は東上野へ進むための足場を得た。しかし、北条がそのまま黙って退くはずもない。上野にはなお北条方の城が残り、武田の勢力がさらに南へ広がれば、北条の関東支配そのものに触れることになる。
勝頼は甲府を出て上野へ向かった。
この頃の武田家には、かつての信玄の時代とは異なる空気が漂っていた。
兵はまだ強い。
武将たちも戦場を知っている。
昌幸をはじめ、各地で戦果を挙げる者もいる。
しかし、戦えば戦うほど金が要る。兵糧が要る。新たに従った国衆へ与える知行も要る。各地の城を維持するための兵も必要になる。
勝頼は、それらを抱えながらなお前へ進まなければならなかった。
九月、勝頼の軍勢は東上野へ入り、大胡・膳方面へ進んだ。
その進軍の途中、膳城周辺で武田方の兵と城方の足軽、さらに上州の北条方勢力との間で戦闘が起こった。
もともと大規模な攻城を予定していたわけではなかった。だが戦場では予定通りにいかない、小さな衝突がたちまち本格的な戦いへ変わる。
武田勢の一部が敵と接触したことで、勝頼は兵を引き返させた。
「敵が出たか」
勝頼はそう言って戦場を見た。そこには、城を守る兵と武田の兵が入り乱れている。本来ならばここで無理をする必要はない。だが、すでに武田勢は城へ迫っていた。
勝頼は決断を迫られた。
そのまま引けば、敵に押し返されたようにも見える。かといって、予定外の攻撃を仕掛ければ、軍勢全体を危険にさらすことになる。
それでも勝頼は軍勢を進めた、武田の兵が城へ迫り、激しい攻防が始まる。
戦場に立つ者たちは、命令を待っているだけではない。目の前の敵を見れば、勝機を掴もうと前へ出る。槍を持つ者が城門へ迫り、後に続く者たちもそれを追う。
やがて武田勢は膳城を攻め落とした。のちに「膳城素肌攻め」と言われるできごとである。
勝頼にとっては、東上野における一つの戦果となった。
だが、その勝利を見ても、武田家の先行きを知る者がいれば、素直に喜べなかったかもしれない。
武田はまだ戦える。
上野では沼田を奪い、周囲の城を落とし、北条を押し返している。東では徳川と対峙しながら、なお軍勢を動かすことができる。しかし、その一方で戦線はあまりにも広がっていた。
甲斐、信濃、駿河、遠江、上野。
それぞれの土地で兵を必要とし、それぞれの国衆を繋ぎ止めるために金と知行を必要とする。勝頼は、そのすべてを背負っていた。
そして、その重さは少しずつ武田家の力を削っていた。




