第二十四話 安房守昌幸
天正八年、春から初夏へと季節が移ろう頃、上野では真田昌幸による沼田攻略が進められていた。後閑では北条氏邦の率いる軍勢と利根川を挟んで戦い、正面からの攻撃こそ退けられたものの、昌幸はその後も手を緩めることなく周辺の国衆へ働きかけ、猿ヶ京城や名胡桃城を相次いで武田方へ引き入れていた。北条が沼田城を守るために兵を置けば置くほど、その周囲には武田の勢力が広がっていく。そうして昌幸は、力攻めだけでは崩せない城を、その外側から少しずつ孤立させようとしていたのである。
しかし、上野で戦が続く一方、甲斐では武田家にとって別の意味を持つ出来事が近づいていた。
武田勝頼の嫡男、信勝の元服である。
躑躅ヶ崎館では、元服を迎える信勝のために準備が進められていた。家臣たちが行き交い、儀礼に必要な品々が整えられていく。その様子を眺める勝頼の胸には、父としての感慨だけではなく、武田家当主としての複雑な思いがあった。
信勝が生まれた頃、武田家はまだ父・信玄の威勢の下にあった。しかし、その父が亡くなり、勝頼が家督を継いでからというもの、武田家の歩んできた道は決して平坦ではなかった。長篠で多くの将兵を失い、その後も織田・徳川との戦いは続いている。さらに上杉謙信の死を契機として越後で御館の乱が起こり、景勝との同盟を結んだ結果、これまで同盟関係にあった北条とも手を切ることになった。東では北条、西では織田・徳川と対峙する現在の武田家にとって、戦いは絶えることがなかった。
それでも、時は待ってくれない。
戦が続いていようとも、次の世代は育っていく。
勝頼は、元服を控えた信勝を静かに見つめていた。少年の面影を残してはいるものの、幼い頃と比べれば身体つきも変わり、顔立ちにも武田家の嫡男としての落ち着きが見え始めている。
「大きくなったものだ」
勝頼が呟くと、側に控えていた家臣が深く頭を下げた。
「はい。御屋形様が家督を継がれた頃には、まだ幼子でございました」
「そうだったな」
勝頼は小さく頷いた。
自分が武田家の当主となった時、これほど長く戦いが続くとは思っていなかったわけではない。しかし、実際に家を背負ってみれば、戦場で兵を率いることよりも難しいことがいくつもある。領地を守り、家臣を繋ぎ、周辺の諸勢力と渡り合いながら、そのすべてを次の世代へ渡さなければならない。
信勝には、いずれそれを背負わせることになる。
「これからは、あの者も武田の名を背負う」
勝頼の言葉には、父親としての愛情と、当主としての覚悟が入り混じっていた。
やがて元服の儀が始まった。
信勝は定められた作法に従って父の前へ進み、儀式を一つずつ進めていく。これまで少年として扱われていた者が、この日を境に一人の武将として扱われることになる。その姿を見守る家臣たちもまた、信勝という一人の若者だけではなく、武田家の未来そのものを見つめていた。
長篠の敗戦以来、武田家には常に「この先どうなるのか」という不安が付きまとっている。
だからこそ、この元服には意味があった。
武田家には次代がいる。
そのことを家中に示すこと自体が、今の武田家にとって重要だったのである。
元服の儀が終わった後、館の空気は少しずつ普段のものへ戻っていった。しかし、勝頼のもとには休む間もなく各地から報告が届いていた。その中には、もちろん上野の戦況も含まれている。
「真田の動きはどうなっている」
勝頼が尋ねると、家臣が答えた。
「猿ヶ京城を押さえ、名胡桃城もわが方へ従ったとのことでございます。また、周辺の国衆にも昌幸より働きかけが続いております」
勝頼は地図へ目を落とした。
上野の情勢は、少しずつではあるが確実に変化している。後閑で北条氏邦に押し返されたにもかかわらず、昌幸はそこで立ち止まらなかった。正面から城を攻めることが難しいと見るや、周辺の城や国衆へ狙いを変え、北条の支配を外側から崩し始めている。
その動きは、単に真田家の領地を広げるというだけではない。
武田家にとっても、北条の上野支配を削ることには大きな意味があった。
勝頼は地図の上に置かれた駒へ目を向けた。
沼田城
そこには未だ北条の旗がある。
そして、その城を守る北条氏邦こそ、上野における北条方の中心人物であった。
「氏邦は、安房守を名乗っているのであったな」
勝頼がそう問うと、家臣は「はい」と答えた。
北条氏邦は北条家の上野方面を担う武将として、この地域で大きな力を持っていた。そして、その氏邦が称しているのが安房守という受領名である。
受領名は単なる飾りではない。
