第二話 忍びの里にて
信濃国埴科郡
永禄十二年に出浦盛清へ預けられた源七郎は、六年の歳月を忍びの里で過ごしていた。
山々に囲まれた谷あいには、地図にも記されぬ小さな集落がある。農村にも見えるその里は、武田家に仕える三ツ者たちの住処であり、幼い源七郎にとっては故郷そのものであった。
「待て待て、源七郎」
背後から少年の声が飛ぶ。
「捕まえられるものなら捕まえてみろ」
源七郎は笑いながら斜面を駆け上がる。木の根を飛び越え、沢を渡り、岩場を蹴る。武家の子であれば叱られるような遊びも、この里では日常だった。
「また負けた」
源七郎と同い年の少年が地面へ寝転ぶ。
「これで十七回目だ」
「お前、本当に武家の子か」
「さあな。父上は御屋形様に使えているらしいが、俺は顔も覚えておらん」
そういって笑う二人を少し離れた木陰から盛清が眺めていた。
「藤蔵、おぬしも少しは考えて走れ。速さでは敵わぬと知りながら毎度同じ勝負を挑んでどうする」
藤蔵と呼ばれた少年は、寝転んだまま盛清を見上げる。
「だって悔しいじゃねえですか。あと少しで追いつけそうなんですよ」
「その"あと少し"が一番遠いのだ」
盛清は苦笑すると、今度は源七郎へ目を向けた。
「源七郎」
「はい」
「逃げ足だけは一人前になったようだな」
「逃げるためではありません。追い付かれないためです」
その答えに盛清は小さく笑う。
「同じことよ」
源七郎は不満そうに頬を膨らませるが、藤蔵は堪えきれず吹き出した。
「主水佐様の勝ちだ」
「うるさい」
源七郎が軽く蹴ると、藤蔵は転がるように身をかわす。そんな応酬が数度続き、源七郎が藤蔵と戯れていると、木陰に立つ盛清がふと山道へ視線を向けた。
その視線の先には、一人の男がいた。土埃にまみれた身なりで、音もなく木立の間から姿を現す。だが三人は誰も驚かなかった。
男は盛清の前まで来ると片膝をつき、小さく頭を下げる。
「主水佐様」
「戻ったか」
「ご報告申し上げます」
源七郎たちには聞こえぬほど小さな声で、男は戦場の様子を伝え始める。盛清は黙って聞いていた。だが、話が進むにつれ、その表情は徐々に険しくなっていく。
「……左様か」
それだけ答えると、男は再び一礼し、その場を下がった。源七郎は盛清の様子が気になり、藤蔵と顔を見合わせる。
「主水佐様、何があったので」
盛清はすぐには答えなかった。
初夏の風が谷を吹き抜け、木々の梢を揺らす。つい先ほどまで響いていた子供たちの笑い声は消え、静かな山里には沢の流れる音だけが聞こえていた。
やがて盛清は二人を見つめ、静かに口を開く。
「長篠で、大きな戦があった」
源七郎は首を傾げる。
長篠という地名に覚えはない。だが、近頃は里へ戻る忍びたちが口々に「三河」「織田」「徳川」といった名を語っていたことは覚えていた。甲斐武田家は今、かつてない大軍を率いて三河へ兵を進めている。そのことだけは幼い源七郎も知っていた。
盛清は遠く南の山々へ目を向けたまま続ける。
「織田信長と徳川家康、合わせて三万を超える軍勢に対し、御屋形様はおよそ一万五千を率いて決戦に及ばれた」
その戦いは設楽原と呼ばれる長篠城西方の平原で行われた。
武田軍はこれまで幾度となく敵を打ち破ってきた騎馬武者を先頭に攻勢へ出たが、織田勢は馬防柵を幾重にも築き、その背後に数千挺もの鉄炮を並べて待ち構えていた。三段に隊を入れ替えながら撃ち続けたとも、実際にはそうではなかったとも後世様々に語られる戦であるが、一つだけ確かなことがある。
武田軍は敗れた。
それも、ただ敗れたのではない。
精鋭騎馬隊は悉く鉛玉によって斃れ、譜代の宿老、名だたる勇将が次々と討ち死にし、武田家は上田原の戦い以来ともいえる大敗北を喫したのである。
山県昌景、馬場信春、内藤昌豊……
名将たちは次々と戦場へ斃れ、武田二十四将と謳われた武将たちも多くが帰らぬ人となった。
そして、その中には源七郎の一族も含まれていた。
盛清はゆっくりと源七郎へ向き直る。
「真田信綱殿、昌輝殿……討死」
その言葉の意味を、源七郎はすぐには理解できなかった。
信綱も昌輝も、会った記憶はない。父の兄であるということだけは知っていたが、それ以上でもそれ以下でもない存在であった。しかし、盛清の表情を見る限り、それが尋常ならざる出来事であることだけは分かった。
「では……父上は」
思わず口をついて出た問いに、盛清は静かに頷く。
「喜兵衛殿はご無事だ」
源七郎は胸を撫で下ろす。
その様子を見た盛清は、少しだけ表情を和らげた。
「されど、この戦で真田家は当主信綱殿と、その補佐を務めておられた昌輝殿を一度に失った」
そこまで言うと、盛清は小さく息を吐く。
「……恐らく喜兵衛殿は、武藤家を離れ真田家へ戻られることになろう」
その一言は、源七郎よりも藤蔵の方が先に反応した。
「真田へ戻るって……」
「武藤家を継がれるはずだったお方だが、今や真田家には幼い男子しかおらぬ。真田家は信濃先方衆筆頭、御屋形様はその子らに家督相続を認めないであろう」
盛清は淡々と語る。
「喜兵衛殿も、それを望まれるはずだ」
のちに武藤喜兵衛は武田家重臣高坂昌信の支援により武田勝頼から真田への復姓と家督相続を認められた、稀代の名将真田昌幸の誕生である。
それは数年ぶりの昌幸の信濃帰郷も意味していた。
注:当時の騎馬は小柄なものがほとんど(特に木曽駒など)で、移動・運搬手段として用いられたのは確かですが武田の精鋭騎馬隊というものがどれほどの戦力であったかは疑問が残るところです。しかし甲斐ではサラブレッドの飼育に成功していたとも考えられているため、その説を採ります。
当時の武藤喜兵衛が真田家を継ぐのには一定の反発があったとされます。その反発を和らげるための策はまた別の話の本編で




