第二十三話 猿ヶ京城と名胡桃城
後閑での戦いから数日が過ぎても、昌幸は沼田城へ再び兵を向けようとはしなかった。北条氏邦が利根川を挟んで真田勢を押し返した以上、同じ道をもう一度進んだところで結果は変わらない。むしろ、こちらが同じ動きを繰り返せば、北条に守りを固める時間を与えるだけである。
真田の陣では、戦の後始末が進められていた。負傷した者の手当てをし、失われた兵を数え、馬を休ませる。その一方で、昌幸は戦場のことよりも、その先にある上野の地図を眺めていた。
後閑で北条を退けられなかったことは、決して失敗ではない。だが、あの戦いによって一つだけはっきりしたことがある。沼田城を正面から攻めるのはまだ早い。ならば、沼田城を守る北条の力そのものを、少しずつ削ればよい。
昌幸は地図の上に指を置いた。
沼田の北西、越後との国境へ向かう道筋。その途中にあるのが猿ヶ京城である。
猿ヶ京は、沼田と越後を結ぶ交通の要衝であり、北から沼田へ至る道を押さえるうえでも重要な場所だった。ここを武田方が押さえれば、沼田城は西と北から圧力を受けることになる。また、甲越同盟によって結ばれた上杉との関係を考えても、越後へ通じる道を確保することは、単なる一城の攻略以上の意味を持っていた。
昌幸は、その城をただ兵で攻め落とそうとは考えていなかった。
「城を攻める前に、城の中を見る」
そう言って、昌幸は何人かの者を呼び寄せた。
猿ヶ京城の内情を探らせるためである。城兵の数、兵糧の備え、城主と家臣の関係、周辺の村々との繋がり。そして何より、城内にこちらへ通じる者がいるかどうか。
戦国の城は、土塁や堀だけで守られているのではない。そこにいる人間が城を守ると決めているからこそ、城は城として存在する。逆に言えば、その人間の気持ちが揺らげば、どれほど堅固な城であっても内側から崩れる可能性がある。
昌幸はそのことをよく知っていた。
調べれば調べるほど、昌幸の考えていた通りのことが分かってきた。
猿ヶ京城は堅固ではあっても、北条方の支配が強く浸透した城ではない。城を守る者たちの中にも、北条に絶対の忠誠を誓っているわけではない者がいる。戦況が変われば、自らの身を守るために立場を変える可能性もあった。
昌幸はその機を待った。
そして内応の話がまとまると、真田勢は猿ヶ京城へ兵を向けた。
戦いそのものは長く続かなかった。
城内から内応する者が出れば、守る側は外敵だけを相手にすればよいわけではなくなる。昌幸はそこを逃さなかった。城内の動揺が広がったところへ兵を進め、抵抗する者を退けながら城へ迫っていく。
やがて猿ヶ京城は武田方の手に落ちた、天正八年五月中旬のことである。
昌幸は城を見上げながら、しばらく何も言わなかった。
一つの城を取った。
だが、昌幸が見ているのは城そのものではなかった。
この城を取ったことで沼田へ通じる道がどう変わるのか、北条方がどこへ兵を回さなければならなくなるのか、そしてこの城が武田方へ移ったことを周囲の国衆がどう受け止めるのか。昌幸にとって重要なのは、そこから先に生まれる変化だった。
一つの城が武田方へ移れば、その周囲にいる者たちは必ず考える。
自分はこのまま北条に従い続けてよいのか。
隣の国衆が武田についた以上、自分も立場を変えた方がよいのではないか。
そうした迷いが生まれれば、そこへ働きかける余地が生まれる。
昌幸にとって、城を取るとは単に一つの拠点を奪うことではなかった。その城を中心として張り巡らされている人間関係そのものを、自分の側へ少しずつ引き寄せていくことだった。
「次は、名胡桃だ」
昌幸がそう口にすると、側にいた家臣が地図へ目を落とした。
名胡桃城は、沼田城から見て北西に位置する城である。猿ヶ京を押さえたことで、その重要性はさらに増していた。ここを押さえれば、沼田城を西方から圧迫できるだけでなく、利根川上流域における真田の勢力をさらに広げることができる。
だが、名胡桃城は力攻めをする必要がなかった。
城を守る鈴木重則との間には、すでに真田家と繋がりがあった。
昌幸は書状をしたためた。
そこに記したのは、武田方へ従えば、その所領と家を安堵するという約束だった。さらに、今後の働きに応じて相応の恩賞を与えることも伝えた。
重則にとっても、これは軽い決断ではない。
北条方に留まれば、これまで通り北条の後ろ盾を得られる。しかし、武田方の勢力がこの地域で広がり続ければ、いずれ真田と向き合わなければならない。その時に武田へ転じるのか、それとも北条とともに戦うのか。決断を先延ばしにすればするほど、選択肢は狭くなっていく。
昌幸は、重則に答えを急がせなかった。ただ、自分たちの置かれている状況を考えさせたのみである。
やがて鈴木重則は、名胡桃城を武田方へ明け渡すことを決めた。
猿ヶ京に続いて名胡桃もまた武田の勢力下へ入った。
しかし、昌幸の動きは、それだけでは終わらなかった。
城が一つ落ちれば、その周囲にも変化が起こる。
名胡桃を押さえたことで、その周辺の土豪たちは自分たちの今後を考え始めた。昨日まで北条方に属していた者が、明日も同じ立場でいられるとは限らない。戦国の国衆にとって何より重要なのは、自らの領地と一族を守ることであり、そのために必要ならば主家を変えることさえ、決して珍しいことではなかった。