戦国の世において、武将がどのような名を称するかは、その人物の権威や立場を周囲へ示す意味を持っている。とりわけ国衆たちが互いの力関係を見極めながら主家を選ぶ上野においては、そうした名乗りさえも一つの政治的な道具となり得た。
勝頼は、しばらく地図を眺めた後、静かに口を開いた。
「昌幸にも、安房守を名乗らせよう」
側にいた家臣が顔を上げる。
「昌幸に、でございますか」
「そうだ」
勝頼は頷いた。
昌幸はすでに武田家中で十分にその力を認められている。岩櫃城を任され、上野の国衆との繋がりを築き、今では沼田攻略を任されている。その働きを考えれば、新たな名乗りを与えること自体に不思議はない。
だが、今回の目的は昌幸を新たに取り立てることではなかった。
北条氏邦への対抗である。
上野の地で氏邦が安房守を称しているのであれば、武田方にも同じ名を掲げる者が必要になる。昌幸にその名を与えることによって、武田家が上野において北条へ対抗する意思を示すことができる。そして、真田昌幸という人物が武田方の上野攻略を担っていることを、周辺の国衆たちにも改めて印象づけることができる。
それから間もなく、勝頼の命を受けた使者が上野へ向かった。
その頃、昌幸は沼田周辺にいた。
猿ヶ京を押さえ、名胡桃を手中に収めたものの、沼田城そのものはいまだ北条方に残っている。昌幸にとっては、ここからが本当の勝負だった。後閑での戦いによって北条氏邦の力を直接見た以上、再び同じように正面からぶつかるつもりはない。城の周囲に張り巡らされた北条の支配を一つずつ切り崩し、沼田を孤立させる。そのために必要な手を考えているところへ、勝頼からの使者が訪れた。
「御屋形様よりの書状にございます」
昌幸は受け取った書状を開いた。
読み進めるにつれて、その表情がわずかに変わる。
「安房守……」
思わず口にしたその名を、昌幸はしばらく頭の中で転がしていた。
やがて書状を畳むと、使者へ向き直る。
「御屋形様には、承知したとお伝えくだされ」
「はっ」
使者が下がった後も、昌幸はしばらくその場を動かなかった。
安房守という名に、昌幸が浮かれているわけではない。
これによって兵が増えるわけでもなければ、沼田城が自然に開くわけでもない。むしろ、今の昌幸にとって重要なのは、その名が何を意味するのかということだった。
北条氏邦も安房守。
ならば、自分も安房守を名乗る。
上野において北条と武田が争っている以上、その名乗りは昌幸自身のためだけではなく、武田家が上野で戦うための一つの意思表示になる。
昌幸は陣幕の外へ出た。
山々の向こうには沼田がある。
そこには北条の旗が掲げられている。
昌幸はその旗を直接見ることはできなかったが、頭の中にははっきりとその姿が浮かんでいた。
「安房守、か」
昌幸は呟いた。
そして、わずかに口元を緩める。
「ならば、その名に恥じぬ働きをするまでだ」
その言葉は、己の名誉を誇るものではなかった。
昌幸にとって名とは、戦を進めるために使うものだった。
上野では、北条氏邦が安房守として国衆の前に立っている。その相手に対して、武田方からも同じ格の名を持つ者が立つ。それだけでも、国衆たちが両者の力関係を見極める際には意味を持つ。
そして昌幸には、もう一つ使えるものがある。
これまで積み重ねてきた人の縁である。
父・幸綱の時代から続く真田家と上野国衆との関係、岩櫃城を任されてから自ら築いてきた繋がり、そしてこの数年の間に送ってきた書状と交渉。それらは一つ一つが小さなものであっても、今の昌幸にとっては大きな力となっている。
昌幸は再び地図へ目を落とした。
そこには沼田城を中心として、猿ヶ京、名胡桃、小川、そして周辺の国衆たちの名が記されている。
後閑で北条に押し返されたことで、正面からの力比べだけではまだ届かないことを昌幸は知った。だからこそ、戦い方を変えたのである。城を一つ攻めるのではなく、その城を支える土地を奪い、その土地を支える国衆をこちらへ引き寄せ、最後には城そのものを孤立させる。
安房守という新たな名も、その策の中では一つの駒に過ぎない。
「沼田は、まだ遠いな」
昌幸は地図を眺めながら、そう呟いた。
しかし、その声に焦りはなかった。
すでに戦は始まっている。
そして、昌幸自身もまた、その戦の中で一つずつ次の手を積み重ねていた。
甲斐では、この日、武田信勝が元服した。
武田家の次代を担う少年が、一人の武将として歩み始めたのである。
そして上野では、真田昌幸が新たに安房守を名乗ることを許された。
武田家の未来を背負う者が姿を現す一方で、その未来を守るために戦う者もまた、新たな名を得て戦場へ戻っていく。
だが、その二つの出来事の先に、武田家がどのような道を歩むことになるのかを、この時の誰も知ることはなかった。