昌幸は、その迷いを見逃さなかった。
沼田周辺だけではない。吾妻から利根にかけては、真田家と縁のある者たちが多くいる。父・幸綱の時代から築かれてきた血縁と旧縁は、昌幸にとって大きな武器だった。
その中でも、昌幸が目を付けた者たちがいた。
海野兄弟である。
真田家と同じ海野の血を引く者たちであり、吾妻衆の中でも無視できない存在だった。
昌幸は彼らにも働きかけた。
「同じ血を引く者同士、争う必要はない」
そんな言葉だけで人が動くほど、戦国の世は甘くない。
だからこそ昌幸は、血縁だけを頼りにはしなかった。
本領の安堵。
家臣や一族への配慮。
そして、武田方へ従うことで得られる新たな所領。
相手が何を望んでいるのかを見極め、その望みに応じた条件を示す。それは第十三話で昌幸が上野の国衆へ挨拶状を送った頃から、少しずつ続けてきたことであった。当時はまだ先の戦を見据えて撒いた種に過ぎなかったが、上野の情勢が動き始めた今、その種は一つずつ芽を出し始めていた。
さらに昌幸は、沼田城に関わる者にも目を向けた。
天正七年から沼田城の守りに入っていた金子美濃守、渡辺左近らである。
沼田城そのものは、いまだ北条氏邦の手にある。
だが、その城を守る者たちすべてが北条のために命を捨てる覚悟を持っているとは限らない。
昌幸は、そこへも手を伸ばした。
一人を動かせば、次の一人が動く。一人がこちらへ付けば、その者を知る者がまたこちらを見る。そうして人と人との繋がりを辿っていけば、最初は一つの小さな内応でしかなかったものが、やがて一つの地域全体を揺り動かすこともある。
戦場で槍を振るう兵とは違い、こうした働きは目に見えにくい。
だが、昌幸が上野で積み重ねていたものは、確実に広がっていた。
猿ヶ京。
名胡桃。
そして、その周囲の国衆たち。
北条方の地図を見れば、まだ沼田城は北条の城として残っている。だが、その周囲には武田の旗が少しずつ増えていた。
「沼田を囲むのではない」
昌幸は地図を見ながら言った。
「沼田から、北条を追い出しているのだ」
それを聞いた家臣は、すぐには言葉を返せなかった。
昌幸の言葉通りだった。
城を包囲する兵はまだ少ない。しかし、城の外側にある土地が一つずつ北条の手を離れていけば、沼田城は次第に孤立していく。孤立した城を守るためには、より多くの兵が必要になる。兵を送れば、その分だけ別の場所が薄くなる。そこへさらに手を伸ばせば、北条はまた兵を動かさなければならない。
昌幸が考えているのは、その繰り返しだった。
力のある者と正面からぶつかるのではなく、その力を発揮できる場所を一つずつ奪っていく。
北条氏邦が沼田城に大軍を置けば、その兵を沼田に縛りつけることができる。逆に周辺を取れば、氏邦は沼田を守るためにさらに多くの兵を必要とする。そうなれば、北条が他の場所へ回せる兵力は減っていく。
一見すれば、昌幸は小さな城を一つずつ取っているに過ぎない。
しかし、その一つ一つが沼田城を締め付ける縄になっていた。
ただし、その策には当然ながら代償もあった。
味方についた者たちへ、何を与えるのか。
昌幸はそこで初めて少しだけ眉を寄せた。
武田方へ従属する国衆が増えれば、それだけ彼らへの恩賞も必要になる。昌幸は自らの判断で約束を積み重ねていたが、その最終的な保証をするのは武田家である。勝頼の印判を得て所領安堵を約束し、功があれば加増する。そうした確約があるからこそ、国衆たちは自らの将来を武田方へ託すことができる。
だが、約束とは一度口にすれば、それを果たさなければならない。
一人を味方につけるために所領を約束すれば、その者が連れてきた者にも褒賞を求められる。さらにその者が別の国衆を従わせれば、そこにもまた新たな恩賞が必要になる。昌幸が人を動かせば動かすほど、武田家が背負うべき約束もまた増えていく。
昌幸はその危うさを理解していた。それでも今は、人を動かすことを優先した。
北条を上野から押し出すためには、兵だけでは足りない。北条方の国衆に、このまま北条に従い続けることが本当に得なのかと考えさせ、武田方へ転じることによって家を守れると思わせる必要がある。そのためには、武田が勝つという確信だけでなく、武田に従えば自分にも利益があるという現実的な理由を与えなければならなかった。
そして昌幸には、それを実行するだけの才覚があった。
勝頼から認められた知行安堵の権限と、自らがこれまで築いてきた上野の人脈。それらを使い、昌幸は国衆たちの間へ入り込んでいく。
人を斬るより、人を味方にする。
城を攻めるより、城主に門を開けさせる。
戦場で敵を倒すことだけが戦ではない。
昌幸にとって、上野攻略そのものが一つの巨大な策だった。
その策の先にあるのが、沼田城である。
昌幸は再び地図へ目を落とした。
沼田城はまだそこにある。
北条の旗もまだ掲げられている。
だが、その周囲には以前とは違う風が吹き始めていた。
昌幸は静かに筆を取った。
次に送る書状の宛名を書き始める。
戦場では、一日のうちに勝敗が決まることもある。しかし、人の心を動かす戦では、一通の書状が数月後、あるいは数年後になって初めて効果を現すこともある。だからこそ昌幸は、目の前の勝敗だけを見ることなく、その先にある情勢の変化を見ていた。




